ス ピ カ





 きい、と頭の芯が冷え凍えた一瞬があった。
あの瞬間、俺は確かにラズリルを焼き払うつもりだった。
そう、もう少し岸を離れたら。
街の全てが余すところなく紋章の射程に入ったら、と。
ゆらゆらと揺れる足場を踏みしめ、そのタイミングを計っていた。


 打ち上げられる色とりどりの花火。人々の歓呼。
この海域では一二を争う船団を抱えながら、敵の属国に甘んじる憂き目をみたラズリルの民人は、今、その屈辱から解放された喜びに、少し羽目を外しすぎるほどに浮かれきっていた。それぞれに纏った華やかな衣装、篝火と提灯の光彩が、街の至る所に残る戦禍の爪痕を覆い隠している。歌い躍る乱痴気騒ぎは、夜明けまで続くだろう。実際にはただ、この地の領主を追放して自治を取り戻したにすぎず、依然としてクールークは強大な版図を誇っているのだが。
停泊した旗艦、ルナ・セイリオスの甲板で、ティエンは潮騒のように遠く近く寄せる声を背に、ぼんやりと夜空に咲いては消えていく華を見上げていた。
 ───今となっては……だけど。やっぱり壊滅させとけばよかったかな。
「何をです?」
不意に背後からかかった声に、ティエンは片眉を上げた。知らず声にしていたらしい。というか、他人が近づく気配にも気づかなかった。我ながら随分と油断したものだな、と自嘲しながら振り返る。生真面目な声音だけで、相手の姿はもう頭の中に描けていた。
「やあ、アルド」
「こんばんは、ティエンさん。そんな船縁に寄っていたら危ないですよ」
少し酔っているでしょう、と諌める眸に、軽く肩を上げて返す。
「落ちたってすぐ港だよ」
「そうかもしれませんが……僕は余り泳ぎが得意じゃないものですから」
貴方を助けられる自信がないんです、とあくまでも生真面目な答えに、ティエンは声をたてて笑った。
「じゃ、君が落ちたら助けてやるとしよう」
「はい、お願いします……じゃなくて!僕なんかの為に貴方が危険な目に遭ってどうするんですか!!」
「……君さぁ、何でこんなトコにいるの?」
「は?」
こっちかと思えば今度はあっち。いつもながらの気まぐれな風向きの変化だが、アルドはついて行けた例しがない。目を白黒させる自分に、嬉しそうにティエンが笑うのもいつものことで、このやりとりの形は妙な習いになりつつあった。
「街は酒でも料理でも食べ放題の飲み放題、綺麗どころがドレスアップして解放軍のメンバーの袖を引こうと必死ときてる。何で行かないの?」
「貴方は……きっとここにいると思ったから」
答えになっているようでなっていない応えに、ティエンは小さく息を吐いた。
「やれやれ、誰かにお使いを頼まれたって訳か」
人の好すぎるのも考えものだ。……差し詰め、元騎士団長のご老体辺りの差し金か。
途端につまらなそうに視線を逸らしかけたティエンに、アルドは慌てて言葉を継いだ。
「違います、僕が勝手に探していたんです!」
「何で?」
「何でって……僕が貴方を探しちゃ駄目なんですか」
「駄目って法律はないね。じゃ、何の用?」
「……用がなかったら探しちゃ駄目なんですか」
「駄目って法律はないね。じゃ、何で探してたの」
「───言わせたいんですか」
「うん、聞きたい」
にこにこと笑っている顔に、内心深く深く脱力する。
「……貴方と一緒にいたかったからです」
「結構」
ちょいちょい、と人差し指で手招きされるままに近寄ると、不意に首を抱え込まれ、身を屈めた拍子に頬を暖かいものが掠めた。
「!?!?〜〜〜〜〜!?」
「ちゃんと言えたからご褒美v」
ぱくぱくと口を開いたり閉じたりしている顔が、みるみる内に真っ赤に染まっていく。
さも楽しそうにそれを見やったかと思うと、ティエンはついと視線を花火に戻した。
その背中に、振り切れそうな鼓動が鎮まっていく。頬に火照りを残したまま、アルドは気遣わしげに眉を顰めた。
……落ち着かない。
何か誤魔化されている気がする。強いて言うなら、違和感。
いつも通りの彼がいつも通りに過ぎて、どこかが……何かが酷く危うい気がする。
───黄昏時、艦が港に碇を下ろすや否や、襲い掛かるような勢いでラズリル市民は殺到し、口々に歓喜を叫びながらティエンを連れ去った。かつて自分達が彼に何をしたかなど、もう覚えてはいないのだろう。だが、それに理不尽を感じはしても、憤るほど幼いままでは駄目だと自分に言い聞かせた。経緯がどうあれ、ラズリル奪還はティエンにとってプラスに働くのだからと。
だが、歓喜に沸く群集を舳先から見下ろしたあの一瞬、彼の表情を過ぎったぞっとするような底冷えのする笑み。
彼らをそのまま焼き払ってもおかしくないような顔だった。
「───何を考えてる?」
見透かしたようなタイミングで向けられた問いに、顔を上げる。動かないティエンの背を見つめて暫く躊躇い、結局アルドは燻る懸念をそのまま口にした。
「貴方は……この街を滅ぼすつもりだったんじゃないかと思って」
「………」
今どんな顔をしているか、見なくても判る。
凍てついた、というよりは空っぽの顔。何もない、ただ暗く深い孔のような。
知らず、アルドは歯を食いしばった。
「許せとは言いません。でも、殺したら駄目です」
「どうして?」
返された声が、どこかぼんやりとしていて焦燥を煽る。
「貴方が手にかけるほどの価値はありません!」
「らしくないな、博愛主義者の君が」
「僕は、誰も彼ものことを気にかけていられるほど器用じゃありません」
「………」
無言のまま、ティエンは徐に振り返った。図るように眇められた眸にも、アルドは一歩も退かずに言葉を繋ぐ。
「明日にでもこの街を発ちましょう。ここにはいない方がいい。ここは淀んで、濁った匂いがします。───そうだ、ネイはどうです?宿からの見晴らしが最高だって聞きました。それに、温泉もあるって。貴方、最近ろくに眠ってないでしょう。少しは身体を休めないと……」
前触れもなく掴まれた襟首に、アルドは言葉を途切らせた。
「───その辺にしておけ」
睨み上げてくる翡翠が、純粋な敵意に満ちている。
「踏み込まれるのは好きじゃないんだ」
「……ああ、やっと本音を見せてくれましたね」
苦しさに顔を歪めながらも、アルドは笑った。
「テッド君も……貴方も、同じだ。本当に同じだ。甘い言葉をくれても……頼ってる……風にみせてくれても、肝心な……ところで、まるで、双子の兄弟みたいに……他人を排除する。自分達だけで……身を寄せ合って。それは……それでいい、貴方達は本当に……ギリギリのところで……生きてるんだろうから。でも」
ふ、と緩められた力に、アルドは膝をついて激しく咳き込んだ。ものも言わずに見下ろしてくる双眸を、必死に受け止めて投げ返す。
「でも、判ってない。貴方は判ってない!!どんなに僕が……他の人達が貴方を愛しているか。口だけじゃない、本当にこの船の人達は貴方を愛してる。一緒にいた時間が短くたって判ります、貴方のいない所で、どんなに幸せそうに貴方のことを話してるか聞かせてやりたい。そしたら、あんな顔できっこないんだ、今の顔の方が百倍マシだっあんな顔……命を命とも思ってない、嫌いを嫌いとも考えることもなく放り出すようにして全てを壊そうとするあの顔!!」
「………」
「僕は……許せない。あんな貴方は認めない。ラズリルの人達だって嫌いだ、貴方にあんな顔させて。利用できるとなった途端に掌返して、一度は殺しかけたクセに!」
「───博愛主義者の言葉じゃないなぁ……」
「だから違うと言っているでしょう!!」
「でも殺すな、なんだろ?」
激昂をさらりと受け流し、ティエンは暗く微笑んだ。
「『あの人達が愛してくれる。だからこの人達がそうでなくたって構わない』……俺はそんな風には考えられないんだよ。『そうでない』人間は大切なものを土足で踏みにじってくれる可能性が高い。いない方がいいんだ、この世には」
慈悲深い眸が、優しい笑みを湛えて呪いを口にする。
「……この街を心底好きだったかと聞かれれば、頷けない。拾われっ子、恩を忘れるなって、憚りなく何度も口にする素晴らしい神経の持ち主が多かったからね。でも、それなりに愛されようと努力した結果、それなりに愛されていると思っていた。それがあの日、何もかも嘘だったと突きつけられた。完膚なきまでに裏切られた。俺を信じてついてきてくれた仲間がいなきゃ、この手で廃墟にしてやってた。同盟の名を被せたクールークの属国になったって聞いた時も、心の端すら痛まなかった。……俺にでもクールークにでもいい、いっそ滅ぼされていればよかったんだ。そうしたら、あんなもの見ずにすんだ」
「あんな……もの……?」
「───親友の凋落」
答えは、想いもよらぬ方向から降ってきた。
「テッド君……」
呆然と見ているアルドの横を涼やかな靴音と共に通り抜け、船縁に凭れたテッドは気だるげにティエンを見やった。
「かつての、とつけるべきかな……名はスノウ。この街の領主の息子だ」
「テッド」
低い制止の声も気にかける様子はなく、淡々とテッドは続けた。
「こいつがラズリルを追われる理由を作った張本人、しかもその後何度も敵として現れた挙句、遂に故郷にすら見放されたような人間だが、こいつはやけに執着してる。奴がラズリルの民に石を投げられて追われた時、こいつ、やめろって……悲鳴みたいに叫んだ」
聞いたこともないような声でさ、と呟くようにして言葉を結んだテッドの横顔は、痛ましさよりも寂しさを湛えていた。
「こいつ、一度気に入った人間にはとことん甘いんだ。だから、まだスノウを諦めてない。やめとけって言ってんのに……頑固だったらない」
「何、妬いてるの?」
「馬ー鹿」
ふん、と横を向いたテッドにティエンはほろ苦く笑い、視線をアルドに戻した。
「誤解されてるみたいだけど……俺はね、スノウを好きとか嫌いとかの感情で語れば、間違いなく『嫌い』なんだ。だが、彼には綺麗なままでいて欲しかった。窮地にさえ陥らなければ、彼は優しく思いやり深く、良き領主として皆に愛されただろう人間だった。彼を補佐してラズリルを護って終わる人生に、俺は何の不服もなかった。それが……あんな罪人みたいに石を投げられて……あんな惨めな背中をして……」
「自業自得だ」
「俺よりスノウを信じて選んだのはラズリルだ!だったらスノウと共に滅びるべきだった!!なのに彼を唾棄して追い払って、今度は俺を英雄として迎えてる!!スノウに石を投げた手が、俺に手を振ってるんだ!!」
「………」
処置なし、とでも言いたげに首を振ったテッドは、横目でアルドを見やった。
「───全く、こうなったら理屈も何もあったものじゃない。まぁ、手に余るようだったらポーラとケネスを……甲板の若夫婦って言や誰にでも判る、呼べ。おとなしくなるから」
じゃあな、と踵を返して去ろうとしたテッドの手を、すれ違い様にアルドは握って引きとめた。
「君は。何でここに」
その力を乱暴に振り払った手は、それでも代わりに微かな答えを残していった。
「お前と同じだ」
……同じ?何が?どこが?
「ティエン、考えてみるといい。こいつにお前が見せたものの意味を」
……見せたもの?何を?意味?
浮かんでは消えていく疑問を掬い取る間もなく、テッドの姿は闇に紛れて消えていった。
「───やれやれ、参ったな」
ゆらり、と歩き出したテイエンは、丁度テッドが凭れていた船縁に凭れ、愛おしげに指先で撫でた。
「今のは告白なのか縁切りなのか……微妙だね」
膝をついたままぼんやりと見上げてくるアルドに艶やかに笑む。彼を包む風は、いつもの捕らえどころのない、それでも穏やかでどこか寂しいそれに変わっていた。
「……そうだな、踏み込ませたのは俺、か」
「ティエンさん?」
おずおずと見上げてくる金の眸に笑んだかと思うと、ひらりとティエンは船縁から身を躍らせた。
「ティエンさん!!」
水音は悲鳴の後にやってきた。一瞬の迷いもなく駆け出し、水面を確認することもなくアルドは海に飛び込んだ。
真の───闇だった。前も後ろも、上も下も判らない。
それに対する恐怖よりも、水に慣れているティエンでもこの状況では、と考えた瞬間の恐怖の方が遥かに大きかった。
必死に、ただ必死に水を掻く。
紅いものの端でも、手足の先でも見えれば、とただ必死に、祈るように縋るように。
嫌だ、こんなところで貴方がいなくなるなんて!
ごぼごぼと洩れていく空気。水泡までが黒く重い。
 ───君さぁ、こんなトコで何してんの?
岩陰に隠れていた自分を苦もなく見つけ、怪訝そうに聞いてきた彼。
春の風に揺れていた栗色の髪、迷いなく真っ直ぐな翡翠の眸。
この人なら、と思った。
迷う自分の手を取って引いて行ってくれるだろうと。
 いいよ、来たいならついてくれば。でもうちの生活は結構ハードだよ、あんましオススメしないけど。
ねぇ?と振り返って笑う先には、琥珀の眸をした小柄な少年が立っていた。
不機嫌そうに横を向いている彼は、楽しそうに笑っている彼と一見似ても似つかないのに、どこか酷く似通っていて。
まるでふたつでひとつの双子星のようで。
こっちだよ、と振り返って笑う眸と、振り返らない小さな背中を追って走った。
ティエ…………テッドく…………
不意にぐい、と引きちぎるような乱暴さで腕を引かれた。
その意味も判らないほどに混乱し、酸素を奪われた身体が闇雲に水を掻く。抗う手が、委細構わず引く腕を深く抉った。流れる紅いものも今は見えない。それでも腕を引く力は、徐々に抗いの力を弱める身体を抱えて徐々に浮上していった。
勢いよく水面に顔を出した二つの影のうちひとつは、肺に空気を取り込む前に、腕に抱えた相手の頬を張り飛ばした。
「アルド!アルド!!しっかりしろ!!」
血の気の失せた顔に舌打ちし、岸へと抜き手を切って泳ぎ出す。
「………ティエ……」
「ここにいる!」
「……ああ……無事で、よかった……」
「───喋るな、すぐ岸に着くから」
押し殺した声に一瞬笑ったアルドは、次の瞬間大量の海水を吐き出した。ぐったりと力を失った身体を抱え、ティエンはやっと、岸壁に打ち込んである杭から伸びる停泊用の鎖を掴んだ。ぬめる表面を無理やりグローブで宥め、抱えた身体をコンクリートの上に投げ出すようにして横たえる。後は片手を支えに身軽に岸壁に上がったティエンは、うつ伏せになって弱々しく呼吸を繋いでいる身体に駆け寄った。
「アルド!アルド、聞こえるか!?」
「……ええ……」
「船に運ぶ。少し我慢しろ」
言うなり軽々と抱え上げられた感触に、アルドは薄く目を開けた。
「すみません……やっぱり、助けられなくて……」
「喋るな、舌を噛むぞ」
渡し板を駆け上がった先に、難しい顔で腕組みをしているニコが立っていた。
走る速度は落とさないまま、ティエンはすれ違い様に短く告げる。
「説教なら後で聞く」
「そうして下さい」
船内へと駆けて行く後ろ姿を見送ってからため息をひとつつき、ニコは見張り台へと戻って行った。


 ぼんやりと淡彩が滲んでいるような視界が、徐々に輪郭を取り戻していく。
見慣れない……でも見覚えのある組み木の天井。遠い波音に合わせて、ほんの微かに身体が揺れている。
何だろう。額が冷たくて、気持ちいい。
身体は暖かでふわふわしたものに包まれている。少し幸せな気持ちになって、また目を閉じようとした時。
「───気分はどうだ?」
静かな声に、驚いてアルドは視線を巡らせた。
「ティエン……さん……?」
どうして、と言いかけた時、散り散りになっていた記憶の断片が繋ぎ合わされ、大きく目を見開いた。
「ティエンさん……!」
跳ね起きようとするのを見越していたように、ティエンは腕を支えにしてそれを止めた。
「まだ起きるな。飲んでいた海水の粗方は吐き出したようだが、肺に残っているかもしれない。ユウ先生に聞いたが、陸(おか)溺死っていうのがあるそうだ。陸にあがって助かったと喜んで、随分経ってから徐々に意識が混濁して死ぬことがあるって。海水は浸透圧が高いから、肺に残ると体内の水分を呼び込んでしまうそうだ。……呼吸が深いから大丈夫だろうとも先生は言っていたが、油断はできない」
「……ティエンさん」
「何だ?」
「その……腕は……」
包帯を巻かれた上に血が滲んでいる。ああ、と気づいたように見やって、ティエンは目を伏せた。
「何でもない……いいから眠れ。傍にいるから」
はい、と呟いた頬を、ティエンはそっと指先で撫でた。
こんな目に遭わせても、俺は謝る気にすらならない。
ただ、満足しているだけだ。
治ったら……お前は船を下りた方がいい。
これ以上俺に執着される前に。
離れていこうとした指先を、大きな手が包み込んで引き止めた。
「……信じてください」
洩れ聞こえる、微かな声。薄く開かれた金の眸が、ひたむきな強さで見上げてきていた。
「この手は、貴方を裏切らない」
返された掌。石を投げる手。熱烈に振られる手……。
真っ暗な水の中、ただ自分を探してもがいていた手。
伝わってくる温もりに、ティエンは口角を吊り上げた。
「……予想以上の馬鹿だ」
「馬鹿でいいです」
「学習能力もない」
「馬鹿ですから」
「後悔先に立たずって言うだろう」
「虎穴に入らずんば、とも言うでしょう」
頑として譲らない眸に、ややあって降参、とばかりにティエンは軽く肩を上げた。
「……どうでも、俺に捕らわれたいようだな」
泣いているような笑っているような顔。
そっと身を屈め、ティエンは恭しくさえある仕草で、固く引き結ばれた唇に口づけた。
「───いいだろう、お前の墓標になってやる」
ゆっくりと瞠られた金の眸に、ティエンは穏やかに笑い返した。
「海の民なら、生まれ変わるのを待つところだが……お前達は、死んだらそれで終わりの命だからな。せいぜいそんな約束しかしてやれないが……誓おう。俺はお前を忘れない。永劫の時の中、お前も背負って行ってやる」



 数日後、ルナ・セイリオスはネイ島に入港した。今日一日は骨休め、とのティエンの令に一斉に歓呼で答えたメンバー達は、三々五々、島のあちこちに散っていった。温泉で寛ぐ者、実家に帰る者、買い物に出かける者と様々だったが、ティエンは病み上がりのレッテル付のアルドと嫌がるテッドを連れて、石切が原の木陰に陣取っていた。
「───ああ、もう夏が近いですね」
木陰を渡っていく風に、手で木漏れ日を透かすようにしてアルドは空を見上げた。
「?何で判る?」
「何でって……木の匂いです。むせ返るような、緑の匂い。南の方は季節の移り変わりが曖昧かもしれませんが、それでも今、一番草花が命らしく世界を照らす時ですよ」
嬉しそうに説明するアルドに、半身を起こしてティエンは首を傾げた。
「むせ返る緑って……花はともかく、草や木の葉に匂いがあるのか?」
「ありますよ、優しくて力強い、本当に命の匂いってカンジの……ほら、するでしょう?」
やはり首を傾げるティエンに、寝転がったまま、テッドは唇の端だけで笑った。
「やめとけ、海育ちにそんな繊細な神経を求めたってムダだ」
「うわー、マグロとカツオの区別もつかない繊細な味覚の持ち主に言われたくないなぁ」
「……監視(ニコ)がお前を探してたぞ。もう出頭命令じゃない、最後通牒だそうだが?」
「早!気ィ短!!いいじゃん、一年後だろうと十年後だろうと『後で』なんだし」
「お前の認知症的時間軸に他人を巻き込むな」
「ま、まあまあ、二人共落ち着いて。そうだ、そろそろお昼にしようよ。今日は腕によりをかけて作るからv」
「は?」
綺麗にハモった二人の反応に、にこにことアルドは大きなリュックサックから折畳式の鍋だの皿だの、調理道具一式と食材を取り出した。手近の石を積み上げて竈を作り、ふいといなくなったかと思うと、腕いっぱいに枯れ枝を抱えて戻ってくる。丸めた紙を竈に押し込み、マッチで火をつけ、鍋に入れた小麦粉とバターを手早く炒める。綺麗に洗ってあるらしいジャガイモに人参、玉ネギを剥いて切り、鍋に放り込む。そして火が通った頃合を見てミルクを注ぎ、満足そうによし、と頷いたアルドは、言葉を失っている二人を振り返った。
「パンとワインも麓の市で買ってきたし……いや、大きい島って便利でいいよね、色々売ってて、手間省けるし。じゃ、僕ウサギか鳥獲ってくるから、火見ててね」
山裾の繁みに向かって走り出したアルドを、やはり声もなく見送ること暫し。
「───しまった、無理させるなってユウ先生に言われてたのに」
「いいんじゃないか?本人は至って無駄に元気そうだったし」
「まぁね、この辺りは大したモンスターもいないし。しかし話には聞いてたけど、実際に見ると逞しいね〜」
流石漂流迷子開拓者、と拍手をするティエンに、テッドは眉を顰めた。
「お前、本気であんなのまで背負う気か?」
「んー?今日日あれだけ純粋純朴純情一直線な若人ってレアじゃない?」
「既に言動が老化してるぞお前……」
「若いと順応性が高いからv」
「……背負うものが多いと、早く潰れる。長生きできない」
低く呟く声に、やっぱりお前は俺に甘いとティエンは笑う。
「───お前の肩にアルドを預ければ、その分俺の荷は減るか?……違うね、俺はお前ごと彼を背負う。お前が俺ごと彼を背負うのと同じように。どっちだって同じなんだ、お前と共に行こうが俺と共に行こうが、どっちにしたって俺達はもう彼から逃げられない。となれば、必要なのは覚悟だけさ」
涼しい顔で言い切り、もう一度寝転がったティエンに、テッドは小さくため息をついた。
「拾うんなら、責任持って最後まで飼えよ」
「了解」
面白そうに返すティエンの声を、さやさやとさざめく葉擦れが攫っていく。
その鼻腔を、不意にむせ返るような土、温まって気化する雨水、暖かな青い匂いがない交ぜになって掠めていった。
 緑の匂い。
 命の匂い。
 愛しさも切なさも願いも優しさも、押し付けがましいほどの強さで世界に満ちている。
 
 また、夏が来る。

そこにあるのは、泣いているような笑っているような顔。


                            2005.5.5『スピカ』

                         SING BY YUDU AKISHIMA





「アルテナ」の続編です。しかも4主×アルドです!(興奮)
うわあああ、本当に甘いーっ!!(じたばた)
ティエン君が「アルテナ」の時よりもアルドに弱った部分を見せてくれていて嬉しいv リクはティエン君×アルドでしたが、秋嶋さん宅ならアルド×ティエン君もいいかもとか思いましたvアルドが一生懸命で可愛いですーっ。
ティエン君とテッド、本当に双子の兄弟みたいですね。この二人って一見全然違うけど、ある部分はそっくりで。大型犬に懐かれちゃって見捨てられなくなった兄弟たち(笑)
恐ろしい勤務スケジュールの中、素敵なお話を本当にありがとうございましたーっ(><)ティエン君LOVE!