真の紋章



お互いに寿命とは無縁の体である以上、こういう事があってもおかしくはないとは思っていたけど、世の中は広い。道端でばったりなんてドラマチックな事が本当に起きるなんて考えた事もなかった。
それにね、いい加減記憶の方も怪しかったんだよ。彼と別れたのは150年ほど前。真の紋章の加護に預かるものか、人間外の長寿の種族、特別な力を持つ人以外は、どんなに願っても再会は不可能な時間が経過している。
100年位前は、結構意識してかつての仲間達の住む地をうろついて、感動の再会なんてものもやってみた。祖父が敬語で話しかける少年を、不思議そうに見上げる純粋な子供たちの瞳が居心地悪くなって、後半は専ら遠くから見守るだけにした。
オベル王国には、最近ようやくまた再び足を運べるようになった。何故って、前の国王――姉さんの孫だかひ孫に当たる人かな。彼が僕にそっくりで。髪の色が少し僕より濃いくらいで、並んだら一目で血縁者ってバレてしまう。これって隔世遺伝って奴?
オベルの国民が、歴史に名を残さなかった群島の英雄(やっぱ血のつながりの力ってあるのかな。ずっと離れていたのに、父さんは僕の性格を良く判ってたよ。英雄なんて肩書きは、熨しつけてお返ししとく)の顔を忘れた世代に、彼の登場。王の隠し子か!?などと騒がれても困るし、彼の顔に深い皺が刻まれるまでは祖国に帰るのは諦めたんだ。
で、先日彼が鬼籍に入ったと知って、久しぶりにオベルの知り合いたちの墓参りをして、かつてのクールーク皇国の跡地をのんびりと抜けて、赤月帝国に入ったのが数日前。
有名な黄金の都を拝ませていただきましょと、帝都グレッグミンスターに着いたのが2時間ほど前。
腹ごしらえをして、聳え立つ豪奢な城に向かって中央通りを真っ直ぐ歩いて来たのがついさっき。
城の前の噴水のある広場で、見覚えのある顔を見たのがたった今。
さっきも言った通り、顔を見ただけじゃ本当に彼かどうか自信は無かった。年を取らないって言ったって、長い年月の間に性格も多少は変わる。僕の記憶の中の彼は、いつも野生動物みたいに牙を剥いていて、眉毛は八の字(裾上がりじゃないのがミソだ)、笑った顔なんてエルイールに突入する前の晩まで見たことがなかった。
なので僕が彼だと確信が持てなかったとしても、おかしくはないだろう?だって道の向こうからやって来た彼は、とびっきりの笑顔を浮かべて楽しそうにはしゃいでいたんだから。
彼の隣にいた青年(というには顔立ちが若かったけど、体格は充分大人の男だった)が彼の名前を呼ばなければ、きっと素通りしてしまっていたと思う。
「……テッド?」
擦れ違い様、思わず僕が名前を口にすると、彼が何気なく振り返った。
僕と同じく、テッドもすぐには思い出せなかったのだろう。知った顔ではある、だけど…と悩んでいるのが伝わって来て。
僕が甲をテッドに向けて左手を掲げると、テッドの顔にみるみる驚きが広がり。
「……ウィオル!!!!」
町中に響くような大声で、僕の名前を叫んだんだ。


うん、本当びっくりだよ。
あの!引きこもりで!傷ついた野生動物で!いつも泣きそうな顔でアルドから逃げ回っていたテッドが!
笑うわ、大声で叫ぶわ、くるくる表情が変わるわ、僕の左手に反応しなかったら他人の空似って思うだろうね。
「おま…っ、何でここに……」
まだ混乱が抜けきれないのか、口をパクパクさせて僕を凝視しているテッド。
どうでもいいけど、人を指差すの止めてくれないかなー。
「ちょっと観光で」
「観光って……」
「テッドの知り合いかい?」
テッドの隣にいたおっとり風の青年が、口を開く。着ているものや物腰から推測するに、多分貴族だ。でも赤月は貴族階級がしっかり根付いていた筈…どう見ても庶民のテッドと、貴族の彼が一緒にいるのは不自然だ。
主従ってわけでもなさそうだし、そもそもテッドが誰かに仕えるなんて絶対無理だろうし。(小間使いとして育った僕が言うんだから確かだ。テッドってそういう方面、凄く不器用でねー)
「あ、ああ…。昔の知り合いだよ…」
タメ口きいてる事を考えても、主従説は却下。さて、となると?
「知り合いだなんて冷たいなあ、テッド。一つ屋根の下、一緒に暮らした中だろう?それに僕と君は唯一の同志だったじゃないか」
「変な言い方すんなよっ!違うからなっ。前にこいつの船に乗ってた事があって、船だから屋根も当然一つなだけで…っ」
前半は僕に、後半は隣の青年に向けてだ。二人の様子から、ちょっとひっかけた言い方をしてみたけど、どうやらビンゴ。
テッドは、彼に僕との仲を誤解されるのが怖いんだ。
ただの友達と考えるなら、やや過剰な反応だ。友達だったら、普通に紹介すればいい。なのに彼にも、僕に対しても、相手を紹介しようという気配はない。
過去を知っている僕に今の自分を見られたくないだけなのか、それとも。
「それはテッドがお世話になったね。ありがとう」
おっとり青年がにっこり微笑む。……あれ?
「……僕のほうこそ、テッドには凄く助けて貰いました。それじゃ僕はこれから城の方に行こうと思ってますので、これで」
リーダー時代に培った笑顔を浮かべて、僕は彼に会釈した。
「ところで、どこか安くて料理の美味しい宿屋を知っていたら教えて貰えませんか」
「だったらそこの角の、マリーの宿屋がいいと思うよ」
「ありがとうございます。テッド、会えてよかったよ」
笑顔で踵を返し、僕は二人に背を向け城へと向かった。背中に感じる物言いた気な視線。
確信はあった。君だって僕に言いたい事があるんだろ?その為のお膳立てはしてやるよ。
そして数時間後、教えられたマリーの宿屋で夕食を取っている僕のところに、予想通りテッドは現れた。


夕食はと訊ねると済ませてきたというので、僕の部屋番号を告げ、先に行っているよう言った。テッドが現れた時点で7割食べ終わっていたからここで待たせても良かったんだけど、多分この宿屋、昼間の彼の知り合いのとこなんだと思う。宿帳に記入する時に、人の紹介でと口にしたら、いくつかの外見的特徴を並べただけで、女主人である彼女には誰だか判ったようだ。
恰幅のいいお女将さんは当然テッドの事も知っていた。テッドの事を「明るくて元気で素直ないい子だよね」と称する彼女に、僕は曖昧な相槌を返した。明るくて元気なテッドねぇ…昼間のあの顔を見ていなかったら、人違いと思ってもおかしくないね。
そんな訳で、テッドとしても僕と一緒のところを知人に見られるのはあまり歓迎出来ないだろうと、先に部屋に行って貰ったんだけど。
この間は僕にとっても、頭を整理するいい時間となった。既にいくつかの仮定が僕の頭の中にある。そしてそれは多分…間違ってない。
組んだ指の影でニヤリと笑って、僕は席を立った。



テッドは僕の部屋の椅子に腰掛けていた。
僕が室内に入ると、さっと反射的に立ち上がった。変わってない。船にいた時もテッドはいつも周りに警戒していて、いつでも逃げられる姿勢を取っていた。
性格は大分変わったみたいだけど、こういうとこは今も同じなのかな?それとも僕相手だから昔に戻ってるとか?
静かにドアの戸を閉め、カチャリという音を聞く。
「改めて、久しぶりだねテッド。元気にやっているようで何よりだ」
「……お前も、元気そうだな」
テッドはまだ少し戸惑っているみたいだった。再び椅子に腰かけるよう促して、その向かいに座る。
「ああ、人生を満喫してるよ。昼間の彼は友達?マリーさんに聞いたけど、彼貴族の息子なんだってね。貴族制度の煩い赤月で、貴族を友達に持つなんて大出世じゃないか」
「あいつの父親がこの国の将軍で、俺はその人に拾われたんだよ。息子の遊び相手にって」
「それだけじゃなくて、ウマが合ったんだろ。もしかして君の人嫌いが治ったのは彼のお陰かな」
「………あの時の俺の状況判ってたくせに、意地が悪いぞ」
恨みがましい視線を向けられて、思わず笑ってしまう。共に戦っていた頃だって、テッドが別に人嫌いな訳じゃないことは知っていた。むしろ本当は、凄く寂しがりやな事も。人の近づかない物置や深夜の甲板で、猫相手に独り言を繰り返していたテッドの姿を見たのは、実は一度や二度ではない。
右手に呪われた紋章を持ち、他人の命を奪ってしまうかもしれない恐怖に脅えているテッドには、放っておいてやるのが一番の親切と、僕は彼に近づかなかったけれど、優しいアルドはそれが出来なかったようで、よくテッドを探して船中を歩き回っていた。
これでも一応アルドに忠告はしたんだよ?君の行為はテッドを追い詰める事にしかならないって。リーダーとして、乗組員の環境整備は必要だからね。
だけどそれを我慢させる事は、今度はアルドのストレスになるようで、テッドとアルドのストレスの度合いを天秤にかけて、テッドに我慢して貰う事にした。誰か気にかけてくれる人間がいることは、何だかんだ言ってテッドにとって救いになるだろうという希望的観測も含めて。
「あはは、ごめんごめん。冗談だよ。テッドが彼の前であんまり慌ててるものだから、からかいたくなってさ。彼の事、好きなんだろう?」
「ああ。一番大切な親友なんだ」
テッドが照れくさそうに笑う。うん、いい顔だ。本当に心の底からそう思ってるのが判る。だけど僕の言ってる意味はちょっと違うんだ。
僕はテッドと違って、昔からよく笑う方だった。とりあえず笑っておけば、人は安心するから。
ねえテッド、自分のことで精一杯だったあの頃の君は、僕の笑顔の裏側の気持ちなんて知らなかっただろう?知って欲しいとも思ってなかったけど、でも今は。
教えてあげるよ。僕が笑顔の下で何を思っていたか。君が昔のままの君だったら、こんな事は思わなかった。あんな風に笑えるようになった君なら、大切な人がいると言える君になら、僕も素直になってもいいと思ったんだ。



船だったらこんなに煩くないのになあ、というのが最初の感想。
揺れても動かないように固定されている船のベッドは、固くて小さいけどその分静かだ。
こんな風に、ちょっとの身動きでギシギシ軋んだりしない。
暴れる両手を片手でくくり、ベッドに縫い付ける。ほっそい手首。昔はばっちり着こんでたから知らなかったけど、テッドって随分細かったんだ。
「何するんだよっ!おいっ、離せよ!」
「静かに…隣に聞こえちゃうよ」
「そう思うんなら離せ!…っひゃっ」
首筋から寛げた襟元に向かって唇を這わせ、たどり着いた鎖骨に歯を立てる。高い声とともに、テッドの体がびくんと跳ねる。
「ふふ……感度いいねぇ。彼のお陰かな?」
「!…何言って……」
僕が噛み付いた所より少し下、普通にしていれば決して見えない場所に残る、まだ赤い鬱血の跡に指で触れる。
「これ、彼が付けたんだろ?」
「……っ…」
さっとテッドの顔色が変わった。ポーカーフェイスは昔から苦手だったね。君の気持ちはすぐ顔に出るから。
「彼の事、好きなんだろう?」
さっきと同じ質問。今度はテッドにもちゃんと伝わったようだ。
「何で気づいたかって?そりゃあんな蕩けるような顔を見せられちゃね。僕は割とそういう事に敏感なんだ」
「………」
真っ赤な顔で唇をかみ締めるテッド。その唇に、そっと自分の唇を押し当てる。
テッドは驚いて顔を背けようとしたけれど、逃がさなかった。硬く引き結んだ口内に侵入するのは諦めて、表面を舌で辿る。テッドの体が小刻みに震える。
唇から離れ、今度はテッドの耳たぶを口に含んだ。
「お返しに僕の気持ちも教えてあげるよ。船にいた頃、僕は君が欲しかった。君を抱きたいとずっと思っていた」
「なっ……!!!!」
驚愕を湛えて見上げてくる青い瞳を、優しく見下ろす。
「知らなかっただろう?悟らせないようにしていたからね。本当は一生言うつもりはなかったんだよ。昨日、彼と一緒の君を見なければ」
一目で判った。テッドが彼を好きなこと。彼がテッドと関係を持っていること。男同士の関係を知っている君なら、打ち明けてもいいと思った。
「玉砕なのは判っていたんだけどさ」
若干の苦さを含んだ笑みを浮かべて、僕はテッドの手を離した。
「本当に押し倒すつもりなんて最初から無かったから安心してよ。ただちょっとテッドに意地悪をしたかっただけなんだ。フラレ男の足掻きだと思って、大目に見てやって」
そうしてくるりと背を向ける。引き際が見苦しいのは嫌なんだ。今日は野宿を覚悟して、出口に向かうと。
「待てよっ」
怒声と共に、ベッドから飛び降りたテッドがずかずかと近づいて来て。

ドカッ

……今ちょっと、両親と姉さんの姿が見えたよ…
振り返りざまに頬に強烈な一発を食らい、床に尻餅を着く。見上げれば、肩を切らして仁王立ちしているテッドの姿。
「ふざけんなっ!あんな事されて、大目に見てなんてやれるかあっ!」
ああ、これは宿屋中に響き渡った事だろう。僕はともかく、この町に今後も住むテッドはどういい訳する気やら。
殴られた頬は明日には青痣決定だった。ズキズキと痛みはどんどんひどくなる。
だけど込み上げてきたのは笑いだった。殴られている自分、殴った癖に泣きそうな顔をしているテッド。おかしくて、嬉しくて堪らない。
「何笑ってんだ。……頭は殴ってない筈だぞ」
訝しげに眉を寄せるテッドに、益々笑いが止まらない。
なあテッド、やっぱり君は僕が見込んだ通りの人だよ。
君がいたから、僕は紋章の運命を受け入れられた気がする。
使う度に命を削る罰の紋章の呪いより、不老を生きる真の紋章の呪いの方がこんなに辛いなんて知らなかった。
この広い世界のどこかで、テッドが僕と同じように生きていると知っていたから、僕はここまで来れた気がするんだ。
「大丈夫。おかしくなったわけじゃないから」
立ち上がって微笑みかけると、テッドの視線が気まずそうに泳いだ。どうやらもう僕の顔の崩壊は始まっているらしい。
「君にしたことは謝らないよ。謝ってしまったら僕があまりにも可哀想だ。……ああ、怒らないでよ。謝らないけど、反省はしてる。お詫びにもう二度と、君たちの前には姿を現さない」
君ではなく、敢えて君たちと言った僕の真意は伝わってくれただろうか。
別に伝わらなくてもいいけどね。所詮自己満足に過ぎない。
「さあ、もう帰るといい。大騒ぎしちゃったからこっそりとね。会えて嬉しかったよ。これからも、幸せに」
これが僕の精一杯のはなむけ。
必死の強がりで言ったのに、テッドってば。
「……俺も会えて嬉しかったよ、ウィオル。また近いうちに遊びに来いよな!町案内してやるからさ!」
「……!」
太陽のように明るい笑顔で言うと、テッドは元気よく部屋から飛び出して行った。まるで風が吹き抜けたような、爽やかさを残して。
「…こんなの反則だよ、テッド」
足音が聞こえなくなった後、ベッドに倒れこんで頭を抱える。
「諦めきれなくなっちゃうじゃないか…」
テッドが親友といられる時間は限られている。僕とテッドには、悠久の時がある。いつか彼がいなくなった時を、待ちたくなる気持ちが湧いてくる。
「ま、嫌われずには済んだみたいだし…当分は自粛して大人しくしてようか」
真の紋章が与える止まった時間を、この時ばかりはありがたく思った。








「……もう二度と会わないつもりだったのに、また会ったね。僕を覚えているかい?」
「ああ。テッドの昔の知り合い、だろう?」
僕とテッドがただの知り合いじゃない事は判っていただろうに、人が良さそうな顔をして、中々したたか者だったんだなと思う。
案外僕があの晩テッドにした事も、彼は気づいていたのかも知れない。だとしたら、もしかして今僕はヤバイのかな?瞳を閉じての微笑からは、感情を読み取りにくい。笑いながら、あの棍が突き出されてくるかもしれない。
まあ、今更命を惜しいとは思わないけれど。左手に導かれてここにやって来たら、居たのは僕が予想していたのは違う人物だった。
呼んだのは君かいテッド?などと勘ぐりたくもなる。紋章に呼ばれるのなんて初めてだったのに、その先にあったのは寄りにもよって彼との再会だなんて。
「ああ、知り合い。テッドは僕の宿星だったんだ。君も天魁の星、なんだろう?」
「そうらしいねぇ…。俺はそんなものなりたくなかったんだけどね」
彼はゆっくりと、愛しむように右手の甲を摩った。
「……そこに?」
「いるよ」
主語がなくとも、僕たちには通じる。
「ずっと、俺はテッドと一緒だ。だから君にはもう、指1本触れさせないよ」
「……スミマセンでした」
やっぱりバレていた。僕も結構修羅場を潜って来てる方だと思うけど、それでも彼の視線は怖かった。なんていうか、紋章砲で射抜かれる感じ?無いはずの寿命が縮まったね。
「テッドの最期は君が?」
「看取ったよ」
「そうか…」
詳細を聞かずとも、テッドの最期は想像できた。
きっと、幸せだった。彼に看取られて、テッドは安息の眠りにつけたと信じられる。
「僕に言われるのは気に食わないかもしれないけど、ありがとう」
テッドを気にかけていた宿星たちの代わりに、テッドに笑顔を与えてくれた彼に感謝を送る。
彼が顔をあげ、瞳を開いてフッと微笑んだ。とても優しい笑みだった。
「テッドの力になってくれて、ありがとう」
彼の笑顔に、テッドの笑顔が重なって見えた気がした。







4テッド祭のお題デー「坊と4主とテッド」に投稿。
4主テドで話が浮んだので、更新終了キャラですが、らテッド話。まあこの話の主人公は4主ですけども。
我が家にも、スノウじゃなくてテッドを好きな4主がいたんだねぇ…(しみじみ)らテッドはアルドから逃げ回っていたので、この二人は何もありません。
4主の名前は、この子を気に入って下さった秋嶋さんに命名してもらっちゃいましたv本当はウィオル=ギィ(欲望と断罪)なんですけど、スノウパパがミドルネームまでつけてくれるとは思えないからウィオルで。格好いい名前をありがとうございました!
タイトルは「真の紋章を宿した者たち」という事で。100題への当てはめがいい加減苦しいな…



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