心臓が早鐘を打っていた。
閉めた扉に背を預け、口元を手のひらで覆う。
(まさかそんな都合のいい事が――)
そうだったらいいとは思っていた。だけどそれは決して実現する筈もない願望で。だからこそ甘い夢を見ていられた。一人遊びに浸る事ができた。
勿論それが真実とは限らない。たまたま偶然が重なっただけかもしれない。似たような境遇は幾らでもあるはずだ。
だが一度思いついた仮説は、否定すればするほど現実味を帯びていく。
(確かめないと…)
よろり、と力の抜けた足を踏み出して、扉から離れる。
情報を与えてくれる筈のもう一人の姿を探して、えれべーたの存在も忘れ、下層甲板への階段を下りて行った。



本隊で出撃するリノの精神集中の妨げにならないようにと、決戦前日の今夜、フレアは自室には戻らずミズキの部屋に身を寄せていた。
王女が忍びの部屋で休むなどとブツブツ呟くセツに、キカから自室への招待を受けたが丁重に断った。キカは突入部隊ではないが、グリシェンデ号を指揮するという役目がある。船に残る自分が、彼女の安眠の邪魔をしてはならない。
こんな時、頼るべき親しい女友達を持たない自分を寂しく思う。
王女という立場上仕方ないと諦めてはいるが、命がけで信じてくれる友を持つアスへの羨望は捨てきれない。
夜着に着替え、髪紐を解いて鏡の前で癖のある金髪に櫛を入れていると、小さなノック音が響いた。
「誰?」
櫛を置き、誰何の声をあげる。ミズキは今夜は夜警の任に就いていて、戻るのは深夜だ。
「…俺です」
「まあ、アスなの?待って、今開けるわ」
真っ直ぐ扉に向かおうとして、自分の格好に気付く。着替えるべきか少し躊躇した後、フレアは椅子にかけておいたガウンを肩に羽織って応対に出た。
「寝るところだった?ごめん」
王女のあられもない格好に視線を泳がせたアスを、微笑んで招き入れる。
「大丈夫よ、まだ起きていたから。こんな格好でごめんなさいね。どうぞ中に入って」
先に立って椅子を引き、アスが座るのを待ってフレアも向かいに腰を下ろした。
「…フレアっていつもこうなの?」
「え?」
思いがけないアスの訪問にはしゃいでいたフレア、アスの照れを含んだ視線の意味に中々気付けない。
「女性が…王女が、夜中に夜着姿で男を部屋に入れるのってどうかと…」
「ち、違うのよ!いつもな訳ないでしょう!相手があなただったからに決まってるじゃないの!他の男の人だったら、まず扉自体開けたりしないわよ」
大慌てで否定すると、アスの顔にほっと安堵が広がった。だがすぐにその顔が疑問に塗り替えられる。
「どうして俺ならいいの?」
「…だってあなたはこの船の艦長だもの。そのあなたが、明日は決戦だというのにわざわざこの部屋まで私を訪ねて来たって事は、何か重要な話があるんでしょう」
上手くいい訳出来たかしら、と鼓動の速くなった胸をそっと抑える。感情の変化の乏しいアスは、表情から心のうちを読むのが難しい。
「重要なっていうか、個人的な話なんだけど」
「なあに。私で答えられることなら何でも訊いて」
身を乗り出し、肩に落ちた髪を無造作にかきあげてアスの次の言葉を待つ。
「お母さんの形見のオルゴールを聴かせて欲しい」
「――――」
ドキリと。
一瞬息が止まった。
「前に目安箱の手紙に書いてくれてあっただろう。一緒に聴いてみるかって」
「…え、ええ。母のオルゴールね…。ごめんなさい、あれは上の部屋にあるの。取りに行きましょうか?まだ父も起きていると思うし」
アスの顔に怪訝そうな色が浮かぶ前に、フレアは何とか理性を取り戻した。
「それならいい。リノ王の邪魔はしたくない。フレアもそう思ったからここにいるんだろう?さっきリノ王と話をして来たんだ。昔の話を色々聞かせてもらった」
「…昔の話って、どんな?」
「オベル王妃が、罰の紋章を宿していたこと。15年前に海賊に襲われて、力を解放してしまったこと。その際に生まれたばかりの息子が行方不明になったこと…」
澄んだマリンブルーの瞳が、どこか縋るような色を滲ませてフレアをみつめている。
毎日鏡を覗くたびに見る色、思い出の中の大好きな人の瞳の色――
自分の声が震えないでくれるよう願いながら、言葉に出せない想いを眼差しに込めて、フレアは告げた。
「ええ、私には3つ違いの弟がいたわ。事件が起きたのは、まだあの子が1歳になる前だった。歩き出すのが早くて、フラフラしながら私の後をついて回って、しょっちゅう転んでる子だったそうよ。残念ながら私は殆ど覚えていないのだけど」
「その事件があったのって何月?」
「2月よ。弟は3月生まれなの」
「――もう一つだけ。フレアの弟の名前、教えてくれる?」
「アシュレイ。アシュレイ・リノ・クルデスよ。ミドルネームは父から。小さな私は、弟の事をアシュって呼んでいたの」




就寝前の用足しから戻る途中、珍しい組み合わせの声が聞こえてきて、テッドはふと足を止めた。
「…大丈夫?緊張しているのかな」
「…そうかな…」
テッドのいる場所は、向こうからは死角になっている。声の主はアルドとアスだ。
「僕でよければ話を聞きますよ。ここでは話しづらいようだったら、甲板にでも行きましょうか。それともアスさんの部屋の方がいいですか」
「外の空気が吸いたい。上がいい。……ごめん。明日はアルドも別働隊で行って貰うのに」
「あなたのそんな顔を見たら、気になって眠れませんよ。アスさんはこの船の要です。迷いを抱えた心では、明日の戦いは勝ち抜けません。今夜のうちに悩み事は解決しちゃいましょう。お役に立てるかどうかは判りませんけど」
アスを促して、アルドは甲板へと続く階段を上って行った。踊り場でちらりと見えたアスの横顔は、なるほどいつもの力強さがない。
どうにもこうにも気になって、テッドは二人の後を追った。
静かにブリッジの戸を開け甲板に出ると、ひんやりとした夜の冷気が頬を撫でて行く。
時間が時間の為、甲板には人影もまばらだった。闇の保護色のアスと違い、萌黄色のアルドの服は夜目にも目立つ。
二人は船尾にいた。
気付かれないよう、体を隠せるギリギリの所まで近寄って耳を澄ます。波音が煩くて、会話は途切れ途切れにしか聞こえなかった。
「え、本当ですか!?」
アルドが嬉しそうな歓声をあげた。だがアスの顔を窺って、すぐに笑みを引っ込める。心配そうな、労わるような表情―― 一体何を話しているんだろう。
ふと、アルドがアスの耳元に何か囁いた。アスが小さく頷くと。
「テッドくんもこっちにおいでよ」
アルドが振り返って大きく手を振った。
どうやらとっくに気付かれていたらしい。アルドの気配感知の鋭さは忍者以上だ。
隠れているのがバレてしまった以上逃げるわけにも行かず、テッドはしぶしぶ二人の元へと歩み寄った。アスを挟んでアルドの反対側に立ち、柵に凭れかかる。
「…何こそこそ話してたんだよ」
気まずさも手伝って、ついぶっきらぼうな口調になってしまう。
「アルドに相談に乗って貰ってた。ちょっと大っぴらに言える話じゃなくて」
「はぁ、相談?コイツで役に立つのかよ」
「あはは…そうだよね。でも話を聴く事は、僕にもできると思うんだ」
誰かに話を聴いてもらうだけで楽になれることってあるでしょうと、アルドが照れくさそうに後ろ頭をかく。
「アルドは口が固いし、誠実だ。テッドも実感してるだろ」
「……」
苦虫を噛み潰したようなテッドの表情に、アスは小さく微笑して、眼下に広がる暗い海へと視線を向けた。
「――俺の家族がみつかったんだ」
「え、本当か!?でもさっき俺の部屋に来た時は、態度普通だったよな…この船に乗ってる奴だったのか?」
アスが孤児である事は、テッドも知っている。
「ああ。身近も身近。ずっとすぐ側にいたんだ。俺もさっき知ったばかりだ。なあテッド、俺の瞳の色、誰かと似ていると思わないか?」
振り返ったアスの瞳は、いつも以上に透明度が高い。
「って言われても、青い瞳の奴は一杯いるし、俺はあんまり他人に近づかないし…」
「テッドもよく知ってる人物だよ」
言われて更に首を傾げた。テッドが顔と名前が一致するのは、弓使いと料理人や鍛冶屋などの第三甲板の職人、軍師やオベル国王や海賊の頭と言った上層部だけだ。
職人に青い目の奴なんていたっけか、そもそも目の色なんて覚えてねえよとブツブツ呟くテッドに向かって、
「フレアさんだよ」
「そういや王女も青い目だったな……って、ええ!?王女が家族って事は…」
「テッド、あんまり大きな声出さないでくれ。トップシークレットなんだから。そうだよ、フレアは俺の姉。そしてリノ王が俺の父親だったんだ」
「……そりゃまたとんでもない出生の秘密だな…」
孤児の小間使いは実は王子様でしたなんて、安っぽい三文小説のようだ。
「証拠は?何をもってそう確信したんだ?」
「15年前、生まれたばかりのリノ王の息子は、海賊に襲われて行方不明になった。15年前、赤ん坊の俺は船の残骸と思しき板に乗ってラズリルに流れ着いた。アスという名前は、赤ん坊の俺が、周りの大人たちの「US」という言葉に反応した為、名づけられた。フレアの弟の名前はアシュレイ。フレアは弟をアシュと呼んでいた。弟はフレアと同じ海色の瞳をしていた。更に付け加えるならば、リノ王の息子が行方不明になったのと、俺がラズリルに流れ着いたのはどちらも同じ2月。3月生まれのリノ王の息子はこの時生後11ヶ月だった。拾われた俺は、ラズリルの医師に大体一歳未満だろうと診断された。――全て偶然と片付けれなくもないが、その可能性は限りなく低い」
「そりゃ偶然なんかじゃないだろうな…」
これで偶然だったら、むしろその方が凄い。
「間違いないと思う。フレアさんとアスさんって、ちょっと似てるなって思ってたから」
「そうなのか?」
アスとテッドが驚いてアルドを見た。アルドとフレアとは協力攻撃の関係上、パーティが一緒になる事も多かったが、テッドはそんな風に感じた事はない。
「うん。笑った顔とか雰囲気がどことなく。良かったね、アスさん…と言いたい所だけど、アスさんは素直に喜べないんでしょう?」
労わりを含んだ穏やかな声が、重くなりがちな空気を優しく解していく。
「嬉しいのは嬉しいんだ。二人とも大好きで、二人が家族だったらと密かに思ってたから。その事実に気付いた時は夢じゃないかと思った。ただリノ王もフレアも、俺がその赤ん坊だって気付いてるのに何も言わないんだ。恐らく俺が罰の紋章を持っている所為だろう。妻に続いて息子まで罰の紋章に魅入られたじゃ、流石に国民の手前まずいと…」
ペシッ
テッドの平手が、アスの後頭部を直撃した。
「テッド…?」
「お前って気を許した相手の事になると、本当に目の前が見えなくなるんだな。スノウ馬鹿かと思ったら、父親馬鹿に姉馬鹿も加わるのか。騎士団の奴らにもそうだよな。もうちょっと広い目で見ろよ。あのおっさんが、今更罰の紋章を疎むと本気で思ってるのか?」
呆れたようなテッドの言葉を、アルドが引き取った。
「リノさんもフレアさんも、アスさんの事をとても大切に思っていますよ。お二人がアスさんを見つめる目は凄く優しいんです。お二人がアスさんの家族だって聞いてすぐに納得したのは、あの目を知っていたからです。どうしてアスさんに何も言わないのか僕には判りませんが、きっと何か理由があるんだと思いますよ」
「罰の紋章を宿しているのをこれ幸いと、隠れ蓑代わりに祭り上げた軍主が実は失った息子だったじゃ、流石の厚顔無恥のおっさんでも顔向けできないんだろうよ。それにな、もしお前がおっさんより先にこの事実に気付いていたら、お前は打ち明けたか?」
「……」
暫く考えた後、アスは小さく首を振った。
「言わなかった」
「何でだ?」
「家族じゃなくても俺はあの人たちが好きだし…それに、俺はアスだから。もうアシュレイには戻れない」
「それが答えだ」
間近で大きく見開いたマリンブルーに、テッドはにっと笑って見せた。
「おっさんたちも判ってるのさ。例え親子の名乗りをあげてもお前が戻って来ないこと。オベル王子の肩書きは、むしろお前の枷にしかならないことを」
「テッド…」
「お前の事をよく判ってくれてる家族に、素直に感謝しとけ」
視線を海に戻し、隣の柔らかいあけぼの色の髪をくしゃりと撫でる。
返事はなく、ごく僅かな頷きが手に伝わってきた。
霧の船からテッドを連れ出した光は、鮮烈で力強くて――ガラスの煌きにも似た硬質な印象だった。
だが今隣で微かに肩を震わせている彼は、春の陽だまりのような柔らかな光輝だ。
彼の生まれた季節そのままの。
「フレアさんとアシュレイさん…対照的な名前ですね」
感嘆まじりのアルドの呟きに、テッドが首を傾げる。
「どういう意味だ?」
「フレアが太陽を表す事はテッドくんも知ってるよね。アシュレイはトネリコの森を意味する言葉が語源なんだけど、雷が落ちやすいとされるトネリコの樹は、稲妻を呼び海を支配するって言われてるんだ。群島では船乗りは航海に出る時、必ずトネリコのお守りを持っていくんだよ。前にテッドくんにもあげたよね。ちゃんと持ってる?」
「あれそうだったのか…」
以前無理矢理押し付けられた木彫りの飾りは、テッドの部屋の引き出しに放り込まれたままだ。
「太陽のフレアさんと、水のアシュレイさん。二人とも、強い日差しと青い海に囲まれたオベルを象徴する名前だ。リノさんがお二人にどんな想いでこの名前をつけたか、判る気がするよ」
「ああ…確かに」

この国を照らす太陽になれ。
この国を守る海になれ。

両親の願いは、確かに子供達の中に宿っている。
「にしても決戦前夜にそんな話を持ち出すなんざ、あのおっさんもまだまだ甘いな。アスが動揺して崩れたらどうするつもりだったのやら」
「アスさんはそんなに弱くないよ。テッドくんだって判ってるくせに」
「当然。これ位で躓かれたら困る」
くるりと身を翻して、テッドが一段低くなった甲板に飛び降りる。無言で顎でしゃくると、アルドもテッドの後に続いた。
未だ船尾に佇む背中を残して、二人は船内へと戻って行った。


目を閉じると、波音が優しく耳を擽る。
波音はアスにとって、何よりも懐かしい子守唄だ。
オベルからラズリルまで、一歳にも満たない赤ん坊が無事にたどり着けたのは、母が守ってくれたのだと信じても罰は当たらないだろう。
子供達を守る為に紋章を翳した母。
あなたはきっと、最期まで微笑んでいたに違いない。
あの時、大切な物を守る力があった事を誇ったに違いない。
母と同じ脅威をこの左手に宿して、だけど自分は母とは違う運命を往く。
護りたい者と、共にある未来を往く。
手袋を外し、母の形見の意味も持った紋章に手を這わす。
「だから見守っていて。――お母さん」
母ゆずりの青い瞳を細めて、アスは微かに微笑んだ。









4祭のお題デー「卒業」に投稿。4主が迷いをふっきるという意味での卒業です。
ゲームプレイし直して、リノの話を聞いた後リノの部屋に鍵がかかるのに気付いて、「リノは息子だって判ってて告げたに違いない」とネタ思いつき。実際はシステムの都合なんでしょうけど。いいの、事実から妄想を膨らませるのが同人屋さ!
アルドの「〜緊張してるのかな」は、決戦前夜に話しかけたら言ってくれた言葉だったので、そのまま使用。(ちょっと言葉尻違ってるかも。見直してる暇がナイ…)アルドって4主に対して、敬語なんだがタメ口なんだかよく判らないなー。
決戦前夜、アスは甲板を回った後、下の階層から順に話を聞いて行き、最後に第一甲板に行ったようです。

フィーリングで名づけたアスという名からアシュレイの名を思いついたわけですが、意味を調べてみて思わずガッツポーズ。船乗りのお守りの樹だなんて完璧だよ!上手い事フレアの名前にもひっかけられたし〜♪(フレアは正しくは「太陽の爆発」です。凄い名前をつけたもんだ…)樹の暦ではトネリコは3月の木になります。
ファーストとセカンド4主は、図らずとも樹の名前が由来となりました。


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