遠く離れて思うこと



時間に干渉されないってのは、便利なような不便なようなだ。
この船の中では時が止まっている。つまりは腹も減らなきゃ、眠くもならない訳で。
人間の基本的欲求である食欲と睡眠欲を感じないのは、ひどく味気ない。
勿論腹が空かなくても物は食えるし、食ったら美味いと感じるし、眠く無くても眠る事はできるけど、それは間食や昼寝の感覚だ。肉体が求めるんじゃない。脳が求めてるんだ。
一日三回飯を食って(二回の方が多かったけど)、夜は眠る(夜移動することの方が多かったけど)。そんな当たり前のリズムを、150年分の記憶に縛られた脳が求めて止まない。
だから俺は、その欲求に従ってやる事にする。
ここは船の上だ。海の幸なら困らない。
山育ちの俺としては魚介より肉や野菜の方が嬉しいんだけど、贅沢は言えないよな。


「せーんちょー。飯にしようぜー」
湯気の上がる皿を片手に持ち、遥か上空に向かって声を張り上げる。広いホール内に俺の声がこだまする。
「……また来たのか、テッドよ」
低くて太い声が、頭上から降り注いだ。
「三日に一回は付き合ってくれる約束だろ。今日はイカ焼きだぜ〜。ここら辺は漁師もあんまり来ないみたいで、でっかいイカが面白いように釣れた」
俺は持っていた皿を床に置き、でんっとその前に腰を下ろした。ほかほかと湯気を上げているイカの姿焼きは、皿からはみ出さん勢いのビックサイズだ。ちなみに皿は五人分はゆうに盛れそうな、パーティ用の大皿である。そしてこの皿は当然船長作。
「本当は醤油かあるといいんだけどなー。毎回塩焼きばっかりっていうのもいい加減飽きた。なあなあ、今度どっか陸で買い物させてくれよ。魚介ばっかりじゃ偏るし、肉や野菜も仕入れて来るからさ!って言っても俺料理出来ないから、適当に切って焼くだけだけど。せんちょー、動物の肉って食った事ある?ないよな、元々食う必要ないんだもんな。そもそもせんちょーが俺と同じものを食えたっていうのが驚きだ。俺絶対無理だと思ってた。良かったよ、お陰で一人で寂しく飯食わなくても済む。やっぱ食事は誰かと一緒じゃないと美味くないよな。死せる剣士たちは流石に食えないだろうし、食えても食う先からぼとぼと落っこちそうだし…」
「……テッドよ」
「あん?」
この船に乗る前からの愛用品のナイフを取り出し、イカを切り分けようとしていた俺に、船長が困惑気に声をかけて来た。
「何?せんちょー」
「なれは我が恐ろしくないのか?」
「べっつにー。そりゃ見た目はグロいなと思うけど、見慣れたらそれほどでもないし。むしろ愛嬌があって可愛いと思うぜ。喋ってるのは真ん中のその顔なんだろ?残りの三つも意識あんの?顔が四つもあると重そうだよなー。探し物するのには便利かも。今度せんちょー、鼠取り手伝ってくれよ。ここんとこ増えてて大変なんだ。実体の無い船にも乗り込んでくる鼠共って凄いよな」
「……」
「さーて、切れたぜっ。早くせんちょーも小さくなれよ」
イカから船長へと視線を上げると、少しの沈黙の後、船長のでかい体がみるみる縮み始めた。俺よりも少し大きいかという位で、縮小が止まる。
床上10センチ程のところでふわふわと浮いている船長に向かって、皿を差し出す。
「ほら」
「……うむ」
船長は片方だけの腕を伸ばすと、大きな鉤爪にひっかけるようにしてイカリングを持ち上げた。
「んー、流石新鮮!歯ごたえあって美味いっ。酒飲みたくなるな〜♪せんちょーも食ってみろって」
口からはみ出たゲソを、噛みながら飲み込んでいく。ゲソはこの食い方が一番美味い。醤油をつけて焙れば、香ばしい匂いがしてもっと食欲そそられるんだけど。やっぱ近いうちに町に調味料と食材仕入に行かないとな。
「うむ」
ポイっ
船長の大きな口に、イカリングは一口で消えて行った。
「あ、ちゃんと噛まなきゃ駄目じゃないかっ。消化に良くないし、イカはこの食感が楽しみなのにーっ」
「我にはなれのような消化器官はない」
「え、マジ!?じゃ今食ったものはどうなったんだ?」
「知らぬ」
「何だよーっ!だったらますますよく噛めよっ。胃の中に残らないんなら、噛んで味わうだけが楽しみじゃん」
「我に歯はない」
「口んとこのそれは歯じゃ無かったのか!でも前にさんまは美味いって言ってなかったか?」
「あれは喉越しが良かった」
「喉越しなんて通な言葉知ってるなぁ…。そっか、じゃイカも生の方が良かったな。ごめんな。今度は焼かないで持ってくる」
「うむ」






「で、丁度あの日は仕掛けといた蛸壺にタコが入っててさ。夕食用にと下処理してる最中に船長に用事言いつけられて、お前ら迎えに行ったわけ。まさか船を下りる事になるとは思わなかったから、タコは台所に置いて来ちまった。あのタコは船が消えると同時に海に帰ったんだろうなぁ…惜しい事をした。ん、どうした?」
隣で並んで海を眺めていた4主が、いつの間にか柵に突っ伏している。
「……もしもし、テッドさん。それ何処までが冗談?」
「全部本当に決まってるだろうが」
俺の返事に4主は再び柵とお友達になった。こいつ、どうしたんだ?
「船長と仲良かったんだ…?」
「まあ悪くは無かったんじゃないか。あそこには数年居たけど、一回も喧嘩しなかったしなー。ちゃんとお互いにルール作って守ってたし」
「ルールって例えば?」
「船長は3日に一回は俺と一緒に飯を食う。俺は船長の頼みを、俺の信条に反しない範囲で手伝う。紋章の力を使って何処かの国を攻撃するとか、人を殺すってのには従えないからな」
「じゃ僕を迎えに来たのも?」
「ああ」
俺と同じように真の紋章に苦しんでいる奴だから、船に招き入れるって話だったんだけど。
「多分船長は俺が寂しがってると思ったんだろうな。『なれも人間の話相手が欲しかろう』って言ってたしなぁ」
「上手くやってたんなら、何で船を下りる気になったのさ。やっぱり船長が人間じゃなかったから?」
「いや」
俺はフッと目の前に広がる青へと視線を向けた。灰色の霧に覆われた船に居た頃は決して見る事の無かった、青い空と海。
こいつと共に船を下りた時、久しぶりに見る眩しいまでの世界の鮮やかさに声を失った。
霧の船に乗り込んだ時は、世界がこんなに美しかったなんて知らなかった。
「お前たちを見ていたら、無性に陸が恋しくなったんだ。一度気づいたら、もう我慢が出来なかった」
「そっか……でもごめんね。結局、また船の生活で」
「借りは返すって約束だからな。それに何だかんだと陸に上がる機会も多いから」
申し訳なさ気に頭を下げる4主に、微かに微笑んでみせる。
「そういやテッドって、船を下りるといつも一目散にどこかに行くよね。何処に行ってるの?やっぱり森とか山とか?」
「生鮮市場」
「え?」
「お前たちは宿屋や酒場に行ってるみたいだけど、本当は市場の方がいい店が多いんだぞー。値段も安いしな」
「……つかぬ事をお聞きしますが、テッドは市場の何の店に行ってるの?」
「レストランに決まってるだろ」
再び4主が柵に懐いた。
「じゃ陸が恋しくなったのって…」
「お前ら、霧の船に乗る前に肉食って来ただろ。もうずっと魚介しか食ってなかった身に、あの匂いは抗いがたい誘惑だった…!」
「肉って言っても肉まんだけど…」
「充分だ!!ケヴィンさんの饅頭を食った時、俺は本当にこの船に乗って良かったと心から思ったぜ!」
「そう、それは良かった……」



霧の船に乗る前は、もうこの世に未練なんてないと思ってた。
だけど離れてみて、初めて気づける事もある。
俺はこの世界(と肉)をこんなにも愛している。





4祭のお題デー「霧の導者とテッド」に投稿。
最初らテッドのつもりで書き出したんですけど、後半キャラが違ってきたので止めました。「せんちょー、ご飯」と言うテッドが書きたかったんです(笑)


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