故郷



既に痛みの感覚はなかった。
土臭い地べたに倒れ伏し、溢れる血を大地に吸わせるがままになっている。
皆の分まで生きようと必死に頑張ってきたけれど、自分の命はここで終わるらしい。
(ごめん……俺、残すことが出来なかった)
血が足りなくて殆ど見えていない目が、涙の所為で更に曇る。
無念に死んで行った皆の分まで生きて、子供をたくさん作って、村を再興するつもりだったのに。
村の最後の血は、ここで途絶える。
彼が今住んでいる国は、隣の国と戦争をしていた。首都から遠く離れた小さな山村だ。戦争と言っても、対岸の火事程度で実感はなかったのだが。
昨夜、敵国の兵士たちが闇に紛れてなだれ込んで来て、村を焼いた。山間に建つこの村が、いざという時の補給ルートになるのを防ぐと言って。
馬鹿な。補給ルートとなるには、この村は街道から離れすぎている。馬も牛も通れないような峠を、人の足で何とか越えたとしても、その向こうに広がるのは草原地帯だ。物資を補給できるような村も町もない。
これは戦争などではない。ただの虐殺だ。
無抵抗な村人たちを刃にかけると、兵士たちは村に火を放った。
彼の妻も子も兵士たちに殺された。そして今また自分も、妻子たちの元へ旅発とうとしている。
愛しいものたちが、彼の生まれ故郷と同じように焼かれていく。



彼が生まれたのは、深い森の奥にひっそり佇む小さな村だった。
森には踏み込んだ者の感覚を狂わせる目くらましの魔法がかけられ、案内人なしには決してたどり着く事のできない隠された村。地図にも載っていない、歴史からもその存在を忘れられた村。
閉ざされた村で、人々は平和に暮らしていた。
笑い声の絶えない、気さくで大らかな村人たち。完全自給自足の生活で不便なことも多かったが、彼はこの村が好きだった。
読み書きもできないような小さな頃から覚えさせられた呪文も、命に代えても「宝」を守るという使命を課されている事も誇りだった。
300人にも満たない集落では、同じ年頃の連れ合いを探すのは難しく、また血が濃くなるのを防ぐ為に、年頃になっても恋い慕う相手のいない若者は、村の外に生涯の伴侶を求めて旅発つ。
彼もまた、慣習に従って16の時に村を出た。
これと思う相手を得られないまま1、2年旅を続け、女手一つで育ててくれた病がちの母を思い一度顔を出しに戻ったのは、もう20年も前のこと。
村人以外一切の立ち入りを許さない筈の森は、その懐から旅立った若者を温かく迎えることなく、無残な姿を晒していた。
多くの自然の恵みを与えてくれた森。小さな頃よく遊んだ広場。暑さから逃れる為に飛び込んだ小川。夕餉のにおいの立ち上る家々。人々の笑い声。
それらはもう何処にも存在しないのだ。
人っ子一人いない寂しい廃墟を、半ば呆然と歩きながら彼はかつての我が家へと足を向けた。
一番損傷の激しい村長の家を通り過ぎ、村はずれの大木を目指す。その根元に彼の家は建っていた。
筈だった。
黒く焦げた柱が、かろうじて屋根だったものを支えている。キィキィと耳障りな音を立てる扉をこじ開けると、外観同様真っ黒に煤けた家の中が覗け。
「……っ……!」
黒い床に転がる白い物を見つけた瞬間、彼の両の眼から熱い涙が溢れ出した。



辺りに充満する、木が燃えるにおいと肉が焼けるにおい。
兵士たちは既に村から撤退していた。未だ収まらぬ炎だけが、最早動くものとて稀な村をゆらゆらと嘗め尽くしている。
故郷もこんな風に焼けて行ったのだろうか。空へと立ち上る煙一つ一つが、愛しい人たちの燃える煙。
(もうすぐ俺も煙になる)
煙になって、みんなの元に行く。

最早閉じる力も失った瞼の上に、そっと温かい手が置かれた。
慈愛に満ちた声が優しく囁く。
「よく頑張ったな」
「…………?……」
掌からは懐かしいにおいがした。遠い夏の日、村の子供たちと裏山を駆けずり回って虫を取った時のあのにおい。
村には子供が少なかったから、一人で歩き出した子供から16になる前の自分まで、いつも一緒になって遊んでいた。
その中でも特に自分を兄と慕ってくれた子がいたっけか。
明るい栗色の髪をした、村長の孫。きっとあの子も村人と、祖父と共に死んだのだろう。
よく笑う素直な子だった。自分も彼が大好きだった。伴侶を求めて村を出る日、おにいちゃんがお嫁さんを連れて戻ってきて、結婚して子供が生まれたら絶対僕が遊んであげるからねと笑顔で見送ってくれた。
彼の名は――
「……ゆっくりおやすみ……おにいちゃん」
動かなくなった男の瞼を閉じさせ、明るい栗色の髪の少年が立ち上がった。
むき出しの右手を水平に掲げ、何やら口の中で言葉を唱える。
その声に呼応するように少年の手の甲から生まれた黒い闇は、見る見る大きく膨れあがり、小さな村をすっぽりと覆い尽くす。
「……………」
闇が炎を飲み込んでいく。
村を焼く炎も、僅かに残った命の灯火も。すべて。
「これで俺が本当に最後の生き残りだ」
やがて村に完全なる静寂が訪れると、少年は足元に置いておいた皮手袋を嵌め、懐から小さなにおい袋を取り出し、事切れた男の隣に置いた。
バニラにも似た強く甘い香りがふわりと香る。
それは村でよく使われていた虫除けの香りだった。
小さな頃から、彼らのなじんだ香りだった。









テッド尽くし7月投稿小説。
テッドの出番が少ないですが、テッドと言い切ります。
読み終わって誰の話だった?と訊かれたらやっぱりテッドでしょ(笑)

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