忘却の拒否



微かなノック音の後、何時まで経っても訪問者が入ってくる気配がないのに苛立って扉を開けると、
「……何やってるんだお前は」
通路に蓑虫がいた。

とりあえず蓑虫=オークを室内に招き入れる。こんな姿を他の乗員に見られるのはよろしくないだろう。
蓑虫は頭からすっぽり毛布を被って床に蹲っている。背中の上には、重たい斜線とカビが生えそうなおどろおどろ線。鬱陶しいことこの上ない。
「用件を言え。用がないなら出てけ」
「冷たいよ、テッド〜〜…愚痴吐きに来いって言った癖にぃ」
毛布の隙間から情けない声が上がる。
「だったらさっさと吐きやがれ。人の部屋でキノコ発生させてんじゃねぇ!」
「うう……だって…」
怒鳴ると、毛布の上のキノコが一つ増えた。
「増やすな!……ったく。スノウと何かあったのか?」
「…………今度こそ嫌われた」
「何やらかしたんだ」
「何もしてない……だから」
「話が見えねえぞ」
長期戦になりそうな気配に、テッドは椅子に体を投げ出した。思わず振り上げてしまいそうな手を抑えるため、腕と足を組む。
「スノウが俺を避けてる…いや、無視、に近い。俺を視界に入れないようにしてる…怯えさせてる」
「それだけの事を何かしたんだろ」
「思い当たらなくもないけど、些細な事過ぎてどれが原因か判らない…」
「じゃあ本人に訊けよ」
「訊けないよ!無視されてるのに!」
「無視ってのもお前の思い込みじゃねぇのか」
「かもしれない…けど………訊けない」
ポンっと背中のキノコがまた一つ増えた。
テッドの額の皺も増えた。
「とりあえず謝っとけ」
「…………スノウと顔あわせたくない」
「はぁ?」
「スノウに否定されるのが怖い……」
プチプチっと音を立てて、テッドの額の海溝が深度を増した。
「一体どうしたいんだお前は!」
「またスノウに笑いかけて欲しい」
「なら奴の本音を聞きに行け!」
「だから怖くて出来ないんだって言ってるだろ!」
「逆ギレすんじゃねぇえええー!」
どすんとテーブルに力いっぱい拳を振り下ろした後、苛立ちを再び抑えるべく、腕を組んで封じる。
「俺にどうしろってんだ。奴の気持ちを聞いてこいってか」
「テッドにスノウの気持ちを聞かれるのも、それを俺に話されるのも、黙ってられるのも嫌だ…」
「勝手にしろ」
「うう、見捨てないでよ、テッド〜…」
ぽんぽんぽんっと毒々しい色のキノコが続けて生えた。
室内の湿度が一気に上昇したような気がする。
これ以上増やされても困るので、ぐっと怒りを呑み込む。
「本当に、お前は俺にどうして欲しいんだ」
「慰めて〜…」
妖しい意味にも取れる言葉に一瞬身構えたが、相手の望む物ではないだろうと思い直す。
立ち上がって、蓑虫の傍に近寄り頭を撫でた。
「よしよし。元気出せ」
「……ふぇーん」
予想通り、この甘えたがり軍主には効果的な慰めになったらしい。膝の間に顔を埋め、ぐしぐしと泣いている。
ほんとーに鬱陶しい。
スノウが船に乗るまでは、こんな奴だなんて思いもしなかった。普段の傍若無人な振る舞いとは逆に、内面の神経質っぷりが極端すぎる。
「同じ船にいる以上、いつまでもこのままって事はないだろ。お前から動けないって言うんなら、大人しく待つんだな」
「……うん」
フェードアウトって可能性もあるけどな、という言葉は呑み込んでおいた。
「ったく、そんなに辛いんなら止めちまえよ」
そっくり返すよと切り返されたら反論できなかったが、幸い相手の方にそんな気力がなかったようだ。
「無理だよ……自分では切り捨てる事も諦める事もできない。だから決断をスノウに委ねてる。ずるいんだ、俺は」
自嘲的に呟く頭をもう一度撫でてやる。
「とりあえず泣いとけ」
多分それが今一番の回復方法だろう。
返事のように、毛布の下でぐすんと鼻をすする音がした。






昔の書き散らかしから発掘。オークは根はとてもうざいです(笑)



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