何者にもなれない僕たちは

※同人誌「Happy Ronde」の続きになりますが(精霊云々)、読んでなくても大丈夫です。




薄暗い室内に、湿った吐息が散る。
服を脱ぐのも、息を吸うのさえ惜しんで絡み合う躯。
唇が離れるほんの僅かな一瞬で、必死に肺に空気を取り込む。
「はぁ……はぁ…ん…っ…ふ…」
荒い呼吸音が、艶かしさを増していく。
交互に咬んだ足が、動くたびに互いの弱い部分を刺激する。
「……俺たちがこんなことをしてるだなんて、皆が知ったら驚くだろうね」
闇に紛れて表情は見えない。声に含まれるのは、子供のような悪戯心と若干の皮肉。
「男同士で…なんだから当然だろう…」
「違うよ。行為もだけど、俺と君がこういう関係だってことが、さ」
仲間たちの前で、オークがスノウを見ることは滅多に無い。
視線がスノウを素通りするその瞬間だけ、浮かんでいる笑顔が凍る。
完全なる無視ではないけれど、ほぼそれに近い。
「そうだね……きっと皆は、君が僕を疎んでいると思っているだろうね」
「知られたくないんだよ。俺が君に溺れていることを」
「軍主の面目を保つために?」
「そういう訳じゃ……いや、そうなのかな」
自分でも判らないといった感じの、困った声。
「ありのままの俺はスノウ以外に見せたくない。仲間たちには『悪戯好きな軍主』で充分だろう?」
「でも避けなくてもいいのに」
「仕方ない。近くにいたら我慢できなくなる。それとも仲間たちの目の前でこういう事されてもいい?」
「ちょっ…!………んっ……」
「普段は割と無欲だけれど、本当に欲しいものに対しては俺は独占欲が強いってのは何度も言ってるよね。だからね…いつも俺の目の届くとこにいなきゃ駄目だよ。俺が遠征で会えない日は、目安箱に短くていいからちゃんと手紙をくれること。……俺に疑われたくないのなら」
耳元に落ちた脅すような懇願。
続けて潜り込んで来た舌が、耳腔を蹂躙する。
「…っ…判ってる、よ……」
「本当に?そう言ってスノウはすぐに忘れるからなぁ。目安箱の中に君の手紙がなくて、何度箱を壊してやろうかと思ったことか」
「……何て書いたらいいか、判らなくて…」
「一言でいいんだよ。内容よりも、手紙の有無が重要なんだ」
闇の中で深海の青がキラリと光る。太陽の下での明るい輝きとは別人のような、昏く歪んだガラス玉。
この美しい深青は、スノウの言動一つでいとも簡単に闇の宝玉へと姿を変える。
「努力は、するよ……」
煌く瞳が好きだと、いつも笑っていて欲しいと思うのに。
想いとは裏腹に、彼を歪めてしまう。
それでも離れる事は考えられなくて、スノウは背に腕を回して抱き寄せた。

誰も知らない内緒の秘め事。
決して公にはしない。すれば独占欲は歯止めが利かなくなってしまうから。
閉じ込めて、誰にも触れられないようにしてしまう。
そして、相手も似たようなことを考えていると知っている。
いっそ二人で堕ちるのもいいけれど、それは互いに不本意で。
だから温もりに縋りつく。







疲れていたのかもしれない。
ラズリルの仲間たちがえれべーたに消えると同時に、気が緩んだのは確かだ。
背後の気配に気づく事無く、重苦しい溜息を洩らしてしまった。
「みっともねぇな」
かけられた声にオークは一瞬身を強張らせたが、誰だか判るととり繕うのを止めた。
テッドの前では既に一度醜態を晒している。前回は有無を言わさず押し切ったが、二度目は流石に諦めざるを得ない。
「自覚はあるよ」
振り返らずに軽く肩を竦めると、盛大な呆れ声が返って来た。
「何だよ、反論もなしかよ。本当に情けねぇな」
「アルドだったらまだ誤魔化せる余地が残ってるけど、テッド相手じゃね。しまったなぁ、戦いが終わるまで何とか欺き続けるつもりだったのに。どうやらそれまで俺の方が保ちそうもない」
口調の軽さを裏切って、声は震えて頼りない。これがあのオークなのかと、テッドは密かに唇を噛んだ。
飄々としていて心を読ませず、楽しい事が大好きで、乗員たちといつも馬鹿な事を繰り広げているお調子者軍主。
その人間的魅力は絶大で、誰もがオークの周りに集まる。オークの作り出す環に入ることを望む。
他人に関わる事をよしとしないテッドですら、オークにペースを崩され、いつの間にか環に加わってしまっていた。
彼は火だ。食べ物を煮炊きし、暖を取り、人と語らう団欒の中心には必ず赤々と燃える炎がある。激しく燃え盛ることのない、温かな光。
なのに今のオークは、今にも消えそうなか細い蝋燭の炎だ。
「――奴が船に乗ってから、お前は崩れだした。お前にとって、あいつは精霊が姿をとるほど大切な人間だったんだろう?なのにどうしてあんな顔をする。何故奴を見ようとしない?」
「…………テッドなら、判る筈だよ」
自嘲的な声だった。
「俺ならだと?」
「そうだよ。アルドが好きなくせに、逃げ回ってばかり。紋章がアルドの魂を奪うから?そんなのは建前だ。君はただアルドに追いかけて欲しいだけだ。拒否することで、アルドの想いを試している。どこまでなら許される?ここまでしてもまだ追ってくれるのか?まだ見捨てられない?そうやって安心してるんだろう」
「オーク!」
中傷よりも、オークがそんな事を口にした事に驚いた。
こんな卑屈な考えをする人間だったのか?
「生憎とお前の予想は外れてる。俺は別にアルドを試している訳じゃない。本気で避けてるんだ。…………紋章には絶対喰わせねぇ」
左手で紋章を撫でながら、一つだけオークの言葉を肯定した。
「そうか…じゃあ誰も俺の理解者にはなってくれないか。残念、テッドなら仲間だと思ったのになぁ…」
くすくす笑う声に、ぞっとした。
何だこれは。
背中だけではどんな表情をしているか判らないが、テッドは今のオークの目を見たくないと思った。
「俺がスノウを避けている理由はね……好きだから。愛してるから。目も耳も手も足も声も奪って、俺だけのものにしたいから。スノウの世界が俺だけになるように、誰もスノウに触れられなくなるように…」
「…オーク…」
「でもそんなことしたら可哀相だろう?俺も犯罪者になる気はないし…だから人前ではスノウを避けてる。実際、顔も見たくないんだ。スノウが他人と接触した痕跡を見かけるだけで、俺の中にどす黒い感情が渦巻く。見なければ穏やかでいられる。だから避ける。その分二人きりになった時には自分を止められない。甘やかして、愛して、愛されて、貪り尽くす。……どうしてこんな風に思ってしまうのかな。普通の恋人同士のように、ただ愛せればいいのに。独占とも言いにくい。籠から大空へ解き放っておいて、自分の意思でスノウが戻ってきてくれることを期待している」
「………」
流れるような独白を、テッドは息を詰めて聞いていた。
二人が既に躯の関係であるとは、流石にテッドも気づいていなかった。
乗員の誰に話しても信じないだろう。軍主がかつての主を避けているのは、誰の目にも明らかだ。
陽気なオークがスノウの前でだけは表情を失う。顔が強張り、視線が逸れる。ラズリルの仲間たちで集まっていても、スノウから一番遠い所に立つ。腹芸の得意なオークにしてはあからさま過ぎて、逆に不自然なほどだった。
故に気のつく者たちは、それとなくオークからスノウを遠ざけた。中にはオークの為を言い訳にスノウに危害を与えようとした者もいたが、寸での所でオーク自身が止めに入り、その乗員には厳罰が下された。
『勝手に人の心を憶測するな。誰がそんな事を頼んだ!皆にも言っておく。この船に乗っている者は仲間であり家族だ。どんな理由があろうと、仲間を傷つけることは許さない!』
オークにしては珍しい、厳しい態度での処罰だった。
この一件によりスノウの身の安全は保障されたが、やはりオーク寄りの者たちは軍主に倣ってスノウに近づこうとはしなかった。自然スノウが言葉を交わす相手は限られた。
スノウがパーティに入る時、残りのメンバーは大抵テッドかアルドかケネスで、たまに騎士団の他の面子が顔を揃えた。人選を見ただけでも、オークの本心は判ろうというものだ。
オークは何よりもスノウを大切に思っている。
スノウが居心地の悪さを感じる事無く過ごせる者、または事情を知る顔ぶれだ。
なのに遠征時ですら、オークはスノウと会話しようとはしなかった。戦闘が終わるとふらりと何処かに行ってしまい、気づけば食事や野営の支度をしている。スノウがパーティにいない時は、絶対にしない行動だ。(ちなみに普段は野営の準備は必然的にテッドかアルドに回ってくる。一番手馴れているからだ)
当然の事ながら、そんな態度を取られ続けているスノウの表情も固く、だがスノウはオークと違って逃げるそぶりは見せなかった。唇を引き結んで、黙々と自分に与えられた仕事をこなしている。
拒絶を受け止めるのがスノウなりの贖罪なのかと思っていたが、二人が裏では肉体関係を持っているとなると見方が変わってくる。
オークの言葉を要約すると、「好き過ぎて嫉妬心が暴走するのが怖くて逃げている」という事か。
スノウもこの状況を容認している辺り、案外似たりよったりなのかもしれない。スノウの視線に切羽詰った感はあっても、オークを責める色を見たことはない。
(結局そういう事かよ……この自虐カップルが!!)
近しい者の命を奪ってしまう紋章を持つテッドからしてみれば、何とも贅沢な話である。
不老という障害はあるものの、両思いで、共に在ることに何の心配もないくせに、何故態々離れようとしているのか。
テッドは苛立ちを隠そうともせずに、吐き捨てるように言った。
「お前はこのままでいいのか?状況を変えようという気はないのか」
オークの頭が上がる。振り返った肩越しに、初めて微かに表情が伺えた。
「どうやって?」
途方にくれた幼子のような瞳に訊ねられ、テッドは言葉に詰まる。
「どうやってって…そんなの自分で考えろ」
「思いつかないから今の状況なんじゃないか。無責任な事言うなよ。大体俺のスノウへの想いは、10年以上越しの年季物なんだ。何度も捨てようとして捨てられなくて、逃げようとすると引き止められて、その度に苦悩と期待に翻弄されてきた。愛してるから苦しい。苦しくて逃げたいのに、離れられない。いっそ嫌って欲しい。俺のそんな態度がスノウを苦しめる。苦しむスノウを見ていられなくて抱きしめる。……堂々巡りだ」
唇が笑みを刻んだ。髪に隠れて口元しか見えない所為で、歪みが際立った。
「いっそ俺かスノウが消えてしまえばいい。いや、消えるなら俺がいいな。スノウがいない世界なんて意味がない。――子供の頃、スノウに首を絞められたことがある。寝ぼけていたらしいんだが、俺はその手を振り払う気にならなかった。人形のように無表情に俺の首を絞めるスノウから、視線が外せなかった。……あのままスノウに殺されていた方が、幸せだったんじゃないかと思う。あんな風にスノウに貶められる位なら、スノウの闇を曝け出してしまう位なら…」
オークの両手が拳を作り、それから掌で顔を覆った。
「どれだけ傷つけた?どれだけ追い詰めていた?団長殺しの罪を着せさせてしまうほど。……多分、俺と同じ。全部消えてしまえと……そう、思って……」
濡れて擦れ始めた声を残して、テッドは身を翻した。これ以上は今聞くべき話ではない。
「時と場所を考えろバカ。こんなとこでする話じゃねぇだろうが。落ち着いて頭冷やして、それでもまだ吐き出したいことがあったら、いつものように呼びつけるなり俺の部屋に押しかけるなりしろ」
「……いつになく優しいじゃないか、テッド。改めて愚痴を聞いてくれるって?」
息を呑んだ気配の後、意外そうな声が追いかけてくる。
「乗りかかった船だ。他に事情知ってる奴もいねぇんだろ。軍主に潰れられるわけにはいかねぇからな」
「……ありがとう」
恐らく初めて耳にしたオークの素直な感謝の言葉は、テッドに密かに労わりの微笑を浮かばせた。








アルテドアルでのコメディが嘘のように、主スノは暗いです(苦笑)
テッドが間に入ったら、多少は泥沼から抜けられる?
スノ主+アルテドでも主スノ+アルテドアルでも、4主とテッドは良き相談相手のようです。立場が似てるから共感できる部分があるし、相手を客観的に見れるので良いのかも。
しかしUltimet〜で「俺は変わる」とケネスに宣言していたオーク、スノウを前にしたら結局昔のままって情けないぞ(苦笑)