「はい、こっちの袖を通して」
アルドの指示に従って、テッドは左腕を持ち上げた。肘を折って畳んだ腕が通りやすいよう、アルドが服を持っていてくれる。 「はい、OK。今ボタンを留めるね」 襟の形を整え、ボタンを留めていく。 開いた前をボタンで閉じるブラウス型の服は貴族仕様で、庶民服ではあまり見かけない。 何故こんな似合わない服を、しかもアルドに着せて貰っているかと言うと。 「MPが回復する明日の朝までの辛抱だよ。この村には宿屋があって良かったね」 最後に、ギプスでがちがちに固められた右腕を吊る三角巾を、首の後ろで結んでやる。 「紋章屋があれば一発だったんだけどな」 不自由な利き手を見下ろして、テッドは深々と溜息を吐いた。 dearest heart 旅の道中に回復アイテムが切れた。 テッドのMPはその前に尽きていた。 気分任せで選んだ道は、人里と逆方向だったらしい。ようやくたどり着いた小さな村には道具屋も紋章屋もなく、村で使われている薬草を分けて貰ったが、回復効果は旅をするには心許な過ぎた。 隣の村もここに毛が生えた程度だが、そこから更に3日ほど歩いた所にそこそこ大きな町があるよと教えられ、移動時間短縮の為に馬を買った。 それが仇になった。 森を抜ける途中、茂みから突然飛び出して来た子キツネに驚いて、思い切り手綱を引いてしまったテッドは、後ろ足立ちになった馬の背から振り落とされたのだ。 騎馬に慣れている者ならこんなミスはしない。人間には判らなくとも、馬はキツネの気配に気付いている。馬に任せておけば、問題なく通過できたはずだった。 後ろでその一部始終を見ていたアルドは、急いでテッドに駆け寄り応急処置をすると、自分の馬に乗せて次の村へと向かった。 今までとは比較にならない速度で進む馬に、テッドはアルドの腕の中で密かに目を剥いた。アルドがこんなに巧みを馬を操るとは思わなかった。 幸い着いた村には医者がおり、テッドは全治三週間と診断された。 MPさえ回復すれば、水の紋章でこんな怪我は簡単に治せる。医者が止めるのも聞かず、紋章屋がある町を目指して出発しようとするテッドの骨折した右腕を掴んで、アルドがにっこり笑った。 「町へは馬でもまだ1日以上かかるよ。自力で手綱も握れない状態で、どうやっていくつもり?この村には紋章屋はないけど宿屋がある。宿屋に泊まれば魔力は回復する。たった一晩も待てない?」 アルドの笑顔が怖いと思ったのは、後にも先にもこの時だけだと、後にテッドは回想した。 そんな訳で、この日は村に宿を取る事になった。 片手が使えないのは思っていた以上に不便だった。ギプスを巻いた腕が袖に通せないので、被り物は着れない。ずっと片袖脱ぎ状態でいるには、まだ肌寒い季節だった。 一晩のことだしマントを羽織っていればいいと言うテッドに、それじゃ風邪を引くからと、アルドは店を巡って前開きの袖がたっぷりとしたシャツを探してきた。 貴族流れと思しきそれは、デザイン的には絶対着たくない形だった。 大きな襟、肩からたっぷりと入ったドレープ、袖口にはさりげないレース。襟にフリルが付いていなかったのが救いだ。 「でも腕一本骨折だけで済んで良かったよ。落馬は下手したら命を落としてもおかしくないからね。テッド君が馬から落ちた時は、心臓が止まりそうになったよ」 「俺も一瞬駄目かと思った。腕が治ったら、ちゃんと乗馬の練習しなきゃな。お前は随分慣れてるみたいだったけど、いつ習ったんだ?」 「習った訳じゃないよ。僕の生まれた村では馬は身近な家畜で、小さな頃から接しているうちに自然と覚えるんだ。僕で良かったら教えてあげるよ」 「ああ、頼むわ。さて、後は自分で着替えるから、お前は先に食堂に行ってろ」 「ズボンも手伝うよ。片手じゃ不便でしょう」 「不便だけど出来なくは無い。そこまで甘やかさなくていい」 「だけど」 「しつこいぞ!」 尚も食い下がろうとするアルドに、有無を言わせぬ口調でピシっと言い放つ。 「……判ったよ。じゃあ食堂で待ってるね」 「ああ」 扉が閉まる音を背中で聞いた後、テッドは大きく溜息を吐き、肩の力を抜いた。 (ったく、アルドに着替えさせて貰うなんて何の拷問だよ) 反応しないよう意識を逸らすのが大変だった。 アルドの手で脱がされる。豊かな想像力が別の事をイメージする。優しく素肌に触れる手が一転して荒々しさを帯び、全てを暴いてくれないかと―― (あー、やめやめ) パタパタと宙で手を振って妄想を払う。 動きが制限された反動か、そっちの欲求が高まってしまった。受け身側なら片腕が使えなくても行為に支障は無いが、多分アルドの方が難色を示すだろう。 (怪我してるのにそんなの駄目だよ!とか言うんだぜ。まあ、あいつの性格なら当然だけど) テッドは深くゆっくりとした呼吸を繰り返して自身の熱を散らすと、苦労してズボンを履き替え、部屋を後にした。 食事は宿の主人に手づかみで食べれるものを作って貰い、スープ類は取っ手のついたカップに入れる事で、何とか介助無しに食べられた。 腹を満たして部屋に戻ってくると、テッドは倒れるようにベッドに横になった。医者から貰った薬のお陰で痛みはそれほどないが、炎症で体がだるい。 「辛いかもしれないけど、少し休んだらお風呂に行こう。ずっと野宿続きで体を洗えてなかったからね。僕が洗ってあげるよ」 「……は?」 耳を疑う言葉に、埋めていたシーツから顔を上げてアルドを見る。 (今なんて言った、こいつ) オベル船でも旅の道中でも、アルドと一緒に風呂に入った事は何回もある。 だが当然の事ながら体は自分で洗っていたし、洗い場では他人から距離を取っていた(自分の体が男をそそるフェロモンを出している自覚があった)。 貸切ならともかく他の人間もいる大浴場で、お互いに裸の状態で、アルドに体を隅々まで洗われるなんて。 「―――いい!!自分で洗える!」 血の気の引いた頭を、ぶんぶんともげそうな勢いで振って拒否する。 情けない事に、この場合のテッドの懸念は己の理性に対してだった。 一度スイッチが入ったら、他人の目があろうがお構い無しにアルドを襲ってしまうかもしれない。それはまずい。 「出来る訳ないでしょう。テッド君は怪我人なんだから、おとなしく言う事を聞くこと!」 いつになくアルドの態度も強硬だ。怪我人の面倒をみるという使命感に燃えているのかもしれない。ここぞという時のアルドの頑固さは、痛いほど身に染みているが、今回はテッドも引き下がれない。一晩休んでMPを回復させるまでは、宿を追い出される訳にはいかないのだ。 「これくらいの怪我、今までだって一人でやってきたんだから平気だっての!お節介すんな!」 途端、アルドが傷ついた顔をした。ハッと後悔の念が浮かんだが、謝罪はしない。 「とにかく、自分でやるから…」 顔を見ないよう俯いて、左腕を支えに起き上がろうとしたテッドの体を、力強い腕が掬い上げた。そのまま世界が反転し、アルドの顔を間近に見る。いわゆる姫抱っこ状態だ。 「おい!何すっ……」 「僕のお節介なんて今更でしょう。あんまり暴れないで。出ないと落とすからね」 「わっ!」 背中に添えられた手から一瞬力が抜けて、思わずアルドにしがみついてしまった。 「そうそう、そうやって掴まってて」 そのままアルドはスタスタ歩き出した。片手で器用にドアを開け、浴室のある一階への階段を下りていく。 「やめろ、下ろせって!自分で歩けるから!」 「途中で降ろすのも面倒だからこのままでいいよ。もう着くし」 「良くない!こんな格好恥ずかしいだろうが!」 「いいじゃない。テッド君は怪我人で、体は子供なんだから。保護者のいう事は聞くものだよ」 「誰が…」 保護者だと言いかけて、テッドは口を噤んだ。見上げたアルドの表情は、いつになく硬質だった。テッドの視線に気付いているだろうに、鋭い目で前を見据えてテッドを見ようともしない。 (……もしかして、怒ってる?) 何に対して? 浮かんだ疑問に対する答えが出る前に、浴室に着いた。 床に下ろされるなり、テッドは問答無用で剥かれた。忙しい母親が手のかかる子供の世話をする時のような感じで、色気は皆無だ。 あっという間に裸にされ、ギプスにビニール袋がはめられた。続けてアルドが手早く自分の服を脱ぐ。現れた逞しい胸筋に、テッドは慌てて強く目を閉じた。 (駄目だって。鎮まれ、俺) 「行くよ、テッド君」 アルドはテッドの左手を掴んで、浴室内へと引っ張っていった。浴室はそれ程大きくはない。4人も入れば一杯になるだろう。 「お湯をかけるから右腕を上げて」 最早テッドも逆らう気はなく、言われるまま重いギプスを持ち上げる。 温かい湯が背中から注がれ、ほっと全身の筋肉が緩んだ。水以外を浴びるのはどれくらいぶりだろう。 アルドはよく泡立てたタオルで、テッドの全身を丁寧に洗って行った。テッドは唇を引き結び、疼く自身の熱と必死に戦っている。いつ何時、別の泊り客が入ってくるか判らない浴室で、一旦理性を飛ばしてしまったらおしまいだ。 「はい、終わり」 体と髪を洗い、温かな湯で泡を流されると、思わず安堵の溜息が漏れた。やっと終わった。 だが背中に添えられた手は離れて行かず、それどころか肌を滑りながら移動を始めた。 「アルド!!」 悲鳴じみた声が、テッドの喉から上がった。弓使いの長くて固い手のひらが、テッド自身に絡みつく。 「ふざけんな、お前何やって……!」 「ずっと我慢してたでしょう。一回出して楽になるといいよ」 「場所を考えろ。こんな…」 睨み付けようとして、息を呑んだ。テッドを見つめるアルドの瞳は、先ほどテッドが感じたように、静かな怒りを湛えている。 「……ぁっ……」 弱い部分を刺激され、びくんと体が跳ねた。引き剥がそうとする手から力が抜けていく。アルドの手つきは決して巧みではないのに、どうしようもなく煽られる。感じてしまう。 「駄目…だって……人が…来る」 「構わない」 「俺が構うっ……」 おかしい。普段はテッド以上に常識を気にするアルドが、こんな行動に出るなんて。 「頼むから…!続きは部屋でしよう。ここじゃ…」 「駄目だよ」 「…………っ…!!!」 突き放したような声音が、奇妙な快楽へと変換されてテッドの背を走り抜ける。 堪えきれず、アルドの手の中で弾けた。 テッドがイった後、アルドは手早くテッドの身支度を整え、再び姫抱っこでベッドまで運ぶと、さっさと隣のベッドに潜り込んでしまった。 部屋に戻ったら続きをするのだと思っていたテッドは、拍子抜けした。このまま寝てしまおうかとも思ったが、向けられた背中が気になった。 背中はアルドの拒否の表れだ。 アルドが見切りをつけたなら、終わりにするいい機会じゃないかと笑おうとして、歪んだ。 目は熱く潤み、視界がぼやける。抑え切れない嗚咽が喉の奥からこみ上げてきた。 「……ぇっ……」 何で、どうして、こんなこと位で。 見捨てられる事を、離れてくれることをずっと願っていたのに。 アルドに背を向けられただけで、こんなに哀しくなるなんて。 気配に気付いたアルドが、首を捻って振り返った。テッドは慌てて顔を背けたが、その目に浮かんだ光るものをアルドは見逃さなかった。 「テッド君!」 飛び起きてテッドに駆け寄り、無理矢理自分の方に向かせる。瞼で抑え付けても、テッドの涙は止まらない。透明な雫が頬を伝って落ちていく。 「何で泣いてるの…」 「知るか!ほっとけよ…っ」 「……放っておける訳ないでしょう。テッド君が泣いているのに」 雫を唇で掬い取る。舌先にほのかに塩味を感じた。 「煩い!誰の所為だと…!」 叫んでから、一瞬しまったという顔をしたが、自棄になったのかキッとアルドを睨み付けて来た。 「勝手に人の体弄くって煽ってその気にさせといて、突き放しやがって。俺が困ってるの見るの楽しいかよ!今も心配してるフリして、実は腹の中で笑ってんだろ!」 「……テッド君…」 「いいよ、勝手にしろ!もうお前なんか知らない。さっさとどっか行っちまえっ」 「テッド君!」 子供のように泣き喚くテッドを強く抱きしめる。 「ごめんね……そんなつもりじゃなかったんだ。一緒に旅をするようになっても、相変わらず僕はテッド君にとって居ても居なくてもどうでもいい人間なんだって思ってしまって。どうせ好きになって貰えないなら、何でもやっちゃえって……。でも実際にやったら、自分が許せなくて」 あの背中は拒否ではなく自己嫌悪だったのか。 「傷つけてごめんね…この涙がテッド君の気持ちと思っていいんだよね。ありがとう。僕も大好きだよ、テッド君。もう二度とこんなことしないから」 許してくれる?と不安げな瞳が覗き込んで来る。 問いかけにも「僕も」にも、恥ずかしくて返答出来なかった。否定しない事で肯定した。 「……絶対だぞ」 「うん、約束するよ」 柔らかな笑みと共に、羽のような口付けが降りて来る。 互いの唇の感触を楽しむだけの、穏やかなキスの後。 「………」 耳元に囁かれたお願いにアルドはふわりと微笑んで、抱きしめる腕に力を込め、ゆっくりとシーツの海に倒れこんだ。 翌朝アルドが目覚めた時には、もうテッドの右手は自由に動いていた。 最早拘束具でしかなくなったギプスを、アルドがナイフで丁寧に切り開く。 「僕にやらせなくても、お医者様の所に行って切って貰えばいいのに」 「お前がいるのに、何で態々そんな面倒な事しなくちゃいけないんだよ。朝食を済ませたらさっさと村を出るぞ。明日の朝には町に着けるようにするからな」 さらりとした口調に埋もれた聞き逃せない一言に、アルドは顔を上げた。 『お前がいるのに』 こんな風にテッドに言われたのは初めてだ。 頼りにしていると言われたようで、思わず頬が綻ぶ。気付いたテッドが忌々しそうにアルドの頬を引っ張った。そんな赤い顔でやられても、照れ隠しなのはバレバレだ。 「大好きだよ、テッド君」 ギプスの下から現れた白い腕に、愛し気に口付ける。 見なくても、テッドの顔の赤さが増したことは判っていた。 初めてテッドに誘われた時は、慰め以外の感情は無かった。 二度、三度と肌を重ねても、テッドに対して自発的な欲望を感じはしなかった。 だが船を降り、二人で旅をするようになって、好意は確かな愛情へと変わって行った。 テッドに一方的な愛を捧げるのではなく、見返りを求める程に。 これからもずっと共に行く。 大切な最愛の人。 *怜紗さんに捧ぐ*
「アルテドのほのぼのでテッドが恥ずかしがってる話」というリクエストでした。 |