始まり



寝る間もない程忙しい公務の合間に、ぽっかりと出来た僅かな自分の時間に。
最近思い出すのはいつもあの人のこと。

(セイさん・・・)

今は半ば伝説と化しているトランの英雄、セイ・マクドール。
前回彼に会ったのは、いつのことだろう。
不老の大統領としてデュナン地方を治める自分にとって、1年、5年の時は大した時間ではない。ないが、会いたいという気持ちには果てしなく遠い時間。
国が建国されたとはいえ、いや一つの国が立ち上がったからこそ問題が山積みになっていて。
戦後の処理と新しい国の法律の制定、景気の回復と、最初の10年はあっという間に過ぎた。
次から次へと持ち込まれる問題に没頭している間は、ナナミとジョウイを失った悲しみに囚われずに済んだ。
一日中馬車馬のように働いて、ベッドで眠ることさえもままならない毎日。
ようやくベッドに横になっても、体は疲れているのに、休まなくてはならないのに、眠れない。
仕事に追われている間は忘れていられた悲しみが、眠ろうと目を閉じたとたん堰を切って溢れてくる。
眠る為に手を出した酒の量が日に日に増えていき。
自分の限界が近いな、と思い始めた頃、彼が再び自分の前に姿を現した。

―――忙しいようだな。
―――セイさん・・・・。
―――大変なのは判るけど、酒は程ほどにしたほうがいい。体がもたない。

デュナン国建国10周年式典の時だったろうか。祭りに浮かれる人々に紛れ込むようにしてふらりと姿を現した彼は、別れたときと全く変わらない姿で言った。
トレードマークのバンダナも健在で、一瞬10年前に戻ったかのような錯覚を覚える。

―――セイさん・・・・どうして・・・。
―――たまたまこっちにいたんだ。そうしたらデュナンの建国記念式典をやっていたから・・・君の顔を見に来た。

相変わらずの無表情だったけど、時間の流れにおいていかれている自分にとっては懐かしい、変わらない彼の顔。
彼に会えたことがひどく嬉しかった。

その晩は客室ではなく自分の大統領私室に泊まってもらい、久しぶりに懐かしい話をした。
ナナミやジョウイのこと・・・思い出したくなくて、心に鍵を掛けていた懐かしい優しい思い出を、セイと共に語り合った。とはいってもセイは時々「うん」とか、「そうか」と相槌を打つだけで、ほとんど自分がしゃべっていたのだが。
辛かったはずの二人の思い出は、セイの存在によって幸せな思い出に変化した。
二人の思い出を、これからを生きる為の心の支えにすることが出来た。
そのことをセイに伝えると、「僕は何もしていない」とあっさり言われてしまったけれど。
セイが来てくれなければ、近いうちに自分は壊れていただろう。

次の日の朝、彼は来たときと同じようにふらりと旅立ってしまった。
すぐ近所に住んでいて、いつでも会えるのだからとでもいうようなその行動に、最初はびっくりしたけれど、確かにそれから数年に1度はセイはデュナンに姿を現してくれた。
しかもそれは狙い済ましたように、自分が落ち込んでいるときやへばっている時で。
彼が来ることによって、がんばろうという気になった。
いつしか彼に来てもらう為に、限界まで無理するようになった自分がいた。

今回も何日も徹夜で公務をこなし、久しぶりに出来た自分の時間。
今日あたり来てくれるんじゃないかと思う。そんな予感。
いつも突然やってきて驚かしてくれるけど、今回はどんな風に現れるだろう。
もう大概のことじゃ驚かなくなっているから、向こうも工夫しているみたいだが。
前回はいきなり紋章の力を使って目の前に現れた。左手には瞬きの紋章を宿していて、便利だからつけたらしい。
その前は外交の為に出かけた先の、雇われ兵士として現れた。あっけにとられて何もいえない僕の反応を、楽しんでるようだった。どうやら僕をからかって遊ぶためだけに、その国に潜り込んだらしい。
その時の事を思い出し、机に突っ伏しながらクスクスと笑う。毎回毎回工夫してくれる。彼の登場で僕はいつもそれまでの落ち込んだ気分を忘れることが出来た。
だから早く来て欲しい。ほら、今の僕はもう限界に近いよ?
・・・・・まるで恋人を待つ気分だ。
確かにそうなのかもしれない。ここ30年、こんなにも自分の心に住んでいる人は彼しかいないから。


ふわり
風が吹いて窓にひかれたカーテンが舞い上がる。明り取りも兼ねているこの大きな窓は、人1人がゆうに通れる大きさで。

「またへばってるのか?」

カーテンが元の位置に収まるのと同時に掛けられた、待ちわびた人の声。

「待ってましたよ・・・・セイさん」

自然に笑みが浮かぶ。月明かりを背にした彼が、僅かに苦笑するのが見えた。

「驚かないのか・・・残念」

音も立てずに窓から離れ、セイが近づいてきた。相変わらず変わらない、少年の顔。
もっとも自分だって変わらないのだ。セイがこうして自分の所に来てくれるのは、自分が変わらない彼の姿に安心するように、彼も少年のままの自分を確かめたいのかも知れない。

「前回と似たような登場じゃね。でもここは5階ですよ。どうやって来たんです?」
「フェザーに乗せてもらって来た。丁度下にいたからな」
「瞬きの紋章は?」
「ああ、もう外した。あんまり使い道ないし・・・歩く方が好きだから」

面倒くさがりのようでいて、案外マメなこの英雄はあっさりと答える。
前回は本当に自分をからかう為だけに着けたのだというのが良くわかって、苦笑した。

「来てくれて嬉しいです。お茶煎れましょうか」
「なんでお茶の用意がしてあるんだ」
「今日あたりセイさんが来てくれる気がしたんですよ」

滅多に見られないセイの苦虫を噛んだような顔に、クスクス笑う。立ち上がって脇に用意しておいた中国茶器に熱い湯を注ぐと、一旦捨ててまた入れる。
葉をいれた急須にお湯を入れ、湯飲みに注ぎ一回捨てる。手早い作業に、セイが驚いたように呟いた。

「手馴れてるな・・・一国の大統領が」
「昔からやってましたからね。僕の煎れたお茶が一番おいしいって、ナナミたちが喜んでくれたから」

どうぞ、と出された湯飲みは一口で終われそうな小さな湯のみだった。口元に持っていくと、ふわりと香る花の香り。

「いい香りだ。ジャスミンか」
「はい。これが一番美味しいんですよ」

口の中に広がる花の香りを楽しみながら、二人はしばし無言になった。
話をしたのは初めて彼が来たときだけで、その後はいつもこうやってただ黙って一緒にいる。
それだけで心はいつも癒された。
でもそろそろその先に進んでもいいんじゃないだろうか。この先何十年、何百年とこのままでいるのもどうかと思う。

「カナト・・・・?」

お茶を置いたセイの手をとって、おもむろに手袋を外す。勿論左手だ。さすがに右手にこんな真似は出来ない。
現れた滑らかな手の甲に、恭しく口付けた。

「何のつもりだ・・・・カナト」
「そういう、つもりです。わかりませんか」

静かに問うセイの視線を受け止めながら、挑むように見上げる。再び手の甲に口付けると、その手がふっと振り払われた。

「寂しくなったのか?だったら他をあたれ」
「セイさんがいいです」
「僕を代用品にするな。・・・・君はジョウイが・・・」
「好きですよ。でもジョウイへの好きと、あなたへの好きは違うんです。ジョウイは大事な僕の親友。それ以上の感情はありません。でもセイさんは・・・」
「カナト・・・・」

カナトの真剣な瞳に、セイが驚いて目を見開いた。心持ち距離をとろうとするセイに、カナトは小さく笑って、

「何もしないから・・・怯えないで下さい。あなたの心の中には別の人が住んでいることも知っています。ただ僕の気持ちを伝えたかっただけなんです」
「僕は・・・君の気持ちが理解できない」
「そうでしょうね。それでもいいんです。僕が勝手に片思いしているだけなんだから」

いつのまにか、心に住み着いていた彼。
錯覚なのかもしれない。時の流れに置いていかれた自分と同じ存在に感じる同類意識を、恋と勘違いしているだけなのかもしれない。
それでも、伝えておきたかった。今の自分の素直な気持ち。

「折角来ていただいて申し訳ないんですが、今日はもう帰っていただけますか。今のあなたを前にして、平常心を保つ自信がないんです。僕自身疲労が溜まっていて、理性がいつまでもつか・・・駄目ですよ。僕の前でそんな無防備な顔しちゃ。襲いたく、なるじゃないですか」
「カナトっ・・・・」
「行ってください。ああ、でも絶対また来てくださいね。でないと逃げたって思いますよ。トランの英雄ともあろうものが、男に言い寄られたくらいで逃げるなんてこと、しませんよね」

にっこり笑って釘を刺しておく。こういっておけば、負けず嫌いのセイなら絶対また来るだろう。
案の定セイはキッときつい視線を投げつけてきた。

「誰が逃げるものか。僕を押し倒そうなんて100年早い」
「じゃあ100年後ならいいんですね」
「屁理屈を言うな。一生ないっ」
「セイさんの心が解けるよう努力しますよ」
「絶対ありえないから、諦めろ。・・・・・もう帰る」
「また来てくださいね〜。今度は月餅も用意して置きますんで」

立ち上がって踵を返した背に、叫んでやる。
セイは一瞬だけ動きを止めたが、やがて振り返りもせずに窓から飛び出した。

「あっ・・・ここ5階・・・・」

窓に駆け寄って下を見ると、器用に壁を蹴って降りていくセイの姿があった。警備のものに見つかったら侵入者と思われるぞと思いながら、あの人だったらうちの兵士くらい相手じゃないかと考え直す。
中々手ごわい相手に恋しちゃったなと思いながら、カナトは窓から離れた。

「でも落とし甲斐のある相手だよね・・・・退屈しないで済みそうだ」

面白いおもちゃを見つけたような楽しげな笑みを浮かべつつ、ベッドに寝転がる。
数分後には、その唇から静かな寝息が聞こえてきた。






END










シオンとセイを別人するのに苦労しました。コウリとカナトは完全に別人なんですけどねぇ(笑)



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