箱庭の終焉



カーン…
カーン…

国に弔いの音が鳴り響く。
城の最頂に据えつけられた巨大な鐘。
ここ何百年、城の主の血以外の者の為にしか叩かれる事のなかった鐘は、ようやく本来の役目を与えられたとばかりに、力強く澄んだ音色を風に乗せて国の隅々にまで運んでいく。
鐘の音は安穏な日常を信じて疑わなかった人々を嘆かせ、この先の未来への不安を煽る。
国葬。
真の紋章を宿した不老の大統領が、その永い永い生を終えたのだ。


城へと続く凱旋道路を進む黒い服の集団は、途切れる事がない。
俯きがちに、目にハンカチを押し当てて、人々は自分達のたった一人の国王に最後の別れをする為に列を作る。
建国200年を越えるこのデュナン国の、初代大統領にして建国者。彼がいる限りこの国は絶対の力で守られていた。真の紋章を宿す彼に挑むような愚かな国は存在せず、屈指の軍師の血筋、シルバーバーグを代々の側近に従えた彼の統治は、国の補修、産業、流通、保障の全てにおいて見事なまでの効果を挙げていた。
他国からの旅人は、数日間の滞在で何度となく大統領への賛美を耳にする事になる。やがて旅人が国を発つ頃には、彼もまたその賛同者となっているのだ。
国民の誰もが大統領を誇りに思い、彼の永遠の統治を望み、信じていた。彼が生身の人間である事など考えようともせずに。
真の紋章の加護は不老であり、不死ではない。
常人よりも高い回復力を持つものの、紋章の力の及ぶ以上の肉体的損傷があれば、死に至る。
生き物の基本的欲求である眠りを失った肉体は、とうとうその鼓動を止めてしまったのだ。
「カナト様…」
「大統領閣下…」
女達の間からすすり泣きが洩れる。抱いている赤子が、辺りに充満する悲しみの空気に反応して、大きく泣き喚く。
カナトが国民の前に姿を現していたバルコニーには、国葬を示す黒の幕が下ろされている。普段バルコニーよりやや高い位置に掲げられている国旗も、今はポールの半分ほどの位置にひっそりと佇んでいた。
バルコニーの前に集まる人々の数は留まることを知らない。やがて広い庭先は黒一色に覆い尽くされ、その視線は只一点、カナトが姿を現すバルコニーへと注がれていた。
「カナト様…」
「カナト様がいなくなられては、私達はどうすればいいのでしょう…。我らが国父、永遠の少年王よ」
「本当に大統領は亡くなられたのか?真の紋章を持つあの方が、こんな簡単に、我々と変わらない只の人間のように……」
「そんなはずはない。そうだ、あの方は真の紋章に選ばれた貴人なのだ。お亡くなりになるはずがない!」
嘆きはやがて、真実を拒否した叫びへと姿を変える。危険を感じた警備兵が慌てて落ちつくよう呼びかけるが、悲しみと不安に苛まれた人々の耳には届かない。
「どうかお姿をお見せ下さい、カナト様…!我らをお見捨てにならないで下さい…っ」
「デュナン国、最初にして唯一の大統領、我らが誇り!我らの父よ!あなたの子供達の為に、今一度甦ってください!」
「大統領!」
「大統領!」
激しい大統領コールが上がり、人々の興奮は嫌がおうにも高まっていく。最早警備兵にも彼らを止めることはできなかった。精々自分も同じように叫び出さないよう、唇をかみ締めるのが精一杯だった。
「……大統領っ!?」
バルコニーに人影が立ったのに気づき、群集が水を打ったように静まり返った。広場に集まった人々の目が、真剣な面持ちで人影を追う。
黒い髪の少年が、ゆっくりと太陽の下に姿を現す。
だがそれは、彼らが求める人物ではなかった。
「――聞け!デュナンの民よ!我が友、カナトの愛すべき国民よ!」
凛とした声が、さざ波のように人々の頭上を滑っていく。
突然現れた見知らぬ少年に、だが誰も言葉を発せられぬまま、食い入るように彼を見つめる。
「我が名はセイ・マクドール。カナトと同じく、この身に真の紋章を宿す者。トラン共和国に於いて、唯一の英雄の名を戴く者」
セイ・マクドール…トランの英雄……人々の間に困惑のざわめきが広がる。
マクドールの名は、現在のデュナンに於いても健在だ。建国時に大統領に手を貸した、大統領の友として語り継がれる、デュナン国民にとってももう一人の英雄。
「セイ様……本当にセイ様なのですか?」
「トランの英雄万歳ー!」
湧き上がる歓声に、セイが右手を高々と掲げる。その手をゆっくりと目線の高さまで下ろし、水平に力強くすぱっとなぎ払った。
広場に再び静寂が下りる。
「聞け、デュナンの民よ!我が友、カナトの愛すべき国民よ!汝らの大統領は長きに渡る生を終え、天に還った!彼の愛する家族の元へと旅立った!」
「…………」
「嘆きは彼の魂をこの地に繋ぎとめる。涙を拭え!顔を上げろ!長年汝らを愛し、その命の全てを捧げたカナトに、今度は汝らが永久の安息の祈りを捧げよ!」
広場はしん…と静まり返っている。たくさんの視線が、セイの肌をぴりぴりと焼く。
「……カナト様を失った我らは、どうすれば良いのですか」
声は決して大きなものではなかった。だが静寂が彼の声を際立たせた。
「我々はカナト様を信じてついてきた!あの方で無ければこの国を治めることなど出来ない!真の紋章に選ばれたあの方でなければ…っ」
「そうです!私達は弱い!私達はカナト様に守られて生きて来たのです。カナト様と共に生きて来たのです…!」
「…………セイ様、この国に留まってください!」
「そうだ、セイ様なら!どうかカナト様の代わりに、我らをお助け下さい!トランの英雄、セイ・マクドール様…っ」
「セイ様!セイ様!」
先ほどまでカナトの名を叫んでいた口が、今度はセイの名を唱える。愚かしくも弱い人々。絶対者は唯一である必要はない。自分達を守ってくれる者なら誰でも良いのだ。
これがカナトの民。カナトが命を削って守ろうとした国。カナトの子供。
彼らの愚かさを責めるつもりはない。そういう風に育てたのは、他でもないカナトなのだから。
だがそろそろこの国は親離れするべきだ。安穏と守られるだけではなく、傷つき、苦しみ、自らの足で進むべきだ。
セイはもう一度、天に向かって右手を伸ばした。今度はその手に手袋は無かった。
「聞け、デュナンの民よ!」
澄んだ声は、人々の喧噪を一掃した。
「我が右手に宿る紋章は呪いの紋章!人の魂を喰らい、その地に戦乱をもたらす!それでも尚、我が統治を望むか!応というならば、喜んで次代の大統領となろう!外部からの攻撃を防ぎ、政(まつりごと)を行おう!だが我が愛した魂は紋章の贄となろう!」
セイの右手に黒い影が集まる。深い闇の気配に、敏感な幼い子供や魔力の高い者たちに脅えが走る。
「人の魂を喰らうソウルイーターと共に、生きるや否や?さあ、デュナンの民よ!自分達で選ぶがいい!」










「全く……あんな派手なパフォーマンスをして、見ているこっちの方がハラハラでしたよ」
寂れた山道を歩きながら、連れがはぁと重い溜息を吐く。
「民衆があなたを攻撃したらどうするつもりだったんです?混乱している人たちに、あの言い方は危険ですよ…」
「だがそうはならなかっただろう?」
「それはそうですが…万が一という事も…」
首を回して、隣を歩く友を見やる。
「お前の国民だろう?もっと信じてやれ」
彼はもう一度大きなため息を吐いた。
「ちょっとばかり甘やかして育てちゃいましたからねぇ…。でもまあ、これで一人立ちできることでしょう。彼らも、僕も」
「そうあって欲しいな。最後の最後までお前は甘やかしすぎだ。何が大統領の遺言だ。新しい大統領など、自分達で決めさせればよかったんだ」
「親として最後にそれ位はしてやらないと。あいつなら長年僕の側近をしていたから、やり方は心得ています。暫くは国民は今までと変わらない生活を送れるでしょう。だけど今度の大統領は不老じゃない。三代目はシルバーバーグの血筋からは選ぶなと伝えてあります。そうして少しずつ、守られるだけの国民ではなく、自分達で国を作れる人たちになってくれたらと思います」
「カナトの国民」から「デュナンの国民」へと。
人々が変わる事を遠き地より願う。
カナトは以前より少し肉のついた顔を、並んで歩く人物へと向けた。
「にしても突然監禁された時は驚きましたよ…あいつまでグルになっているとは。せめて事前に一言相談くらいしてくれれば」
「言えばお前は絶対拒否しただろう。あんな体になっても捨てられなかった国だからな。どうしようもない状況になってやっと納得した癖に」
「……まあ、そうですね」
「されに監禁と言っても部屋に鍵をかけただけだ。お前は何代の軍師殿を心配させれば気が済むんだ」
「したくてしてる訳じゃないんですが…」
嫌味のこもった口調に、カナトが気まず気に苦笑する。
国葬を執り行う前のカナトは、最早満足な歩行も出来なくなっていた。人の手を借り、杖をついてよろけながらなんとか進む。まるで老人のようだった。
原因は睡眠不足と極度の過労。普通の人間ならとっくに死んでいただろう。真の紋章の力が、ボロボロになったカナトの心臓を何とか動かしていた。
だがそれも限界が見えて来ていた。セイが側にいる間はまともに眠れるものの、彼が旅立てば不眠は必ず訪れた。セイも気にして来訪の間隔を縮めていたが、一つの国に居つく事を嫌うセイが年単位で留まることはなく、終末をじりじりと先延ばししているに過ぎなかった。
このままでは紋章の力も空しく、カナトの心臓は鼓動を止めるだろう。
セイは軍師にある計画を持ちかけた。
カナトの体調はこの国にいる限り、決して回復しないだろう。国を想うカナトの心が、肉体を休ませることを許さない。
セイの意見に、彼も賛同した。
今の軍師も、カナトが国に居て当たり前という時代に育っている。だが身近でカナトを見守り続け、父や祖父に彼を託されて来た軍師は、大統領よりカナト個人の命を願った。
かくしてカナトの死は本人の知らぬ間に国中に告知され、国民相手のセイの演説を、カナトは鍵の掛かった隣の寝室で横たわりながら驚愕と共に聞いたのだった。
かつてハルモニアの秘法といわれた生きた人形は、今では力のある呪術師なら作り出す事が可能だった。ましてや人形は最初から死んでいていいのだ。カナトの人形を用意することはそれ程難しくはなかった。
人形の葬儀に紛れて、カナトはセイと共に城を後にした。弱ったカナトに旅は厳しかったが、城の中にいればみつかる可能性があったし、何よりカナトに心の踏ん切りをつけさせる為に早い出立となった。
時間をかけてサウスウインドウまでたどり着き、そこでカナトは数ヶ月じっくりと休養をとった。人の多い町は、逆に隠れるのに丁度いい。演説でセイの顔がばれてしまったのが心配だったが、あの時のセイはカナトの服を着ていた。服装が違う上、バルコニーはあれだけ高い位置だ。そうそう正体を気づかれる心配はないというセイの言葉どおりだった。
療養期間の間、セイはずっとカナトの側にいてくれた。カナトが眠りにつけるように同じベッドで眠り、リハビリに付き合い、食材の買出しに行き、簡単な調理までしてくれたのには驚いた。
やがてようやく旅に耐えられるまで回復し、二人はこうしてトランへと続く山道を進んでいる。
遠い昔、何度も通った道だった。セイの力を借りるために、何度この景色を眺めたことだろう。
最後にこの道を通ったのは、ルルノイエ突入前だった。セイ自身もその時が最後だという。山道に限らず、トランに続く道を歩くのはあの時以来だと教えてくれた。
200年ぶりの里帰りに、セイはカナトの同行を望んでくれた。
それは。
(僕は……自惚れてもいいんでしょうか)
真っ直ぐ前を見据えるセイの横顔を窺い見る。
きゅっと引き結ばれた綺麗な唇。
誘惑に負けてたった一度、眠るセイに口付けた事があった。だが本当に彼は眠っていたのだろうか。唇が触れた瞬間、規則正しかった呼吸が止まったように感じたのは気の所為だろうか。
寝込みを襲われて大人しくしているセイではない。だとすればあれは無言の許容と思っていいのだろうか。
もし気の所為だった場合、薮蛇になるので真実を訊ねることはできないが、もう一度今度は目が覚めている時に挑戦したらどうだろうか。
全てはトランに着いてからだ。カナトに続き、セイが過去と向き合った後。
そこから二人の新たな人生が始まる。








主坊三部作、やっと終了です。4年越し…(爆)
坊ジョに続いて、これも書き出したらあっという間に書き上がりました。(だったら早く書けよ)セイの演説シーン楽しかった♪
カナトとセイの話はこれで終了です。
この主坊三部作は、全てひーちゃんへ捧げます。


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