「こらっ、もう寝る時間でしょっ。早く二階にあがりなさーいっ」 「やだよーっ、まだ眠くないもんっ」 「もっと遊ぶーっ」 家中を所狭しと走り回る子供たちの足音と、それを窘める母親の子供に負けない元気な声。 久しぶりに戻ってきた我が家は、昔以上に静寂とは無縁の家になっていた。 「ねえねえ、コウリ。旅のお話の続きしてよ。りゅうきしだんちょうさんはどうなったの?」 「竜はお空飛べるんだよね!僕も乗りたいなあ」 「もう遅いから、続きはまた明日ね」 両腕に纏わりついてくるそっくり同じ顔を交互に見て、やんわりと宥める。父親似の整った顔立ちと、母親に似た明るい気質の子供たち。元々子供好きの僕だけど、この子達は本当に愛らしい。 「そうよ。また明日にしなさい。寝ないと明日の朝のデザートないからね」 「え、何々?」 「プリンよ。さっきコウリが作ってくれたの。コウリのプリンは本当に美味しいんだから!」 プリンの言葉に女の子の顔が輝く。 「プリン!やったあっ!おかあさん、私寝るからとんとんしてね」 「僕も寝る――っ」 妹に先を越され、慌てて男の子も二階へ向かう。そんな二人を笑顔で見送ると、母親が振り返って申し訳なさそうに謝った。。 「煩くてごめんねー。もうあの子達ってば悪戯盛りで、ちっとも私の言う事聞いてくれないんだものっ。折角二人が帰って来てくれたのに、これじゃ落ち着けないね」 「平気だよ、ナナミ。僕もジョウイも子供は好きだから」 そう、子供達は全然問題じゃない。問題なのは…… 「何か僕の顔についてるかい?コウリ」 目の前でにこやかに笑っている、子供たちの父親の存在だった。 「……いえ、何でもありません」 「そうかい?にしては何だか浮かない顔だけど、旅の疲れでも出ているのかな」 「疲れてはいません…………だからジョウイに触らないでくださいっ」 がたんっと派手な音を立てて椅子から立ち上がった僕に、相手がおやおやと目を丸くする。わざとらしい……それより早くジョウイの肩から手を離してくださいよ! ナナミは子供たちを寝かし付けに二階に上がって行った。今ここにいるのは僕とジョウイと彼だけだ。 ジョウイの隣になんて座らせたくなかったのに…彼は帰宅して僕らの姿を認めるなり、止める間もなくさっさとジョウイの隣に座ってしまった。ああ、何で僕はジョウイの隣に座ってなかったんだっ! 「久しぶりに旧友に会ったのに、スキンシップも駄目かい?」 「駄目です。あなたのはスキンシップを超えてます。それにあなたとジョウイは友達でも何でもないでしょうが」 「寂しいなあ…僕はジョウイも君も友達のつもりだったんだけどね」 「だったらその手を離してください」 ジョウイの髪に指をからめて遊んでいる仕草がむかつく。昔からそうだった。この人は男でも女でも、綺麗な顔立ちの人なら例外なく口説き落としていたから、戦後取戻したジョウイを会わせるのは本当に不安だった。案の定ジョウイを一目見て気に入り、彼が僕の想い人だと知るや、今までになく力を入れて口説くものだから、紋章を封印する為の旅にかこつけてジョウイを引き離したら。 一度目の旅から帰って来たら、ナナミを奪われていた……。 『私、結婚することにしたの。相手は二人もよく知っている人よ。……喜んでくれるよね?』 『大丈夫だよ、ナナミ。コウリが君の幸せを邪魔する訳はないだろう?ねえ、コウリ?』 反対しようとして開けた口は、音を発することなくそのまま閉じられた。ナナミの不安そうな目と、その肩を抱く相手の、笑顔の下の迫力に気圧されたのだ。 悪い人じゃないのは良く判っている。シオ・マクドール。解放軍リーダーにしてトランの英雄。彼に力を貸してもらったのも一度や二度じゃない。判ってはいるけど…… 何でこの人がナナミと!?ナナミはシオさんの好みじゃないはずなのにっ。 ナナミははっきり言って美人ではない。美人というより可愛いと言った方が当てはまる。事実シオさんは、統一戦争時代ナナミを口説いた事はなかった。だから安心して残して行ったのに。 こんなことなら一緒に旅に出ればよかった。でも僕たち二人でもかなり厳しかったこの旅に、ナナミを連れて行って苦労させたくはなかったのだ。 『……シオさんは…ナナミと同じ時間を生きられないよ。それでもいいの?』 彼の右手に宿る紋章が、彼から時間を奪った。僕たちも危うくそうなるところだった。強大な力を手に入れる代償。真の紋章の、それは呪い。 『気にしないよ。だってシオはシオだもの。それにシオは絶対私より先に死なないでしょ?私、一人ぼっちで残されるのはもう嫌なの』 いつの間に呼び捨てにするようになったのだろう。かつては自分たちと同様、シオさんと呼んでいたナナミ。これが今の二人の距離なのか。胸の奥がちくりと小さく痛む。 そして「残されたくない」の言葉で、何も言えなくなってしまった。 ナナミを残して行ったのは他でもない自分達だ。守ろうとして一番寂しい想いをさせてしまった自分達に、ナナミが手に入れた幸せを奪う権利はない。 『ナナミもこう言ってるし、僕も気にしない。君たちはまた紋章を封印するための旅に出るんだろう?僕はもう戻る家もないし、ずっとここにいるから安心していい。ナナミを一人にしないと約束する』 ……僕には頷くことしか出来なかった。 そして二度目の旅から帰って来たら、ナナミに子供が生まれていた。しかも双子。 子育てにおおわらわするナナミを見かねて、二人が一歳になるまでは旅に出ずに子育てを手伝っていたのだけど、意外や意外、シオさんはかなりの子供好きだったようで。 子供の世話は殆どシオさんがやり、僕らは専ら食事作りと遊び相手だった。 子供を見るシオさんの目は本当に優しくて……僕は反対しなくて良かったと思ったのだ。 ナナミの言うとおり、彼ならナナミを残して逝くことはない。解放戦争で全てを失ったシオさんにとっても、この家と家族が唯一の存在だ。 だから悔しいが今はシオさんを義兄と認めている。シオさんの事は嫌いな訳ではないのだし。むしろ尊敬してるし。勿論絶対口には出さないけど。 要は姉を取られた弟の嫉妬だ。シオさんがナンパ好きじゃなければ問題なかったんだけどなあ。 「年を重ねても相変らず美人だね、ジョウイ。コウリがヤキモチを妬くからこれで我慢しておくよ」 すっと抱いていた肩を引き寄せ、シオさんがジョウイの頬をぺろりと嘗めた。 「あああっ、何やってるんですかーっ!」 回想にふけってて、目の前の事に注意を払うのを忘れてたっ。 「……悪ふざけはいい加減にしてくださいね」 やんわりと顔を押しのけ、ジョウイは手の甲で頬を拭いた。いつもなら赤くなって照れる筈のジョウイの反応に、シオさんが小さく首を傾げる。 「反応がないな………そうか、もう君たちもいい年だしね。これ位の事じゃ照れないか」 「もうあなたのおもちゃにならなくてすみませんね」 おおっ、皇王の時っぽい。頑張れジョウイっ! 「じゃあもっと先のことまでやってみるかい?…初めてじゃないだろ?」 「シオさん!!」 声のトーンを落とし、顔を近づけていく。うわーっそれは駄目っ。 「こら、いい加減にしろ、シオ」 扉など無いかのようにすっとすり抜け、半透明の少年が室内に入ってきた。ふわふわと宙を漂いながらシオさんの後ろまでやってくると、シオさんは肩を竦めてジョウイから離れた。 「はいはい、わかったよ」 まるで親に叱られた子供みたいだ。シオさんが唯一頭の上がらない相手。 「テッドさん、助かりました」 「悪いな、ちょっと目を離した隙に」 ジョウイに向かって苦笑いする。シオさんの親友であるテッドさんは、昼間は普通に触れるのだが、日が落ちると体が透けてしまうらしい。解放戦争中に命を落とし、戦後シオさんがソウルイーターの力で生き返らせようとして失敗、こんな中途半端な姿で存在しているのだという。 「コウリたちに会えて嬉しいのは判るけどな、あんまりからかうなよ」 「だって折角おもちゃがあるのに、遊ばないのは勿体無いじゃないか」 「おもちゃにするな。チビたちはもうおねんねか?」 部屋の中をぐるりと一望してテッドさんが言った。 「うん。もう寝たよ。……夜の君には触れられなくてつまらないね」 テッドさんの頬に手を沿え(実際には触れられないのでフリだけだが)、シオさんが意味ありげな視線を送る。 「……昼間さんざん触っただろうが」 「あんまり触らせてくれなかったくせに」 「当たり前だっ」 ……僕がナナミをシオさんに渡したくなかった原因には、これもある。僕がジョウイを好きなように、シオさんはテッドさんの生前からそういう関係にあった。もっとも二人曰く「そういう感情はない」とのことだけど…だったら余計に嫌だ。ナナミの旦那さんには、ナナミだけを見て欲しい。 そんな僕の気持ちが顔に出たのか、テッドさんがすすっと僕の方に寄ってきた。 「何もしてないから安心しろ。シオにからかわれてるんだよ」 「それは判ってますけど……」 やがて階段を降りてくる足音がして、ナナミが姿を現した。 「ふう、やっと寝てくれたわ。あら、テッドも帰って来てたの」 「チビたちと入れ違いだな。お疲れさん、ナナミ」 「コウリたちが来たから興奮しちゃったのね。さあ寝ようって所にシオが帰ってきたから余計に。そうそう、まだお帰り言ってなかったね。お帰りなさい、シオ」 「ただいま、ナナミ」 ナナミがシオさんに近づき、ふわりと頭を抱きしめ額にキスをする。その表情は何とも言えず優しくて、見ているこっちが恥ずかしくなってしまう。僕やジョウイに向ける笑みとは全然違ってて…そう、多分僕がジョウイを見る視線なんだと思う。 対するシオさんは、まるで子供みたいに無邪気な表情だ。ナナミの前と僕らの前で顔が違いすぎるよ。 「相変らず甘いな」 テッドさんがからかうように口を挟む。 「いいじゃない。テッドにはしてあげたくても、今は触れないんだもの。朝になっていってらっしゃいの時にしてあげるわよ」 「頼むぜ。オレもナナミにキスして欲しいからな」 「その代わり私にもしてね」 「ああ、勿論」 「ナナミ、僕にはいってらっしゃいのキスは?」 テッドさんとナナミの会話を遮って、シオさんが自分の頬を指先でとんとんと叩く。 「いってらっしゃいもお帰りなさいも、おはようもおやすみも全部してあげる」 「うん」 にこおと無防備に微笑むシオさんと、それを愛おしげに見つめるナナミに、何だか非常に居心地が悪くなった。もう結婚して8年になるのに、子供もいるのに、いつまでも新婚夫婦みたいな二人である。 テッドさんの存在が二人の関係にヒビを入れるのではと心配していたが、違和感なく自然に互いを愛しむ彼らに、僕は自分の懸念が杞憂であった事を思い知らされる。 「やっぱり疲れたみたいだ。そろそろ僕は休ませてもらうよ。コウリもだろ?」 ジョウイが立ち上がる。ちらりと目配せされ、ジョウイの意図を悟った僕も続いて立ち上がった。これ以上は家族の時間だ。お邪魔虫は退散しよう。 「うん。僕も眠くなって来た。お先に失礼するよ」 「そう?二階のあなたたちの部屋は、さっきベッドメイクしておいたからね。帰って来てくれてありがとう。ゆっくり休んでね。おやすみ、ジョウイ、コウリ」 ナナミがぎゅっと抱きついて来て、僕らの頬に交互にキスをする。僕らも左右からナナミにキスを送ると、三人を残し居間を後にした。 「ええっ、何でもう行っちゃうのっ!?昨日帰って来たばっかりじゃないっ」 翌朝、僕らが今日出発する事を告げると、ナナミは昔そのままの素っ頓狂な声をあげて叫んだ。 「もっとゆっくりしてってよ。子供たちも二人と遊びたがってるんだよ」 「うん……でも一刻も早く、紋章を封印する方法を見つけたいんだ。これからグラスランドの方に向かおうと思ってて、ここにはその途中で寄っただけだから……。大丈夫、そんな顔しないで。離れてても僕達は家族だし、ナナミには子供たちも、シオさんもテッドさんもいるだろ」 「そうだけどっ、でも折角会えたのに……」 「コウリ、僕たちがいるからいいというのは違うだろう。君達に僕たちの代わりが出来ないように、僕たちも君たちの代わりは出来ない。ナナミが君達の帰りをどれだけ待ち侘びていたか判ってるかい?」 静かだが非難を込めた物言いを受け止め、僕は僅かに俯いた。 「ええ、判ってます……。もう少しだけ、ナナミをお願いします」 シオさんに頭を下げ、ナナミに向き直る。ナナミの瞳は涙で潤んでいた。 「ごめん、ナナミ。できるだけ早く帰ってくるから。……あのね、僕達が紋章を外すのを急いでるのは、ナナミたちを見たからなんだ」 「え……?」 「僕らの手にこれがある限り、僕らの中ではあの戦争は終わっていない…。僕らはまだ幸せな日常を受け入れる訳には行かないんだ。昨日のナナミたちを見て、羨ましいと思ったよ。僕も早く新しい自分の人生を見つけたいって……だからね、もう少しだけ待ってて」 「コウリ……」 「僕達は必ずナナミのところに帰ってくるから」 「ジョウイ…………」 「そういうことなら判った。ナナミの事は心配しなくていいよ」 片手でナナミを抱き、もう片手で子供の一人を抱っこしているシオさんが微笑む。涙を堪えきれなくなったナナミが、シオさんの胸に顔を埋める。29歳のナナミと16歳のシオさん。端から見たらとても夫婦には見えない二人だ。これから益々その年齢差は離れて行くが、そんなことで彼らが不幸になる事はない。 「コウリ、ジョウイ、また遊びに来てね。竜の鱗貰ってきてくれるって約束だよ」 朝になって実体化したテッドさんに手を引かれた男の子が、真剣な表情で見上げてくる。今度会う時は、どれだけ大きくなっているだろう。 「うん、約束するよ。僕の友達に竜騎士がいてね。頼めばきっとくれると思うから。だからお母さんとテッドさんの言う事よく聞いて、いい子にしてるんだよ」 「おや、僕の言う事は聞かなくていいのかい?」 「シオさんは父親っていうより子供たちと同レベルでしょうが。ナナミをあんまり苦労させないで下さいね」 「言うねぇ、コウリ」 にこやかに微笑みながら、これ見よがしにナナミを抱き寄せる。 「ナナミには僕がいるから、君は安心して旅に出るといい。もう帰ってこなくてもいいよ」 「シオっ!」 腕の中のナナミが憤慨した様子で叫んだ。抱き上げられたままの女の子も、父親に進言する。 「おとうさん、コウリの作ったプリン美味しかったの。また食べたいな」 「ああ、あれは美味しかったねぇ。……ナナミと子供たちに免じて、今の暴言は水に流してあげるよ。だから一刻も早く戻って来て、またプリンを作ってくれ」 「僕もそうしたいですよ。……それじゃ元気で……」 「頑張れよ…旅の無事を祈ってるからな」 「きっと戻って来てね!待ってるからね!」 「うん、きっと戻ってくるから…」 「ばいばーいっ、コウリー、ジョウイーっ」 「また来てねーっ、竜の鱗、忘れちゃやだよーっ」 暖かい家族に見送られ、途中何度も振り返りながら僕達は再び旅立つ。 次に戻ってくる時は右手の紋章が無くなっている事を信じて。 僕らを待っていてくれる、優しい家を再び訪れる日を夢見て。 *和田みどりさんに捧ぐ* うちの坊ナナ坊ちゃん、シオのストーリーです。シオンから分裂した子なので、顔立ちも言葉使いもシオンとそっくり。後ろ髪が一房腰まであります。 シオの主人公はいないので、友情出演でコウリに働いてもらいました。坊ちゃんに振り回されるのは相変らず(笑)闇シリーズの主ジョウサイドのパラレルです。 坊ちゃんがお嫁さんを貰うとしたら、ナナミしかいないと思うんです!時間の流れが違うことを気にしないで、笑って傍にいてくれる女の子なんてナナミだけですよ。そして旦那と親友がデキているにも関わらず(しかも親友は半幽霊)、家族として受け入れてくれるのもナナミだけ(笑)シオとナナミとテッドの会話の辺りは、自分でもお気に入りです♪ イラスト込みでみどりちゃんへV 半年以上も遅れてごめん… |