自由人





「こんなとこにいると凍えちまうぞ」
冷たい風の吹きすさぶ屋上で、月と星を肴に飲んでいる男に声をかける。僅かに労わりを含んだ声に、その名の通り青い服に身を固めた青年がゆっくりと振り返った。
「何だお前か」
「何だとはつれねぇなあ。ヤケ酒なら付き合うぜ」
肩を竦めて青年の隣まで歩を進めると、ビクトールはフリックの持っていた酒ビンを奪い取り、ぐいっと呷った。
「ヤケ酒なんかじゃ…」
「そうか?」
アルコール度の強い酒が、五臓六腑に染み渡る。フリックがこんな強い酒を飲むのは珍しい。
「気にすんなって。俺も同じだ。あんな顔されちゃなあ……」



『元気でな……俺の分も生きろよ』
親友の腕の中で逝った少年。
親友の命の火が消えるのを、静かに見つめていた彼。
少年は額に脂汗を滲ませた笑顔で強くシュナの右手を握り締めた。
『紋章のこと……頼むな……』
その苦しげな表情とは裏腹に、軽い口調で言うテッドを、シュナは感情を露にすることなく静かな目で見つめた。
『お前は勝手だ。俺にこんなものを押し付けて、自分はさっさと楽になりやがって』
『そういうなよ……。あんな風に操られるの…嫌だったんだ……。俺の自由にならない命なら、そんなものいらない……』
『俺だってお前の命なんていらない』
『ひでぇなあ……俺、喰らわせた意味、なくなるだろ……』
『意味なんか無いに決まってる。死に損だ、お前は』
『はは……やっぱりお前、性格悪いよ……』
最期まで笑みを浮かべながら事切れたテッドの体を地に横たえると、その体が見る見る光の粒子となっていく。
テッドの姿が完全に消える前に、シュナは踵を返した。
『シュナ様!』
慌ててミリアが月下草を手に取り、後を追う。ここに来た目的である月下草の存在など忘れたかのようなその態度。
彼はグレミオが死んだ時も、テオを手にかけた時も、感情を見せることは無かった。


「いっそ泣き喚いてくれたほうが、見ているこっちは楽なんだけどな。皆の前が泣いたら士気に関るとかじゃなくて、あいつは…多分泣く必要がねぇんだろう。悲しくない事はないだろうが、泣いて喚いて、感情を吐き出さなくても前に進んで行ける強さを持っている。全く嫌になるぜ。あの年であそこまで達観してやがるなんてよ」
「俺には絶対無理だな……。オデッサを失った時は、全てがどうでもよくなった」
「俺だってそうだ。故郷を失った日は年甲斐もなく泣いた」
蘇ってきた苦々しい過去を飲み込むように、酒を呷る。
「結局俺達は悔しいんだ。あんなガキに敵わない事を思い知らされてな」
「そうだな……」
ぼんやりと空を見上げる。酒で温められた白い息が夜空にかき消されていく。
「そろそろ温かい部屋に戻って飲みなおそうぜ。マジで凍えちまう」
ビクトールが、フリックの丸めた背中をぽんっと叩いた。
「ああ」
身を翻し、暖かい室内に戻っていく。彼の少年は、こんなところでこんな風に自分が話題にされているなど想像もつかないだろう。
夜空に輝く月が、冷たく城を照らしている。




***




ビクトールとフリックが、屋上で酒を酌み交わしている頃。
月明りだけが光源の薄暗い自室で、シュナはソファの背にもたれて虚空を睨み据えていた。
テーブルの上には、放り出された皮手袋とワイン瓶、グラス、それに小さな包み。
剥き出しの右手で無造作にグラスにワインを注ぎ、一気に煽る。
ごくりと上下する喉。
「……………」
右手が熱い。
引かない熱をもてあまして、冷えきった左手で覆い熱を奪う。
これで四度目。シュナの身近な人が命を落とした後はいつもこうだ。手首から先が熱く熱を持ち、ちりちりと手の甲を焼く。
主人の最も近しい者の魂を盗むというソウルイーター。この熱は、彼らの魂を喰らった証拠なのか。
(馬鹿だ、お前は)
今この手を焦がしている魂を思い、微かに瞼を伏せる。
こんなものの為に人生を無駄にして。
こんなものの為に命を無駄にして。
お前は何のために生きてきたんだ?
紋章に喰 わ せ る た め か?
亡骸さえ、残せずに。
「真の紋章……か」
紋章の力など必要ないと、グレッグミンスターに居た頃から豪語していたシュナだ。『紋章は便利なんだぜ?ひとつ位宿しておけよ』と紋章を進めるテッドを、『必要ない』の一言で切り捨ててきた。紋章なんて不確かな力はいらない。己の力だけが全て。
実際シュナは、まだ一度もソウルイーターを使った事はなかった。お蔭で彼が真の紋章の持ち主である事は、シュナに近しいごく一部の人間しか知らない。
この先も使うつもりはない。こんなものに頼らずとも、己の腕のみでバルバロッサを倒してやる。
(だから必要ねーんだよ)
お前の命、なんて。
――俺の命に変えても守らなきゃいけないものがっ……
これにそれほどの価値があったか?
お前が命を賭すほどの価値が。
「俺は知らねーからな」
自分は紋章の為に命を賭けるつもりも、義理もない。ウィンディにさえ渡さなければ、好きにしていいとテッドも言った。だったら好きにさせて貰う。
テーブルの上の包みに手を伸ばし、中から出てきた薄手の手袋を右手に嵌める。チャンドラーに命じて仕入れさせた、指の部分がない伸縮性に富んだ実用的な手袋だ。
更にその上に、放ってあった愛用の皮手袋を着ける。これで紋章が人の目に触れることはないだろう。
(こんな紋章のことなんて忘れてやる)
絶えず手袋をして、その存在を隠して。己の意識からも追い出して。
そうして『ソウルイーター』は、世間からその存在を忘れられていく。
もう誰の命も、こいつに喰らわせてなんかやらない。


濃く深い色のワインをごくりと飲み干す。
まるで彼の少年の流した血のような赤。
舌に苦いそれは、色だけでなく本当に血の味がした。









こいつなら渡しても大丈夫って思った。
口が悪くて、言いたいことはズバズバ言って、相手の気持ちなんか全然考えない奴。
神経は図太いし、ちょっとやそっとの事じゃ動じない。
感傷的になる事も、どんな運命を与えられても悲観することもない。
こいつなら、紋章の呪いに耐えられる。
いやむしろ、俺と違って紋章を楽々使いこなしちまうかもな。
俺よりもよっぽど強い奴だから。
シュナには大きな試練が待ってる気がする。
その時きっとこいつはシュナの役に立つだろう。
紋章の護り人たる俺と違って、シュナは紋章の主になれる奴だ。
何も持っていない俺が、唯一あいつに遺してやれるもの。

なあ、シュナ。
今までの友達の中で、お前は最低の奴だったけど。
何だかんだ言って、今までで一番信頼出来る友達はお前だったよ。




変な奴だった。
火傷だかなんだか知らないが手袋は絶対外さないし、
孤児で一人で生きてきたなんて嘘だろうって位明るい。
お涙ちょうだいの、嘘の経歴なんだろうって思ってたら、
本当はそれ以上に悲惨な過去の持ち主だったらしい。
変な奴。だったら何であんな風に笑ってるんだか。
こんなやっかいなもんまで押し付けてくれて。お蔭で俺は永遠にこのままの姿らしい。
どうせならもう少し成長してから寄越せってんだ。
一生のお願いっていうのはな、一生に一度しか使えねーんだよ、ばーか。
本当に大事な時に一回だけ使うから意味がある。
だから今回の“一生のお願い”だけは聞いてやる。

「俺の分まで生きろ」だって?
よく言う。お前三百歳なんだろ?人の四倍も生きたんだろうが。
生き過ぎだ。もうさっさと寝ちまえ。

ああ、お前と違って、お前の分まで俺は幸せに生きてやる。





完売したコピー本「自由人」より再録。未再録の前半はギャグでした(笑)
シュナ坊とテッド、キャラは気に入ってるんですがネタがなくて、出番はこの本一回こっきり。


<<-戻る