夜毎 澱のごとく



「ジョウイ」
何気ない、だが逆らうことを許さない絶対的な響きで呼ばれ、ジョウイは読んでいた本から顔を上げた。
その声の主、シオンはさっきまで読んでいた本を閉じて、じっとこちらを見つめている。
「……何?」
彼が何を言いたいのか判っていて問いかける。
シオンの瞳の温度が下がる。鋭さを増した瞳がすっと細められた。
「おいでよ」
ベッドの淵に片手をかけ、傲慢な仕草で右手を差し伸べる。
「セックスしよう」




「は……ぁっ…………」
息が上がる。責められて追い立てられて、何も考えられなくなる。
まだ日も高いというのに、こんな不埒な行為に浸っている自分たち。
最初は親友を死なせてしまった罪悪感に追い詰められていた自分を慰める為に、触れてきた温かいぬくもり。抱きしめられて、キスされて、その温かさに涙が溢れるのを止められなかった。
次は彼が人の魂を求める紋章を押さえつけるために力を使い、身も心も弱っていた時に自分の方から抱きしめた。
自分が癒されたように、彼の苦しみを少しでも癒したくて。
苦痛に滲んだ涙を唇でそっと拭ってやると、長い睫に隠された琥珀がそっと自分を見上げてきた。
そこには普段の不遜な光はなく。
瞳の奥の縋るような色に囚われた自分を自覚した。
「相変わらず感じやすいね……コウリとは寝たことなかったんだろ……。誰に仕込まれたのかな」
クスクスと唇だけで笑う。
冥い光を宿す目には、危うい狂気が見え隠れする。
痛ましい姿だ。これが解放軍を勝利に導いたトランの英雄の姿。
大切な人をすべて失い、その孤独に耐え切れずに少しずつ狂っていく彼は、今なんとか狂気の一歩手前で踏みとどまっている。
彼の狂気を食い止める最後の楔が自分なのだ。
「そん……なっ………あっ……」
「やっぱりルカに抱かれてたのかい…?それとも君に従っていた赤毛の、シード将軍だっけ。彼にかわいがられてたのかな」
「シオンっ……・」
抗議の意を込めて名を呼ぶと、シオンが楽しげに声を立てて笑った。
「だって信じられないよ……こんなに感じやすくて、いやらしくて、それでバージンだったなんてさ」
初めて抱かれたのは、彼と旅を始めて一月ほど経ったころだった。
最初はいつものように、力の解放を求めて暴れる紋章を押さえつける苦痛に、じっと耐える彼を抱きしめていた。と、不意に腕の中のシオンがジョウイを見上げた。追い詰められた瞳が狂気に染まっているのに気づく間もなく。
―――シオンさん!?
後ろ頭を引き寄せられ、口付けられた。ジョウイの息まで奪い尽くすかのような激しいキスに、次第に頭が朦朧としてくる。
唇を触れさせるだけのキスは何度もしていた。相手を癒す為の優しいキスなら。
だがこれは今までのキスとは違う。明確な意思を持ったキスに怯えて、ジョウイは必死にシオンの体を押し返そうとした。
だがそれがシオンの狂気に拍車をかけた。
――――っ……!!
衣服を脱がされ、声がかすれるまで甘い声を上げさせられ、責め立てられて、そして意識を手放した。

―――後悔はしてないよ。
翌朝、理性を取り戻したシオンが澄んだ瞳で告げた。
―――無理矢理だったのは謝る。でも君を抱いたことは後悔してない。
何故、という問いかけは声にならなかった。自分も同じだったからだ。
激しい痛みと、微かな快楽。だがそれと共に与えられた温もりが何よりうれしかった。
誰かに求められることによって、ここにいてもいい気がした。
以来、時々こうして自分たちは肌を重ねる。そこにあるのは決して愛ではなく。
互いの心に開いた空洞を、少しの間だけでも埋める為の行為。
誘いは大抵シオンからだった。シオンが襲い来る狂気に抗っての時もあるし、罪の意識に苛まれ苦しむ自分を一時癒すために彼が触れてくる時もあった。
そして今は……多分前者。
「僕が初めてだったのは君が誰よりも知っているはずだろ……」
だから自分もその狂気に乗ってやる。
「うん、そうだね。……初めての時の君はかわいかったよ。あんまりかわいくてつい苛めすぎちゃったけど」
舌がジョウイの敏感な部分を攻め立てる。ぴちゃ……と室内に響く卑猥な音。
「ここにコウリがいたら、僕殺されるかもね。知ってた?コウリは君と寝たかったんだよ。彼は幼馴染の君にこんな邪な想いを抱いていたんだ。」
「君…もだろう。シオン。君も親友に同じ感情を……抱いてた……」
「…………そうだよ。最も僕はコウリと違って彼を手に入れてたけどね。…でも何度抱いても僕の渇きは癒えなかった。むしろ抱けば抱くほど渇いて、彼に飢えて止まらなかった。あのままだったら、いつか僕は彼を抱き殺していたかもしれないね」
「シオン……」
「攫ってきてしまえばよかったと、後悔しているよ。星辰剣の力で過去の彼に会ったとき、奪ってきてしまえばよかった。そうしたらもう一度、彼をこの手に抱けたのに」
じっと両手を見つめるその瞳は冥く澱んでいる。自分以外の者が見たら、恐怖で動けなくなるような凄絶な闇。
彼の瞳を見ながら、自分も同じだと思う。
自分の中にも少しずつ闇が沈殿して行きつつある。
親友を失った絶望。親友を死に至らしめた我が身と、我が身に宿る真の紋章に対する憎悪。それらが澱となって自分の中に狂気を育てている。
早く狂ってしまいたい。狂ってしまえればどんなに楽か。だが互いの存在が、狂気に歯止めをかけている。相手を狂わせたくない。自分が狂ってしまったら、確実に相手も狂う。だから狂ってはいけない。狂えない。その想いだけが、かろうじてこの悠久の現世に自分たちを留めている。
澱んだ瞳を瞼で覆い、シオンが小さく独り言のように呟いた。それはさっきまでの狂気に彩られた声ではなく、どこか幼い口調だった。
「本当は傷つけたかったわけじゃない…。守りたかったのに。彼をこの手で守りたかったのに……」
泣いているように見えて、ジョウイは思わずシオンの頬に手を伸ばした。
「…シオン…」
頬に手が触れた瞬間、シオンの瞳が開いた。そこにあったのは親友を想う少年の瞳ではなく深い深い闇。
その闇の深さに、ジョウイはほんの少し見えたシオンの本音が、再び心の奥底にしまわれたのを知る。
「あああっ!!………」
急に動かれ責めたてられ、悲鳴をあげる。その後シオンは一切口をきかず、ただひたすらジョウイのイイところを攻め続け、ジョウイも与えられる快楽に溺れるようにのめり込んでいった。






衣服を整えると、二人は何事もなかったかの様にまた本を開いた。
太陽はすっかり傾き、夕日が部屋の中まで差し込んでくる。
その夕日がやがて月と星にとって変わられるころ、ようやくジョウイが本から顔を上げた。
ベッドを見やると、まだシオンはうつ伏せに寝そべって読書を続けている。
「そろそろ食事にしようか。シオン。何がいい?」
「んー―――」
聞こえているのか、聞こえていてもわかっていないのか、シオンは本から視線を上げず生返事が返ってくる。ジョウイは苦笑して、
「リクエストがないならパスタでいいかい?」
「情熱パスタね」
ちゃんと聞こえていたらしい。辛党の彼はレッドペッパーのたっぷりかかった料理名を挙げた。
「僕は辛いの苦手なんだけど……いいや僕はあさりパスタにしよう」
本を閉じてジョウイが立ち上がる。台所に向かおうとすると、その背にシオンの声がかかった。
「赤アイスもつけてね」
「だから僕は辛いのは……ああもう、わかったよ。明日の君の当番の時、覚悟してろよ」
ジョウイを見ようともせずに、ひらひらと手を振る。そんな彼の姿にこれ見よがしなため息を一つついて、ジョウイは夕食の仕度をするべく部屋を出て行った。



―――君がいるから、僕はまだここにいられる。







END



裏シオンでのお話を統一するために、一部改稿致しました。

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