夢が醒めるまで




俺がこの家に来たのは、あいつが14歳のときだった。
「初めまして、テッド」
テオ様が戦場で拾ってきた、どこの馬の骨とも判らない俺に、躊躇いもなく差し出された手。
おいおい。こんなガリガリのみすぼらしい孤児相手に、良家のお坊ちゃんは普通そんな満面の笑顔は向けないもんだぜ。そりゃテオ様のキャンプで過ごした間にいい物食わせて貰ったから、多少は太ったけどさ。昔の慢性的な栄養失調のお蔭で、食ってもあんまり身にならないんだよな。だからやせっぽっちなのは変わらない。
対するあいつは、俺の外見年齢と同い年なのが嘘みたいに立派な体格だった。
背は勿論のこと、肩幅も胸板もあって、鍛えているのがよく判る。
いいよなあ。きっと成長したらテオ様みたいになるんだろうな。
「テッド?」
「あ、ああ……よろしくな」
おっといけない。ぼんやりしてたらしい。慌てて手を取って握る。うーん、やっぱ手もでかいや。
「テッドは何歳なんだい?俺より下かな」
無邪気な笑みを浮かべ、軽く首を傾げて訊いてくる。あのなー、それって俺みたいに物心つく前からの孤児にはタブーな質問なんだぞ。
厄介になる家に子供が居る場合は、大抵そいつの年齢に合わせて答えている。成長しないことを気付かれにくくする為だ。子供が小さい場合は年上に、大きい場合は年下だって言っておけば多少誤魔化せる。この場合は……っと。
「誕生日知らないから正しい年は判らないんだ。多分12くらいだと思う」
「じゃあ俺の方が上だね。弟が出来たみたいで嬉しいよ」
弟ねぇ…俺本当はお前よりもテオ様よりもずっとずーっと年上なんだけど。
「これからよろしくな、テッド」
そうだな。俺がこの家にいるのなんてせいぜい二年がいいとこだろうから、その間は楽しく過ごせるといいな。

……って思ってたのに。







「どうかしたかい?」
俺は今、こいつの顔を見下ろしている。別に俺の背が伸びたんじゃなくて、物理的に俺の方が高い位置にいるだけ。
つまり、こいつの膝の上に。
「……何でもない。お前に初めて会った時のこと思い出してた」
「初めて会った時?ああ、テッドは可愛かったねぇ……」
引き寄せられ、髪に口付けられる。手はさっきから俺の耳を弄くって遊んでる。グレミオさんがせっせと俺を太らせようとしてくれたお蔭で、以前に比べたら肉は付いたけど、それでもやっぱり俺は細い。触り心地は絶対悪いと思うんだけど、こいつは俺に触るのが好きらしい。
お返しに俺もほっぺをふにふにしている。
「お前もガキっぽくて可愛かったぜ」
にこぉって笑う顔は、今でも充分可愛いけどな。体の方は益々でっかくなった。抱きしめられたら、俺の体なんてすっぽり腕に収まってしまう。俺のこと、片手で軽々と抱えるしさ。
「俺の頬は固いだろう?それ、楽しい?」
抵抗しない代わりに俺の耳を弄る手も止めず、くすくすと笑う。
「楽しいっていうか、お前に触ってるのが好き」
結局おあいこなんだな。例え固い頬だろうが、こいつの頬なら触ってて楽しい。
「俺はテッドに触れられるのも触れるのも好きだよ」
俺が触りやすいように、首を傾げて頬を差し出してくる。耳の裏と首筋を往復する指に耐えながらふにふにするのは、中々苦難の技だ。
「……っ…テッド?」
俺ばっかり反応するのは悔しいので、目の前の襟を広げて頚動脈の辺りに吸い付く。
驚いたような声と、それに併せて動く喉が面白い。何だか獣の気分だ。肉食動物みたいに、無防備に晒された喉笛に喰らいつきたい。
いつの間にか同じように俺の首の付け根も吸われてたけど、取り合えず無視する。何処まで我慢できるかは自信ないけど。
「………くすぐったいよ…テッド」
「っ…………」
こらっ、耳の中に息吹きかけながら囁くなっての!しかも思いっきり低音!俺がこの声に弱いこと知ってるくせにっ。
……知っててやってんだよな、やっぱ。
更に耳に舌を差し込まれ、びくりと跳ねる。やっぱ駄目だ。力が入らなくなってきた。
「……判ってるんだろ。焦らすなよ」
あーあ、男が言うセリフじゃないって。情けないことこの上なし。
でも仕方ないよな。こいつ相手だと、こんなことでも体が熱くなっちまうんだから。
「ん………ごめんね…」
温かな手に沿って、するりと上着が落ちる。やせっぽっちの俺の体、見られるのはいつも恥ずかしい。
傷だって結構あるのに、こいつは俺の体を綺麗だって言う。
綺麗なのはお前の方なのに。鍛えられた筋肉、広い胸、抱きしめられると安心する。
「あ…………」
胸に軽い痛みを感じ見下ろすと、小さな赤い鬱血が出来ていた。吸い付き、痕を着け、それを嘗めるといった作業が繰り返されている。
「……ふ…………」
両胸から湧き上がってくる悩ましい快感を散らそうと、小さく首を振る。くすぐったいのとキモチいいのは同義語だ。

最初はいつものように適当に友達付き合いして、時期が来たらさっさと出て行くつもりだった。
俺って人懐っこい性格だから、結構どこででも上手くやっていけるんだよな。子供ウケもいいし。
だからこいつとも一時の友達のつもりだった。
こいつは本当にお坊ちゃんで、町の子供なら誰もがやるような遊び(世間一般では悪戯と呼ばれるもの)も、全然やったこと無かったみたいだった。
『危ないよ、テッド。グレミオたちに見つかったら怒られるよ』
屋根の上で昼寝しているのを、見つかった時もそうだ。
『こんなのはちっとも危なくないって。お前も来いよ。気持ちいいぜ』
って言っても、どうせ上って来やしないだろうって思ってたのに。
『………本当だ。気持ちいいね』
注意は形だけだったのか、目の前の梯子に手をかけると、躊躇いも無くするすると上って来て俺の隣に腰を下ろした。にっこり笑った顔にかかるさらさらした黒髪を、地上よりやや強い風が靡かせていく。
『……やるじゃん』
ひゅっと口笛を吹く。大人の言う事を守るただのいい子ちゃんだと思ってたのに、中々どうしていい根性してるじゃないか。
『何がだい?』
本人は何を言われたのか判らなくてきょとんとしてたけど。
『怒られるって判ってて、上ってきたんだろ』
『ああ。怒られる時は俺も一緒に怒られるよ。テッドが気持ちよさそうにしてたから、我慢できなくなったんだ』
――なあ、それってどっちの理由のが大きいんだ?
俺一人が怒られないようになのか、本当に屋根に上ってみたかったからなのか。
俺には何となく、前者のように聞こえた……。

あの後グレミオさんに見つかって、こっぴどく叱られたっけ。
こいつってば、俺が持ちかける悪戯計画を最初は「駄目だよ、テッド」って窘めるけど、結局最後はいつも付き合ってくれるんだよな。俺もいい加減それが判ってきて、注意されるのが嬉しいっていうか……。
これじゃどっちが年上だか判らないよなぁ。

こいつは今まで会った誰とも違ってた。
今までみたいに「相手にとって都合のいい友達」を演じるんじゃなくて、素直に俺自身としていられた。
初めての、心の底からの友達と思える存在だった。
一緒に馬鹿騒ぎするのが楽しかった。
俺に向ける笑顔が好きだと思った。
そのうち友達じゃ足りなくなって、親友でも足りなくなって、もっと近くで感じたいと思うようになった。

恐る恐る伸ばした腕は、拒絶されることなく笑顔でもって引き寄せられた。



誓って言うけど、俺は今までそういう趣味はなかったんだからな。
今だって女の子の柔らかい体のが絶対いい。でも…きっとこいつとの方がキモチいいんだろうと思う。
仕方ないよなぁ。だって男同士なのに寝たいって思うくらい好きなんだから。
不思議なのは何でこいつが俺を抱くのかって事。
勿論先に誘ったのは俺だし、こいつも俺のこと好きだって言ってくれたけどさ。だからって男、しかもこんな貧弱なガキ、絶対抱き心地悪いと思うんだよ。俺なんか相手にしなくても、こいつの顔と家柄なら選り取りみどりだろうに。
俺、絶対こいつを変な道に引き込んでるよなぁ…。
まぁそれも後少しのことだから、運命の神様にはもう少しだけ目を瞑っていて貰おう。この家に来て2年が経とうとしている。そろそろ成長しないのを誤魔化すのも限界だ。
……こっちの方もいい加減ヤバそうだし。
こんな時でも絶対に外さない包帯に視線をやる。火傷の痕だと偽っている右手の包帯の下には、ソウルイーターと呼ばれる真の紋章が宿っている。この紋章の好物は、宿主に近しい者の魂だ。
最近紋章が俺の意思に逆らって暴れるようになった。この町に来てからずっと魂を喰っていない。腹を空かせた紋章が次に獲物を狙うとしたら――それはきっとこいつの魂。
それだけは許さない。こいつを紋章の餌食にしてたまるもんか。制御しきれなくなる前に、こいつから離れなきゃ。


でも多分、もう少しは…もつと思う。
だからさ、紋章が俺の手におえなくなる前には絶対に出て行くからさ。
それまでは――お前の傍にいるの、許してくれよな?






END





素直で元気がコンセプトのテッドです。
精神的には結構もろく、我が家のテッドで一番弱いかも。

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