目印は二つあった。 他にも色々聞いたんだろうが、覚えていない。まだガキだった上、か細い記憶を留めておくには年月が経ちすぎていた。 目印のうちの一つは、決して間違えようがない。 励ますように俺の手を握った『おにいちゃん』の右手には、唯一無二の筈のソウルイーターがあった。 一体どんな運命の悪戯で、こんな不可思議な現象が起きたのやら。 だからこそ、ソウルイーターを持つ限り『おにいちゃん』との縁は決して切れることはないと信じられた。 揺ぎ無い瞳で、必ずまた会えると『おにいちゃん』は言った。 彼は既に、俺に会っていたのだ。 もう一つの目印のお陰で、シオンと初めて会った時にすぐに判った。 あれを置いてったお前は賢明だったぜ。300年の間にたくさんの人間と出会ったけど、もしかしてって思った奴は一人もいなかったもんな。 彼がくれた緑と紫の布を縫い合わせた特徴あるバンダナは、グレミオさんのオリジナルらしい。 『小さい頃の坊ちゃんは、好奇心旺盛で一人でさっさと行ってしまって、よく迷子になってたんです。それで目印にとバンダナを作ったんですが、派手な色は坊ちゃんが嫌がりましてね。かといって坊ちゃん好みの濃い色は、人ごみに埋もれてしまいますし。苦肉の策で裏地に紫を使ったんです。これなら後ろで結わいた時に、紫が見えて判り易いでしょう?』 『ここに私のサインが入っているんです。坊ちゃんの名前を書いて、不埒な輩に目をつけられたら危険ですから』 グレミオさんが広げて見せてくれた裏地の隅には、小さな小さなGの文字があった。シオンは小さい頃に誘拐された事があるそうで、グレミオさんの用心は当然だった。貴族の坊ちゃんも大変だ。 バンダナをくれる時、彼はGの文字を指差して「この字を覚えていて」とちゃんと念を押した。 もうアルファベットは読めるようになっていたから、Gは彼のイニシャルかと思ってたけど、グレミオさんのだったんだな。 目印のバンダナは、ボロボロに色褪せて朽ちるまで俺のお守りとして活躍してくれた。 空腹や寒さで眠れない夜、孤独に押しつぶされそうな時、バンダナを握り締めて耐えた。 布として形を成さなくなると、小さな端布にして服の裏地に縫い付けた。 そうやって一緒に来れたのも100年ほど前までだ。山火事の飛び火で、上着共々灰になった。 だが手元から無くなっても、あの手触りは忘れていない。 ――もうっ、バンダナ引っ張らないでよっ。 ――目の前ちらちらされてると、つい気になってなー。 何かにつけてシオンのバンダナに触れた。真新しい生地が懐かしかった。 『おにいちゃん』の年頃は覚えていないが、多分成人はしていなかった筈だ。俺が一つの町に留まれるギリギリの期間――この1〜2年の間に、シオンに紋章を渡すのだろうと思っていた。 その日がとうとうやってきたのだ。 「……はは、覚悟はしてたけど、やっぱ嫌なもんだな」 マクドール家の前に立ち、明るい室内を見上げた。 窓辺に映るシオンの影。その窓のすぐ下にボロボロの俺がいるなんて、夢にも思わないだろう。 このまま立ち去りたい衝動に駆られて、強く腕を掴んだ。 どうする?まだ今なら間に合う。 歴史に逆らい、一人で町を出るか。 シオンに紋章を渡さなければ、『おにいちゃん』とガキの俺が遭遇することはなくなる。 『おにいちゃん』がいなければ、きっと俺は村と共に死んでいた。300歳の俺は存在せず、この町に来てシオンと出会って過ごした日々、抱いた感情、全てがなかったことになる。現在が消える。 ――でも、シオンから笑顔を奪わないで済む。 紋章の村を訪れた旅人の中に、グレミオさんはいなかった。どんな時でもシオンに寄り添うあの人がいたならぱ、印象に残らない筈がない。 ソウルイーターは、持ち主の身近な魂を喰らって初めて主に力を与える紋章だ。宿しているだけでは、ただの飾りでしかない。 『おにいちゃん』はソウルイーターの力を使っていた。あの時点で、シオンは既に誰かを喪っていた。 紋章が一番に目をつけそうな魂なんて、考えるまでもない。 泣いたか?泣いたろうな。グレミオさんはシオンにとって、母親みたいな存在だ。シオンの全てを受けて入れ、愛してくれる人。あの人は、シオンを守るためなら躊躇いなく身を投げ出しただろう。 死の間際、グレミオさんはシオンにソウルイーターを渡した俺を恨んだだろうか。クレオさんは、パーンさんは。 ……シオンは。 「……っ」 罪悪感という刃に貫かれ喘ぐ心臓を、強く押さえる。 ああ、それでも。 俺はやはりお前に紋章を渡したい。お前を不幸にすると判っていても。 ウインディから紋章を守る為でもなく、歴史を変えてはいけないなどという薄っぺらい正義感ではなく。 お前との『絆』を断ちたくないという、自分のエゴの為に。 初めてマクドール家に来た日からの2年の間、何度も迷った。 シオンには、紋章のことなど知らずに幸せに生きて欲しい。そう願うのも本心で。 だけど結局、俺は自分の望みを通してしまう。 俺はどうしてもお前に、『ガキの俺』に会いに行って欲しい。 お前にたどり着くまでの300年を生きる、支えになってやって欲しい。 でもお互い様だよな。お前だって、突然故郷も家族も失くして一人ぼっちになったガキに、あんな大きな目印を渡して、また会おうなんて唆して、300年生きる約束をさせたんだからな。 俺を苦しめると判っていても、歴史を変えようとしなかった。 それってお前も俺と同じ気持ちでいてくれたってことだろう? お前と過ごしたこの2年間は、300年の苦しみを帳消しにして余りあるほどの、幸せなものだった。 扉へと続く僅かな階段を上り、ライオンを象った真鍮のドアノッカーに手をかけた。嵐にかき消されないよう、やや強めに二度叩く。 「心残りは、手出しそびれたことかな……」 お互いにそれと意識していたのに、結局キス以上に進展することなく来てしまった。 出会った時のシオンは11歳で、2年一緒にいてやっと13歳だ。 せめて今14、5歳だったなら、一度くらいは関係もあったかもしれない。 そうしたら、もっとシオンとの『絆』は深くなっていただろうに。 「ま、仕方ないか…ガキにはちょっと早すぎたもんな……っつ…」 笑った拍子に頬の傷が引き攣って、痛みに呻いた。 凭れかかったドアを伝って、ずるずるとその場に崩れ落ちる。 ――もう少し頑張って。 貧血で霞んだ目に、懐かしい笑顔が映った。立ち上がらせようと両手を差し伸べて来る幻に向かって、緩く首を振った。 大丈夫。まだそっちには行かねえよ。まだまだやることがあるからな。 幻は判ったとでも言うように小さく頷いて、掻き消えた。 相変わらず、お節介の癖に引き際も心得てる奴だ。 その直後、ドアの向こうに人の気配を感じた。 グレミオさんの誰何の声にかろうじて名前を告げると、俺の意識は闇に沈んで行った。 さあ、運命の輪を回そう。俺の命を贄にして。 『おにいちゃん』をお前の元に送ってやる。 300年前の、7歳の俺へ。 お前に未来[過去]を託そう。 テ坊祭の最後の「雨」はやっぱのこのシーンで。 ちゃっかりアルテドも入れてます。 ネタ詰まりしてる時に、テッドが『おにいちゃん』=坊だと最初から気付いていた設定を思いついて、これだ!と思いました。 最後のテ坊とアルテド描写を削って、テッド尽くし7に投稿。 |