シオンの台所奮闘記





おや、午前中にテッド君が来るなんて珍しいですね。坊ちゃんはまだカイさんとの稽古中ですよ。え、それを狙って来たって……この前の話の続きですね?テッド君よっぽど気になってるんですねぇ。……判りました。ちょっと待っててください。洗濯物だけ干してしまわないと。ああ、それは助かります。テッド君が手伝ってくれるのならすぐ片付きますよ。では一緒に来て貰えますか。坊ちゃんのお稽古が終わるまであまり時間も無いですし、作業をしながらお話いたしましょう……

***


「グレミオ!またケーキを作るから手伝ってよ!」
先日のケーキ作りから一週間後、再び瞳をきらきらと輝かせてシオンが台所に入ってきた。
しかも今度は準備万端な事に最初からエプロンと三角巾を装備である。
「また……ですか?」
皿を洗っていたグレミオの手が止まり、ぴくりと小さく頬が引きつる。
「うんっ。今度は絶対美味しいの作るからっ」
「……今は特にお祝いする事はなかったと思いますが…」
自信満々なシオンに対して、一週間前の光景が頭に浮かんでいるグレミオの返事は今一歯切れが悪い。
先週はテオの勝利を祝してという名目だったが(そのついでに大好きな生クリームのケーキを食べようというシオンの意図はバレバレだ)、テオは今は遠征に出ていて留守だ。他に最近めでたいことがあったというのも聞かない。
「ケーキが食べたいんでしたら、おやつに作りますよ。イチゴの奴がいいですか?」
またシオンの横でハラハラ胃に負担をかけるのは、出来れば遠慮したい。
「嬉しいけどそれはまた別の日にね。今日は僕がケーキを作るんだ。もう二度と前回みたいな失敗はしないよ!」
「坊ちゃん……っ」
シオンの目が燃えている。どうやら前回の失敗は余程本人にとって不本意だったらしい。何が何でも美味しいケーキを作るんだという強い意気込みが伝わってくる。
「…………判りました。一緒に頑張りましょう!今度こそっ」
所詮シオンには甘いグレミオ、がしっとシオンの両肩を掴んで叫んだ。
「ですが今はお昼の片づけがありますので、ケーキを作るのはおやつの後にして下さい。それと夕飯の仕込みを先にしておきますね。そうすれば時間を気にせずやれますから」
「判った!じゃまた後で来るねっ」
エプロンと三角巾を外し、シオンの姿が消える。たたたっと駆け足で階段を上っていく音がしたので、自室に戻ったのだろう。
「……では、急いで洗い物と夕飯の支度をしてしまいますか」
小さな溜息をついてグレミオも作業に戻った。ケーキ作りの後に待っているであろう台所の後片付け作業に、今夜の睡眠時間を削る決意をして。


***


「後片付け、そんなに大変だったんですか_?」
パンっと空気に叩きつけて皺を伸ばしたタオルを、テッドが物干し竿に引っ掛ける。
「ええ…一回目の時は壁やテーブルに生クリームが飛び散り、床は粉だらけになってましたので全部水拭きして、バターを焦げ付かせた鍋の掃除をして……いつもより2時間ほど寝るのが遅くなりましたね」
「シオンに後片付けも手伝わせればいいのに」
「…………一人でやった方が早いんですよ」
「……なるほど」
一段低くなったグレミオの声に、テッドもそれ以上言えずに黙り込んだ。

***


おやつを食べ終わって再び意気揚々とエプロンに着替えたシオンは、ケーキ作りの基本をグレミオからレクチャーされていた。
「前回はどうして失敗したんだと思います?」
「……判んない」
「ではもう一度注意点を言いますね。まず粉を篩う時は少しずつ。勢いを付けすぎずに、そっとです。粉はぐちゃぐちゃ混ぜてはいけません。さくさくっと生地を切るようにして混ぜるんです。それと火を使う時は強火にせず、目も離さないこと。いいですか?」
「うん」
「では頑張ってください」
器具と材料だけ用意して、グレミオはシオンの向かいで見守りモードに入った。
だがすぐに驚きに目を見張った。シオンがボールの上に篩いを乗せ、少しずつ粉を入れ丁寧に篩っていく。前回とは大違いの見事な手つきだ。
「上手ですよ、坊ちゃん」
「同じ失敗はしないよ」
得意そうに笑って、シオンが粉を篩い終えた。次に別のボールで卵黄を泡立てる。これもいい感じだ。この調子で行けば、ちゃんとしたケーキが作れるかもしれない。
今回は卵白もやらせて見たが、綺麗な泡が出来上がった。砂糖やバニラエッセンスを加え、粉と溶かしバターを混ぜて生地を作る。
申し分ない生地の出来具合だった。
「凄いですよ坊ちゃんっ。二度目でこれだけ出来るなんて!これならきっとふんわり柔らかく膨らんだケーキが作れますよっ」
「えへへーっ」
手放しの褒め言葉に、シオンの顔に満面の笑みが広がる。前回感じたシオンには料理は無理だと認識が180度覆った事に、喜ばずにはいられない母(性別男)だった。

***


「シオンって料理下手なんじゃないんですか?」
予想と違う展開に、テッドが首を傾げる。洗濯物を干し終えた二人は、空になった籠を持って室内に戻り、台所の片隅のテーブルでお茶を飲みながらの会話になっていた。
「技術的には問題はないですよ。手先は器用な方ですし、言われた事を理解してしまえば失敗もありません。テッド君、昨日のおやつの残りのクッキー食べますか?」
「やったっ。頂きますー。……じゃ、何で(もぐもぐ)……………(ごくん)。…台所禁止令が?」
「坊ちゃんに料理をさせるのは危険なんです。……いえ、正しくは一人でさせることが、ですね」
「???」
クッキーを頬張りつつ疑問符を浮かべるテッドに、グレミオがふっと小さく笑う。それが温厚な彼にしては珍しい厭世的な表情だった事に、テッドは更に首を傾げた。

***


どうせなら前回と違う味にしたいというシオンの意見を取り入れ、マーブルケーキにする事にした。
ココアスポンジにするには粉を混ぜる前の段階でココアを加えなければならないが、溶かしたチョコレートなら生地の完成した今からでもチョコは混ざる。
チョコを削って湯煎にかけ始めた所で、玄関のチャイムが鳴った。
「おや、誰でしょう。ちょっと見てきますね。チョコはこのまま湯煎にかけながらゆっくりと溶かして下さい。溶けたら型の中の生地に混ぜて焼いちゃっていいですよ。こう、円を描くように注ぎ入れると綺麗なマーブルになります」
「うん、判った」
真剣にチョコと格闘するシオンを残して、グレミオは玄関に向かった。この先の作業手順は説明済みだし、釜は適温に温めてある。チョコを混ぜて入れて焼くだけだ。シオン一人でも大丈夫だろう。
その考えが甘かった。
「荷物?ああ、テオ様が注文されていたのですね。ご苦労さまです」
配達人から箱を受け取り、伝票にサインする。荷物は軽いが大き目の箱で、確認の為に開けてみると中から鮮やかな赤い色の胴着が現れた。カイの着ているものに良く似た子供用の胴着だ。
どうやら先日戻って来た時に、テオがシオン用に注文しておいたらしい。
「おやおや、テオ様も一言言っておいて下されば良かったのに。後で綺麗に包みなおして、それから坊ちゃんにお渡ししましょう」
それまでシオンの目に付かないように自分の部屋へと運び、台所に向かおうとして鼻をついた眉を顰める。
……焦げ臭い?
「坊ちゃんっ!?」
慌てて台所に駆けつけたグレミオが、入り口で硬直した。
「あ、グレミオ」
にっこり笑顔で振り返るシオン。そのすぐ横の釜からは、もくもくと黒い煙が上がっている。
「坊ちゃんっ、退いて下さいっ」
シオンを押しのけ、ミトンを素早く両手に嵌めて釜のフタを開ける。ごうっという炎とともに、黒い煙の塊がグレミオの顔を直撃する。
「ごほごほごほっ……」
炎は避けたものの、煙を思い切り吸い込んでしまい、激しくむせこむ。
「グレミオっ、避けてっ」
「え、ちょっと待ってくださ……っ」
バシャーンっ!!!!
じゅううううううううっ……
グレミオが止める間もなく、バケツの水が釜(とグレミオ)に向かってぶちまけられた。

***

「ぶはっ!とんでもないことやりやがったな、あいつ…。じゃ台所を壊したってそれ?」
「ええ……水なんかかけなくても、中の薪をかき混ぜてやれば炎は収まったんですけどね……」
思い出してグレミオが切ない溜息を吐く。
「それに、それだけじゃないんですよ」
「まだ何か!?」

***


水蒸気を立ち上らせる釜の中にあったケーキは。
「真っ黒だ……」
当然の事ながら表面が焦げて真っ黒になっていた。あれだけの高温に晒されれば当然である。
「坊ちゃん、窯の薪をいじったんですか?丁度いい温度にしてあるから、そのまま焼けばいいと言ったでしょう……」
顔は煤で真っ黒、髪からは水がぽたぽたと滴る情けない姿でシオンを見下ろすグレミオに、シオンはしゅんと頭を垂れ、
「うん。…でも温度を高くすれば、早く焼けると思ったんだ」
「温度が高ければ焦げるだけですよ。一歩間違えれば火事になっていました。それに、こういう時は水はかけない方がいいんです」
「…………ごめんなさい」
「…………まあ、大事にならなくてよかったですよ」
暫くは窯は使えないなと思いつつ、ふとガス台に視線を向けると。
「……………………坊ちゃん、あれは一体…」
「その…温めすぎてチョコが爆発しちゃって……」
ガス台に飛び散るチョコの跡。チョコはしっかりゴトクまで侵食している。
「…………」
湯煎であれば温めすぎるという事は無いはずである。これは直火にかけたに違いない。
というか、どうやったらチョコが爆発するのだろう。
詳しい状況を訊きたかったが、訊くのが怖かった。
とにかく、これで判明した。
シオンに一人で調理をさせてはならない。
シオンには、料理は向かない(きっぱり)
チョコが溶けるのや、ケーキを焼く時間をどうしてそんなに短くしようと思うのだろう…。出来たとしても、ほんの僅かな短縮にしかならない。返って失敗するのがオチなのに。
これでガス台も今夜は使えまい。先ほど夕食の支度をしておいて本当に良かったとグレミオはしみじみ思った。
「……あの、ごめんなさい。グレミオ…」
茫然と台所を眺めるグレミオに、シオンが蚊の鳴くような声で謝罪する。
「坊ちゃんを一人にした私も悪いんです。ですが……坊ちゃんは二度と、一人で料理を作ろうとしないで下さい。特に台所で火を使う時は、たとえお湯を沸かすのでも必ず誰かと一緒に。いいですね?」
「ええっ!………………う、うん……」
思わず抗議の悲鳴を上げるも、グレミオの有無を言わせぬ迫力に反論する事も出来ずに押し黙る。
「それでは片付けがありますので、坊ちゃんは部屋に戻っていてください。いい子にしていたら、窯が直り次第チョコケーキを焼いてあげますよ」

***


「うわっ、グレミオさんも言う言う〜っ」
テッドが腹を抱えて大爆笑する。
「温厚なグレミオさんにここまで言わせるとはシオンもやるね〜」
「笑い事ではないですよ、テッド君。本当にあの時はどうしようかと思いましたよ。何とか夕食までにガス台の片付けは終わって、作っておいたシチューを温める事は出来ましたがね。窯は専門家にお願いしたので、一週間ほど掛かりましたよ」
「ごめんごめん。そっかー、大変だったんだ。俺んちに来た時に、シオンを台所に立たせないよう気をつけなくちゃ」
「本当ですよ。坊ちゃんを放火犯にはしたくないですからね。しかし何で料理に関してだけああせっかちなんでしょうねぇ…。普段は割と気が長い方なのに」
「やっぱ向いてないって事なんじゃない?」
「ですかねぇ」
苦笑しつつお茶を口に含むと、裏手の扉が開く音がした。
「坊ちゃんの稽古が終わったようですよ。ではこの話もここでお開きに。料理禁止令はともかく、その時の話しはくれぐれも内緒にしておいて下さいね」
「了解ーっ」










*久実さんに捧ぐ*


お待たせいたしました。台所破壊話をお届けです。
本当は窯の爆発くらいさせようかと思いましたが、どうやったら爆発するのか判らなかったので、水をぶっかけてみました(笑)
包丁を使うのは上手なので、シオンが泊まりに来た時は下ごしらえの手伝いはテッドもさせているようです。
リクエストありがとうございました!



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