月華
それはシオンが父テオに連れられ、初めて黄金の皇帝バルバロッサに謁見する少し前の事。 「ねえ、テッド。ちょっと付き合って欲しいところがあるんだ」 グレミオ特製のシチューをお腹一杯食べて動けなくなり、シオンのベッドに寝転んでいたテッドが、その呼びかけに億劫そうに顔を向ける。 「付き合って欲しいところ?」 「うん、1人だとちょっと不安だからさ。一緒にきて欲しいんだ。サラディまで」 「ふーん、別にいいけど・・・・・・って、サラディ!?」 テッドが慌てて飛び起きる。 「冗談だろ。サラディなんて今の俺たちだけで行ける訳ないじゃないか。それにもうすぐお前、帝国軍人としてバルバロッサ様に仕える身だぜ。グレミオさんが許すわけないだろ」 「勿論わかってるよ。だから黙って行くんだよ」 「お前なあ・・・」 ベッドの上でテッドが頭を抱える。自分が無茶なことを言っているというのは十分承知している。テッドが反対するのもわかっていたことだ。どうすればテッドがうんと言ってくれるのかも。 「もうすぐ僕は軍に入る。その前に自分の腕を試したいんだ。サラディまで行って帰ってこれたら、僕の自信になる。でも1人で行くのは不安だから・・・それに」 ここで一旦言葉を切って、上目遣いに見上げる。この視線がポイントだ。 「軍に入っちゃったら、もう今までみたいに気軽に会えなくだろ。だからその前にテッドと二人で旅をしたいんだ。お願いだよ・・・」 テッドがぐっと言葉に詰まった。そのまま視線を外さずにじっと見つめる。 ・・・・やがてテッドが大きなため息をついた。このため息が作戦成功の証。 「わかったよ・・・、一緒に行くよ」 「テッド・・・っ」 「ただし!!」 うれしくなって飛びつこうとしたシオンの鼻先に、人差し指が突きつけられる。 「まずはグレッグミンスターの側でレベルを上げ、金を貯めて武器を鍛える。防具も買う。二人でもなんとか行けるレベルになるまでは、出発しないからな!」 「いいよ」 そんなのは最初から自分も考えていたことだ。いくらなんでも、何の装備もなしで旅に出るほど馬鹿ではない。 これから毎日モンスター退治に行って、二週間もすればなんとかなるだろう。謁見は一ヵ月後だから、十分行ってこれる。 「じゃあ、明日からレベル上げだね」 にっこりと微笑むと、テッドが苦渋の表情を作った。騙されたかなって思ってるでしょ。その通りだよ。テッドはよく「一生のお願い」って言うけど、僕の「お願い」に弱いよね。 その夜はテッドと一緒に寝た。脱力したのとお腹が苦しいのとで、テッドは自分の家に戻らずそのままシオンの部屋に泊まったのだった。 翌朝。 朝食を早々に済ませ、さっそく街の外に出てレベル上げを始めた。 複数のモンスターに出会ったら逃げる。単体のモンスターは積極的に戦う。 何度か命の危険もあったが、二週間が経つころには二人ともなんとかサラディまでいけるだけのレベルになっていた。 モンスターから奪ったお金で武器を鍛え、防具を揃え、非常食や旅に必要なものを買い整える。グレミオに隠れて準備するのは大変だったが、明日はとうとう出発できそうだ。 明日は出発というその夜、テッドはシオンの部屋に泊まった。 「なあ、なんでサラディまで行こうと思ったんだ?」 二人で一つのベッドに潜り込み、布団を頭から被ってひそひそ話をする。普段テッドがマクドール邸に泊まるときは簡易ベッドを出すのだが、今日はシオンのベッドだけだ。いくら子供とはいえ二人で寝るには少々狭かったが、昼間準備で疲れてベッドを出すのが面倒だったのと、万が一にもグレミオに旅行計画がばれないための用心だ。 「何でって・・・まあ、妥当でしょ。ロックランドやレナンカンプはよく行っていたし」 「そうじゃなくて・・・お前はもうすぐ帝国の軍人になるんだぜ?その前の大事な時に、下手したら死ぬかもしれないような旅に出るなんてさ・・」 枕に顔をうずめているのでややくぐもった声になる。シオンはやや体を起こしてテッドを見やった。 「テッドはやっぱり行くの反対?」 「本音はな。お前を危険な目に合わせたくないよ。俺がお前を守れればいいけど、俺お前よりも弱いし。でも、一度決めたことを覆すお前じゃないからな」 「さすが、僕の事わかってるね。テッド」 うれしくなる。自分のことを心配してくれる彼に、自分のことをわかってくれる彼に。 一番の”親友”。家族でも部下でもない、でももしかしたら一番自分に近いところにいる人。 性格も考え方もぜんぜん似てないのに、それでも自分は彼がどういう行動をとるかわかるし、彼も自分の動向を見抜いている。 だから多分言わなくてもテッドはわかってくれていると思う。サラディに行こうと思った一番の理由。ちゃんと最初にも言っているのだから。 ―――君と二人で旅をしたかったんだ――― 自分とテッドだけが共有できる、二人だけの思い出に残る旅を。 自分が軍人に、大人になる前に。 軍に入ったら、今までのように会えなくなる。テッドはずっと1人で旅をしていて、あまり一箇所に留まったりしていなかったようだった。物に執着しない性質なのか彼の家にある荷物はほんの僅かで、旅に出ようと思えば今すぐにも出られる。テッドの家に行く度に、その家のあまりの希薄さに不安になった。彼がいつまた旅に出ると言いだすんじゃないかと、内心ビクビクしていたのだ。だから少しでも彼の家が賑わうように、何かにつけて物を置いてきた。縁日で当てたぬいぐるみや二人で川原で拾った石など本当にどうでもいいものだ。「〜した記念に持ってて」といえば、テッドはどんなものでも捨てられないのがわかっていたので、二人の思い出の品はテッドの家を占領しつつある。これらを見て、テッドが少しでもこの家を去りがたくなってくれれば、と願って。 二ヶ月前、謁見が決まったことをテッドに告げたあの日。 ―――テッドっ。聞いて、やっとバルバロッサ様にお目通りできるんだ。僕も父さんのように帝国軍に入るんだよっ。 ―――そっか・・・おめでとうシオン。よかったな。夢に一歩近づいたじゃないか。 喜び勇んで報告する自分に、一瞬だけ見せた寂しげな表情。それはすぐに笑顔の下に隠されたけれど、見逃さなかった。 それで自分は気づいたのだ。テッドは近いうちに旅立つつもりなのだと。 喜びは急激に冷えていった。 以来、テッドは時々ひどく真剣な瞳で自分を見るようになった。彼が何かを言おうとする前に、慌てて自分から話題を振った。決定的な一言を聞いてしまうのが怖かった。 テオと共にバルバロッサに仕えることができるのはうれしい。小さな頃からあこがれていた黄金の皇帝に忠誠を誓い、軍人として国を守る。 だがその夢もぐらつき始めている。帝国軍に入っている間にテッドが行ってしまったらと思うと、謁見の日が永遠に来なければいいとも思う。テッドがもし出て行くとしたら、自分が軍に入ったあと。彼はこうと決めたら絶対実行するタイプだから、本当に旅立つつもりなら自分がどんなに止めても聞かないだろう。そういうところは自分と似ている。 だからせめて、もしテッドが旅立ってしまったとしても後で懐かしく思える思い出が欲しかった。家族みんなとのじゃなくて、二人だけの思い出が。 「楽しみだね、明日」 「うーん、楽しみ半分、不安半分ってとこだな」 「結構心配性だよね。テッドって」 「お前が楽天的すぎるんだよ・・・・っとヤバッ」 コツコツと階段を上ってくる足音に、慌てて二人は布団を被りなおした。足音は部屋の前でとまり、やがて細心の注意でもって扉が開かれる。 キイ 扉が開いて、明かりが部屋の中に差し込んだ。二人は必死で寝た振りをする。 「おや、二人で寝てるんですか・・・。本当に仲がいいですね。おやすみなさい」 開いたときと同じように、静かに扉が閉められる。足音が完全に階下に行くまで、二人はたぬき寝入りを続けていた。 「はあ・・焦ったぜ。・・・シオン?」 やがてむっくりとテッドが起き上がった。隣に寝ているシオンに声をかけると、すやすやと寝息を立てている。ふりをしているうちに本当に眠ってしまったらしい。 テッドはクスリと小さく笑って、布団を掛けなおしてやった。 「本当は俺も楽しみにしてるんだ。多分、お前とできる最初で最後の旅だから・・・・」 自分がここに来てからすでに二年が経っている。そろそろ限界だ。成長しない体に皆も気づきはじめているだろう。 シオンが帝国軍に入って、しばらくしたらこの家を出るつもりだった。 「お前は気づいてたんだな。俺が出て行こうとしていること・・・」 気づいてて、何も言わないでいてくれた。 一番の”親友”。 「楽しい旅にしような」 眠るシオンの髪をかき上げる。現れた額に、優しい唇が触れた。 虎狼山を越えて、サラディに着いたのは三日後だった。 途中本気で死にかけて天国の入り口が見えたりしたが、なんとかサラディまでたどり着くことができた。 とりあえず宿屋に泊まって怪我と疲れた体を癒した後、村を散策してみる。サラディに来るのが目的だったので、特にすることはなくぶらぶらしていると、おじさんに声を掛けられた。 山奥にある小さな村なので来訪する旅人も少なく、もの珍しかったらしい。特にこんな子供の二人連れでは。 「なんだってえ!!坊やたち、二人だけでここまで来たってのか?ようし、その勇気をたたえていいものをやろう!!」 そういって押し付けるようにくれたのは金運の紋章だった。すごいレアものだ。こんな所で手に入るとは。 お礼を言って、二人はサラディを出発した。あまりゆっくりともしていられない。今ごろグレミオたちが大騒ぎしていることだろう。一応置手紙はしてきたが、旅にでる、すぐ戻るしか書いていない手紙では逆に心配させるだけだろう。 行きもなんとか逃げ続けて通り抜けた虎狼山が、一番の問題だ。モンスターに遭遇するたびに必死で逃げたが、途中テッドが怪我を負い、おくすりが切れてしまった。 対峙しているマイマイからは、逃げられそうも無い。テッドはあと一撃食らったら終わりだ。 マイマイの攻撃が来る。絶体絶命の危機に、シオンはせめてテッドを護ろうと彼の体を抱きしめた。 「・・・・・っ」 来るはずの攻撃がこない。恐る恐る目を開けると緑色のマントが飛び込んできた。 「坊ちゃんっ、テッドくんっ大丈夫ですかっ」 「・・・・グレミオ?」 「坊ちゃんたち、ここは私たちに任せて、そちらの岩陰に隠れていてください」 「クレオ、パーン・・・・」 言われるままシオンはテッドに肩を貸して岩陰に隠れた。 ぼんやりと目の前で繰り広げられる戦闘を眺めていたが、やがて三人がマイマイを倒して、二人の元に来てかがみこんだ。 「坊ちゃん、私たちの言いたいことわかりますね」 いつになく厳しいグレミオの声に、シオンは小さく頷く。 「うん・・・」 「私たちが来なかったら、今ごろ二人とも死んでいたんですよ。私たちがどんなに心配したか、わかりますか」 「わかってる・・・ごめん」 「わかっているならもうこんな無茶なことしないでください。どれだけ寿命が縮まったか・・・私だけじゃありません。クレオさんにパーンさん、テオ様もみんな心配していたんですよ。二人だけで行き先も告げずに旅に出るなんて・・・」 「すみません。俺がシオンを止めていればよかったんだ・・・」 シオンの腕の中のテッドが、痛みを堪えて言った。そんなテッドをグレミオは優しい目で見つめて、 「テッド君は止めてくれたんでしょう?でも坊ちゃんは聞かなかった・・・・わかってますよ。悪いのは坊ちゃんですから」 「ひどいやグレミオ」 「おや、違っていますか」 「・・・・違わない」 シオンはそれ以上何も言えずに黙り込んだ。確かにすべての元凶は自分なのだ。テッドが怪我をしたのも、グレミオたちに死ぬほど心配させたのも。 そんなシオンの反省の気持ちを感じ取ったのか、グレミオが優しく微笑んで二人を抱きしめた。 「無事で本当に良かった・・・・」 その温もりに、麻痺していた感情が溶けて溢れ出した。今度こそ駄目だと思った。死ぬことへの恐怖。テッドを死なせてしまうことへの恐怖。 「・・・・グレミオっ」 自分を抱きしめている腕に縋りつく。年甲斐もなく大声で泣くシオンを、四対の優しい瞳たちが見守っていた。 あの後テッドはグレミオの持っていた特効薬で回復し、グレッグミンスターに戻ってきた。帰りは5人だったので、まったくもって楽な道のりだった。 シオンはお仕置きとして夕飯なし。テッドは強制的にマクドール邸に泊まることになった。 怪我が完全に治っていないことを理由に、グレミオが家に帰してくれなかったのだ。 確かに戻っても誰もいないのだから、温かい食事とベッドが整えられているマクドール邸にいた方がいいし、テッドも今日はシオンの側にいてやりたかったので、文句は無かった。 その夜。 「ごめんね、テッド」 明かりを消したベッドの向こうで、小さな謝罪の声が聞こえた。テッドは寝返りをうって、もう一つのベッドを見やる。シオンは布団から目だけを出してこちらを見ていた。 「僕がわがまま言ったから。君に怪我させてごめん」 「気にすんなよ。怪我したのは俺が弱かったせいで、お前のせいじゃないよ。怪我っていってももうほとんど治ってるし。グレミオさん大げさなんだよな」 テッドの体には包帯がぐるぐる巻かれている。これ見よがしに巻かれた包帯は、怪我の保護というよりシオンに対する戒めの意味が大きい。怪我自体は本当にもうほとんど回復しているのだ。この包帯を見てシオンが反省すれば、というグレミオの作戦だ。 テッドは体を起こして窓の外の月に視線を向けた。月明かりがテッドの顔を照らしだす。 「楽しかったよなぁ、この旅。俺が今までした中で一番楽しかったよ。ありがとうな」 「・・・・遠くに行っちゃうみたいな言い方しないでよ」 もそもそと布団から頭が出、続いて体が現れた。シオンからは逆光になってテッドの表情は見えない。 「ずっと側にいてくれるよね、テッド」 テッドが微かに笑ったようだった。ベッドから降りてシオンの方に来る。近づくにつれて彼の表情が見えてきた。月の光を浴びた彼の顔はひどく大人びていて、知らない人間を見ているような錯覚を覚える。深く澄んだその瞳は、長い時を生きたもののような知己を宿していた。 「テッドっ・・・・・・」 不安に駆られて叫ぶ。深い瞳がシオンの不安を益々濃くする。テッドなのに、テッドじゃない。 不意にテッドが花が咲くように優しく笑った。 「側にいるよ」 「テッド・・・・」 「俺はずっとお前の側にいるから。お前がどっか行ってくれって言っても離れてやらないから覚悟しろよ」 それは自分が良く見知った笑みで。 安堵のあまり涙が出そうになって、慌ててぐっと堪えた。こんなとこで泣いたら、テッドに何を言われるかわかったもんじゃない。 テッドがシオンのベッドのすぐ脇に来て屈みこむ。そこにいるのはもういつもの彼だった。 「どっか行けなんていうわけ無いだろ」 「そっか。じゃあ大丈夫だ。ずっと一緒だな」 テッドが、ほら、と拳を差し出した。それに自分の拳を勢いよくぶつけると、二人で堪らずに笑い出す。 ひとしきり笑った後、テッドが立ち上がった。 「さあ、もう寝ようぜ。今日は疲れたしな」 「うん、おやすみテッド」 「おやすみシオン」 テッドが自分のベッドに戻る。シオンも再びベッドに横になると、しばらくしてテッドのベッドから静かな寝息が聞こえ始めた。やっぱり体が本調子じゃないのだろう。いつもより寝付くのが早い。 反対にいつもは寝つきのいいシオンが眠れずにいた。 テッドは側にいるといったが、それが本当かどうかはわからない。 彼はとても嘘が上手いから。普段嘘をつかない彼がつく嘘は、誰かの為を思ってのこと。そんなとき彼は本当に綺麗に嘘をつく。 だから今の言葉が自分を思いやっての嘘ではないとは言い切れない。 (でも僕は信じるよ) 祈りにも似た強い意志で 今の言葉は嘘じゃないと信じるから。 (だから側にいて・・・) 「謁見の準備が整いました。どうぞこちらへ」 神妙な面持ちで、シオンは帝国軍人としての一歩を踏み出した。 それがテッドとの永遠の別れに繋がるとは知らずに。 運命の輪は回り始めた。 サラディへの二人旅、まだ成功してません。行くことは行ったんですけどねぇ。帰って来れないんですよ(笑)帰りで必ず死んじゃう。 |