冷やりとした冷気を感じてふと窓の方を見やると、いつの間に降り出したのか白い雪が舞っていた。 (雪か・・・・) ペンの手を休め、窓に近寄る。道理で今日は冷えると思った。気温自体はさほど低くないのに、外に出ると身を切るような冷たさが襲ってくる。その為いつもは外にいる連中も、今日は温かい城の中で暖をとっている姿がそこかしこで見られた。 日が落ちて寒さは本格的になったようで、こうして暖められた部屋の中にいても時々身震いするような寒さを感じていた。 少しでも冷気が入り込まないようにと、カーテンを窓ギリギリまで引こうとして、ハッと手を止めた。 慌ててカーテンを全開にする。見間違いではない。夜の闇と、降りしきる白い雪と、雪明りに照らされたトラン湖の黒い波間の中に、ぽつんと落とされた赤い色。 (シオンっ・・・・・!!) 彼の目にとまった赤い色が、解放軍のリーダー、シオンのいつも着ている服だと気づいた瞬間、フリックは部屋を飛び出していた。 トラン湖の中に佇む本拠地の、下界とを繋ぐ唯一のルートである船着場に、シオンはいた。 降りしきる雪を受け止めるようにして、僅かに天を仰ぎ目は閉じている。 「・・・・・シオンッ!!何やってるんだっ」 「・・・・フリック・・・・」 名を呼ばれて、シオンが声のした方に視線を向けた。必死の形相で駆け寄ってくるフリックに、不思議そうな声が届く。 フリックはシオンの元に駆け寄ると、自分の着ていたマントを脱ぎ、冷え切ったシオンの体を抱き込むようにして包み込んだ。 「こんな雪の中で、防寒着も着ないで何してたんだ。・・・・・お前っ、いつからここにいたんだ。こんなに冷え切って・・・」 シオンの髪や体に積もった雪を落としてやる。辺りに積もった雪の様子から見ると、降り出して30分近くは経っているだろう。もし彼が雪が降る前からここにいたのだとしたら、風邪を引くどころか肺炎でも起こしかねない。 剥き出しの腕は冷えて氷のようだった。 「・・・・雪を」 「え?」 「雪を見てたんだ。後から後から降って来て、綺麗で、だから見てた」 「・・・・・・・部屋の中だって見えるだろ。何もこんな寒いところにいなくても」 シオンの言葉に、フリックは密かに眉を顰めた。なんだか様子がおかしい。 シオンは自嘲するかのように笑って、 「部屋の中じゃ意味が無いんだよ。それに僕は寒いのは平気なんだ。体は冷えてるけど、そんなに寒くは感じない。こうして雪に触れていると、暖かいんだ」 ほら、とマントの下から空に腕を伸ばす。素肌に雪が落ちて、溶けて消えた。 「僕の熱で、雪が溶けてく」 手のひらに落ちた雪を握りこんで、唇をゆがめてくっと笑った。 その笑みに背筋が寒くなった。やはり今のシオンはどこかおかしい。触れたら壊れてしまいそうな・・・・この雪の様に溶けてしまいそうな危うさがある。 フリックはシオンの腕を掴んで言った。 「とにかく、城の中に戻るぞ。お前が寒さに強いのはわかったが、俺は寒いのは苦手なんだ。話は中でするぞ」 「置いてっていいよ。僕はまだここに居たいんだ」 「俺のマントを雪まみれにする気か。それにこんな寒いところで立ち話して、すっかり冷えちまった。おい、一杯付き合え」 「僕未成年なんだけど」 「ザルが何を言う」 うーん、と苦笑いするシオンを引きずるようにして、フリックは城の中に戻った。 城の中に戻ると、シオンはまず問答無用で風呂に連れて行かれた。そして湯船に放り込まれ、浸かること30分。冷え切って青黒くなっていた肌は、ようやく赤みを取り戻した。 のぼせる一歩手前でふらふらになりながら、今度はフリックの部屋に連れて行かれる。 ボーとした頭で逆らうのも面倒だったので、黙って付いていくとソファに座るよう進められた。 「ほら、飲めよ」 そして差し出されたのは深い色合いの赤ワイン。 香りを楽しんだ後、一口口に含み舌の上で転がすようにして味わう。 「いいワインだ・・・・カナカン産?」 「当たり。ビクトールのとこからくすねてきた。一口飲んで産地まで当てるとは、さすがお坊ちゃんだな」 皮肉ではなく、素直な感想にシオンが複雑そうな顔をする。 「・・・・ここまでの香りが出せるのは、ここらじゃカナカン位だからね。ラベルも向こうのデザインだし」 「俺はワインはよくわからないからな。ビールといきたい所だが、こう寒いとこっちの方がいいな」 といって出してきたのは琥珀色をした液体。 「ブランデーか」 「寒い夜はこいつに限る」 少し暖めたブランデーを、ゆっくりと口に含む。シオンも手にしたワインを飲んだ。 「・・・・・ところで、何であんなところにいたんだ」 カップを手で弄びながら、フリックはごく軽い口調で尋ねてきた。シオンは一瞬手を止めたが、すぐまたグラスの中身を飲み干すことに意識を向ける。 「さっきも言っただろ。雪を見ていたんだって」 「部屋の中じゃ意味がないって言うのは?」 「・・・・・・・」 「お前、俺が見つけなけりゃいつまでもあそこに居ただろう。そして明日の朝には赤い服着た雪だるまか」 「・・・・さすがに朝までは居るつもりは無かったよ」 「わからんな。気がついたら朝でしたってオチかもしれない」 シオンは持っていたグラスをテーブルの上に置き、上目遣いにフリックを見上げた。 「何がいいたいのさ」 「何か言いたいことはないのか」 フリックもカップを置いて、真剣な目でシオンを見る。・・・・先に目を逸らしたのはシオンだった。 「ほんとお人よしだよね、フリックは。僕の事なんかほっとけばいいのに」 「そんなわけいくか、馬鹿」 (今にも泣き出しそうな顔しているくせに) フリックは、シオンの人前で弱みを見せることを良しとしない、プライドの高さを気に入っていた。 だが時にはすべてを吐き出すことも必要だ。解放軍のリーダーに祭り上げられているシオンは、その立場の所為で益々感情を出せなくなっている。グレミオが居た頃はそうでもなかったが、ソニエール監獄で彼を失って以来、弱音どころか以前は時々見せた子供らしい表情も、今ではすっかり鳴りを潜めている。無表情で、黙々と己に与えられた責務をこなしている彼を、フリックは痛ましく思っていたのだ。 そんな彼が、今は無表情の仮面すら被ることができなくなっている。ここに居るのはただの子供。寒くないといいつつ、その瞳の奥に寒さに凍えたシオンがいる。 シオンは窓の外に降りしきる雪を見て、ぽそりといった。 「雪は好きだ。綺麗で、冷たくて、雪の一つ一つがダンスしているみたいで飽きない。フリックは、どの季節が好き?」 唐突な質問にちょっと面食らったが、しばらく考えて、 「春、かな。花も綺麗だし、暖かいし、新しい命が生まれる時期だからな」 「ロマンチストだね。・・・・僕は冬が好きだった。キーンと澄んだ冷たい空気が、すべてを浄化してくれるようで。雪はすべてを覆い尽くして世界を白に染め上げる。雪の降り始めもいい。最初に生まれた雪たちが大地を冷やしてくれて、次々とその上に積み重なっていく。最初の雪は、大地に触れると同時に消えていくんだ。後に続く兄弟たちが、大地に残れるように」 いつになく饒舌なシオンの語る言葉に、フリックはじっと耳を傾ける。詩の様な言葉の中に隠された、シオンの本音を聞き取ろうとして。 「僕はいつも最初の雪になれない。誰かが僕のために大地を冷やしておいてくれるから、僕はいつも降り積もることができるんだ。彼の為の最初の雪になりたかったのに」 「・・・・好きだった、って過去形なのか?」 探るような口調になってしまったと慌てていると、シオンが苦笑する。 「耳聡いね。昔は純粋に冬が好きだったんだ。1番楽しい思い出も冬だしね。彼と出会った冬、彼と過ごした冬、・・・・彼を失ったのも冬」 だんだんシオンの瞳に冥い光が宿り始める。シオンのいう”彼”が誰だが思い当たって、フリックは小さく息を飲んだ。 (テッド・・・・って言ってたか) シークの谷で、死んでいった少年。 『オデッサという女性の魂も!シオンの父親の魂も!グレミオさんの魂も!すべてお前が盗んだ!!』 血を吐くような叫びを上げて。 『さあ、ソウルイーター!かつての主人として命じる!今度は俺の魂を盗み取るがいい!』 紋章に自らの命を食らわせた彼は、シオンの親友だったという。 シオンに紋章を託し、親友の腕の中で死んでいった彼。 彼はシオンの為の最初の雪になったのだ。 「だからもう素直に好きと言えなくなったんだ。1番楽しい思い出と、1番辛い思い出が同時にやってくるんだ。1番好きで、1番嫌いな季節だ」 勿論雪もね、と付け足す。シークの谷を出たあと、非業の死を遂げた少年を悼む様に、はらはらと雪が舞い降りてきた。それは積もるような雪ではなく、風花と呼ばれる儚いものだった。 『・・・・・・・っ・・・・・・』 右手を抱えて嗚咽する小さな肩を、抱きしめてやることしかできなかった自分。 「船着場に居たら雪が降って来て、僕の体に触れて溶けていく雪を見ていたら彼を思い出した。降って来る雪が、テッドに抱きしめられているみたいでうれしかった」 シオンの頬を一筋、涙が伝う。 初めて見るシオンの涙に、フリックは驚いて目を見張った。テオを倒したときも、テッドが死んだときも、彼は人に涙を見せなかった。涙を必死に隠していた彼が、今静かに泣いている。 「シオン・・・」 「このまま雪に埋もれてもいいと思った。真っ白な雪に覆われたら、僕も綺麗になれるだろうか・・・って」 シオンは自分の両手をじっと見つめている。 その幼い両手はたくさんの人々の血で赤く染まっている。直接手にかけたわけではない。だが彼の命に従って戦った同志たちが、敵が死んでいったのも事実だ。ただの貴族の息子なら、背負わずに済んだあまりにも重い責任。 彼の立場や実力なら、いずれ今の兵力を従える将になり得ただろう。だがそれはもっと大人になってからの話だ。15歳という年齢に、この解放軍のリーダーという肩書きは重過ぎる。 「お前は汚れてないよ」 気休めにしか聞こえないかも知れないが、それでも言いたかった。 彼を血なまぐさい戦いに巻き込んだのは自分たちだ。あの時バルカスたちを助け出してきた時点で、別れていれば――――グレミオたちが死ぬことは無かった。その後火炎槍の設計図を運ぶ為にオデッサたちと旅をして、レナンカンプに戻ってきたところで彼らは帝国軍に襲われた。オデッサはサラディまでの短い旅で、シオンのリーダーとしての気質を見抜いていたのだ。だから自分が死ぬとき、解放軍のアジトを記した地図の隠されたイヤリングをシオンに託した。あの場にはビクトールもいたのに、敢えてシオンに渡した真意は・・・シオンをリーダーと認めたということ。 自分は副リーダーといっても、人を引っ張っていくだけのカリスマは無い。オデッサの後ろで、彼女をサポートするのが精一杯だった自分だ。オデッサが死んだからといって、自分がリーダーをやれるわけも無い。 頭を失った集団はもろい。だからこそオデッサはシオンにイヤリングを託したのだろうが・・・・その為に彼は多くのものを失った。確かに彼がいなければ、ここまで戦ってくることはできなかっただろう。だがその為に彼が払った代償の、なんと大きなことか。あの時自分たちと別れていれば、失わずに済んだ彼の大切な人たち。 しかしどんなに後悔しても過ぎてしまった時間を戻すことはできないのだ。ならば精一杯この哀れなカリスマを支えてやりたいと思う。彼を守りたかったグレミオやテッドの分も。それが彼をこの戦争に巻き込んだ、せめてもの罪滅ぼしだ。 「それよりそんなことで凍死でもしちまったら、お前を命をかけて守った親友の立場が無いんじゃないか?」 ちょっとおどけて言うと。 シオンはぱちくりと大きな目を見開いて数回瞬きした。 「何だよ」 「・・・・慰めてくれてんの?」 「俺は最初から慰めているつもりだったが?」 「・・・・・・」 しばらく無言で見詰め合った後、二人で吹き出した。 「本当におせっかいだね。テッドと張るよ」 「お前みたいなのの親友してるのは大変だったろうな。あいつも」 「・・・・失礼な。テッドはそんな風に思ってないもん。・・・・多分」 「やけに弱気じゃないか。さっきまでの自信はどうしたんだ」 「うるさい」 プウッとシオンが顔を膨らます。こういう顔をすると本当に幼くなる。 テッドのことを語る彼は、本当にくるくると表情が変わる。これが彼本来の姿なのだろう。リーダーなんかではない、ただの15歳の少年の反応。 (なんか、手貸してやりたくなるんだよな) テッドもきっとそうだったのだろう。シオンには人を惹きつける何かがある。それこそが、リーダーに求められる一番の気質だ。自分にはない、万物を惹きつける輝き。 オデッサのことに対する蟠りがないといったら嘘になる。だがシオンの力になってやりたいと思うのも事実なのだ。 「そろそろ部屋に帰って寝ろ。明日も朝が早いんだからな」 「もう一杯飲んでからね」 シオンは手酌で空のグラスにワインを注いでいる。 「あんまりガブガブ飲むなよ。ビクトールにバレたら・・・・ってあああ!!もうこんなに飲んじまったのかっ」 「ザルの僕に、そんな酒を出すほうが悪い」 「根に持つ奴だな・・・」 ビクトール秘蔵のワインは三分の一程に減っていた。こりゃ後が怖いぞ、と思いながら、空にされる前にシオンから奪い取る。 「もう少し飲みたかったのにな、残念」 肩をすくめてクスクスと笑う。その笑みはグレミオが死ぬ以前によく見た余裕のある笑みで。 先程まで宿っていた冥い光は、すっかり鳴りを潜めていた。 (少しは元気になったかな) ワイン瓶を抱えながら、内心ほっと安堵のため息をつく。 笑っていて欲しいと思う。人を馬鹿にしたような笑みでもいいから。 あんな冥い、寂しい目は見たくない。 シオンは空のグラスをテーブルに置くと、ソファから立ち上がった。 「じゃあ部屋に戻るよ。ワインご馳走様。また飲もうね〜〜」 「ちゃんと部屋に戻って寝るんだぞ。それから、もう外には行くなよ」 「判ってるよ。心配性だな」 「お前が心配かけるからだ」 フリックの言葉にシオンが苦笑いする。本当に自分を心配して言ってくれている言葉だと分かるので、シオンも何も言い返せない。 入り口に向かい、戸をあけると猫のようにするりと身を滑り込ませる。 そしてドアの向こうで顔を半分だけ覗かせて、ひらひらと手を振ってみせた。 「おやすみ、フリック・・・・・・・・ありがとう」 最後の言葉を言い終わるのと同時に、扉は閉じられた。 しばらくして、フリックの顔に柔らかい笑みが浮かぶ。 「おやすみ・・・シオン」 1人部屋に残されたフリックは、冷めてしまったブランデーを再び手にとり琥珀色の液体をゆらゆらと揺らめかせた。 願わくば、あの子供の未来に幸あらんことを。 いつでも彼が笑っていられるように、涙しないように。 「お前は、絶対に守ってやる」 誓いのような真摯さで。 彼を愛して死んでいった者達の代わりに、自分が、自分たちが彼を守ろう。 窓の外には、しんしんと雪が降り続いていた。 坊が降りしきる雪の中に立ちつくす、フリックがマントを坊にかける、というシチュエーションがやりたくてできた話です。この話の坊は、もうテッドに恋してます(笑) |