光彩




喧騒。
行き交う人々賑やかな声は、一時の静寂すらも許してくれずに町を包み込む。
ここのところ雨が降っていない所為で乾いたままの石畳を、踏みしめていく足音、足音、足音。
路地裏から聞こえてくる子供の楽しげな歓声、道行く人々の足を止めようと威勢のいい呼び込みをしている物売り、待ち合わせでもしているのか足早に追い抜いていく若者、散歩を楽しむ老人と犬。

平凡な、何処にでもある当たり前の風景。

天を仰ぐ。
夏の、目に痛いばかりの青空は遠のき、透明度を増した青がやんわりと雲の白さを浮かび上がらせる。うろこ状に連なる雲は、風に流されながらもその形を留め、何気なく空を見上げた者の視線を捕らえて離さない。
雲の隙間から覗く太陽の眩しさに目を細める。今日も一日いい天気になりそうだ。


その日取れた新鮮な野菜や果物を持ち寄り個人で販売する朝市も、そろそろ店じまいの時間らしい。
引き払う準備をしている店の間を、何とはなしに売れ残りの品物を眺めながら歩いていると、元気のいい中年女性の店主と目が合った。
「ねえ、そこのあんた。林檎いらないかい。安くしとくよ」
どうやら彼女の今日の売上は今いちだったようで、地面に無造作に広げられた敷物の上の箱には、まだいくつかの野菜や果物が残っている。
「本当は4個で50ポッチと言いたいとこだけど、6個にするからさ。蜜がたっぷり入ってて美味しいよ」
ほら、と箱の中から一つ取って差し出してきたそれを受け取り、手の中で転がしてみる。艶々として青いところのない真っ赤な林檎だ。
「ほんと、美味そうだな」
「だろう。うちの林檎は歯ごたえもよくって絶品なんだ」
自慢げに店主が胸を張るが、触るとところどころ柔らかい部分がある。熟しきっていて持ち帰ってもあまり日持ちしないこれを、今日のうちに出来るだけ売りさばいてしまいたいのだろう。
「でもこれ、今が食べ時だよなあ。俺こんなに食べきれないし」
さも残念といった顔をして、林檎を彼女の手に戻す。これから向かう家の家人で分ければ、これ位の量はすぐに片付くし、6個で50ポッチならかなりのお買い得なのだが、売値通りに素直に買うのは賢明ではない。こういった個人との売買は、値切るのも楽しみの一つなのだ。
「大丈夫。これは甘味もだけど酸味もある種だから、ジャムやお菓子にも向いてるよ。ジャムなら日持ちするだろ。甘く煮て、最後にバターをひと塊ぽんっと落として食べるのが、うちの子のお気に入りさ」
「あ、俺もそれ好き。ワインで煮るのもいいよな」
「さつま芋との相性がいいから、一緒に甘煮にするのもいいよ。よし、これも付けて全部で80ポッチでどうだい?」
店主は紙袋に無造作にさつま芋を数本と林檎を6個入れ、中身が見えるように口を広げた。表情には出さずに内心ヒュっと口笛を吹く。さつま芋も太くていい感じだ。ただ蒸かして食べるだけでも美味しそうだ。
「ええー、高いよ。60ポッチ!」
「駄目駄目、これだけおまけを付けたんだ。これ以上はまけられないよ」
「じゃあやっぱ要らない」
「仕方ないね……75ポッチ」
「70ポッチ」
「……判ったよ。70ポッチでいいさ。この子たちもこのまま腐らせるより、誰かに食べてもらった方が幸せだからね」
やれやれと言った風に溜息を吐き、店主は袋の口を閉じた。そのセリフに彼女に対する好感度が増す。自分の売る物に愛情を持っている店の品物は、はずれる事がない。
「サンキュ」
料金を払い品物を受け取る。流石にこれだけ買うと、ずしりと手に重みがかかった。さつま芋は自分ち用に1本残して、残りは土産にして調理して貰おう。
「ありがとねー」
笑顔に見送られ市場を後にする。途中で振り返ると、遅ればせながら彼女も店じまいをしていた。これから帰って子供たちの昼餉の準備だろうか。家では彼女の子供たちが、母親の帰りを待っているのだろうか。
「…………」
眩しい。
先ほどより少しだけ首を高く持ち上げて、太陽を追う。





絶え間なく落ちる水が、下に溜まった水面に弾けて音を奏でる。
ベンチに座ったまま大きく背を反らせば、その水が町の象徴である黄金の女神像の持つ瓶から溢れ落ちて来る軌跡が見える。
太陽に反射して輝く水のきらめきと、水のにおい。
国の首都であるこの町は町全体が綺麗に整備されていて、鼻に届くこの水のにおいも自分が生まれ育った緑豊かな村の、どこか土の香りを含んだ匂いではないけれど、それでも自然のにおいは心を和ませてくれる。
待ち合わせのメッカであるこの噴水前では、今も何人かが人を待っている。待ち人を探してキョロキョロしている者や、待ち人が来てもすぐには立ち去らずその場で和やかな談笑にふける者。彼らに混じってベンチに座って呆けている自分も、端から見れば誰かを待っているように見えるのだろう。実際はただ座っているだけなのだが。
多くの人間が、目の前を通り過ぎていく。
飛び立つ白い鳩の群れ。平和、とタイトルをつけたくなるような穏やかな風景。
手に抱えたままの紙袋がさっきから存在を主張していたが、中々腰を上げる気になれなかった。目的の家はすぐそこなのに。
ベンチの半分をカップルに譲り、隅っこに座って足を伸ばす。足元に寄って来た鳩を足のつま先だけを動かしてからかう。人馴れしたここの鳩たちは、人間を恐れない。
ここに座った時よりも、地面に落ちる影は短くなっていた。これから段々とまた影が長くなり、やがて月明かりのぼんやりとした影に取って変わる。




不意に影が濃くなった。
「…何やってるの」
「…………よお」
頭上から注がれた若干の苛立ちを含んだ声に、ゆっくりと顔を上げる。眩しい。
太陽を背にした彼を見る為に、瞳孔が慣れるまで少しの時間がかかった。
「よお、じゃないだろっ。約束したのにいつまで経っても来ないから、心配して迎えに来て見れば!何でこんな屋敷と目と鼻の先で休んでるんだよっ」
憤慨した様子で、腰に手をあて睨まれる。本当は近づいてくる足音で、彼が来たことは判っていた。
「途中市場で買い物してきたら、重くて疲れちゃってさ」
ほら、と紙袋の口を開けて見せる。それも嘘ではない。
「林檎だ!さつま芋もっ。…………疲れたんなら屋敷で休めばいいのに」
ぱっと顔を輝かせた後、慌てて唇を尖らせる。流石にこれじゃ誤魔化されなかったか。じゃこれはどうだ?
「ここで休憩したかったんだ。人見てるのって面白いし。それに……きっとお前が来てくれると思ったから」
「…………僕待ってたんだからね。お昼過ぎてもまだ来ないし…」
効果はあったらしい。怒っていた顔が少し緩んで、拗ねた色に変わった。
「ごめんって」
よっと勢いをつけて立ち上がる。相手と目線の高さを同じにする。
「さ、行こうぜ。グレミオさんにこれで林檎の甘煮を作ってもらおう。バターをひと塊落とした奴な」
「……うんっ!」
俺の顔を映した琥珀が、嬉しそうに微笑んだ。




その光は何よりも眩しい。








END






サイレント漫画のようなものを小説で表現してみたいです。