心の距離




毎日毎日続く暑さに、二人ともイライラが溜まっていたんだと思う。
でなければシオンの言葉なんか、いつものように軽く流していたはずだし、俺が言い返さなければシオンが逆上してあんな言葉をいう事もなかっただろう。
シオンは悪くない。ああいう時は年長者が折れてやるべきだ。
300年も生きてきて、まだまだだよなあ、俺。やっぱり精神年齢って外見に比例していくのかな。
だとしたら俺はいつまでも14のままってことか?おいおい。
ああ、ひたすら自己嫌悪。


きっかけなんて些細なことで。
もう何が原因だったのかも思い出せない。ただ互いに互いの言葉にかちんと来た。
一度頭に上った血は、そうそう下りてくれず。
あとは売り言葉に買い言葉。最後には罵りあいになって、とどめが『もうテッドなんて絶交だ!』だった。
シオンに嫌われるのは願ったり叶ったりだったから、(いつかはこの家も出ていかなければならない。シオンと仲良くなればなる程、別れが辛くなる。だったら嫌われたときが去り時だ)俺も『じゃあ今すぐ出て行ってやるよっ』と叫んでしまって……一瞬だけシオンが、あの大きな目を見開いて泣きそうな顔をした。すぐに『いいよ、出て行けば?』という憎まれ口に取って代わったけど。
本当は、あの顔を見た時にもう怒りは収まっていたんだ。……だけどこの家を出るいい機会だと思って、俺はそのままシオンに背を向けた。
この家に来て半年、いつもよりちょっと短めだったけど仕方ないよな。
結構この家、気に入っていたんだけどなあ……。
いつ出発してもいいように、必要なものは一つのバッグにまとめてある。これだけが俺の財産。これ以外はいつ捨ててもいいものばかりだ。
……そう、持っていけない。こんなものは持っていっても役に立たない。
テオ様が俺に与えてくれた家の中をぐるりと見渡すと、あちらこちらに一見ガラクタにしか見えないものが置かれている。川原で拾った石だったり、ビー玉だったり、祭りでとったぬいぐるみだったりするそれらは、みんなシオンが持ってきたものだ。
『僕んち置くとこないんだ。テッドんちは何も物がないから置けるだろ。二人の記念品なんだから、捨てちゃやだよー』
最初は絵だとか石だとか、かさばるものでもなかったので置いておいたが…最近はさすがに数が増えてきて大変なことになっている。置くとこがなくなって、先週の休みに新たに棚を作ったばかりだ。なんで俺がこんなことしなくちゃならないんだと、ぶつくさ言いながら。
いらないなら捨ててしまえばいいんだ。でもどうしても捨てられなかった。
シオンの持ってくるものは確かに二人の記念のものばかりで、手にとるとその時の思い出が頭に蘇ってくる。
でもそんなものを持っていっても仕方ない。その分薬やら食糧やら、持たなくちゃならないものはたくさんある。
俺はガラクタの中から一つの石を手に取り、ポケットにしまった。親指くらいの小さな青い石。初めてシオンが俺にくれたものだ。
これぐらいなら邪魔にならないからと、必死に自分に言い訳しながら。


バッグを持って家をでようと扉を開けると、そこにグレミオさんが立っていた。
グレミオさんの表情は静かで……多分シオンとのやり取りを見ていて、俺が本当に出て行くんじゃないかと思って様子を見に来たんだろう。
「……何か用ですか」
ちょっとぶっきらぼうに、視線を合わせずに言い放つ。グレミオさんの目は苦手だ。この透明な目に見つめられていると、考えていることをすべて見透かされそうで。
グレミオさんはにっこり笑うと、手に持っていた包みを差し出した。
「ホットケーキを焼いてきたんです。温かいうちに食べませんか?」
優しいけれど有無を言わせぬその声に、俺は家をでるのを諦め、グレミオさんを家の中に招き入れた。
……グレミオさんのホットケーキの誘惑に、勝てなかったってのもあるけど。

うちで唯一のテーブルにホットケーキを乗せ、皿を取りに台所に向かう。
やかんにお茶を淹れる為の水をいれ、火にかける。本当は夏は冷たいお茶とか飲みたいとこだけど。あいにく氷室なんて洒落たものは俺の家にはないから、熱いお茶で我慢するしかない。茶葉はどこだったかなと、がさがさ戸棚を漁っていると、いつの間に来たのかグレミオさんがすぐ背後に立っていた。
「いいお茶が手に入りましてね、持ってきたんですけど、いかがですか」
「え、あ、はい……」
びっくりしている俺を尻目に、グレミオさんがカバンから茶葉を取り出し、手際よくお茶の準備を始める。
ここはグレミオさんに任せた方がよさそうだと、俺はカップの用意に回った。
とはいっても、俺のうちには俺のとシオン用のカップしかないんだけど。
シオンが時々泊まりにくるから、箸とかコップとかはシオン用にそろえてしまった。だからとりあえず、俺んちにはすべての食器が2組ずつある。
俺が出したカップに、琥珀色をしたお茶が注がれていく。ふわりと立ち上るいい香り。
「どうぞ。美味しいですよ」
「…いただきます」
差し出されたお茶を口に含むと、甘い花の香りが口の中に広がった。
「美味しい……」
「でしょう?気に入っていただけてよかったです」
にこにこと人懐っこい笑みを浮かべながら、グレミオさんもカップに口をつける。一口飲むごとになんだか気分が落ち着いてきた。
「はい、ホットケーキもどうぞ召し上がれ」
お皿に移されたホットケーキはまだほかほかと湯気を立てていた。でもなんだかいつもよりケーキのふくらみがあまい気がする。
小さく切って口に運ぶと、味もちょっと違った。美味しいんだけど…いつものグレミオさんのホットケーキの味じゃない。
「どうですか?」
「あ、美味しいです。……でもグレミオさん、今日ちょっと分量とか変えました?いつもと味が違う気が……」
俺の言葉にグレミオさんが小さく溜息をついた。
「やっぱりわかりますか?さすがはテッドくんだ。ホットケーキなら判りにくいかと思ったんですけどねぇ。粉は私が混ぜたものですし」
「あの?一体…」
話が見えなくて、重ねて尋ねる。グレミオさんは苦笑しつつ、
「このホットケーキはですね、坊ちゃんが焼いたんですよ。テッドくんに謝りたいっていって」
「えっ、シオンがっ!?」
俺は慌てて、目の前のホットケーキをまじまじと見た。見た目はちゃんと普通のホットケーキだ。とてもシオンが作ったとは思えない。
あの料理センス皆無のシオンが、これを俺のために?これだけの物を作るには、この数倍の失敗作が出来たことだろう。俺の視線にグレミオさんが、その通りですとばかりに頷いた。
「だったら自分で謝りにくればいいのにねぇ。それは出来なかったみたいですよ。坊ちゃんも意地っ張りですから」
「…そっか………」
自然と口元がほころぶのが判る。あのシオンが俺のために、苦手な料理までしてくれた。
「だからこのホットケーキに免じて、機嫌を直していただけませんか?」
「……はい……っていうか、俺も悪かったんだし…シオンに謝らなきゃ」
機嫌を直すも何も、俺は最初からシオンのことを怒ってなんかいなかった。ただ、シオンと気まずくなるんなら、家を出て行った方がいいだろうと思っただけで。
玄関先で会ったとき、グレミオさんは俺の格好から、俺が家を出て行こうとしているのに気付いたはずだ。だが敢えて、何も言わないでいてくれた。
ポケットの中の青い小石をぎゅっと握る。もう少しだけ、ここにいてもいいだろうか。
「じゃ申し訳ありませんが、お屋敷の方に来ていただけませんか。坊ちゃんが結果を気にしてヤキモキしていると思いますので。……ああ、勿論夕飯は食べていってくださいね。今日はグレミオ特製のシチューですから」
にっこり笑うグレミオさんに、苦笑する。そうだろうなあ。俺がシオンの立場でも落ち着かないと思うよ。
それにグレミオさんのシチュー、絶対食べたいしな。
「そうそう、そのお茶には心を静める効果もあるんですよ。少しは役に立ったでしょうか」
「…すごく役に立ちました」
このタイミングでそういうことを言うあたり、さすがはグレミオさんだ。ホットケーキ食べる前に言われていたら、逆効果だったろうけどな。
俺はホットケーキを急いで、でも味わいながら食べ終わると、皿を流しにいれてグレミオさんと共に家をでた。皿を洗うのは帰ってきてからでいい。今は少しでも早く、シオンに謝りたい。


マクドール家に着いたら、ちょっと不安げな顔したシオンが出迎えてくれるだろう。
そしたら俺はにっこり笑って抱き締めてやろう。
それからシオンが謝る前に、俺から謝ろう。シオンの方から折れてくれたんだ。年長者としてはそれくらいしてやらなきゃな。






END




*eruさんに捧ぐ*


本当は罵りあいの喧嘩をさせたかった…でもうちのテッドは中々そういう喧嘩をしてくれません(涙)



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