桜の森



はらはらはら
はらはらはら

音もなく散っていく花びら。
さあっと木々をざわめかせた風が、通り抜けざまに髪をかき乱していく。
闇に浮かび上がる仄かに桃を帯びた白は、妖しいまでの美しさでそこに存在していた。


視界を塞ぐバンダナを払おうともせず、ゆっくりと近づく。
数少ないここを訪れる者を、懐に招き入れるかのように広げられた枝。
昼間と佇まいは何も変わらない筈なのに、見せる表情は全く別物で。
吸い込まれる。
美しすぎて精神こころを奪われる。
息をするのも忘れるほど。

「相変らず見事な姿だね……」

自らの声帯より音を生む事によって、ようやく魅了の呪縛から逃れる。初めてこの木に出会ってからどれ位の時が過ぎただろうか。神気を帯びるほどの木ともなれば、150年やそこらの時間では変化はない。だから春が来るとつい自然に足がこの地方に向いてしまう。自分と同じように変わらない姿に安堵し、またかつて共にその姿を賛美した友との懐かしい思い出に想いを馳せるのだ。
樹齢1000年を超えるであろう神木の前に立ち、降り注がれる花びらを仰ぎ見る。
今は夜だ。昼間のようにあと一歩近づいて、ゴツゴツとした肌に触れる事はできない。月光の元で触れてしまったら、その美しさに魅入られ言葉の護りすら効かなくなる事を本能で知っているから。


はらはらはら
はらはらはら

花弁を受けようと、何とはなしに右手のひらを広げる。

「……なっ……!」

一片の可憐な花弁がそこに舞い降りた瞬間、手のひらから目も眩む様な強い光が生まれ視界が白に覆い尽くされた。



はらはらはら

はらはらはら







”……だなぁ。元気だったか?”
光が止んで暫くすると、今まで自分しか居なかったこの場所に人の声を感じて、恐る恐る顔を覆っていた腕を下ろして目を開ける。

「え……?」

いつのまにか夜の帳は消えうせ、明るい日の光が注いでいた。
おかしい。目を閉じていたのはほんの数分の筈なのに。
だがそれより何より、目の前で桜の木に話し掛けている人物が誰であるかに気付くと、体が凍りついた。
”お前は変わらないよな……俺と同じで”
太い幹に手を這わせ、旧友と再会したかのように親しげな口調で語るその声と姿は、絶対に忘れない彼の人のもの。

「テ……ッド…………」

乾いて引きつった声帯をどうにか震わせ、名前を呼ぶ。
”今年も綺麗な花を咲かせたな。俺だけが見てるのは勿体無いけど…大勢の人間に囲まれるの、お前は嫌だろう?ずっと一人でここで生きてきたお前だから”
こちらの声に気付かなかったのか、彼は桜への語りを止めない。愛しさを込めて微笑みかけるテッドの姿に、心が締め付けられる。

「テッド!!」

今度は大きな声ではっきりと叫ぶ。だがやはりテッドがこちらを見ることはなく。
”俺さ、今年で240歳になったよ。凄いよな…普通の人間の4倍近く生きたんだ。お前にはまだまだ敵わないけど。……俺あとどれくらい生きるんだろうな。でも俺の命がある限り…いや死んでも、お前が生きている限り俺はお前に会いに来るよ。だからお前も忘れないでくれ”
テッドの視線がふいっと流れ、シオンの方を見た。心臓がドキンと高鳴るが、やはり何事も無かったように視線は戻され。
……そう、もうシオンも気付いていた。これは過去の残像。今現実に起きている光景ではなく、桜の木の記憶に過ぎないのだと。

「本当に…君は、君達は約束を守ったんだね……」

テッドは死んだ後も自分の右手に宿って、約束通り会いに来た。木はテッドを忘れていなかった。
普通では考えられない、神木とソウルイーターの力が合わさって起きた奇跡。
踏み出せずに居た一歩を踏み出し、彼らに近づく。自分の知らない昔のテッド。
息が触れるほど傍まで来ても、このテッドが自分を見る事はない。目の前の彼は桜の木というレコードに記録されたただの映像なのだから。
無駄だと判っていて手を伸ばす。触れようとして一瞬躊躇い、それからそっと頬の輪郭に手を添える。
予想通り手のひらに暖かさを感じる事は無かった。だが。

「……っ……!」

テッドが真直ぐシオンを見てにっこりと微笑んだ。
まるでシオンの事が見えているかのように、過去の彼からしてみれば何もないはずの空間に向かって。

「テッドっ!!」

思わず抱きしめようとして腕を伸ばす。しかしやはりその体に触れる事は出来ず、虚しく空を切った手が幹に触れる。
触れた所からまるで化学反応を起こしたように再び生まれた白い閃光が、シオンに桜の夢の終わりを告げた。



はらはらはら

はらはらはら




辺りは再び夜の世界に戻っていた。
確かに幹のところまで行ったはずなのに、立っている場所は先ほどと変わっていない。月の高さを見ても、時間は殆ど経っていないようだ。
夢だったのだろうか。いや違う、自分は確かに見た。あれは桜と紋章が見せた、うたかたの夢まぼろし。

「……思い出を見せてくれてありがとう」

幻のテッドの頬に触れた手をぎゅっと握り、左手で覆って胸に当てる。
仰向いて花びらの洗礼を受けると、我慢していた涙が一筋頬を伝った。

「今度は僕が約束しよう。君の命ある限り、僕とテッドは君に会いに来ると」

シオンの言葉に応えるように、風に煽られさあっと枝が鳴る。
その音は喜びの声のように聞こえた。




END





お話よりも見せ方の方に凝った話です(笑)
桜の季節にアップするつもりだったんですけどねぇ……いや、まだ地域によっては咲いている!
これはコウリたちの町の傍の桜の木です。昔テッドもここに来た事があるという設定。
シオンは170歳くらいになっています。今はナナミの子孫が町に住んでいることでしょう。




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