魂の帰着点



キャロの街を出てから10日が過ぎた。
昼夜問わない強行な旅を続けて、やっと都市同盟領を脱出した僕たちは、ここに来てやっと一息つくことができた。ハイランド皇王、ジョウイ・ブライトや同盟軍リーダー、コウリの名前は知っていても顔を知られていないこの街で、ようやく宿に泊まることができたのだ。
宿に着くなり僕たちは久しぶりの風呂と温かい食事を心ゆくまで楽しみ、その後すぐに部屋に入った。ナナミと部屋の前で別れて数分、もう隣の部屋からは物音は聞こえない。おそらくすぐに眠ってしまったのだろう。ジョウイの首を狙う追っ手から逃げる為に、本当に厳しい旅を続けてきたのだから無理も無い。
僕も久しぶりのベッドに浮かれていた。城にいたときのようなふわふわのベッドではなく、座るとビシビシと軋むベッドだったが、キャロの僕のベッドを思い出しうれしくなった。
ジョウイは窓辺に洗濯物を干している。僕たちの来ていた服は汗と埃ですっかり汚れていて、それをさっきお風呂に入ったときに洗ったのだ。自分の分だけでなく僕の分まで干してくれている姿に、ハイランドの重臣たちがみたら泣くだろうなと密かに笑う。
「なんだい、コウリ。変な笑いして」
ジョウイが洗濯物を干し終えてベッドの方に戻ってきた。湯上りで濡れた髪を乾かす為、髪は下ろしたままだ。長い髪がジョウイの動きに合わせてさらりと流れた。
窓に平行して並んでいるベッドの、窓に近い空いているほうにジョウイが腰をおろした。向かい合う形になって僕は心臓が高鳴るのを止められなかった。
ふわりと香る石鹸の匂い。僕も同じ石鹸を使っているのだから同じ匂いなんだろうけど、その香りはジョウイの体臭と混ざってなんともいえない甘い香りがした。
「コウリ?」
訝しげにジョウイが僕の顔を覗き込んでくる。パジャマ代わりに来ているシャツは襟元が大きく開いていて、普段見えないジョウイの細い首が僕の目に晒される。
「疲れたかい?元気がないみたいだけど」
小さなランプと窓から差し込む月明かりぐらいしかない薄暗い部屋では、僕の顔が赤くなっているのを気づかれずにすんだようだ。実際僕は必死に自分の欲望と戦っていた。
目の前には、ずっと求め続けた彼。
気を許した幼馴染みの前で無防備な姿をさらすジョウイに、僕はあろうことか・・・欲情していたのだ。
「何でもないよ。ジョウイこそ疲れたんじゃない?」
疲れたふりをしてこのまま眠ってしまおうかとも思ったが、ジョウイの目が何かを訴えていてその瞳を無視することはできなかった。今の状態ではどうせ眠ることはできないだろうし。
体は疲れていたが、精神が興奮して目は冴えていた。
「僕は大丈夫。ナナミはさすがに疲れてたみたいだけど。そういや二人っきりになったのは久しぶりだね。ずっと野宿だったし、ナナミがいたから。・・・・コウリ、僕は君と二人だけで話がしたかったんだ」
ジョウイの真剣な瞳が、僕の心臓を射ぬく。ジョウイの視線から目が離せなくなった。
「・・・・何?話って」
高鳴る心臓の音がうるさい。
ジョウイはじっと僕を見つめ、それから俯いてギュッと両手を組み合わせた。
ジョウイの長い髪が彼の顔を隠してしまう。ああ、つまんないな。君の顔をもっと見ていたいのに。
「僕はずっと君に謝りたかった。君と戦う道を選んだこと。ナナミはハイランド皇王としての僕を忘れようとしているから、彼女の前では言えなかったけど・・・・。馬鹿だよね。君たちを守りたくてハイランドに行ったのに、その誰よりも守りたかったものを、僕は自分で傷つけていたんだ・・・。あの時ハイランドを捨てて君と共に行くという選択肢もあったのに」
ジョウイが顔を上げる。その瞳が僅かに潤んでいた。
「戦争を終わらせることが、君たちを守ることだと信じていたんだ。たとえ君と戦っても、戦争さえ終わらせれば、きっと上手くいくって・・・。でもロックアックスでナナミが君を庇って倒れたとき、心臓が止まるかと思った・・・。ナナミが死ぬなんて可能性を、僕は考えたこともなかったんだ。僕たちがしているのは遊びじゃない。戦争だったのに。あの時ナナミが倒れるまで僕はそのことに気づかないふりをしていたんだ」
「ジョウイ・・・」
「戦争を終わらせるのは、強大な力による支配、そう思っていたんだよ。同盟軍では駄目だと思った。所詮は寄せ集め、小さな綻びでその繋がりは簡単に解けていく。でも違ったんだ。君というリーダーの下に、同盟軍は一つにまとまっていったんだね。グリンヒルで君と再会したとき、それに気づいていれば君を傷つけずに済んだんだ・・・」
「違うよ、ジョウイ。君がハイランドに行ったからこそ戦争を終わらせることができたんだ。ルカを倒したとき、周りに蛍が飛んでいて夜の闇でそれが目印になった。ルカの死体は木彫りの人形を握ってた。あれは・・君だね、ジョウイ。ピリカに頼まれてミューズまで買いに行った木彫りのお守り・・・・あの中に蛍を潜ませていたんだろう?君のおかげでルカを倒すことができた」
ルカの手に握られた木彫りのお守りを見て、すべてを理解した。
ジョウイもハイランドで戦っていることを。
「僕は成り行きでリーダーになっただけで、戦争を終わらせるとか本気で考えてなかった。ただみんなの言うとおりにしていただけだ。君は1人で僕たちのために戦ってくれていたのに。ごめんね。謝るのは僕のほうだ。グリンヒルで君と再会した時、僕は皆が助けてくれるのを自分の力だと自惚れていい気になってた。むしろ僕が同盟軍のリーダーになったことは知ってるくせに、どうして僕と敵対するのかって君を恨んだりもした。君がどんな思いでハイランドに行き、戦ってくれていたのかを考えようともしなかった」
グリンヒルでの、別れ際のジョウイの切なげな瞳がずっと頭から離れなかった。
ジョウイの申し出を断ったあの時、僕たちの間に引かれた境界線。
その瞬間、僕らは紋章の用意した破滅へのシナリオを手にしたのだ。
その舞台の幕を僕が上げてしまった。繋がれていた手を先に放したのは僕だった。
ジョウイはいつも僕たちのことを想っていてくれたのに。
夜毎夢に現れる、切ない瞳で僕を見るジョウイ。
何かを訴えるように、無言で僕を見つめてくるその瞳に僕はいつしか恋をしていた。
いや、やっと気がついたんだ。君を想う感情、これがとても恋に似ていることに。
――彼に触れたい?
――はい
同じように恋をしているシオンさんに尋ねられて、するりと出てきた答え。
言ってから、おかしくなった。僕はジョウイに触れたかったのか。訊かれるまで気づかなかった自分に笑いがこみ上げる。
触れたい。君を感じたいよ。この腕に抱きしめて、君がここにいることを確かめたい。
「コウリ・・・?」
ジョウイに近づき、ふんわりと抱きしめる。鼻腔をくすぐる甘い香り。僕にとってはどんな媚薬よりも効果のある、ジョウイの匂い。
「好きだよ、ジョウイ」
細い首筋に顔を埋める。
「お願いだから、僕を拒まないで・・・・」
僕を見つめるきれいな瞳を見ないようにして、そっと口付けた。
唇を重ねるだけのキスは、想像以上に甘くて。
震えていたのが伝わったかもしれない。心臓がドキドキして、息をするのも忘れるほど。
「ジョウイ・・・」
再び彼の肩口に顔を埋め、顔を上げる勇気がないまま、ジョウイの名を呟く。
彼の顔を見るのが怖い。
彼の目に嫌悪の色があったら、僕はもう彼と共にいられない。
ジョウイに嫌われたら、彼のそばにはいられない。
「・・・・・!」
背中に回された腕。
抱きしめ返されたのだと気づくと同時に、顔をあげた。
ジョウイはちょっと困ったような、照れたような顔で僕を見ていた。
「僕は女の子じゃないよ・・・?」
「わかってるよ。女の子の代わりにするつもりも無い。ジョウイだから、君だから僕は・・・・」
自分でも何を言っているのかわからない。ただ、ジョウイに嫌われたくない一心で、必死に言葉を紡ぐ。
ジョウイはそんな僕をじっと見つめていた。
やがてその目を僅かに伏せる。長い睫が彼の澄んだ瞳を覆い隠した。
「君の好きは、僕の好きとは違うのかもしれない・・・。でも僕は君が好きだよ。君とナナミが僕のすべてなんだ」
「ジョウイ・・・」
瞳が再び僕を映す。そして次の瞬間ジョウイはこの上なく艶やかに微笑んだ。
「大好きだよ、コウリ。・・・君が願うなら、僕はどんな願いでも叶えてしまいたくなるくらい」
それは僕のすべてを受け入れてくれる慈愛の笑みで。
堪らなくなって僕は抱き合ったまま、ジョウイごとベッドに倒れこんだ。
ベッドに広がるジョウイの髪を一房掬って口付けると、ジョウイが赤くなる。
「君に触れたい・・・・触れてもいい・・・・・?」
耳元に、ささやくように言うと。
ジョウイは益々顔を赤くし、やがて小さく頷いてくれた。





「おっはよー、あれえ、今朝はもう仕度できてるの。ねぼすけのジョウイにしては珍しいじゃない。ちゃんと眠れた〜?」
「うん、よく眠れたよ。久しぶりのベッドだったしね。ナナミも疲れとれたみたいだね」
「もおバッチリ!やっぱりベッドはいいよねー。ベッドに横になったとたんすぐ寝ちゃった」
僕とジョウイはこっそりと顔を見合わせる。
昨日、僕らが寝たのは明け方も間近な頃だった。その後少し眠り、ナナミが起き出した音で目が覚めて、慌ててジョウイを起こした。ナナミが起こしに来る前に、身支度を済ませておかなければならない。
着替えが終わって、部屋を片付けたところでナナミが来た。まさに間一髪というところだ。
だから本当は全然寝てないんだけど、眠くはない。
神経が興奮していて、逆に目が冴えている感じだ。
「じゃあ、ご飯食べに行こうよ。昨日のお夕飯もおいしかったから、楽しみだねー」
「久し振りのまともなご飯だもんね」
はやくはやくー、と前を歩いているナナミが手招きする。僕らも笑ってその後に続いた。




―――諦めなければ望みは叶う

叶いましたよ。シオンさん。







END


*ゆかさんに捧ぐ*

やっぱりジョウイは主人公に甘いです。そんなあっさり受け入れちゃっていいのか(笑)
キリリクありがとうございました。


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