台風の後の晴天は、一日だけの僥倖だったらしい。
暴風雨ではないものの、翌日は再びしとしとと細かい雨が大地を濡らしていた。 村での買出しを済ませ、自宅にしている小屋へ戻ろうとした所で、ふとそれに気づく。 子供の悲鳴と地を揺らすような不気味な音。 抱えていた物を放り出し、音の方へと走った。 そこで目にしたのは、泣き叫ぶ幼い子供の頭上に迫る崩れた土砂と巨大な岩。 手を伸ばして温もりを胸に抱きしめる。 「―――――っ……」 世界から音と色が遠のいた。 泣かないで。 君は僕が守るから…… た だ 一 つ の しとしとと細かい雨が静かに降り注ぐ。 不思議と冷たさは感じない。むしろほんのりと温かい。 いや、雨ではない。広げた手のひらに落ちたのは、高温で焼かれた白い灰。 (これは……) 灰を握りこみ、ぐるりと見渡す。 煙る視界。呼吸の度に喉にひっかかる澱んだ空気。見覚えのある廃墟。 ここはイルヤ島だ。 だが既にイルヤの灰は収まり、透き通るような青空が戻った筈だ。 最後にイルヤ島を訪れた時、焼かれた大地に芽吹いた新しい命の息吹をこの目で見たのに。 どうしてまた昔に戻っているのだろう。どうして自分はこんな所にいるのだろう。 灰が降る音まで聞こえてきそうな静寂の中、アルドは島の中心部に向かってゆっくりと歩き出した。 さく さく さく さく さく さく 積もった灰を踏みしめる自分の足音だけが唯一の音だ。 ふと、地面に何かが蹲っているのに気づいて弓を構える。 警戒しながら近づくと、それはブラッディコングの死骸だった。 毒で変色した鋭い爪。左右から十字を切る様に切りつけられた傷。左からの傷はやや浅い。右利きの二刀流の剣使いがつけたものだ。 そして眉間に刺さったままの、折れた弓矢。 (そんな……まさか) 矢を手に取り、愕然とした。 間違いない。自分の矢だ。 辺りにはテッドの矢も落ちている。剣の傷の横には、動物の爪で引っかいたような傷跡もある。 アルドの脳裏を、アスとテッドとチープーとで遠征に来た時の記憶が掠めた。 だがあれからかなりの月日が経っている。死骸はまだ腐敗してはいなかった。これがあの時のモンスターである訳がない。 「………」 身を翻してアルドは走った。今頃は可憐な花が咲き乱れている筈の彼の地を目指して、一心不乱に駆ける。 「………っ」 アルドが円形状の廃墟に足を踏み入れた瞬間、地面から白い閃光が迸った。 反射的に閉じた瞳を恐る恐る開くと―― 「ああ……」 辺り一面を埋め尽くす、花、花、花。 赤白黄青紫……色とりどりの花が、天から降り注ぐ金色の光を浴びて輝かんばかりに咲き誇っている。 終わりのない花の絨毯。花が引く、天と地の境界線。 この世のものとは思えない美しい光景に、アルドは暫し言葉を失った。 ふらふらと一歩を踏み出すと、芳しい芳香が身を包む。 『アルド…』 足元の大きく花弁を広げた青い花から、自分を呼ぶ声が聞こえた。 (そうか……僕は) 「ごめんね…君の言う通りになっちゃったね…」 大地に膝を突き、声のした花にそっと触れる。 「でも僕は何も後悔していないよ。テッドくんについてきた事も、お守りのピアスを君に渡したことも、僕が自分で選んだ事だ」 花びらに溜まった露が滑り落ち、アルドの手のひらを濡らして弾ける。 「僕はずっと一人ぼっちだったから、一人がどんなに寂しいか知っている。紋章が人の命を奪ってしまう事に脅えていたテッドくん。だけど僕は紋章を怖いと思った事はなかったよ。だってそれを宿しているのはテッドくんだから。人の命を守る為に、孤独の道を選べる強くて優しいテッドくん。そんな君の側にいたいと思ったんだ。 船に乗っていた時は楽しかったね。テッドくんは割とスノウくんと仲が良かったよね。船に乗ってすぐの頃、世間知らずの僕は変な事ばかりして、よくテッドくんに怒られたっけ。迷惑も一杯かけちゃったね。僕が怪我をした時はいつも回復をかけてくれてありがとう。テッドくんが船酔いした時は、勝手に部屋に入ってごめんね。テッドくんは清酒が好きだったね。長く生きていても体は子供なんだから、たくさんお酒を飲むのは良くないって止めたのに、全然聞いてくれないんだから」 次々と甦ってくる懐かしい過去に、泣きそうな顔で微笑む。 「戦いが終わった後の、テッドくんと二人の旅も楽しかったよ。一人じゃないって幸せだね。夜も寂しくないし、安心して眠れた。テッドくんもそう思ってくれていた?僕と一緒にいて楽しいと思ってくれていた?旅を続けるうちに、少しずつテッドくんとの距離が近くなって行ったのが嬉しかったよ」 近づくことすら許してくれなかった存在に手が届くようになって。 背中に向けての会話が、並んで表情を見ながらになって。 そして、告げられた別離。 アルドの命を繋ぐには、最早離れるしかなくなっていた。 苦渋の表情でテッドが口にした申し出を、アルドは受け入れた。船にいた時と違い、これ以上はテッドを苦しめるだけだと判っていたから。 傍にいるだけが寄り添うことではない。安住の地を持たない渡り鳥のようなテッドにとって、彼を待つ場所になる事も支えになると信じた。 旅立ちの朝、お守りにと渡したピアスの片方を、テッドは必ず返しに来るからと言ってくれた。 けれど結局、アルドは死神の鎌から逃れることはできなかった…。 「……たくさんの楽しい思い出をありがとう。僕は君に出会えて、一緒にいられた事に感謝しているよ。短い間だったけど、テッドくんと過ごした期間は本当に楽しかった。テッドくんが僕を幸せにしてくれたんだ。ありがとう、大好きだよ。そしてごめんね。紋章に魂を奪われないようテッドくんがあんなに頑張っていたのに、僕が負けちゃってごめんね……」 想いを込めて、寂しげに佇む花を指で辿る。 さぁっ…と風が花畑を吹き抜けた。煽られた花々が柔らかく揺れ、敷き詰められた幾千の花弁が一斉に一方向を向いた。 「あっちに行けってことかな……?」 さやさやと歌うように花たちが揺れる。だがアルドの手の中の花だけは微動だにしない。 アルドは身を屈め、青い花にそっと口付けた。 「…………さようなら」 花が震える。 小刻みに。――涙を堪える小さな肩のように。 「幸せになって、テッドくん」 微笑んで、花に背を向ける。青い花以外の全ての花が指し示す方に向かって。 この世界に降り注ぐ光に向かって真っ直ぐ歩き出す。 僕の人生は終わったけれど、僕の心はずっと君と共に在る。 優しくて傷つきやすくて寂しがりやの君。 幸せを掴んで。君が望めばきっと届くはずだから。 願うのはたった一つだけ。 幸せになって
元はアルテドアンソロ2に書いた話で、アンソロでは執筆者さんたちのネタを全て盛り込んだ総まとめ的な話でしたが、自宅設定に書き換えてアルテド祭に投稿しました。 更にサイト収録の際、アンソロ3に書いたネタも追加。 |