決意



軍師が指定した三日間の猶予の二日目。明後日はエルイールに突入する部隊が決定する。
床に固定されたベッドに仰向けに寝転がり、ぼんやりと木目を数える。すっかり見慣れてしまった薄暗く低い船の天井とも、もうすぐオサラバか。
現在育っている人材を考えれば、自分とアルドは本隊と別働隊の必ずどちらかに割り振られるだろう。
別隊の方が心穏やかでいられるだろうか。噴出す血に、荒い呼吸に、動揺しなくて済むだろうか。
アルドが配属されるのが、アスのいる本隊ならいい。彼なら何があっても仲間を死なせることはない。
だがもし別働隊だったら?
自分が本隊で、アルドが別働隊だったら?
アスも自分もいない所での、この上ない危険な任務。今までの戦いとは違う。これは決戦。命を落としてもおかしくはない。むしろここまで殆ど犠牲を出さずに来れた事の方が奇跡に近い。
自分の知らない所でアルドが傷つく。回復をかけてやる事も、庇う事もできずに――
ぞくりと、した。
本隊配属であれば、敵の攻撃はアスが防いでくれるだろう。だがアスの左手に宿る紋章からは、誰が守ってくれる?自分の右手の化け物からは、誰が守ってくれる?
紋章に関しては、宿主自身が一番助けを必要としているのに。
アスは既に2回紋章の力を解放している。戦いの最中に3回目の機会が来ないとは限らない。紋章に喰い尽くされずとも、激しい戦闘で命を落とすかもしれない。
宿主を失った罰の紋章は、次に誰を選ぶ?
(どうして…)
どうして、アスはアルドを鍛えたのだろう。魔防値が人並み外れて高いとはいえ、アルドには戦力とできるほどの魔力はない。武器も所詮飛び道具の弓矢、剣を振るう者に比べて攻撃力は落ちる。元々戦士という訳でもない。
何より、人の痛みを自分の痛みとしてしまうようなあんな優しい奴を。
どうしてアスはあそこまで強くしたのだろう。
(やっぱり……俺の所為か)
凶悪な攻撃系の真の紋章と回復系の水の紋章を宿している自分が、戦力と見なされるのは当然のことだ。気難しく扱いの困る自分に、臆せず近づいてきたアルド。そんな彼が唯一自分と二人協力攻撃ができるとなれば、利用しない手はない。
自分の所為で、アルドが危険な目に合う。
自分の所為で、あんなに優しい奴が他人に矢を向ける。
ごめん
懺悔の叫びが熱く胸を焦がす。
戦って欲しくない。弓を引く度に、彼が心を痛めているのを知っているから。モンスター相手にも哀悼の念を忘れない彼。生きているもの全てに優しい彼。
お前が俺を守ってくれたように、今度は俺がお前を守る。何があっても守るから。だから。

死なないで。




***





まだ消灯まで時間があると言うのに、今夜の船内はやけに静かだ。
重苦しい静寂ではない。まるで船全体が、夜空に輝く星空を見つめているような、そんな穏やかさ。
サロンから聴こえてくる音楽は子守唄のように優しく、擦れ違う人々からは凛とした力強さを感じる。賑やかな食堂街は、いつもと違う活気に溢れていた。
訓練所と紋章屋に立ち寄って、自室に戻る。仄かなランプの灯りの下、滅多に使わない机に向かい、カリカリと紙に書き付ける。
記入が終わった所で、控えめなノックの音が響いた。
紙を引き出しにしまって、ドアへと向かう。昨日から来訪者がひっきりなしだ。自分が部屋に戻ったのを見計らって、こっそりと人目を憚るように訪れる者たち。船内で堂々と自己主張できる者はほんの僅かで、大抵は二人だけの密談を求めてこの部屋の戸を叩く。
与えられた猶予を一日残してメンバーを決定する決意をしたのは、それが理由だった。選ばれた者に少なくとも一昼夜、心の準備期間を与える為に。
「…アス、ちょっといいか」
ドアの向こうにいたのはテッドだった。一歩下がって室内に招き入れる。
勧められた椅子に腰を下ろすなり、テッドが口を開いた。
「エルイール要塞の突入部隊のことだけど…」
「テッドには別働隊のリーダーをお願いする。他のメンバーはアルド、ジーンさん、ミツバ、サポートはキャリーだ。明日の朝それぞれに通達する」
先を読んで返事を返すと、テッドが驚いて顔を上げる。
「だから、安心して」
「…安心しろってどういう意味だよ」
「そのままの意味だよ」
含みを持たせた微笑に、テッドの顔に渋面が広がった。
来訪者たちの願いは様々だった。
別働隊に参加したい、本隊入りを願う、自分とあの人を一緒にしてくれなどの売り込み組と、逆に自分はメンバーに入れないでくれ、あの人は連れて行かないでくれという嘆願組。
戦闘の意思がない者を選ぶのは無意味だ。意欲があっても実力の伴わない者は連れてはいけない。
ラインホルトとジーンの意見も聞き、最終的に決めたメンバーの名が、引き出しの中の紙に書いてある。来訪者たちの願いはできるだけ取り入れたつもりだ。
「このメンバーを選んだ理由は?」
「実力の点で、俺がいない部隊を任せられるのはテッドしかいない。アルドは魔防が高く、テッドとの協力攻撃があるから。ジーンさんは攻撃力の高い雷の紋章、ミツバは直接攻撃とタフさとやる気を買った。何か問題はあるか?」
「いや、問題ない。本隊ももう決まってるのか?」
「俺とスノウとリノ王とチープーとユウ先生」
「あのおっさんを連れて行くのか。ハゲのお付きが煩いんじゃないか」
「多分怒鳴り込んで来るだろう。でも最後の戦いは、俺が安心できる面子にしたい。リノ王がいてくれたら、きっと頑張れる。あの人の背中を見ていると落ち着くんだ」
「お前、あのおっさんに懐いてるもんな」
初めて会った時から、好印象を持っていた。
王らしからぬ服装も、突飛な言動も、上から見下ろすのではなく、民の視線に立ち民と共に歩もうとする姿勢も。
海で拾ったどこの誰ともつかぬ子供に(しかも故郷を追放された罪人だ)、力を与え、人を与え、そんな簡単に信用していいのかと驚いた。
「俺は人を見る目は確かだぞ」といたずら少年のように笑う彼を、一遍で好きになった。
そのリノから無条件に信頼を与えられた事が、堪らなく嬉しかった。
自分にできることなら何でもしよう。それが海に散るばかりだった命を拾ってくれた、せめてもの恩返し。
大きな手。広い背中。自分にも父親がいたら、リノと同じようにくしゃくしゃと髪を撫でてくれたのだろうか。
「騎士団の奴らは連れて行かないのか?チープーよりよっぽど気心が知れてるだろうに」
「…回復役のジュエルは、合流したのが遅くてレベルが足りてない」
「ラズリルからずっと一緒だったっていうポーラとタルも、レベルあんまり高くないよな」
どこか詰問めいたテッドの発言に、僅かに眉を寄せる。テッドは知っているのだ。
どうして騎士団の仲間をパーティに入れず――遠ざけていたか。
「テッドも結構意地が悪い。……ポーラ?タル?」
「二人ともだ。お前の力になってくれてありがとうと礼を言われた」
「……」
暫くの沈黙の後、小さな溜息一つ。
加わった重みに背もたれが軋む。視線の先の天井を、瞼で隠して。
「……壊したく、なかったんだ」
「あいつらは物じゃない。大事な物は宝箱にしまうんじゃなくて、常に持ち歩け」
「…自分だってできてないくせに」
「人の事なら何とでも言える」
「確かに」
命の危険も顧みず、自分を信じて付いて来てくれたタルとポーラ。
二人の笑顔は、きらきらとした宝石のようで。
死の臭いが付きまとう罰の紋章に近づけたくなくて。
二人の気持ちを知りながら、遠くに身を置いた。
遠くから眺めるだけにした。
ラズリルで待っていてくれたケネスとジュエル。
団長を殺した裏切り者という悪評に囲まれながらも、心を揺るがさないでいてくれた。
再会を、生存を心の底から喜んでくれた。
罰の紋章の事を知っても変わらない態度。
むしろ自分の方が触れるのを恐れた。
紋章が二人を灰にする幻影が見えそうで。
大事だから、離れなきゃ。
闇の気配の漂う体を遠ざけなきゃ。
リノ王も好き。フレア王女も好き。彼女と話していると、温かい気持ちになる。お母さんみたいだと言ったら、年若い彼女は怒るだろうか。
テッドの隣は安心する。同じにおいがする。テッドと一緒なら、闇に覆われた自分を意識しなくて済む。
自分はいずれ、紋章に喰われる。この戦いが終わるまで保ってくれればいい。勝利の後は大洋に小船で漕ぎ出して、大海原の真ん中でたった一人で、遺跡の主のように朽ちれたら。
スノウが来るまではそう思っていた。
あの笑顔が再び向けられた瞬間、全てが吹き飛んだ。
生きたい。
スノウと共に行きたい。
今度こそ、スノウの本当の親友になりたい。
「そして俺は、箱を開けた」
闇の触手を纏わり付かせたまま、彼らの元へ戻った。
紋章ごと受け入れてくれる彼らに、甘える事にした。
甘えられるように、なった。
やっと来てくれましたね、とポーラが微笑んだ。
遅ぇんだよ、イライラしたじゃねぇか!とタルに背中を叩かれた。
一人で抱えるな、俺達は仲間だろう、とケネスが手を差し出した。
大丈夫!アスもあたし達も強いんだから、紋章なんかに負けないって!、とジュエルが胸を張った。
そしてスノウは。
――ずっと一緒だよ。
紋章の呪いも、これからの未来も、全てを含んだ言葉をくれた。
「だからスノウも一緒にエルイールに行く。実力はラインホルトに太鼓判を貰った」
自分の声に、僅かに弁明の響きがある自覚はあった。
エレノアに訊かれた。リノもそれとなく探りを入れて来た。騎士団の仲間には面と向かって言われた。
『スノウで大丈夫なのか?』
先月海から引き上げられた時のスノウの状態を知る者であれば、当然の疑問だ。
ラズリルでのスノウを知る者であれば、当然の懸念だ。
経験が足りないのでは。
また土壇場で、仲間を裏切り一人逃げ出すのでは――かつてのスノウの所業は水に流したとは言え、心配は拭い去れないのだろう。
そんな彼らに、自分は揺ぎ無く答えた。
スノウは大丈夫、と。
もう二度と、スノウは敵に背を向けない。誰かの影に隠れる事はない。
巨大な敵にも怯むことなく立ち向かって行くだろう。彼は本当の自分に目覚めたのだから。
ケネスたちにはああ言ったが、確信がある訳ではなかった。心の片隅には、もしかしたらという疑念がこびり付いている。
もしかしたら、彼らの言う通り、スノウは自分たちを見捨てて逃げるかもしれない。
それでもいいと思った。
昨夜の最後の来訪者はスノウだった。
――僕を、本隊に入れてもらえるかい?最後まで君と一緒に戦いたいんだ。
夕暮れの甲板で交した会話をもう一度繰り返して、今度は自分も言葉を濁すことなく頷いた。
スノウの実力は今やテッドに並ぼうとしていた。最早誰も文句は言えない。
一ヵ月半でここまでレベルを上げるには、どれ程肉体と精神の悲鳴に耳を塞いで来た事だろう。あの打たれ弱い彼が。立ちはだかる壁を、登る前から諦めていた彼が。
豆が潰れて血が滲んだ手のひらに包帯を巻き、苦手な魔法攻撃による擦過傷で顔を傷だらけにして。
もうそれだけで充分だった。
スノウの決意は伝わった。例えまた見捨てられたとしても、嘆きはしない。
スノウがくれた温かさがあるから、一人でも敵に立ち向かっていける。
「そっか…あいつ、毎日訓練所で頑張ってたもんな。魔防低いくせに、物理攻撃じゃなくて魔法攻撃にしてくれって、魔法使いばっかり相手にしていたし。あんな根性ある奴、滅多にいない」
「え…」
今度はこっちが驚く番だった。言葉の内容にも、テッドの親しげな口ぶりにも驚いた。
「スノウの訓練の相手、してたのか?」
「訓練所行くといつもスノウがいて必然的にな。あいつしつこいから、皆相手するの嫌がるらしくて。お陰でこっちもいい訓練になったけど」
「知らなかった……」
艦長の身では、雑務に追われて中々訓練所に行く暇はない。
スノウのレベルが低い間は、そうそう連れまわす訳にもいかない。
スノウの訓練に自分が付き合う事はできないと判っているけれど、他人と馴れ合わないテッドがスノウとは親しいのかと思ったら、胸がもやもやした。
子供じみた嫉妬だ。
いつだって、スノウの一番は自分でいたい。自分以外の人間に、スノウはこういう人間だと語られたくない。
「お前には、やっぱりスノウが必要なんだな」
いつ間にか、テッドが穏やかな目で見ていた。大人が子供の成長を見守るような視線。
「今ならスノウがいなくても、お前の表情読めるよ。お前に人間らしい感情を与えたのはスノウなんだな。お前はスノウに関してだけ、年相応な顔になるんだ。16のガキの顔をするんだ。ははっ、お前から嫉妬の目で見られる日が来るなんて思いもしなかった。…良かったな」
アースブラウンの瞳が優しげに細められる。
「お前らは剣と盾だ。お前が剣で、スノウが盾。二人で一組。どっちか欠けても生き残れない。二人揃えば、何倍もの強さになる。大丈夫だ。あいつはもう二度とお前を裏切らない。俺はあいつの誓いを聞いた。あいつの剣にかけて、どんな運命にも正面から立ち向かうという誓いの立会人になった。お前と同じで、スノウの頭の中もお前のことで一杯だ。あいつの誓いはお前の為だ。お前らなら、グレアム・クレイにも絶対負けない。紋章砲の事は任せろ。俺たちがぶっ潰してやる」
「誓いって…いつの間に」
「夜、お前が船員名簿の天暗星の部分を見てニヤニヤしてた事があったろ。あの時だ」
そういえば、テッドと話していた直後にスノウが甲板から降りてきたのだった。あの頃から、自分の知らない所で二人は親睦を深めていたのか。
「そんな顔するなって」
テッドがおかしそうに笑う。また気持ちが顔に出てしまっていたらしい。
「スノウ曰く、俺とお前はどこか似ているんだと。だから話しやすいそうだ」
立ち上がってドアへと向かう背中を、小さく呼ぶ。
「テッド」
ドアノブに手をかけた所で、テッドが振り返った。
「お互い頑張ろうな。そして…ありがとう」
小さな微笑を残して、扉が閉まった。




満を期した、という感じだった。
昨日までの漠然とした活気に、今日は決戦前夜であるという緊張感が加わった。あちこちで人々の決意と感傷を耳にする。今夜が最後かもしれないという想いが、人の口を柔らかくするのか。
だがそれは死の覚悟ではない。明日の生への誓いだ。
テッドの部屋の近くにいたアルドと、戦いが終わった後の話をした。
「命を落とすことになっても、テッドと一緒に行くのか」の問いに、アルドは迷いのない笑顔で頷いた。
テッドが「お前はスノウの前では顔が変わる」と言っていた意味が判った気がした。恐らくスノウを語る時の自分は、今のアルドと同じ顔をしているのだろう。
スノウがいて初めて、人間らしくあれる自分。
己の命よりも、テッドの孤独を恐れるアルド。
本質は、自分はアルドよりはテッドに似ているのだ。
いつだって目が探している。あの優しい笑顔を追いかけている。
昨夜テッドが部屋を訪れた目的は判っていた。可能ならばアルドのメンバー控除を、それが無理ならせめてテッドと同隊への配置を。
スノウを決戦に連れて行きたくないと思った自分と同じ理由だ。
でも自分と共にある事を望んでくれたスノウと、アルドの望みはきっと同じだから。
必ず戻ろう。全員で生きて戻ろう。誰一人欠けることなく。


俺たちは負けない。











*結美さんに捧ぐ*


4テッド祭のお題デー「覆面投稿」で見事私の作品を当ててくださった結美さんへの景品で「アスとテッドのほのぼの」。(ほのぼの…?)
結局スノウは出しませんでしたが、駄目です。最早アスとテッドで会話っていうと、ノロケが入らずにはいられない(笑)
突入メンバーは私のファーストプレイメンバーです。本隊はスノウじゃなくてゴーだったけど。一周目クリアした時は、真・友情攻撃の存在を知らなかったのさ…。




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