見えない絆




「ありがとうございましたーっ!!」
パタンと勢いよく扉が開く音に続いて、聞こえてきた興奮気味の謝礼の声。
入れ替わりに、廊下にいた人物が弾んだ挨拶と共に室内に入って行く。ここ数日ですっかりお馴染みになった音だった。

(あー、うるせぇ…)

扉の開閉音もだが、一番煩いのは順番待ちをしている者たちのお喋りだ。朝から夕方まで続く楽しげな声は、薄暗い室内で一人で過ごすテッドの神経をささくれ立てる。
この騒ぎも夕食の時間帯までの辛抱だ。それは判っているのだけど。
「やっぱりあの人は私の運命の人だったわ!」
時折聞こえてくる、この狂信じみた歓声を聞くのはもううんざりだった。



お腹も膨れて一番眠くなる昼下がり、作戦室でのんびりと溜まった航海日誌をつけていたアスの元に、珍しい訪問者が訪れた。
「あれを何とかしてくれ!」
「?」
バタンっと勢い良く机に両手を突き声を荒げるテッドを見上げて、首を傾げる。
「俺の向かいの部屋のばあさんが占いだか何だかやってる所為で、順番待ちの奴らが毎日朝から晩まで廊下でべちゃくちゃ喋りやがって、煩くて堪らねえんだよ。この船、隣の部屋との防音は割としっかりしてるけど、廊下の音は内部に筒抜けだから、こっちが静かにしてれば喋っている内容まで一言一句聞き取れちまう。一日二日なら目も瞑るが、もう一週間だ。いい加減我慢の限界だ!リーダーの権限であいつらを何とかしろっ」
「…………」
自分と同じく普段は必要最低限の会話しかしないテッドが、こんなにたくさん喋った事に驚いていたアス、暫くしてようやく言われた内容に意識を巡らし始める。
テッドの向かいはデボラの部屋だ。そういえば最近フレアがデボラに前世を視て貰ったと言っていたっけか。
『女の子たちの間で流行っているのよ。前世は今世にも繋がっていて、前世を知ることでこれからの未来をいい方向に変える事ができるんですって。私の前世は女王に仕える騎士だったの。だけど彼は女王を守りきる事が出来ずに、非業の死を遂げてしまった。このままでは私も彼と同じような死の運命を迎えてしまうけれど、彼の想いを現世で叶えれば運命を変える事ができるんですって。これってきっと今の戦いの事を指しているのよね。私、何としてもお父さんとあなたを守るから!』
真実を確かめようもない前世を信じているらしいフレアを、アスは興味深げに眺めたものだった。
デボラの不思議な力には一目置いているし、彼女が嘘をつくとも思ってはいないが、例えそれで未来を変えられるとしても、過ぎ去った過去に関心はない。
「判った、注意しておく。丁度次の仲間の情報が欲しかった所だ。デボラの所に行こう」
日誌を閉じて、艦長用の深い椅子から立ち上がる。
占いそのものを止めるつもりはないが、こうして苦情が出た以上、彼女達には少し自粛して貰わなければ。
女の子同士の会話が、時に男にとっては耳を塞ぎたくなる内容である事は、騎士団時代の経験でよく判っている。
身を翻したテッドの後に続いて、アスは第四甲板に向かった。




デボラの部屋の前(つまりテッドの部屋の前)は、確かにテッドの堪忍袋の尾が切れてもおかしくない賑やかさだった。
むしろ他からの苦情が今まで来なかった事の方が不思議なくらいだ。
ダリオ、リキエ親子はそれぞれ日中は持ち場についているし、活動的なゲイリー夫妻はあまり部屋にいることはないらしい。テッドと同じく閉じこもりである筈のカタリナはといえば、なんと彼女も行列参加組だった。つまり被害をこうむっていたのはテッドだけという事になる。
「はあい、すみませーん。これから気をつけますぅ」
 並んでいた女性達に、廊下では大きな声を出さない事、並ぶのは一度に三人までとし、長い行列は作らせない事をデボラも交えて言い含めた。デボラ自身も連日の前世視で疲労が溜まっており、このリーダー命令は願ったり叶ったりだったようだ。
「迷っている子たちに救いをあげたいと頑張っていたけど…流石に疲れちゃったわ。ありがとう、アスちゃん」
「そうよ、デボラちゃんっ!だから無理しすぎだって言ったじゃないのぉーっ。全く、あの子たちってば自分のことばっかりなんだからっ」
デボラの助手を務めていた(お茶を出したり扉を開けたりする程度だが)オスカルが、憤慨した様子で叫ぶ。
「心配してくれてありがとう、オスカルちゃん。でもね…やっぱり皆が幸せになってくれると嬉しいのよ。アスちゃんとそこのあなた…テッドちゃんって言ったかしら。お礼と迷惑かけたお詫びにあなた達も視てあげるわ」
「いらねえよ」
即座に拒否したテッドの肩を、オスカルが後ろからがしっと掴む。「折角デボラちゃんが疲れてるとこ言ってくれたんだから、素直に従いなさいっ!さ、この椅子に座って」
「ちょっ…いいって言ってんだろ!おい離せってっ」
なよっとしているように見えても流石は成人男性。力では敵わずに強引にデボラの正面の椅子に座らされたテッドは、ふて腐れたようにそっぽを向いた。
「前世を知るのは悪いことじゃないわ。前世には今世の苦しみの原因が隠されているの。さあ目を閉じて……」
「……」
観念したのか、テッドが言われるまま目を閉じる。
「大きく息を吸って……あなたはどんどん若返っていく。生まれる前……死の世界…あなたがあなたになる前の事を思い出して…」
ゆっくりとした歌うようなデボラの声が、部屋の空気を塗り替えていく。デボラを中心に目に見えない波が押し寄せて来るようで、アスはじっと二人の様子を見守っていた。
やがてぴくりとテッドの瞼が動いた。目は開かない。
「前世にたどり着いたようね。さあ、周りに見えるものを言ってみて…」
「………一面に広がる稲穂…俺は五歳くらいの子供で、両親が刈り入れを手伝えって叫んでるけど、無視して田んぼの中を走り回ってる…」
「ご両親の他に誰かいるかしら?」
「従兄弟が……父方の従兄弟が一緒だ。二人で歓声を上げながら田んぼの中を追いかけっこしていて………あいつ…アスだ…っ!」
「!」
半催眠状態に入っているテッドの口から自分の名前が出て、アスが目を剥く。続いて洩れたデボラのやっぱりねの言葉とオスカルの感嘆の溜息に、アスは視線で理由を問うた。
「今世で関わりの深い人間とは、前世から何かしらの縁があるの。兄弟だったり親子だったり恋人だったり…。アスちゃん、この船に乗っている宿星たちは皆過去の中にあなたの姿を見ているわ。恐らく宿星全員ね……そうして満を期してようやく今世、宿星としてあなたの元に集ったのよ」
「…………」
真剣な目でテッドを見下ろすアスに微笑し、デボラは過去への旅を続けるテッドへと再び向き直った。
「テッドちゃん、かつてのあなたは何を望んでいたのかしら?思い出して御覧なさい。それが今のあなたを生きる道標となるわ」




テッドちゃんが終わったら次はアスちゃんねと言われていたが、途中艦内放送で呼び出され、その後も中々時間が取れず、アスは未だデボラの部屋を訪れられずにいた。
パーティ参加の際フレアに前世視の事を訊ねた所、やはり彼女も過去のアスと縁があった。しかもフレアとは特別関係が深く、親子や恋人だった時代もあるらしい。
何度もデボラの元に通っている彼女は、前世のその前、更に前の時代も見せてもらっていた。
今世でもまた恋人になる?と冗談交じりに言われて、アスは困ったように沈黙した。フレアはアスにとって騎士団の仲間以外で肩を張らずにいられる数少ない人ではあるけども、何故か異性としては見る事ができなかった。
そしてその時の、もう一人のパーティメンバーのアルドは。
「デボラさんの前世視ですか?リタちゃんに列に並ぶのに付き合ってって言われて、その時に僕も視て貰いました。宿星は皆過去にアスさんと会ってるんですってね。前世では、アスさんは僕の従兄弟でした。僕は一人っ子だったので、アスさんが生まれた時は嬉しくてたまらなかったのを覚えています。アスさんが歩けるようになると、二人でよく田んぼに散歩に行きました。アスさんは田んぼが大好きで……ああ、アスさんはまだ前世を見ていないんですよね。あの美しい稲穂の海を、是非見てもらいたいです。テッド君は……残念ながら僕の過去にはいませんでした」
どこかで聞いた事のある符号に好奇心を擽られたアスは、一段落するとすぐさまデボラの部屋を訪ねた。
アスの決めた前世視の時間はとっくに過ぎていたが、デボラはアスちゃんは特別よと快く招き入れてくれた。
椅子に背を預けて、目を閉じてデボラの声に導かれるようにゆっくりと深い記憶の底へと沈んでいく。
アスの意識を包む暗闇の中に、ぽうっと淡く光る球体がいくつも現れた。それらを覗き込むと、知らないのに知っている顔が次々と浮かび上がる。
フレアがいた。リノがいた。スノウがいた。
共に戦う宿星たちがいた。
顔は違うのに、何故か一目でそれが彼らだと判った。時代を変え、関係を変え、宿星たちはアスの周りにいた。
その中の一つに、もしやと思っていた光景を見つけて手を伸ばす。
指先が球体に触れた途端、光の洪水がアスを飲み込んだ。
強く閉じた目を開いた瞬間飛び込んで来たのは、太陽を受けて金色に輝く陸の海だった。
ああ。
顔を掠める稲穂がくすぐったい。 いつもより低い視線で辺りを見渡せば、自分より幼い子供が笑顔で駆けて来る。
「×××ーっ……」
この時代での自分の名前。前世の名前。呼ばれて大きく手を振る。彼が追いつく前にまた走り出す。
そうだ、僕は彼のお兄ちゃんなんだ。彼に頼まれたから。
『僕はもうすぐ病気で死ぬんだ』
『お医者様が父さんたちに話しているのを聞いたんだ。僕は冬まで生きられないって……。悔しいよ。折角来年の春には弟か妹が生まれるのに。赤ちゃんが生まれたら、うんとうんと可愛がってあげるつもりだったのに』
五年前に亡くなった年上の優しい従兄弟は、ベッドの上でやつれた顔で弱々しく微笑んだ。
『お願いだよ。僕の代わりに赤ちゃんのお兄さんになって。僕の兄弟を守って。僕の分まで一杯一杯愛してあげてね』
『大好きだよ。君は僕の大事な従兄弟で、もう一人の弟。僕が死んでも二人の事をずっと見守っているよ』
今際の際の言葉を思い出して、相変わらず過保護だなぁとくすりと笑う。
大丈夫。前世の約束は守ったし、今世はちゃんと彼自身が側にいる。前世の分まで、思い切り愛してあげるといい。
『ねえ、僕が生まれる前に死んじゃった兄ちゃんってどんな人だった?とても優しい人だったってみんな言うけど……生きていたら、一緒に遊んでくれたかな。もし僕がもう少し早く生まれていたら、兄ちゃんの病気なんてやっつけてやったのに』
見上げてくる、純粋で真っ直ぐな幼い瞳。
ああそうか。だからこそ頑ななまでに彼を拒むのか。
彼を守る為に、命を奪わない為に。
伝えられなかった想いは、今世の魂を突き動かす。
アルドはテッドを愛そうとし、テッドはアルドの命を守る事に必死になる。
出会うことが叶わなかった兄弟。近くにいたのに擦れ違っていた二人。
だけどほら、彼らの絆はちゃんとある。







アルテドアンソロ2より再録。
「前世からの付き合い」というお題でした。
前世=デボラしか浮かばず。
稲穂の海は、ぼくたまのあの光景をイメージ。
おまけ漫画はこちら



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