たった一つ、伝えたいこと




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やあ、アス。元気でやっているかい?
まずは驚いているかな?こんなくだけた手紙を送るのは久しぶりだからね。
いい年して若作りなと言わないでくれ。この手紙だけは、昔の、君と本当の親友になったあの頃の気持ちで書きたかったんだ。

当時の事を思い返すと、顔から火が出る思いだよ。
若い時の僕はなんて愚かだったんだろう。ここに昔の自分を連れて来て、その思い上がりを懇々と戒めてやりたいよ。
もし僕が、己が目にした光景よりも君自身を信じていたなら、君はラズリルを追放されず、新団長に就任した僕の補佐として、共にクールークと戦っていた事だろう。
最も僕が団長じゃ、君と言う優秀な補佐がいたとしても、ラズリルが落ちるのは時間の問題だろうけどね。
君のいないオベルの巨大船は烏合の衆でしかなく、リノ王はオベル王国を取り戻す事もできず、オベルの巨大船はエルイール要塞の砲弾に散るだろう。危険を感じた各島がようやく重い腰をあげる頃には、群島はクールークの、グレアム・クレイの手に落ちている。
自分がいないだけでそんな大げさな、と君は笑うかもしれないね。
だけど誇張じゃない。君は僕達108星の中心の星。君がいたからこその勝利だった。
僕の愚かな行動の結果、オベル王国や群島諸国、ひいてはこのラズリルが救われたとなると、僕は過去に戻って自分の発言を撤回したいという、良心に添った願いを口にする事ができないんだ。
まあ、やり直したいのは君を傷つけてしまった事をであって、紆余曲折の後、本当の親友になれた事は神に感謝している。
あれらの出来事が起きなければ、僕は口では友人と言いつつ、一生君を見下していた事だろう。
本当はこんな事を書くのは苦しい。出来れば何度でも読み返せてしまう手紙でではなく、君に直接懺悔したかった。
だけど僕は臆病すぎた。いつか、そのうちと先延ばししたツケがこれだ。僕は相変わらず臆病で、ちっとも成長していない。
こうなったのは自業自得と諦めて、腹を括る事にするよ。

アス、君は初めて会った時、僕を王子様だと思ったと言ったね。
僕を命の恩人だと言ってくれたね。
確かに、子供の僕の他愛無い一言と行動が、君の命を救う事になった。でもそれは、自分の孤独を埋める為だったと言うのは君にも話したね。
あの時は言えなかった続きを告白するよ。
5つになった君が屋敷に引き取られて来た時、僕は自分が決死の命乞いで助けた筈の君の事などすっかり忘れていた。
君は一生懸命僕の世話をしてくれたね。
僕の顔色を窺って、僕の望みを先読みしようと頑張る姿は、僕の自尊心を充たした。
成長するにつれ君が各方面で才を発揮し出すと、自分は優秀な君が頭を垂れる程の人物なのだという優越感に浸った。
だがやがてそれは嫉妬へと姿を変えた。
騎士団の仲間や団長が、僕より君を認めている。僕が影で必死に剣の練習をしたり、夜遅くまで勉強して得た首席の次の座に、小間使いの仕事に追われている君がぴったりつけている。僕が一晩かけて解いた数式を、君がスラスラ答えているのを見た時は、恥ずかしさと悔しさで目の前が真っ赤になったよ。
絶対に、君にだけは負けるものかと思った。

僕は君の才能に嫉妬していたけれど、君の事は嫌いじゃなかった。
君にとって、僕が一番の存在だったからだ。
騎士団一の美人に誘われても、前々からの約束があったとしても、僕が誘えば君は何よりも僕を優先した。友人に謝罪する君と、悔しそうな彼らの表情に、僕は密かに暗い愉悦にほくそえんだものだ。
アスは僕のものだ。誰にも手出しはさせない。
独占欲じゃない。所有欲だった。僕は君を自分の持ち物としか思っていなかった。
こんな事を告白するのは本当に苦しい。自分がいかに汚い人間か思い知らされる。
僕は君に謝罪をしたい訳じゃない。許して欲しいとも思っていない。ただ、告白を聞いて欲しい。君には迷惑かも知れないけれど、そこは生涯の親友の一生のお願いという事で容赦してくれ。
団長は君に目をかけていた。父の目がなければ、卒業演習の艦長役は君に任命されていた筈だ。僕の前では決して厳しい表情を崩さない団長が、君には優しかった。
子供だと笑ってくれ。僕は自分が師と仰ぐ人に褒めてもらいたくて頑張っていた。
なのに団長の視線は僕を素通りして、君に注がれている。
団長は死の間際まで君しか見ていなかった。
とうとう最期まで、僕を見てはくれなかった…。
ああ、辛い。もう書くのを止めてしまいたい。ペンを投げ出しそうになる自分を必死に堪えて、再び便箋に向かっている。
僕はあの時、本気で君の死を望んだ。
長年一緒に育った、弟のように可愛がっていた君が、死ねばいいと思ったんだ。
このことだけは、とうとう今まで君に告白できなかった。本当は墓まで持って行きたい感情だったけれど、冷たい土の下で抱え続けるには僕には重過ぎる。
でも昔、一人にだけ話したんだ。
チカル号で一緒だったテッド、彼に僕の懺悔を聞いてもらった。
彼はどこか君に似ていたから。
あれからテッドには会ったかい?キリル君たちを見送った数年後、テッドが僕を訪ねて来てくれた時、折角君の居場所を教えたのに、丁度君はオベルに行っていて擦れ違いだったんだんだよね。
君がテッドにどんな悪戯をしたのかは知らないけど、ちゃんと謝罪しないと駄目だよ。テッドはこの先もずっと君と思い出話ができる、唯一の人間なんだから。

テッドの姿が変わらない理由を聞いた時、少しだけ羨ましいと思ったよ。
僕が真の紋章を持っていたら、どこまでも君と一緒に行けたんだろうか。
そんな僕の気持ちを見透かしたように、テッドが冗談めかして「この紋章、やろうか?」と言った時は思わず頷きかけたよ。
多分僕は真の紋章を宿したとしても、すぐに自滅してしまうだろう。
僕には君やテッドのような強さはないから。
自嘲でも、嫌味でも、君達を英雄視しているわけでもないよ。単に性格的なものとして、僕はきっと止まった時間に耐えられない。一人では生きられないんだ。
たとえ君が隣にいたとしても駄目なんだ。一つの土地に住んで、たくさんの人々と関わって、大地に足をつけて生きていたい。
僕はとことん船乗りには向いてなかったんだね。

アス、僕は一緒に行く事は出来ないけれど、君に遺せる物はある。
この前、僕に初めての男の子の孫が生まれたんだ。
その子のミドルネームに、君の名前を入れさせてもらったよ。
その子だけではなく、これから僕の子孫には必ず君の名前を入れるよう言いつけておく。僕の名にしようかとも思ったけど、君にとって「スノウ」は僕一人であって欲しいという我侭で、却下した。
君の名を持つ、僕の血を引いた子供を君に託す。
どうか見守って欲しい。遠くからでいい。いつか君が群島を去った後も、ラズリルの地で続いていく、僕と君が親友だった証の存在を覚えていて。


エルフのポーラを除いて、騎士団の仲間も残っているのは僕だけになってしまった。
随分長生きしたけれど、そろそろ僕にもお迎えが来るのだろう。ここの所食欲がなくなって、体重もごっそり減った。
体力の残っているうちに、何とか書き上げられて良かった。
この手紙は、出さずに僕が持っている事にするよ。もう一通の手紙が無事に届いて、この手紙を君がスムーズに受け取ってくれる事を祈っている。


手紙は間に合ったかい?
僕の最期の望みは、叶っただろうか。


*****







手紙を読み終え、アスは便箋から送り主へと視線を向けた。
送り主はベッドの上に静かに横たわっている。
ベッドの周りで嗚咽を洩らしていた彼の息子夫婦は、アスが手紙を読み始めたのを見て席を外してくれた。彼の枕の下から出てきた手紙の最後には、半年ほど前の日付が書き込んであった。
「間に合ったよ、スノウ」
開け放した窓から、春の強風が吹き込む。パタパタとカーテンがはためき、曙色の髪が風に舞う。
アスは懐からもう一通の手紙を出して広げた。
そこには震えた弱々しい文字で、ただ一言「あいたい」と書いてある。
君に会いたい。
最期を君に看取ってもらいたい。
短い、だが切なる願いのこもった手紙は、アスに全てを悟らせ、ラズリルへと走らせた。駆けつけたアスが目にしたのは、近所の者や家族が息を詰めて見守る中、今にも消え逝こうとするスノウの命の灯火だった。
肩で呼吸をしながら呆然と病人を見詰めるアスを、スノウの息子はベッド脇へと招き、握っていた皺だらけの枯れ木のような腕をアスに手渡した。
アスがスノウの名を呼ぶと、閉じていた瞼がゆっくりと開く。
「…………ぁ…」
どんよりと濁った瞳がアスを捉えて、きらりと光った。浅く不規則な呼吸の中、スノウのひび割れた唇が言葉を紡ぐ。
音にはならなかったその声を、アスの耳は確かに聞いた。
――かなった
それがスノウがこの世に残した最後の言葉だった。

「手紙と、贈り物をありがとう」
窓際のゆりかごの中で、手足をばたつかせている小さなアス君を振り返って、アスが小さく微笑する。
赤ん坊の髪色と顔立ちは、スノウにそっくりだ。瞳は母親ゆずりの綺麗なブルー。アスの瞳によく似た海色の瞳だ。
彼はこれからたくさんの出来事を経験し、 大人になっていくのだろう。
スノウとアスの想いをその身に受け継いで。
希望溢れる光の存在は、果ての見えないアスの未来を明るく照らしてくれるに違いない。
手紙を元通りに折りたたもうとして、ふと気付く。
もう一枚ある。
日付とサインが入っていたので、てっきりこれで終わりだと思っていたが、まだ続きがあった。
最後の一枚の文面を追っていたアスの瞳が、透明な雫で覆われていく。
スノウの臨終の際にも見せなかった涙が、溢れて頬を伝った。
「スノウ……!!!!」




*****

最後に。
君に一つだけ、どうしても伝えておきたい事がある。
君は覚えていないかもしれないけど、僕はずっと忘れなかった。生涯の錘(おもり)として抱えていた。
ラズリルを放逐された僕が、チカル号を離れる小船の上から君に投げつけた言葉が、どれ程の効果を齎したかは想像に難くない。
あれが君を傷つけるための虚言だったら、どんなに良かったか。
だけどあれもまた、紛れもない僕の真実の心だ。君に嘘を吐きたくはないから、撤回はしない。
僕は君の偽善じみたところが大嫌いだった。
そして同じ位、君の優しいところが大好きだったんだ。
大好きな、大切な、僕の弟で生涯の親友。
君に出会えた事が、僕にとって一番の幸せだった。

*****




いきなりネタが降って来て、一気に書き上げ。
スノウの奥さんはジュエルです。ジュエル以外に、ラズリルでスノウに嫁いでくれる子っていないよね。



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