澄んだ夜空に広がる満天の星。
こうして見ると本拠地の夜は明るいのだと、今更ながらに思う。人の手が作り出した灯りに掻き消されてしまうあえかな星の光が、今はひっそりと空に佇んでいる。
視界一杯に広がる、一時も止むことのない幾億の瞬きに酔う。
「寝付けないか?シオン」
星の輝きを遮った逆さまの親友の顔を、上目遣いに見上げた。
「テッドの方こそ、まだ寝てなかったの?」
「お前が帰ってこなかったからな」
迎えに来たんだと言いながら、草地に大の字に寝転がるシオンのすぐ横に、同じように転がる。
「なあ、あそこに見える明るい星判るか?」
テッドの指先を目で追うと、星たちの中で一際大きく輝く星が三つ見つかった。テッドが示したのは、その三つを線で結ぶと、三角形の直角の位置に当る星だ。
「うん、ベガだろ」
「じゃ北極星の見つけ方は覚えてるか?」
「ベガを含む夏の大三角形と、北斗七星の中間にある星。北極星は絶えず北にあるから、旅をする以上しっかり覚えろって最初に教え込まれたからね」
君に、と楽しげに笑う。
「あの下の方に集まってる星座は?」
「………えーと……」
「さそり座だよ。これも教えた筈だけどな」
「…………」 
教わった時も思ったが、点を結んで何かの形に見立てるなんて強引だと思う。
紙に書かれた物ならともかく、実物を見ながらの口頭説明だけでは、余程特徴のある星並びでなければ中々覚えられるものではない。
星座講義が一段落した所で、沈黙が下りる。
首を僅かに傾ければ、グレッグミンスターにいた頃から比べて少しだけ大人びた横顔。
「今、見た目は十六歳位かな」
同じだけ年をとれるように、きっちり半年ごとに紋章を交代しているが、テッドは紋章をシオンに渡してからシークの谷で再会するまでの間に、少し成長している。
その時のツケがまだ残っていて、別れた時は同じ位だった身長は、今はややテッドの方が背が高い。この戦争に参加している間はシオンが紋章を持つ事になっているから、その差は開くばかりだ。
トランの英雄が真の紋章持ちである事が公然の事実となっている以上仕方ないのだが、戦争が終わったら、いつもより長くテッドに紋章を持って貰おうと心に決めていた。
「まぁそんなもんだろうな。一つ二つ年とったとこで、そう大差ないけど」
「全然違うよ」
背が伸び、輪郭がシャープになり、骨が太くなって、筋肉がついた。
人の半分の速度とはいえ、テッドは確実に成長した。
三百年間馴染んだ子供の外見から脱皮し、憧れ続けていたであろう大人の体へと。
シオンも声変わりを迎え、高めではあるがちゃんとした男性声になっていた。顔立ちも、もう女の子に間違えられる事はない。
かつては強大な力と引き換えに、シオンから家族を、未来を奪った紋章。
だが今は、その紋章のお陰でテッドを失う事はなくなったのだ。
紋章が無ければ二人とも長くは生きられない。――死神の鎌からシオンを引き離すために、テッドが紋章を抱え一人旅立てば、それはシオンの死を意味する。
交互に宿すことで、緩やかにだが時間を進めることができる。――テッドが死ねば、シオンの時を永遠に止めてしまう事になる。
どちらの道も、テッドが選ぶ筈がない。
交互に宿す以上、二人が紋章を持ち続けられるのは、せいぜい後130年位だろう。いずれは肉体の寿命が来てどちらかが先に逝くだろうが、シオンはその時は自分が紋章を引き受けようと心に決めていた。
たくさんの人を見送ってきたテッドだから。
彼が逝く時は、自分が看取ろう。
決して先には死なない。例え一呼吸でも、彼より長く生きよう。
「ねぇ、テッド」
「ん?」
「ずっと一緒だからね」
もう二度と彼を一人にしないと、過去の自分に誓ったのだ。
「ああ」
テッドの顔に、穏やかな優しい笑みが浮かぶ。シオンが本を呼び寄せるほど、取り戻したいと願ったもの。
そっと手を伸ばして、手袋をしていない手を握り締める。
テッドにとって、手袋は防御壁だった。
だがもう二人の間には必要ない。
今、何の気兼ねもなく素手の手を握り締められることが嬉しい。
「明日も晴れそうだね」
終わりはいつか来るけれど。
「暑くなりそうだなぁ…」
別れはいつか来るけれど。
その終末まで全て含めて、未来は愛しい。





***



燃えカスが、カタンと音を立てて崩れた。
隣で静かな寝息を立てているナナミの毛布を掛け直し、棒で残り火を起こす。数回かき混ぜると、炎は再び勢いを取り戻した。
燃え尽きないよう細い枝を何本か間に差し込み、暫くぼんやりと炎を眺める。
焚き火の反対側に寝ていた筈のシオンとテッドの姿はなかった。どこか散歩にでも行ったのだろうか。
「ん……あ、火が消えてたかい?」
火の爆ぜる音と、コウリが身動きした所為でか、ジョウイが目を覚ました。
柔らかいベッドの上では寝起きの悪いジョウイだが、外での野営の時は、少しの音でも敏感に目を覚ます。コウリもそうだが熟睡していないのだろう。
「今熾したから大丈夫。寝てていいよ」
「……君は寝ないのかい?」
「もう少ししたら寝るよ」
「……………」
そのまま再び横になるのかと思いきや、ジョウイは毛布を手にコウリの隣に座り込んだ。
「明日はもう本拠地に帰るんだと思うと、何だか寂しいね。寝てしまうのが勿体無いよ」
「ジョウイ……」
ジョウイがにっこりと微笑む。
気持ちを見透かされたようで恥ずかしかったが、ジョウイも同じなのかもと思うことにする。
本拠地はもうすぐそこだ。城に戻れば、またいつもの擦れ違いの生活が待っている。
「今は慣れたけど、初めて野宿した時は大変だったよね。地面が固くて中々寝付けなかった上、季節が夏だったこともあって虫にも散々食われたし」
「うん。以来夏は虫除けを絶対持ち歩くようにしてるよ。テッドさんがくれたこの虫除け、凄く効くよね」
この遠征に出る時、テッドが一人一人にくれた小さな匂い袋からは、強烈な甘い香りが漂う。
そのあまりの甘ったるさに最初は退いたものの、虫除け効果は抜群だった。
テッドが生まれた村で使われていた物で、香木を何種類か混ぜて燻した後、香料を加えて作るのだと言う。その配合は村人しか知らず、必然的にもう自分にしか作れないのだと、テッドは少し寂しそうに笑った。
「いい技術はやっぱり受け継いで行かなくちゃね。今度テッドさんに、城の女の人たちに教えて貰うよう頼もうっと」
「テッドさんは本当に色々な事を知っているね。彼は天気も読めるんだ。今度の奇襲作戦の時には、是非参加してもらいたいな」
「ジョウイ〜」 
コウリがあからさまにむっとした顔をしたので、ジョウイが焦る。
「え、何……」
「明日になったら嫌でも仕事が待ってるんだから、本拠地の事は忘れようよ。今は僕とナナミとシオンさんとテッドさんと、楽しい旅行中なのっ」
「君だって、虫除け作りを依頼するって言ったじゃないか。忘れてないのはお互い様だろ」
「う……そうだけど……だからもうこれから言わない!城に帰るまでは忘れる!」
了解、と昔から何度も見てきた笑顔を上らせ、ジョウイが頷く。
いつもナナミとコウリの我侭に、困ったような笑みを浮かべ、でも最後は必ず受け入れてくれたジョウイ。
その彼が、二人の必死の願いに背を向けてまで手に入れようとしたのは、コウリとナナミが幸せに過ごせる国。
『前回』の方法では駄目だった。どちらかが全てを背負うのでは駄目なのだ。
今度は違う。ジョウイはコウリの隣で共に戦い、同じ物を目指している。 
だから。
「一人で考え込まないで、何でも相談してよね。僕を気遣って内緒にするってのは無しだよ」
「判ってるよ。君には何も隠し事はしないと約束する。君の方こそ、僕を気遣ってやっぱり紋章を渡さないなんて言わないでくれよ」
ずっと一緒だと約束しただろう?と、微笑み。
泣きたい程の嬉しさと申し訳なさが、コウリの胸を締め付ける。
ジョウイの為を想うなら、紋章をこのまま自分が持ち続けるべきなのは、嫌という程判っていた。
だが大切な人を喪い、永久の時間の檻に閉じ込められる恐怖の前では、ちっぽけな正義感など塵に等しい。
たった一人で生きる恐怖。
もう二度と、あんな想いはしたくない。 
「勿論。この戦争が終わったら預かって貰うよ。でないと身長差がどんどん開いて悔しいからね」
「じゃ、その前にもっと背を伸ばしておかないとな」
「ええー、ずるいよジョウイっ」
自己憐憫も、言い訳もしない。判っていてこの道を選んだ。
例え人にどんなに罵られようと、それでも自分はこの道を選ぶのだ。

ナナミとジョウイと。
三人で過ごせる唯一の未来を。






同人誌より再録。
ちなみにジョウイと運命をスライドしたのはクラウスです。立場的に彼かなと思ったのですが、彼の宿星が地魁星と知って運命を感じました(笑)



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