月鏡



ええ、今はあの方は一斉公には出ておりません。……出られる状態ではありません。
政治的な面は、現在全て私が取り仕切っております。
大統領の椅子に座っているのは影武者です。
ですから事情を知らない昔の仲間との面会は断っているのです。
でもあなたなら。
他でもないあなたでしたら、ご案内いたします。
そしてできるなら。
あの方を救ってください……


城の最上階にある見慣れた扉が、シュウの手によってゆっくりと開かれた。
以前と何ら変わりない彼の部屋。変わったのは……
「……コウリ」
部屋の中央に据えられた、一人掛けのゆったりとしたソファにコウリは座っていた。以前の赤い服ではなく、デュナンの大統領に相応しいきちんとした服を身につけている。肘掛に両手を乗せ、やや俯き加減で座り続けるコウリは、声をかけても顔を上げない。
「コウリ」
もう一度呼びかける。一歩一歩、彼に近づいていく。
正面に立ち、間近で彼の顔を覗き込む。虚ろに開いたままのヘイゼルの瞳は、何も映していなかった。
「私が見つけた時は既にこの状態でした。ジョウイ・ブライトの遺体を抱きしめ、声をかけても振り返りもしない。とにかく彼をこのままにはしてはおけないと、ジョウイ・ブライトの遺体ごと城に運びました。……引き剥がすのが大変でしたよ。物凄い力で抱きしめていて、屈強な大人数人掛りでやっと遺体を手放させたんです。それでもまだ暴れるので、皇王の髪を一房切り取って持たせましたら、ようやく落ち着きましたが……今も決して手放そうとしないのです」
コウリの手に握られた小さな布の小袋。あの中にジョウイの髪が入っているという。
「……ジョウイの遺体は?」
「火葬にし、城の墓場に丁重に葬りました。ジョウイ・アトレイドの名で」
「そうか……」
シュウから再び視線をコウリに戻す。自分たちの会話はコウリには届いていない。何も見ず、何も聞かず、話すこともせず、自分からは何一つ反応を返さないコウリ。食べさせれば食べるし、夜も寝てはいるというが、ただそれだけだ。コウリは最早生きている人形だった。
「……暫く二人にしてもらえるか」
判りました、とシュウが一礼し、部屋を出て行った。
扉が完全に閉まり、部屋の中に静寂が訪れる。二人でいるのに一人分の音しか生まれない空間。
床に膝を着いてコウリの前に屈みこむと、シオンはその顔を下から見上げるように覗き込んだ。
「君の言った通りになったね」



『永遠の命を持つってどんな感じですか?』
唐突で不躾な質問に、怒りが込み上げた。所詮彼も興味本位で訊いてくる輩と同類なのか。それともジョウイから黒き刃を奪い、始まりの紋章にしようとでもいうのか。
『あ、怒らせちゃったらごめんなさい。真の紋章の持ち主は不老だって聞いて…永遠の命って想像つかなくて。色々考えてみたんです。僕とジョウイの紋章を併せると真の紋章になるって言われたけど、それって当然一人ですよね。例えば僕が真の紋章を受け継いだとして、ジョウイとナナミが大人になっていくのを、僕はただ眺めているだけで……いつか僕は一人ぼっちになる。……想像したら怖くて堪らなくなりました。笑わないで下さいね。本気で震えが止まらなかったんです。それこそ死んだ方がマシだという位に』
自分は不老になったと知ったのが、継承してから大分経ってからだったし、怖いという感覚は今もない。確かに一人残されるのは辛いが、テッドはそうして生きて来たのだから自分が弱音を吐く訳には行かない、そう告げると。
『強いんですね、シオンさんは。僕は駄目です。戦争が終わったら、レックナート様に頼んでこの紋章を外してもらうつもりです。こんなもの僕は本当は欲しくなかったんだから。でももし…………絶対に有り得ないですけど、もしジョウイから黒き刃を受け取って始まりの紋章にしてしまったら…ジョウイとナナミが死んだ後に僕は狂うでしょう。僕にとって二人は全てなんです。二人がいなかったら、僕にはもう生きる意味がない』
はっきりと言い切ったコウリの言葉を、その時は彼の決意としか感じていなかった。
キャロの町の狭い世間しか知らず、ナナミたちと肩を寄せ合って生きてきたコウリだ。これからどんどん世界を見て視野が広がれば、きっと考えも変わるだろう。そう考えて聞き流していたのだが。


「僕たちじゃ、君の生きる支えにはなれなかったのかい?」
ナナミとジョウイを失ったコウリの心を、埋めることは出来なかったのか。
ホウアンの見立てでは、周りが諦めずに時間をかければ、少しずつでも快復する見込みはあるとの事だったが、恐らく無理だろうとシオンは思う。コウリの二人を想う心は、生半可なものではなかった。それこそコウリにとって二人こそが存在意義。生きる意味そのもの。それが失われた今、彼の心が戻ることはないだろう。
「君はもう…この世界を見限ってしまったんだね」
世界の全てを拒絶して、己の中に閉じこもる。いつか二人の待つ死の世界に旅立つ日まで。
だが彼の右手に宿る真の紋章が、それを許してくれるのはいつなのだろうか。
「…………コウリ」
ぼんやりと開いたままのコウリの目から、涙が溢れて頬を伝った。それは感情の全てを棄てたコウリが、必死に訴えているように見えて。
「それが君の望みなのかい?」
応えは返らない。コウリはただ静かに涙を流すだけだ。
「判ったよ……」
緩慢な仕草で手袋を外した右手をコウリの額へとあてがう。瞼を閉じさせ涙を拭ってやる。
コウリの気持ちは痛い程判った。他でもない自分には。コウリと同じ運命を強いられた自分には。
「僕は結局、君たちを助けることは出来なかったんだね……」
救いたいと、幸せになって欲しいと思った人は、みんな自分を置いていく。
やるせなさそうに目を閉じ、心の内で短い祈りを捧げる。彼の望みが叶うように。




「シオン殿?」
いつまで経っても階下に降りてこないシオンの様子を窺いに、シュウは大統領の部屋の扉を叩いた。
だが中からの応えは無い。眠ってでもいるのだろうかと、もう一度大きくノックして存在を知らせた後、部屋のノブに手をかける。
「……コウリ殿」
室内にシオンはいなかった。シオンが挨拶もなしに、出口以外の場所から帰るのは初めてではないので、姿が見えない事はそれほど驚かない。コウリも先ほどと変わらずソファに座り続けている。
違うといえば、目を閉じていることくらいだろうか。
「やれやれ、また窓から帰ってしまわれたか……。偶には挨拶くらいしていって欲しいものだ」
一人ごちながらコウリに近づく。眠っているのならベッドに移そうと体を抱えあげた途端、シュウの手が止まった。
「……まさか」
恐る恐る、僅かに開いた唇に手を翳す。
「…………っ」
慌てて右手を取り、脈を計る。眠っている間も握り締めて決して放さない小袋が、床に落ちて乾いた音を立てた。
「コウリ殿っ!コウリ殿!」
シュウの悲痛な叫び声を聞きつけ、兵士達が部屋に駆け込んでくる。静かだった部屋は、喧騒に覆い尽くされ、やがて何の物音もしなくなった。





今夜は見事な満月だった。晧晧と足元を照らす月明りのお蔭で、昼間とほぼ変わらずに歩く事が出来る。
右手がまだ熱い。極上の魂を食らった喜びに打ち震える紋章に、シオンは血が滲むほど強く爪を立てた。
――あの方を救ってください……
自分は彼の魂を救うことが出来たのだろうか。
コウリの顔は安らかだった。最期に微かに微笑んだように見えたのは、自分の罪悪感が見せた都合のいい幻だったのか。
彼の右手に宿った紋章は、彼の心臓が鼓動を止めた瞬間、持ち主の体を離れ空にかき消えた。またどこかで信頼し合う親友同士に宿り、彼らのような悲劇を繰り返させるのだろうか。
何のために。
自分たちが一つになるために。
世界は紋章と星のエゴに振り回されている。星のシナリオを運命と呼ぶならば、所詮ちっぽけな存在の人間はそれに従うしかないのか。
否。運命は絶対ではない。可変のものだ。
それをコウリが証明してくれた。彼は運命に逆らった。あの結末は星が望んだものではないだろう。星だとて、人の心までは操れはしない。
立ち止まって、冴え冴えとした夜空にひっそりと輝く月を仰ぎ見る。
「二人には会えたかい?コウリ……」
自分はまだ行く事の出来ない場所へ、一足早くコウリは旅立った。その場所で、彼が再び笑顔を浮かべている事を願わずにはいられない。 
「いつか僕が行くまで待っててくれ。その時は皆で酒でも酌み交わそう」
コウリの選んだ道は、自分にも示された選択肢の一つだった。
だが自分がこの道を選ぶことはない。自分はどんなに辛くとも、テッドの生きた三百年を生き抜くと決めたのだから。
再び前に向かって歩き始める。行く手を阻むように吹き付けて来た風を物ともせずに。
深い森を進む旅人を、月だけが見守っていた。





同人誌「月鏡」より、コウリ部分のみ再録。
BEだとこうなっちゃうのですよ…



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