闇で煌く青



「――あれ?」
声に出して呟いて、テッドは首を傾げた。
今確かに闇が『開いた』のを感じたのだが、訪れた気配はシオンでもコウリのものでもない。
また新しい真の紋章持ちがやって来たのかと、表情を引き締める。自分やシオンの知人なら問題は無いが、真の紋章を己の欲に使おうとするような輩だった場合、他の防人の手も借りるようかもしれない。
意識を集中して様子を伺うと、テオはいつもの如く睡眠中、オデッサも寝ているようだが念を発せば起きてくれるだろう。
用心の為に姿を消して、来訪者のすぐ近くへと空間を飛んだ。
「な……」
一目見て絶句した。
来訪者は慌てたり怯えたりする様子はなく、顎に手を当て、何やら考え込んでいた。
やがて結論が出たのか、その場に座り込むと、あろう事か片腕を枕にごろりと横になった。
「おい!寛ぎすぎだぞ、お前!」
お陰で話しかける最初の一声がこれになってしまった。
サラサラのあけぼの色の髪の下から覗いた青が、テッドの姿を捉えて軽く見開いた。
「おかしい。死んだ筈のテッドがいる。やはり夢か」
「夢なのは間違いないが……って、そこでまた寝るなああ!!」
一人納得して再び寝に入ろうとした相手に、ぴしりと指を突きつけ絶叫する。
これが、かつて命がけで戦った戦友との220年ぶりの再会だった。



とりあえず、膝を突き合わせて簡単な状況説明をした。
突拍子もない話だが、アスはすんなり納得した。相変わらず柔軟な頭の持ち主である。
昔からやたらと臨機応変の得意な奴だった。小さい頃から我侭お坊ちゃんの世話をしていたお陰で身についた能力なのかもしれない。
「状況は大体判った。だが、だったら何故船にいた頃にこういった現象が起きなかったんだ?この空間と繋がるようになったのは、宿主がシオンになってからなのか?」
更にこの鋭い考察。畏れ入る。
テッドがこの矛盾に気づいたのは、ずっと後になってからだというのに。
「いや、俺もここで俺の防人に会ってたぜ。多分、あの戦いの頃はまだお前が本当の意味での宿主になってなかったからだと思う。紋章に認められて初めて、ここに来ることができるんだろう」
「成る程」
アスが得心が行ったように頷いた。
「ところでお前がここにいるということは、もしかしてシオンと同じ宿屋に泊まってるのか?夕食時に食堂でお前の姿は見かけなかったが」
「到着したのが遅くて、もう食堂は閉まっていたんだ。屋根に赤い風見鶏がついている宿屋だ」
「同じだ。にしても別に待ち合わせした訳でもないのに宿屋でバッタリが二回も続くとなると、真の紋章を宿した者同士は引かれあうなんて俗説も、案外的外れじゃないのかもな。シオンたちは階段を上がってすぐの角の部屋だったぜ」
「いや、隣はカップルだった筈…」
ふと何かに気づいたように、アスが言葉を切った。
拳に唇を当てて考え込み、
「……二人はそういう関係だったのか?」
「あー……。もしかしてヤってたか?」
苦笑いするテッドに、こくりとアスが頷いた。
「女性を疑わなかったが、そういやシオンは声が高かったな」
「あの女声はシオンのコンプレックスなんだが、お陰で助かってるよなー。俺みたいに声変わりしてたら、流石にバレバレだし」
からからと笑って手を振る。当然のように同意が返って来るものと思っていたが、予想に反して向けられたのは訝しげな視線だった。
「何で笑う?テッド」
「へ、何が?」
「大切な人が別の人間と寝ていて、お前は平気なのか」
びくりと頬が引き攣った。
「………何言って…」
「誤魔化しても無駄だ。グレッグミンスターでシオンと一緒にいるお前を見て、一目で判った。あんな愛し気な目をしておいて、違うとでも?」
「…………」
ぐらりとテッドの体が傾いで、後ろへ倒れこむ。
そのまま重力には従わず、くるんと一回転し、
「あの一瞬でバレたってか!うわあ恥ー!!!」
頭を抱え、真っ赤な顔で悶絶している。
「という事は、グレミオさんやクレオさんたちにもバレてた可能性が…いや待て、俺がシオンを意識したのは、死んでここに来てシオンに告白されてからだ!グレッグミンスターにいた頃は、親友としか思ってなかった!だからお前の推察は間違っている!」
体勢を建て直し、指をアスに突きつけて胸を張る。
「単に無自覚だっただけだろう」
「ぐ…」
抜け道をみつけ、ほっとしているテッドに容赦ない一言が突き刺さった。
「そんなに気に病まなくとも、男同士は今更じゃないか。戦後ずっとアルドと一緒だったんだろう?」
「!!!?違うからな!確かに一緒だったけど何もなかった!」
「え、何もなかったのか?」
「…………」
アスの物凄く意外そうな声に、二の句が告げなくなってしまったテッドだった。
確かに、全く何もなかったと言えば嘘になる。
だがそれは合意の上ではない。雨の甲板に閉め出された夜、アルドが眠っている間に一度だけ唇を掠め取った。放っておけばどこまでも膨れ上がってしまいそうな想いを封じる為に。
求めれば、恐らくアルドは応えてくれただろう。男から向けられた歪んだ恋情も、アルドは蔑視することなく受け入れてくれただろう。
アルドは性別に関係なく、人として人を愛してくれた人間だから。
だがソウルイーターを宿すテッドの想いは、アルドの死に繋がる。
想うだけで危険なのに、手に入れてしまったら確実に紋章に奪われる。
優しく呼ばれる名前、そっと寄り添ってくれる温もり、全てを受け入れてくれる笑顔。霧の船で30年間眠りながらずっと焦がれていたものを与えてくれる人間に出会って、どうして惹かれずにいられようか。
俺に構うなと突き放した。
紋章の事を打ち明け、俺に近づくと死ぬぞと警告した。
差し出される手を拒み続けた。
それでも追いかけてきてくれる事を、切ないほど願っていた。
アルドはテッドの期待を裏切ることはなかった。――逝った後まで。
アルドを喪い、絶望に打ちひしがれていたテッドを救ってくれたのもまたアルドだった。アルドのピアスがなかったら、テッドは霧の船から降りた時のような他人拒絶症に戻ってしまっていたに違いない。
300年間生きて、あんな人間はアルドただ一人だった。
愛していた。自分以外の人間がアルドに触れる事を許せなく思うほど。
自分だけを追いかけて欲しい――醜い独占欲。
冷たく突き放し、何も返さないでおいて、愛だけは望む。
自覚は卑怯にも無意識下。確信犯でありながら、表面的には自分をも騙している。アルドなんか好きじゃない。付きまとわれて迷惑だ。その冷徹の仮面を作る材料は、充たされた歓びだ。
こんな醜い自分を愛してくれた優しいアルド。
アルドがテッドの防人になっていないことに、心の底から感謝した。
魂をも解放しようとしない己の独占欲に、絶望せずに済んだ。
シオンを想う感情とは明らかに別物だ。
シオンの事は、ただ愛しい。この魂を輝かせる為なら何だってする。シオンを守っての死は最高の悦びだった。
これもまた一つのエゴの形だと、知ってはいる。
告白されるまで、シオンを恋愛対象とは考えた事もなかった。そんな想いで汚してはいけないと、無意識に避けていたのかもしれない。シオンを宝物扱いしようとするフィルターを外してしまえば、ちゃんとシオンに対する欲望が眠っていた。
ただやはり、アルドへの欲望とは違うのだ。シオンには与えたい、アルドは奪いたい。
アスとは戦後一度だけ、偶然嵐の山で遭遇した事がある。その時アスは顔と声を隠しており、二度と会わない旅人同士という気安さから、明確な言葉ではないものの、うっかりアルドへの気持ちを漏らしてしまっていた。
故にアスがそんな推測をするのも仕方ないのだが。
「できっこないだろうが……」
本音を溜息に変えて、アスに聞こえないよう小さな声でぽそりと呟いた。
もしテッドが宿していた真の紋章が、相手の命を奪ってしまうソウルイーターじゃなかったら、きっとアルドとそういう関係になっていただろうが。
「何か言ったか?」
「何でもない」
否定に紛れさせて緩く首を振り、思考を散らした。
「シオンから告白したのに、当の本人は別の相手と浮気していて、テッドもそれを容認している訳か。……変な関係だな」
「シオンがここに来れるのは一月に数回程度、しかも宿主であるシオンだけにはここでの記憶は残らない。現実で崩れそうになってるシオンを救ってやってくれって俺がコウリに頼んだんだ」
「相変わらずお人よしだな」
アスがやれやれと肩を竦めた。
そこには労わりも含まれていた。
「……シオンが現実でもここの事を覚えていたら、誰がこんな真似するかよ。あいつは寂しがりやだから、夢の中で癒してやるだけじゃ足りない。俺が紋章を渡さなければ、シオンは温かい家族に囲まれ幸せに暮らした筈だった。俺があいつから家族や故郷を奪った。そんな俺を、シオンは好きだと言ってくれる。俺に出会えて良かったと…。現実でシオンが孤独を癒すために他の人間に縋るのを、どうして止められる?俺の手はシオンの体を温めてはやれないのに」
物分りのいい大人のフリをして、自分からコウリを焚き付けた。
二人が自然にそうなるよりも、自分の手でまとめた方がマシな気がしたから。
シオンが求めたのがコウリで良かった。コウリならテッドとの付き合いも長く、気心が知れている。ここに来ることのできない全くの第三者だったら、いずれ自分は嫉妬を抑え切れなくなっただろう。
「辛いな、テッド」
静かな同意が優しい。
「仕方ないさ。……お前の方はどうなんだ?今も一人か」
「ああ。だけど帰る場所はちゃんとある」
「帰る場所?群島か」
「いや、今はファレナ女王国だ」
「は?」
アスは楽しそうに笑って説明してくれた。
スノウの遺言で、スノウの直系の男子のミドルネームには『アス』という名前を代々つけること。その子たちを見守り続けて欲しいと頼まれたこと。
今の『アス』がいるのが、ファレナなのだという。
「スノウが遺してくれた、俺の名を持つスノウの子供。彼らが続く限り、俺は孤独を知らずにいられるだろう。群島は故郷で、あの子たちが俺の家なんだ」
「へえ、中々洒落たことするじゃないか、スノウの奴。でも何で男にだけ名前を継がせたんだろうな。ミドルネームだったら女でも問題ないだろうに」
「それは俺も不思議だったけど……もしかしたら、間違いが起きないようにって事なのかも」
「お前がスノウの子孫に手を出さないようにってか。うん、そりゃ最もな懸念だ。スノウの顔した女の子がいたら、お前にとって最高の嫁さんだもんな」
「……多分、スノウは自分の子孫が俺の子を産むのが嫌だったんだと思う…俺たちにはできなかった事だから…」
「は?俺たちにはって……え、まさかお前ら!?」
やや頬を赤く染め、アスがこくりと頷いた。
「…………そうか良かったな」
「……ありがとう」
微妙なやり取りだった。
(この様子だと、アスが抱かれる側だったかな)
横目で伺ったアスは、妙に艶めいた顔をしている。スノウとの事を思い出しているのだろう。
二人が肉体関係を望むとは思ってなかったので驚いたが、それだけの雰囲気は元々醸しだしていた二人だ。聞けばあっさり納得した。
「ん?ちょっと待て。お前たちがデキてたのに、スノウの子孫って。奴に兄弟はいなかったよな」
「ああ、スノウはジュエルと結婚したから。翌年には凄く可愛い男の子が生まれたんだよ。僕の名前が付けられたのは、孫からなんだけどね」
「…………さいですか」
男同士だとかアスが不老であると言った障害を踏まえて、互いの手を取ったんじゃないのだろうか。
恋人が別の女との間に作った子供を、こんな親馬鹿丸出しの蕩ける様な笑顔で語るとはどういう了見なのだろう。
将来を考え、合意の上で別れた、という所なんだろうか。
(まあ、泣いてないならいい)
当時は流石にそんな訳には行かなかったかもしれないが、今、こんな笑顔でスノウを語れるのなら。
「あれ、お前今僕って言ったか?」
「ああ。テッドに会ってつい昔に戻ってたが、元々の一人称は『僕』なんだ。軍主を任された時、リノ王に様にならないなって言われて戦争の間だけ変えた」
「なんと、そんな裏話が!……っと、そろそろ時間みたいだ」
テッドの視線の先から、白い光が迫ってくる。
「お前と話せて良かったよ。ずっと気にかかってた嵐の山での事も謝罪させたしな。気が向いたら暫くシオンたちと一緒に旅をしてみろよ。そしたらまたここに来れるからさ」
「お邪魔虫にはなりたくないから、遠慮しておく」
「それもそうか」
ははっと笑いあった後、アスが右手を差し出した。
「ちゃんと挨拶できなかったから。あの時は一緒に戦ってくれてありがとう」
「俺の方も礼を言ってなかったな。霧の船から連れ出してくれて感謝してる」
かつて握手を嫌ったテッドの右手に、もう紋章はない。躊躇い無く握り返された右手に、いつも握手を拒まれていたアルドを思ってアスが浮かべた小さな笑顔は、眩い光に飲まれて行った。




翌朝の食堂で、アスはシオンとコウリに再会した。
二人はとても喜んで、テッド同様暫く一緒に旅をしないかと誘ってくれたが、丁重に断った。
二人の関係に気づいた事は黙っておいた。ただ去り際に、泊まっていた部屋の位置と隣のカップルが煩かった事を告げた時、二人の表情が一瞬強張ったのを見逃さなかった。






久しぶりの再会で話題が一杯で、シオンたちとの話は入れられませんでした。
主坊はカップルになった翌年なので、まだまだお盛んです(笑)
スノウの事を語りだした辺りから、アスの口調が柔らかくなっています。220年経ってもまだまだスノウらぶのアス。実は一回だけ、スノウの子孫と浮気してます(笑)相手はもう鬼籍入り。
アルドが防人になってなくてほっとした理由が、「闇に落ちた雫」とは少し違っています。あれも嘘じゃないけど、こっちが本音。
スノ主が出来上がってから別れまでの経緯と、アルドのピアスの話は、完売した同人誌で書いています。そのうち再録します。



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