闇の中の ひとみ



すっかり慣れ親しんだ闇の気配が自身を取り巻くのを感じながらも、シオンの瞳は固く閉ざされたままだった。
その場にじっと座り込み、膝に顔を埋めて、いつもは無情に感じるあの白い光が自分を現実に連れもどす瞬間を待ちわびる。
もうここに来ること自体が辛かった。
最後にテッドと会ってから既に三回ここを訪れているが、あれ以来誰とも会っていない。
一回目はバンダナを残して来た。それでテッドが心を動かしてくれないかと。
二回目は声の限りにテッドを呼んだ。頼むから姿を現してくれと。
三回目はそれでも望みを捨て切れなくて、ひたすら闇の中を探し回った。
ただテッドに会いたかった。どこまでも続く闇の中を、テッドを求めて走り回る自分の息づかいだけが、無音の世界に聞こえる音のすべてだった。
そして四回目の今は……疲れてしまった。
多分二度とテッドは会う気が無いのだろう。折角取り戻した優しい腕は、再び遠い所に行ってしまった。
オデッサも邪魔しないと言った手前か、シオンの前に現れない。シオンは一人世界に取り残されたような孤独を味わっていた。
「テッド……」
ぽつりと漏らした彼の名も、反響することなく闇に消えていく。
「もう…君は僕の前に姿を現してはくれないの…?」
テッドに会えないならば、ここに来る必要がどこにあるだろう。
「そこにいるんだろう…僕には見えないけど、君からは僕が見えるんだろう?もう抱きたいなんて言わない。君にも触れないから、だから………姿を現してよ!テッド!!」
伏せていた顔をあげ、闇に向かって絶叫する。その叫びすらも、闇は遠くへ運ぶことなく吸収してしまう。
辺りに広がるのは、ただただ闇と静寂。
「……ずるいよ…。僕に一言の弁解もさせてくれないのか……」
自嘲するように呟くシオンを慰めるように、あの暖かい気配が包み込む。それが囁くのは、すべてを委ねて楽になれという甘い誘惑。
「………散れっ!!」
シオンの叫びに闇の気配が怯えたように霧散した。だがまだつけ込む隙があると見たのか、再び一つに集まり未練がましくシオンの周りを漂っている。
「僕はお前なんかに取り込まれてやるつもりはない。僕はテッドに誓ったんだ。テッドの分まで生きるって。たとえ二度とテッドに会えなくたって、それは変わらない。三百年もの間テッドを苦しめてきたお前なんかに、テッドがくれた命は渡さないっ!」
シオンの言葉が刃となり、気配を粉々に打ち砕く。それは今度こそ跡形も無く飛び散った。
そして再び訪れた、たった一人の世界。
「……テッド…」
切なげに眉を寄せ、手袋を外す。現れた右手に宿るソウルイーターに口付けながら、シオンは低い感情を押し殺した声で、主としての命令を下した。
「………汝ソウルイーター、生と死を司る紋章よ。汝と我を繋ぐ道を断ち切り、防人を解放せよ」
防人を解放するということは、今現在シオンたちのいるこの空間を破壊するということだった。一部分とはいえ、自分を攻撃する命令にソウルイーターが抗ったが、それをねじ伏せ重ねて命ずる。
二度の詠唱に屈して、右手が光を発した。いつもテッドとシオンを引き裂くあの白い光が、今度はシオンの命に従いその力を放つ。
光が闇を照らしていくのを、シオンは麻痺した心で見つめていた。
これでいい。テッドに会えないなら、もうここが存在する必要はない。
テッドが自分を避けるというのなら、会いたくないというのなら、もう彼を解放しよう。
テッドの魂のいない『呪いの紋章』を抱え、僕は一人で生きていく。
この紋章がたった一つ残された、僕がテッドと親友であったという証なのだから。
光が闇を切り裂いていく。防人のいるこの空間が、安定を失い崩れ始めるのが判る。
今までの、シオンとのリンクを断ち切るための光とは違う、空間そのものを破壊する光。
さよなら、父さん、オデッサ。みんながいなくても、僕は一人でこの紋章を抑えて生きて行くよ。
さよならテッド。……僕の親友。この世で一番大切な君。
「シオンっ、何をするのっ!!」
「オデッサ……」
悲鳴のような叫びをあげて、オデッサが姿を現した。やっぱりテッドは姿を現さない。少しだけ期待していたのに。最後の最後まで、テッドは自分を避け続けるのか。
シオンは真っ青な顔で見つめるオデッサに向かって、微かに微笑んだ。
「あなたたちを解放してあげるよ……。もうこの場所は無くなる。僕がソウルイーターの中に来ることもない」
「シオン!気は確か?私たちが解放されることを望んでいると、本気で思ってるの?私たちは自分の意思でここにいるのよ。いくらソウルイーターだって、望まない者を防人には出来ないわ。私たちはあなたと、世界をソウルイーターから守るために、誇りを持ってここにいるの!!馬鹿にしないでっ」
「……オデッサこそ……僕は一人で立てるよ。守ってもらう必要は無い」
冷めた目と静かな表情でたんたんと言葉を紡ぐシオンに、オデッサはもはや自分が何を言っても届かないことを知る。
「テッドの所為…?あの子が姿を現さないからなの…?その為にあなたは……」
シオンは微笑を浮かべたままだ。それを肯定と取って、オデッサは溜息を吐いた。
「判ったわ…。もう何も言わない。でも少しだけ時間をちょうだい。私がテッドを連れてくるわ。二人でちゃんと話し合いなさい。あなただってこのままテッドと別れるのは嫌でしょう?だから今はこれを止めてっ!」
「……判った」
シオンが再び紋章に命じると、空間の崩壊は止まった。この空間は球体の黒いガラスのようなもので覆われて居たようで、それがあちこち割れた状態になっている。砕け落ちた空から覗く色は光を表す白一色だ。
「いい?私がテッドを連れて戻ってくるまで、じっとしてるのよ。馬鹿なこと考えちゃ駄目よ」
そういい残すと、オデッサは慌てて姿を消した。シオンには見えない所を探しているのだろう。彼女ら防人は互いを感じ取れるらしいから、オデッサが探すなら確実にテッドはここに来る。
シオンは目を閉じて、天を仰いだ。これがテッドとの本当に最後の別れになるだろう。
「…………っ」
ふいに背後から強く抱き締められ、驚いて目を開いた。自分の体に回されている、見慣れた二本の腕。
「…テ……ッド?」
半信半疑で手の主の名を呼ぶと。
「……シオン…」
耳元に誰よりも聞きたかった声。
「テッド……!!」
振り返ろうとして、テッドの腕に阻まれた。その力は強く、シオンが振り返ることを許さない。
「テッド……やっと来てくれたんだね…。会いたかった…。この前はごめん。テッドの気持ちも考えずに、自分の気持ちばかり押し付けて……。手、離して?顔が見たいよ」
だが腕の力は弱まらない。むしろ今まで以上に強く抱き締められる。
「……このまま……聞いてくれ。ずっと姿を現さなくて悪かった。お前の俺を呼ぶ声は全部聞こえてたよ。聞かないように耳を塞いででも……聞こえてしまう。お前の悲痛な声を聞くたびに、何度出て行こうかと思ったことか…。でも出れなかった。今度お前に会ったら、俺はもう自分を抑える事ができないだろうから……」
「……テッド…?」
シオンは首だけ回してテッドを見た。シオンの肩に顔を埋めているテッドの表情は見えない。
「お前は俺の人生の中で一番大事な人間だ。お前が俺に対してそういう感情を持ってるって判った時、戸惑った反面嬉しくもあった。お前がそこまで俺に執着してくれてるんだって思ったら、凄く嬉しかったんだ。男同士だからって気持ち悪いとか、そういう感情は無かったよ。でも世間はやっぱりそういう目で見る。俺はここでしか存在できないから、誰もお前を非難しないし、お前も現実では記憶が無いから気にしなくてもいいんだろうけど…それでもお前をそういう道に引き込みたくなかった。お前には日の当たる所をまっすぐ歩いて欲しかったんだ……」
「………」
シオンは黙ってテッドの言葉を聞いている。肝心な部分を敢えて濁した言葉を、シオンは正確に感じ取っていた。テッドが恐れているのはシオンを汚すこと。シオンに触れることを恐れているのではなく……むしろ望んでさえいるということを。
シオンは僅かに首を傾げ、こつんと肩口にあるテッドの頭と自分の頭をぶつけた。
「ねえ、テッド。僕は君が好きだよ。君は?」
今までのテッドの告白など聞かなかったかのように、明るい口調で尋ねる。
「……好きだ」
シオンの意図を図りかねて、テッドが困惑気に、だがはっきりと答える。シオンは自分を抱き締める腕を労わるように優しく撫でた。
「僕は君を恋愛対象として見てる。好きだからキスしたいし、抱きたい。君は?」
「…………」
「答えてよ。一生のお願いだからさ」
くすくす笑って、力の弱まった腕を振り解き、その右手のひらに軽く口付ける。かつてはここにソウルイーターがあった。あの日まで見たことなかったテッドの右手。日に当たることを忘れた白い手。
「……お前に触れるのは嬉しいし、キスも好きだ。お前とのキスは今までしたどんなキスよりもドキドキする。俺にとって、お前は恋愛対象なんてそんな簡単な言葉じゃ分類できない。…全部だよ。お前が、俺のすべてなんだ」
右手に口付けられ、ぴくりとテッドの手が震える。抱擁から逃れると、シオンはくるりとテッドに向き直った。
「……テッド……」
テッドの顔を見るのは何日ぶりだろう。……久しぶりに見るその目は少し赤かった。
愛しさがこみ上げてきて、今度はシオンがテッドを抱き締める。
「ねぇ、テッド…僕は日の当たる場所なんて望んでない。僕が望むのは君と共に在ることだけだよ。それに僕は君を愛する事を恥ずかしいとは思わない。男同士がなんだっていうのさ。たまたま好きになった人が同性だっただけじゃないか。むしろ僕は世界中に叫びたいよ。これが僕の好きな人だよって……」
「シオン……」
「愛してる。この世で一番、君だけを愛してるよ」
シオンが右手に命令する。先ほどとは逆の、この世界を復活させる命に、今度はソウルイーターも嬉々として従った。
砕け落ちた世界は再び闇に覆われ、安定を取り戻した。
「……私の出番はなかったわけね」
暫くして黒一色の世界から呆れた様な、安堵したような柔らかい声がして、オデッサが姿を現した。オデッサは抱き合っている二人を見て、すべてを理解したようだ。
「テッド、あなたずっとシオンの傍にいたの?同じ防人である私からも気配を隠して…さすが元主といったところかしら」
「悪い……オデッサ」
「この貸しは大きいわよ。覚悟してなさい。……シオン、とりあえずここは安定してるけど、まだあちこち閉じ切れてない場所があるわ。テオ殿が修復に回って下さるそうだけど…当分こことあなたが繋がる事はなさそうよ。自業自得と思って我慢するのね」
「そうか…」
苦笑しつつシオンが頷く。
自分の弱い心がこの不安定な世界を破壊し、すべてを無に帰そうとした。自分が一番恐れる、テッドと二度と会えなくなる状態を自らで作り出そうとしていた……これは当然の罰。
暫く会えない程度で済むなんて、軽すぎるくらいだ。
「またあんな真似したら、私があなたをソウルイーターに喰わせてやるわよ。さあ、今度は時間切れの光が来るわ。当分会えないんだから、心ゆくまで別れを惜しみなさい。邪魔者は退散してあげるから」
笑ってオデッサが闇に消える。二人は互いに顔を見合わせ、苦笑いした。
「ああ、本当だ。光が迫ってくるね…。今日来たときはあんなに待ちわびていた光なのに…今はまだ来て欲しくない」
「ごめんな…。お前をずっと一人にして、傷つけていて本当にごめん。もう俺も迷わない。自分の気持ちに正直になるから、だから許してくれないか…?」
テッドの両手が伸び、シオンの頬に添えられる。そのまま押し付けるようにして唇が重なった。
「テッド……」
すぐに離れた唇の代わりに、大好きなアースブラウンの瞳がシオンを見つめて来る。
「今度僕を一人にしたら許さないよ。……今回は許してあげるけど」
「ああ、二度とお前を一人にしない。約束する。どこまでも……お前と一緒だ」
笑ってテッドがもう一度キスをくれる。主導権を握られ面白くないシオンが、仕返しとばかりに舌を差し入れキスを深いものに変える。
白い光に飲み込まれながら、シオンはようやく一番欲しかったものを手に入れた。



やっと決着つきました。この二人!長かったなあ(しみじみ。って自分が書かなかっただけじゃん(爆))
ここで一応闇の前半分は終了です。あとはコウリたちと合流してからの話のみになります。

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