星が森に帰る夜


グレッグミンスターを出てから数週間か経ち、ようやくコウリの住む街にたどり着いた時には、季節は秋になろうとしていた。
何の連絡もせずにいきなり押しかけたのだが、彼ら三人はシオンの来訪に大喜びし、最上級のもてなしで迎え入れてくれた。
久しぶりに会うコウリは、変わっていないようですごく変わっていた。
まず背が伸びた。以前はシオンと大差ない位だったのが、今では僅かだが見上げる程になっている。
彼は成長期で、自分はこれ以上成長することはないのだから当たり前なのだが、やはりちょっと悔しい。
そして雰囲気が柔らかくなった。ピリピリとした緊張感がなくなって、落ち着いている。これが彼本来の姿なのだろう。
何より笑い方が違う。リーダーとしての、作られた表面的な笑顔ではなく、年齢よりもやや幼い位の素直な笑みを浮かべるようになっていた。
その笑顔に安心した。
彼が今いかに幸せかは、笑顔がすべてを物語っている。
そしてコウリの横に並ぶナナミと見知らぬ少年……彼がジョウイなのだろう。優しげな風貌の彼には、ハイランドを滅ぼした愚王のイメージはなかった。
そこにいるのは仲のいい幼馴染みと姉弟。幸せな家族の姿だった。
「望みは叶ったね」
「はい」
答えるとき、ちょっとだけコウリが申し訳なさそうな顔をしたけれど、無視した。
そんな顔をする必要はないんだ。言っただろ。諦めなければ望みは叶うって。
僕はまだ、諦めてはいないから。


この辺りは小さな部族が数多く存在している地域で、雨は少なく乾燥した土地が広がっている。
未だ開発されていない土地を求めて移住してくる者は多いが、その厳しい自然環境の為出ていく者も多い。
この町では誰もが生きることに一生懸命で、互いに助け合って生活していた。
なので余所者の移住には寛容だ。人が少なくなれば、それだけ生活が苦しくなるからだ。
そんな土地の雰囲気もあってか、子供三人で住み着いたときも、土地の住民は快く受け入れてくれたようだ。そして何も聞かない。詮索しない。でも何かあるときは町中で助けてくれる。それが厳しい自然を生き抜くためのこの町のルール。
ここではコウリもジョウイも唯の子供でいられた。勿論シオンのことを知るものもいない。知っていても何も言わない。
シオンにとってもここは居心地のいい町だった。
ついずるずると長く居座り、どうせなら春までここにいないかと言われ、その言葉に甘えることにした。本当は幸せそうな彼らを見ているのは少し辛かったが、自分と良く似た境遇の彼が親友と並んでいる姿を見るのが嬉しくもあった。
……時々見つけてしまう二人の情事には困ってしまったけれど。
ナナミがいるのに、それはやばいんじゃないかとも思ったが、一応ナナミにはばれないよう気をつけているらしく、二人のそういった行為は彼女の不在時に行われているようだった。
コウリに親友への感情を打ち明けられたときは、まだそういう関係ではなかったはずだ。大体相手も同じ想いを抱いてなければ成り立たないはずだが……両想いだったらしい。
さすがにそのシーンを見てしまったときは、寂しくなった。自分は好きな相手に触れるどころか会うことも叶わない。それを思い知らされてしまって。
コウリはシオンに見られたことに気づいていない。彼はいつもジョウイに夢中で、周りを見やる余裕はない。
気づくのはいつも気配に敏感なジョウイで、目が合うと恥ずかしそうに目を逸らす。
出刃亀するのは趣味ではないので、すぐに立ち去るが、キスシーンも含めると結構な回数目撃してしまっている。……本当にナナミに気づかれていないのか怪しいところだ。
ジョウイとはよく話もした。他愛無い世間話から、政治、戦略まで。
貴族の息子として教育を受けており、またそれを生かすだけの聡明さを持った彼との会話は、コウリとは違った楽しさがあった。
一度だけジョウイに訊いてみたことがある。
二人の今の関係に、抵抗はなかったのか、と。
ジョウイはやや顔を赤らめ、苦笑まじりに答えた。
―――抵抗は…今でもあります。不自然な行為ですし。どうしてコウリが僕なんかを抱きたいというのか判らない。この街にだってかわいい女の子はいます。コウリは結構もてるんですよ。でもそんな女の子たちの視線に見向きもせずに、彼は僕を選んでくれている……。僕はそれに応えたい。本当は天山の峠で失われていたはずの僕の命を、繋ぎとめてくれたのはコウリだから……。
―――それは義務感?
ジョウイが緩く首を振って否定する。
―――いいえ、違います。……違うと思いたい。正直、僕自身にも判らないんです。コウリとの行為に嫌悪を感じることは無いけれど、このままでいいとも思っていません。いつかコウリ自身も目が覚めるでしょう。同性の固い体より、女性の柔らかい肌の方がいいに決まっています。僕のことは若き日の過ちだったと気付くことでしょう。勿論そうなっても、僕たちの関係は変わりません。コウリは僕の生涯の友です。………僕は今幸せです。遠回りしたけれど欲しかったものを、家族を手に入れた。その為に僕はこの手でたくさんの人の幸せを奪ってしまったけれど。
ねえ、シオンさん、とジョウイが逆に尋ねてくる。
―――僕が犯した罪は、どうしたら償えるでしょう。
―――…………。
―――僕が死ぬことで犠牲になった人たちの魂が休まるなら、いくらでも投げ出します。でもそうすると今度は僕が一番守りたかった人たちが、悲しむのが判るから……。僕はもうコウリを悲しませたくないんです。天山の峠でコウリに怒られましたよ。死ぬつもりならどうしてルルノイエにいなかったんだって。あそこでなら君と戦ったのにって……。痛いところを突かれました。死ぬのは怖くなかった。むしろ自分は死ぬべきだと思っていた。でも僕はあそこで死にたくなかったんです。死ぬのなら、僕らの道が分かれる前の、あの場所でコウリ唯一人に看取られて死にたかった……僕の我侭です。
風がそよいでジョウイの髪を乱す。さらさらとくすんだ金髪が流れた。
―――クルガンとシードはこんな僕に付き従ってくれました。彼らはハイランドで、僕が心を許せる唯一の友人たちでした。ルルノイエ落城の時も、最期まで一歩も退かなかったと聞きます。彼らの望みは僕がハイランドを再建することだったろうに、僕は彼らの最後の望みに気づかないふりをして、彼の地に向かったんです。コウリに殺される為に。アナベルさんを殺し、ルカ・ブライトを殺し、ハイランドの皇王になったことを後悔はしていません。後悔しないだけの覚悟がありました。でもルルノイエで彼らを残して、彼の地に向かったことだけは後悔しています。僕はあそこに残るべきだった。僕にはハイランドの最後の皇王として、国が滅びていく様を見届ける義務があった。僕があそこにいれば、コウリも僕と戦うことを選んでいただろうに……。
ジョウイが目を伏せる。
―――彼らの選んだ王は、こんな自分勝手な奴だった。
―――…………。
―――これじゃ彼らも浮かばれない。命をかけて望みを託したのに、肝心の王はその願いに気づかなかったフリをする。コウリに命を救われ、彼に求められた時から、死ぬのが怖くなりました。今は何があっても死にたくない。彼と共に生きて行きたいんです……。
爪が食い込むほど強く握り締めた手が震えている。存在を忘れられ、すっかり冷えてしまったティーカップが、その手に触れてカタカタと小さな音を立てた。
ジョウイの搾り出すような悲痛な声に、シオンはやれやれと溜息を吐いた。彼は変なところで自分と似ている。これがコウリなら、「君が生きることが彼らの望みだったんだから」の言葉で納得するのだろうが……。
―――シオンさん?
―――償いなんてできる訳ない。
―――…………。
―――償う、という考え方は傲慢だよ。彼らは彼らの信じるもののために戦ったんだ。君の本心が彼らの信じた君と違ったとしても、それは君の所為じゃない。彼らは最後まで戦ったよ。君を逃がす時間を稼ぐために、何度も何度も立ち上がって……凄まじい執念だった。……彼らは君が死のうとしていることを判っていたと思う。判っていて命を賭けたんだ。自分たちの王の最期の望みを叶えるために。罪を償ってそれでどうするの?安心して平穏に暮すのかい。違うだろう。死者に償うことはできないんだ。僕らにできるのは……一生この罪の意識を抱えていくことだけ。
自分を信じてくれた人たちを裏切ったという、罪の意識を。
バルバロッサに勝利した夜、誰にも何も告げずに街を出た。
自分をリーダーとして慕い、ついて来てくれたみんなを捨てて。
グレミオには気づかれてしまったが、本当はこのまま誰にも会わずに一人で生きていくつもりだった。
テッドが生きてきたように。
ウインディを倒すことを目標にしてここまで来たのに、彼女の死を目の当たりにして怒りは急速に冷えていった。
そして残ったのは……虚無。
何のために戦ってきたのか、これから何のために生きるのか、自問自答を繰り返し、結局すべてを捨てた。共に戦った仲間、勝利、それらを捨ててあてのない旅に出た。
残された者たちはどう思っただろう。そして自分を信じて帝国軍と戦い、死んでいった者たちは。
その気持ちが判ったのは、皮肉にもコウリが自分と同じ道を選んだときだった。
大統領になって欲しいという皆の希望を振り払い、自分の求めるものの所へ向かったコウリに向けられた様々な感情。
怒り、失望、呆れ、懇願、願い……コウリについて来た人たちの顔が、あの日残してきた仲間に重なる。一部の事情を知っている人たちは複雑そうな顔をしていたが、彼らもコウリが国を治めてくれるのを望んでいたのが判る。
彼らの顔に一様に浮かんでいたのは「見捨てられた」という悲しみだった。
居たたまれなくなって、その場を逃げるように後にした。コウリに向けられた感情が、自分をも責めているようで辛かった。
父と親友を失い、生きる目的すら失ったあの頃の自分に周りを見る余裕が無かったとはいえ、「見捨てた」事実に変わりは無い。
ましてや自分はコウリのように、皆に己の意思を伝えることもしなかった。、自分のことだけ考えて、一番簡単で、一番無責任な道に逃げた。最低のリーダーだった。
城門へと続く階段を下りながら、自分の犯した罪をようやく認識する。故郷へ近づくほどに後悔の念は大きくなる。家族の待つ家に着くなり自分の部屋に引きこもると、何日も考え続けた。
そしてその末に出した結論――それが「自分の罪を忘れない」だった。
時の経過と共に、いつか人々が過去の過ちを赦したとしても、死者に赦されることはない。
免罪符はいらない。赦されようとも思わない。
それが、あの時自分を信じて死んでいった人たちに対する、自分なりの償いなのだ。
ジョウイはじっとシオンの言葉に聞き入っている。やがて静かに目を伏せ頭を垂れた。
―――ありがとうございます。僕が間違っていました。罰を与えられて、それで赦してもらおうなんて虫が良すぎますね。僕は忘れません。クルガンとシードのこと、僕が殺した人たちのこと……いつか僕が死んで彼ら自身に裁かれる日まで。
閉じられていた瞳が開かれる。そこにある意思の輝きを見とめて安心した。
―――そろそろ戻りましょう。この辺は日が落ちるとぐっと気温が下がります。家に戻って温かいお茶を淹れなおしますから。
冷え切ったティーカップをお盆にのせ、ジョウイが立ち上がる。彼らのお手製という、小高い丘の上の木のテーブルとイスはシオンもお気に入りだった。
背後に真っ赤な夕日が迫ってくる。やがて静かな夜の帳が下りてくるだろう。
―――僕はもう少しここにいるよ。
―――寒いですよ?
―――星が見たいんだ。……大丈夫、寒いのは平気なんだ。
夕飯までには帰るから、というシオンの言葉に、ジョウイもそれ以上言わず一人で家に戻っていった。
夕日はやがて地平線に沈んでいき、明るい星々が輝き始める。
最近夜が好きになった。静かで、暗くて、明かりといったら星と月しかないようなそんな夜が。
昼間よりも夜がいい。誰かが傍にいてくれるような安心感がある。
シオンは右手の手袋を外した。人前では絶対に外さないそこから現れた紋章に口付ける。
なんだか最近儀式のようになってしまったこれは、自分の弱い心を奮い立たせるためのものだ。
まだ自分はテッドに甘えている。彼がいなければ一人で立つことも出来ない。
尤もらしくジョウイに語ったりしたが、自分だってまだ足掻いている最中だ。


―――…………
降るような星々を見上げながら、声にならない声で彼の人の名を呼ぶ。
呟きを聞いたのは星だけだった。






何が言いたかったんでしょう、自分。まとまりない話ですね。この話、元はLadyと一本だったんですよ…。ノリ違いすぎ。



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