闇への訪問者


「ここ、どこだろうね。ジョウイ」
「さあ……」
互いに顔を見合わせる。気がつくと二人はどこまでも続く暗闇に佇んでいた。


「変なの……。真っ暗でどこにも明かりが無いのに君が見える」
「本当だ。僕たち自身が光ってるってわけでもないみたいだけど……あれ?」
黒一色の世界の中で、ジョウイが何かを見つけて目を細めた。
視線の先に目をやると、二人から少し離れたところに人影が見える。
向こうも二人、自分たちとそう変わらない年齢の少年たちのようだ。
「ね、あれってシオンさんじゃないのかな」
二人のうち、こちらに背をむけている方の少年は、二人もよく知っている人物だった。トレードマークのバンダナが、彼の動きに合わせて揺れている。
「もう一人は知らない人だけど、シオ……」
「待ってっ、ジョウイっ」
シオンの名を呼ぼうとするジョウイの口を慌てて塞ぎ、コウリは二人から隠れるようにジョウイごとその場に屈み込んだ。
無理矢理引きずり倒され、口を塞がれモゴモゴと苦しそうにもがくジョウイを他所に、コウリの視線はじっと二人に注がれている。
「黙って……二人に聞こえちゃうよ……」
どうして隠れる必要があるんだっ、と心の中で叫びながら、ジョウイはなんとかジェスチャーで、叫ばないから手のひらを外してくれるよう頼んだ。コウリがそれに気付き手を離す。
息苦しさから開放され一息つくと、ジョウイが訝しげに親友を振り返る。コウリは無言でシオン達を指差した。
「っ……」
親友から二人に視線を戻した瞬間……見てしまった。
シオンがもう一人の少年とキスしているところを。
相手の少年の表情はシオンの陰になっていて見えないが、抵抗する素振りはない。
少年も目を閉じているので、二人ともこちらにはまだ気づいていないようだった。
「えっえっ、シオンさんて……」
まだシオンとあまり話したことのないジョウイは驚きを隠せない。
シオンとは互いに親友に想いを寄せているという点で、共犯者的な関係であるコウリが、ぼそりと怒った様に呟いた。
「大事な人がいるっていったのに…絶対諦めないって言ってたのに……ひどい。浮気するなんて……」
その口調からなんとなく、二人がどういう会話をしていたのか判ってしまい、ジョウイは泣きたい気分になる。
「あの人がその大事な人なんじゃないのかい」
「ううん違うよ。だってシオンさんの大事な人はもう死んじゃって……あっ」
コウリの短い叫びに、慌てて二人に視線を戻す。そこでは――
「うわ…素早い。もうあんなことまで……うーん、さすがスマートだな。参考になるよ」
「参考にしないでくれ……。コウリ、もうこんな覗きみたいな事止めようよ……」
「なんで?なかなか見れないよ。人の情事なんて。それにあのシオンさんだよ?あの人がどんな風にやるのか、すごく気になるじゃないか」
「コウリ……」
ジョウイはもう涙を禁じえない。コウリはジョウイの後ろでうわー、とかへえ、とか感嘆の声をあげている。
と。
「わっ」
背後からコウリの手がするりとジョウイのシャツに潜り込んで来た。そのまますべらかな肌を撫で回し始める。
「ちょっちょっとコウリっ……」
「シオンさんたち見てたらしたくなっちゃった。いいよね?向こうも盛り上がってるし」
嫌だって言ってもするくせに―――ジョウイの哀れな叫びは降りてきた唇に塞がれ発せられることはなかった。
「……っふ……」
「ジョウイ、可愛い。そんなに声抑えなくてもいいのに。どうせ盛り上がってる向こうには聞こえないよ」
「だからってっ…あっ……」
「大好きだよ。ジョウイ……」
「コウリ……」
「……いい加減にしてくれないかな、君たち」
「っ!!」
すっかり二人の世界を決め込んでいたコウリの頭上に、低い、怒りのこもった声が降り注ぎ、ぴたりと手が止まる。
恐る恐る声の主を振り仰ぐと、両手を組み、にっこりと笑みを浮かべている――だが同時に額をぴくぴくと痙攣させているシオンと目が合った。
背後に渦巻くドス黒いオーラが、笑顔の下に隠された怒りを物語っている。
「あ、シオンさん……」
「あ、シオンさん、じゃないだろっ。どうしてここに君たちがいるんだっ」
見せ掛けとはいえ笑みが浮かんでいたのもそこまでで、呆けたコウリの呟きに、シオンがキレた。
「僕たちだって知らないですよお。気づいたらここにいたんですっ」
「まあまあ、落ち着けよ、シオン」
怒り狂うシオンの肩を、少年が軽くぽんぽんと叩く。先ほどシオンに乱された服は、もうすっかり整えられていた。
「落ち着けだってっ」
振り返ってキッと少年を睨む。その声の迫力にジョウイとコウリは更に小さく縮こまった。
「折角の君との貴重な時間なのに邪魔されて、それで怒らずにいられると思うのかい?しかもこいつらは僕たちの横で始めてるんだよっ。 現実でも散々やってるんだろうに、ここで位遠慮しろって言うんだ。いつでもどこでもサカるんじゃないよ」
「…………」
もしもし、シオンさん?
なんか僕の知っているあなたと違う気がするんですが。
コウリの頭を過ぎる疑問符に気付かないまま、シオンの暴走は止まらない。
「大体普段からいちゃつきすぎなんだよ。人目も憚らず二人でくっついてさ。そりゃ、ここは君たちとナナミしかいないんだから普段はそれでもいいんだろうけど、僕がいる時くらい控えるのが普通じゃないのか。いくら僕が君たちの関係の理解者だと言っても限度があるよ。コウリ、君は僕の気持ちを知ってるくせに、よくもまあそういうことができるよね。僕は彼に会えないのに自分は人の前でいちゃついて。自分さえよければ人の気持ちなんかどうでもいいんだ。ご立派なリーダーだよ」
……普段のシオンからは誰が想像できただろう。物静かで、感情を表に出さなくて、口数の少ない彼の、このルックに勝るとも劣らない毒舌ぶりを。
普段とのあまりのギャップに、二人はただ呆然とするばかりだ。
放っておくといつまでも続きそうな彼の嫌味を、少年がまあまあと宥めに入ってくれた。
「だから少し落ち着けって。それよりどうしてこいつらがここにいるのかの方が問題だろ。えっと…コウリだよな。 それであんたがジョウイ。俺はテッド。シオンの親友だ」
テッドが笑って手を差し出した。あんな光景を見られた後の割にはけろりとしている。
中々の強者だ。さすがシオンの親友。
と、その名前の示すことに気づき、コウリがああ、と合点が行ったように手を叩いた。
かつて一度だけシオンが口にした彼の大事な人の名前、それがテッドではなかったか。
「よかった……浮気じゃなかったんだ。シオンさん、この人なんですね。また会えたんですね」
「コウリ……」
感極まってうっすらと涙ぐんでさえいるコウリの姿に、シオンも毒気を抜かれて組んでいた両手を解いた。
「僕、さっき二人を見てて、シオンさんが大事な人を諦めて浮気したんじゃないかって思ってて…裏切られた気がして」
「その割には盛り上がってたみたいだけど?」
口調はまだ刺々しい。
「ヤケになっちゃったんですよー。シオンさんがそういうつもりならって。まあ、二人にあてられたっていうのもあるんですけどね」
てへっ、と笑うコウリに、シオンが呆れた顔をする。……赤くなったのはジョウイだけだった。
「ところでここはどこなんですか。それに現実の世界というのは……」
話の流れを変えようと、ジョウイが質問を投げかける。答えてくれたのはテッドだった。
「ここはシオンのつけている真の紋章、ソウルイーターの中だよ。時々こことシオンの夢が繋がるんだ。俺はここの番人である防人だ。……ここには防人と宿主以外には、ソウルイーターに喰われた魂しか来れない筈なんだけど……」
「じゃあ、僕たち死んじゃったんですかっ」
テッドは小さく首を振って、それを否定した。
「いや、あんたたちは食われてないよ。多分それの所為だ。その手に宿る紋章、それは真の紋章だろう?」
「『始まりの紋章』……」
二人は自分の右手を見た。輝く盾と黒き刃がそれぞれそこに宿っている。
「真の紋章ならソウルイーターに介入できてもおかしくない。ただそれはまだ真の紋章になっていないから、二人一緒でないと駄目なんだろうな。あんたら、寝るとき傍で一緒に寝なかったか?」
「あ、寝ました。ジョウイの寝顔が可愛くて布団にもぐりこんだんです」
「……そんなことしてたのかい、コウリ……」
「だって君ってばすぐに寝ちゃうんだもん。ほんと寝つきいいよね。寝起きは悪いけど」
「…………」
「とにかく、原因は判った。コウリ、ジョウイっ」
「はいっ」
ピシッと指先を突きつけられて、二人がピッと背筋を伸ばす。シオンの表情は未だ厳しく、逆らうことを許さなかった。
「今後僕が近くにいるときは、絶対に二人で眠らないように!!」
「ええ――――」
文句の声を上げたのは、もちろんコウリだけだった。ジョウイはこくこくと頷いている。
「君たちはどうせ現実でいちゃつけるんだから、夢の中まで入ってくるな!僕はここでしかテッドに会えないんだ。それを邪魔すると言うんなら……僕にも考えがあるよ……」
「はい……」
シオンの目が据わったのを見て、コウリも小さく頷いた。怖い。本気で怖い。
これが彼の本性だったのか。今まで彼に抱いていた人物像が、ガラガラと音を立てて崩れていく。
彼の背後のテッドがまたか、と呆れた顔をしていた。
(ビクトールさんたちが、今のシオンさんは猫を被っているって言っていた意味が判ったよ……)
こんなことで知りたくなかったけど。
「判ればいい。じゃあとりあえずどこかに行って」
「どこかって……どこにも行けませんけど」
「僕の目の届かないとこまで離れればいいから。ソウルイーターと繋がっていられる時間は短いんだ。夢、だからね。いつ繋がるかも判らないし。だから僕はテッドとの時間を大事にしたいの。コウリ、君なら判るだろ」
「はい……」
しゅんと身を縮める。そうですね。痛いほど判ります。ごめんなさい。
「じゃあ、僕たち行きます。すみませんでした」
ジョウイがコウリの腕を取って頭を下げた。くいくいとテッドに手招きされジョウイが近寄ると、そっと耳打ちされる。
「どうせシオンはここでのこと覚えてないから、気にすんなよ。また来いよな」
「テッドさん………?」
ジョウイの戸惑った声に、テッドが悪戯っぽくウインクした。
「テッド、何してるの」
「何でもないよ。じゃあな」
ひらひらと手を振って、テッドとシオンは二人と反対方向に歩き出した。
コウリたちも歩き出す。しばらく歩いて振り返ると、そこにはもう闇が広がっているだけだった。
やっと緊張が解けたのか、コウリがはあぁと大きな溜息を吐いた。
「びっくりしたなあ。シオンさんがあんなにキレたら怖い人だったなんて。それに僕たちそんなにくっついてたかな。できるだけシオンさんの前では普通にしてたつもりだったんだけど」
「あれが君の普通なのかい?コウリ……」
「ええ――。だって手を繋ぐとか、抱きつくとか、ほっぺにキスとかは普通でしょ。ナナミともしてるじゃないか」
「君たちにとってはね……。それだけじゃなくて実は何回かその…そういうとこ、シオンさんに見られてるんだよ。君は気づかなかったみたいだけど」
「ええっ、ほんとに!?そんなあ…うまく隠せてると思ったのに。ジョウイも知ってたんなら教えてよ」
「コウリこそ、シオンさんが大切な人に会えないって事、どうして教えてくれなかったんだよ。知ってたらあの人の前であんな……」
言ってて思い出したのかジョウイが赤くなる。彼は二人の関係を知っているし、すぐ見て見ぬ振りをしてくれたからコウリには言わなかったが……あのときの彼の心中を思うと居たたまれなくなる。
コウリも『そういうとこ』を見られていたんだと知ると、流石に頭を抱えた。自分が彼の立場なら、日常はともかくそうして触れ合っているところを見てしまったら……その辛さが容易に想像つく分、申し訳なさで一杯になった。
「うーん……あんまり一緒にいないようにしようか」
「でも急に離れたら、それこそ同情って思われるよ。それに……あれ、あの光はなんだろう」
遥か向こうから光が近づいてくるのが見えた。光は見る見るうちに大きくなり、闇を飲み込み二人に迫ってくる。
「ジョウイっ」
「コウリっ……」
慌てて互いに手を伸ばす。固く手を握り合ったまま二人は光に飲み込まれていった。





ガバッ
布団を跳ね除けるようにして飛び起きる。
「ゆ、夢……?」
周りを見渡せば、そこは自分たちの部屋だった。隣にはジョウイが寝ている。昨日ジョウイのベッドに潜り込んだ時のままだ。
「ううん…コウリ……」
寝起きの悪いジョウイにしては珍しく、コウリの気配だけで目を開けた。コウリと視線が会って数十秒……飛び起きた。
「コウリっ、あの光っ……」
「ジョウイも見たのっ?」
互いの様子に二人が同じ夢を見ていたことを確信する。
「これの所為……なんだよね」
自分の手に宿る真の紋章の片割れを眺めてコウリが呟いた。ジョウイもじっと右手を見つめている。
と、隣の部屋から物音がして、隣の人物が目覚めたことを知る。
今隣の部屋を使っているのは、シオンだ。
「あの光が時間切れの合図だったんだね。シオンさんたちと別れてすぐ……だったよね……」
「うん……」
背筋を伝う冷たいものに、思わず自分の体を抱きしめる。
シオンの怒りが怖い。
夢の中ではテッドのフォローがあったが、今ここにはテッドはいない。
シオンはソウルイーターと繋がっていられる時間は短いといっていた。その短い時間を、思いっきり邪魔してしまったのだ。
自分が彼の立場だったらどれだけ怒り狂うか……それが判るから余計に怖かった。
「大丈夫……かもしれないよ」
唇に拳をあて、考えこむようにジョウイが呟く。
「どういうこと?ジョウイ」
「とりあえず、着替えて下に行こう。ナナミが起きてくる前に食事の準備をしないと、シオンさんに変なもの食べさせられないからね」
「……そうだね」
二人は手早く着替えを済ませると、台所に下りて朝食の準備を始めた。
簡単なスープとパン、サラダを作り終えたころシオンが二階から下りてきた。
「おはようございます、シオンさん。丁度食事の準備ができたところです」
「……おはよう」
やはりいつもより機嫌が悪い。椅子を引いて定位置に座ると、物憂げな挨拶が返ってくる。
「あの…シオンさんっ……」
怒られる前に謝ってしまおうと口を開きかけた時、シオンが大きく溜め息を吐いた。
「今日は夢見が悪くて…起きたら凄くイラついてた。最近いい夢ばっかりだったのに」
すみませんっ、と謝りそうになるのをジョウイが止める。
「どんな夢だったんですか」
「覚えてない……っていうか、僕はいつも夢をほとんど覚えてないんだ。ただいい夢を見ると気分がよくて……でも今日は最悪だった」
「それは大変でしたね」
コウリが驚いたようにジョウイを見る。ジョウイは安心させるようににっこりと微笑んだ。
「食事にしましょう。そろそろナナミも起きてくると思います。……ほら起きてきた」
「ごっめーん。寝坊しちゃった。しっぱいしっぱい。あ、シオンさんおはようございまーす」
「おはよう」
ばたばたばたっとけたたましい足音とともに、ナナミが駆け込んできた。
シオンが小さく笑みを零す。
「もう、二人とも起こしてくれればいいじゃないっ。シオンさんに恥ずかしいとこ見られちゃったじゃないのっ」
「今更だよ、ナナミ……」
ナナミも揃って四人で食卓を囲む。食事が終わるとナナミが「後片付けは私がやるねっ」と皿洗いを引き受け、シオンは裏庭に出て行った。
コウリとジョウイは部屋に戻り――ほっと胸を撫で下ろした。シオンは夢でのことを覚えていなかったのだ。
「どうしてジョウイはシオンさんが覚えてないって判ったの」
「テッドさんに言われていたんだ。シオンさんはここでの事を覚えてないからって……またおいでって」
「じゃあ、また行ってもいいのかなっ」
「そんなあからさまに嬉しそうな顔しないでくれ、コウリ……」
「だってあそこに行くには僕たちが一緒に眠らなくちゃならないんだろ。嬉しいもん」
しれっというコウリに脱力する。
「……夢の中のシオンさんは現実での事覚えているみたいだから、僕たちが覚えていることは内緒だよ。でないと今度こそどんな目にあうか……」
「……そうだね」
夢の中のシオンを思い出して、流石に血の気が引いた。
「でも、シオンさんしばらくここにいてくれるみたいだし、その間は毎日一緒に寝ようね、ジョウイ。今度はシオンさんがいない時にテッドさんと話がしたいなあ。テッドさんならシオンさんの昔のこと一杯知ってるんだろうし……」
「君……本当に怖いのかい?……」
胃が痛くなりそうだ、とジョウイは思った。そしてシオンの親友であるテッドを思い浮かべる。
彼もコウリではなく自分に話し掛けてきた所を見ると、自分と同じような立場なのかも知れない。
なんだかんだいって、コウリとシオンはよく似ているのだ。特に自分のものに対する執着心の強さは似ていると思う。
(僕も…あなたと会って話がしたいです。テッドさん……)
ジョウイの心の涙にコウリが気付く訳がなかった。





主人公とジョウイが出てくると話が進みますねぇ。そしてシリアスから離れていく・・・


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