言祝ことほぎの歌




年の瀬を迎え、町はにわかに慌しさに包まれる。
旧年の整理と新年を迎えるための準備に追われ、道行く人も忙しない。



「……その歌……」
鼻歌を歌いながら夕飯の支度をしていたコウリは、背後で呆然と呟かれた声に気付いて振り返った。
「あ、すみません、煩かったですか?この歌、子ども賛美歌なんですけど、今僕たち教会の青年会で奉仕をしてて、子ども礼拝のお手伝いもしてるんですよ。それで覚えちゃって。この歌がどうかしましたか?」
声の主であるシオンは拳を唇に当て、何か考え込んでいる。
「いや………続きを歌ってくれるかい?」
「?ええ」
コウリが続きを歌いだすと、シオンの表情が更に真剣味を帯びた。
その変化に、コウリの歌声が鈍くなる。
(シオンさん……?)
「…………違う」
「え?」
低い呟きが、コウリの歌を完全に止めた。
「違う。そのメロディじゃない。サビの部分の音が違う」
「ええ?でも楽譜はこのメロディになってますし…地域によって違うのかな。試しにシオンさんの知っているメロディ歌ってくれませんか?」
「地域じゃなくてあれはきっと……」
途中まで言いかけて、口を噤む。
「シオンさん?」
「…………いい、変なこと言って悪かったね。僕は少し外に出てくる。すぐに戻るから」
そのままシオンは足早に部屋を出て行った。どうもおかしい。冷静な彼が、あれだけ心乱すなんて。
(ふむ。今度テッドさんに確かめなきゃな)
シオンの事ならテッドに尋ねるのが一番だ。何たって24時間一緒にいるわけだし。
ぐつぐつと煮える特製シチューの調味をしながら、一人うんうんと頷く。
機会はそれから数日後に訪れた。



静かで暖かい闇の中に、とんっと降り立つ。
「よっ、コウリ。ジョウイ」
直後、すうっと目の前にテッドが現れる。テッドはいつものように宙に浮いていた。
「こんばんは、テッドさん。シオンさんは来てますか?」
「いや、多分今日は来ないだろうな。どうした?またシオンに聞かれたくない事か?」
声を顰めたコウリに、テッドがニヤリと笑った。コウリがテッドに訊ねる事は、大抵シオンが人に知られたくない事だ。
「良かった。ええ、まあちょっと…」
「また何か企んでいるのかい?コウリ」
ジョウイが隣で呆れた声を漏らす。懲りない友人を持つと苦労する。
「企んでるなんて人聞きが悪いなあ。ちょっと気になることがあるだけだよ。テッドさん、この前僕とシオンさんが賛美歌の話してた時、『覗いて』いましたか?」
「賛美歌の話?知らないな」
「じゃこの歌知ってます?」
おもむろにコウリが歌いだす。綺麗なテノールが闇に響く。
それは先日シオンが気にとめた、新年を祝う賛美歌だった。


古いものはみな 後ろに過ぎ去り
新しい月日が 今始まる
めぐみ深い私たちの神が
与えられた 新しい年


「……この歌を聴いて、シオンは何だって?」
聴き終えたテッドの顔に苦笑いが浮かんでいる。
「サビの部分の音が違うって言ってました。歌は地域によって変化するから、それで違うのかもと言ったら、地域じゃないって……テッドさんは判ってるんですよね。どういう意味なんですか?」
ずずいっと詰め寄るコウリに、テッドの苦笑いが深くなる。
「あー………シオンが知ってるのは原曲なんだ。歌は歌い継がれていくうちに、段々と歌いやすいようにアレンジされていくもんだ。今お前が歌ったのは、100年位前からものだよ」
「100年前?何でシオンさんがそんな古い歌を知ってるんだろ」
コウリの疑問は、ジョウイがあっさりと解いてくれた。
「…つまりこの歌をシオンさんに教えたのはテッドさんなんですね」
「そういうこと」
判ってしまえば答えは簡単だった。シオンのポーカーフェイスが崩れるのは、テッドに関してだけだったのに。
「なあんだ。テッドさんから教わった歌だから、あんなに動揺してたんですね〜。ねねっ、原曲、歌ってくださいよ。シオンさんにお願いしても歌ってくれなくて」
「そりゃ無理だな。シオンが人前で歌う訳ないって」
「へ?何でです?」
からからと豪快に笑うテッドに、コウリの目が丸くなる。
「あいつはな、凄い音痴なんだよ」
「…………音痴…」
「楽器とあわせて歌っても、どうしても音がはずれるんだ。っていうか高音が取れない。低音の歌はそれほどでもないけど、賛美歌って高音多いだろ?まともに歌えたためしがないんだよな」
「………はぁ」
料理が壊滅的に苦手で、歌も苦手?天はシオンに人の上に立つものとしての才と無敵の棍術、優秀な頭脳、万人に慕われる徳を与えたが、代わりに日常的な能力を与えなかったのか。
「なあなあ、歌ってやるからこの歌覚えてくれよ。もう原曲知ってる奴は殆どいないだろうし、シオンは歌えないからな」
「是非教えてくださいっ。やった!シオンさんを驚かせられる♪」
「……どうせなら、更に驚かしてやらないか?」
にやりと悪戯っぽく笑うテッドに、コウリが飛びついた。
「まだ隠し技があるんですね?(にやり)」
「あるある。とっときの奴(にやり)」
「よろしくお願いしますっ、先生!」
「おうっ、時間は短い。しっかり覚えろよ〜」
悪巧みを始めた二人から離れ、ジョウイはイメージでティーポットとカップを作り出し、お茶を注いだ。二人が歌の練習をする間、お茶を飲んで時を過ごすつもりらしい。
もしテッドが生きていて、シオンと共にこの家に遊びに来たのだとしたら、シオンに降りかかる災難は今の比ではないだろう。こういう時の二人は非常に息が合う。ガキ大将とその子分といった感じだ。
止めて聞く二人ではない事は判っている。遊ばれているシオンを少々哀れみつつも(普段はシオンがコウリで遊んでいるのだから、自業自得とも言える)、ジョウイは完全に傍観者を決め込んでいた。





……がたんっ
シオンが思いっきり立ち上がった所為で、木の椅子が床と擦れて激しい音を立てた。
(成功…かな)
内心にんまりとほくそえみながら、何事もなかったかのように調理を続ける。
「コウリ……その歌は……」
「え?ああ、ある人から教えて貰ったんですよ。シオンさんがメロディが違うって言ったから、知ってる人を探したんです。これって昔の曲なんですってね」
「いや……メロディはともかく、その歌詞……」
「歌詞もその人に教わったんですよ」
手を止めてシオンを振り返る。そこには予想通り、英雄の仮面を被るのも忘れてぽかんと呆けたシオンの顔があって、コウリは笑いが顔に出ないよう抑えるのに必死だった。
「……その人は今どこに?」
「もういませんよ。旅の人でしたから」
「どんな風体の人物だった?」
「若い男の人でしたよ」
嘘はついていない。うん。
「そうか……」
困惑した表情で、再び椅子に腰を下ろす。『何者なんだ、その男は……』と呟く声が聞こえて、コウリは吹きだしてしまう前に慌てて鍋に向かい直った。


古いものはみな 後ろに過ぎ去り
新しい月日が 今始まる
未来へ続く 幾千の朝と夜を 
ともに進もう 手を繋いで


この歌詞は、テッドとシオンが二人で考えたものらしい。しかも人前で歌ったことはないそうだから、歌詞を知っているのは二人だけということになる。
(それを僕が歌ったらびっくりするよね)
今ごろシオンの右手の中で、テッドも悪戯の成功を喜んでいる事だろう。今度行った時にこっそり確認しなくては。
(まあ、歌の苦手なシオンさんの代わりに僕がこの歌を歌ってあげますから、それでよしとして下さい)
折角の二人の歌が、このまま埋もれてしまうのは勿体無い。
それにこの歌詞はコウリも共感できる。どうせ歌うならこっちの方がいい。
「すみませんが、ナナミたちを呼んできてもらえますか?そろそろ夕飯にしましょう。今夜は年越しのご馳走ですよ」
「……判った」
のそのそとシオンが部屋を出て行った後、コウリは再び彼らの歌を口ずさんだ。


未来へ続く 幾千の朝と夜を 
ともに進もう 手を繋いで


大切な人と歌う、優しい言祝ぎの歌。





END




うちのテッドは、昔教会にお世話になっていた事があるので
賛美歌を歌えます。聖歌隊にも入ってました。
紋章を奪われていた、変声期前の時期です。

テッドとコウリの掛け合いは書いてて楽しい。
この二人が手を組むと、怖いものなしかも(笑)

賛美歌の出典はこども賛美歌99番、「ふるいものはみな」



<<-戻る