光の交差点



祭りを明日に控え、町全体がお祭ムードに沸き立っていた。
夜空に大きな花火を何万発も打ち上げるここの祭りは有名で、遥か遠方からも観光客がどっと押し寄せ、この数日間の人口は普段の数倍に跳ね上がる。
道路にはにわか露店がずらりと立ち並び、祭り用にと貰った小金を握りしめた子供たちが、甘い菓子やおもちゃの類に、目を輝かせて群がっている。
「凄い賑わいだな…後一日遅かったら、宿は取れなかっただろうな」
宿屋の看板には、軒並み「満室」の文字が掲げられている。聞いた話によると、常連は一年前から宿の予約をしているそうで、祭りの前日と当日は、町から数十キロ離れた所まで行かないと宿屋が空いていないという有様だ。
シオンとコウリが祭りの噂を聞きつけてこの町に来たのは、一昨日のことだった。到着したのが遅かったので、とりあえず目に付いた宿屋に入り、翌日改めて町の中央に近い宿を取ろうと思っていたのだが、夕食の席で宿屋の女将に豪快に笑われた。
『お客さんたち、今からじゃ中央の宿は取れないよ。それどころかうちだって、明日は部屋が残っているかどうか判らないよ。何せお客さんたちが最後の一部屋だったんだからね!後は祭りの日まで予約で一杯なんだ』
二人は思わず顔を見合わせ、それから前払いで祭り当日までの宿代を支払った。客商売の方便の可能性も無きにしもあらずだったが、危険を冒して野宿になるのは避けたかったし、何より宿の主人が作る料理が二人の口に非常に合ったのだ。
「綺麗な部屋とか設備が整ってるのもいいけど、やっぱり宿屋の一番のポイントは料理だよな。美味い料理を出す宿は、それだけで金を払う価値があるよ」
「僕は本当はもう少し上の宿の方がいいんだけどね…ここはワインの品揃えが今一つで」
女将に聞こえないよう僅かに声を落としたシオンに、向かいに座っていたコウリがヒュっと口笛を吹いた。
「さすが金持ちは言う事が違うね。俺はワインってあんまり好きじゃないし、酒は気持ちよく酔えれば何でもいいけどな」
「君が美味い料理に金を出すように、僕は美味いワインにお金をかけるってだけだ。大体金持ちっていつの話だよ。僕の所持金は、一緒に旅をしている君が一番良く知ってる筈だろ」
「そうなんだよなー。宿代一気に払っちゃったから、そろそろ懐が寂しいんだよな。この町出たら、少しモンスター退治でもして路銀を稼がないと。それと交易所に寄って、いい品物があったら買いこんでと……ああ、昔を思いだすなぁ」
「今日ちらりと交易所を覗いたら、本の買取価格が高かったから、持っている奴を売ろう。後はパールと光るたまが安かった。この先にコボルトやダックの村があるといいんだけどね」
シオンもコウリも戦争中散々お世話になったので、交易は得意だ。上手いこと行けば、交易だけで結構な金額を稼げる。
「本は今日の夕方大暴落してたよ。何でも祭り見学に来た旅商人が、大量に持ち込んだらしい」
「何だって!?」
突然会話に参加して来た声とその内容に、二人が揃って声の主を振り返る。
そこには十代半ばを少し過ぎた位の少年が立っていた。
「祭りの期間は価格変動が激しいから、チャンスだと思ったらすぐ売買した方がいい。ところで、相席、いいですか?」



はたと周りを見渡せば、食堂は既に満席状態だった。
シオンとコウリの席は窓際の四人掛けだ。混雑時の相席は当然のマナーである。コウリとシオンの再会も、宿屋の食堂での相席だった。
「どうぞ」
さっと奥にずれたコウリに軽く頭を下げ、少年はさっきまでコウリがいた席に腰を下ろし、持っていた荷物を床に置いた。
とは言っても小さな袋が一つだ。身につけている物が強い生地の旅装束である事を考えると、シオンたち同様、彼もかなり旅慣れているらしい。
「一人かい?」
「はい」
「目的はこの町の祭りかな」
「いえ、交易と買い物に寄っただけです。食事を終えたら町を出ます」
忙しく立ち回る店員を捉まえ注文を終えた少年に、コウリがきさくに話しかける。見知らぬ人と相席になった時のいつもの光景だ。
シオンは自分から進んで人と会話をするタイプではないので、専らコウリたちの話を聞いている。
「今日は宿屋はどこも満杯だからなあ。祭り目当てじゃないなら、悪い時に来たね」
「祭りの間は品物の出入りも激しいから、交易するには逆にいいんです。宿は隣の町で取る予定なので」
「旅生活は長いのかい?」
シオンに初めて話しかけられ、少年が視線を正面へと向けた。肌の色が黒く、髪の色は色素が薄いというより日に焼けて色が抜けた感じで、骨格もしっかりしている。出身は南の方だろう。
「普通だよ」
少し考えて、少年が短く答えた。その曖昧な答え方に、興味が湧いた。
「これからどこへ?」
「旧い友人の墓参りに。君たちは?」
運ばれてきた料理を口に運びながら、今度は少年が訊ねる。
「とりあえず明日の祭りを見学して、その後の予定は未定。君と逆で、俺たちは用事を済ませてきた帰りなんでね。しかも奇遇にも、俺の用事も君と同じ墓参り」
「コウリ」
制止の響きを含んだシオンの声を気にした風もなく、テーブルに片頬杖を着きコウリは笑っている。その笑顔に居た堪れなくなり、続く言葉を飲みこんだ。
「久しぶりに親友を訪ねたら、迎えてくれたのは冷たい墓石だったって訳だ。事故で突然死んだとかならともかく、闘病生活が一年位あったそうなのに、親友の俺に連絡もしないで勝手に逝くなんてひどいと思わないか?最初は彼の奥さんが手紙を握りつぶしたのかなーとも思ったんだけど…いや、奥さんと俺ってちょっと仲良くなくてさ。というか、ぶっちゃけ俺が彼女の家族を死なせたから、恨まれてても当然っていうか…。だけど実際は、手紙を出そうとした奥さんを彼が止めたんだと。俺には知らせるなが遺言だなんてひどすぎるよなー…」
この町に来る前、シオンとコウリはハルモニアにいた。
ハイランドの皇女ジルの元へジョウイを返したのは、今から約40年前のこと。
ジョウイの右手に宿る黒き刃を受け取り、始まりの紋章の継承者となったコウリは、ジョウイに彼女と共に生きる人生を指し示した。家族に恵まれなかった彼に、幸せな家庭を作るよう言った。それが自分の願いだと。
再三の押し問答の末、コウリの願いに折れる形で、二人はハルモニアへと向かった。都市部から離れた小さな村の邸宅で、ひっそりと生活していた母と子の元へ父を送り届けた後、コウリは世界を当てもなく放浪する旅生活へと身を投じた。
以来、コウリがハルモニアを訪れる事はなかった。時折旅先からジョウイやナナミに手紙を出してはいたが、根無し草生活で返事を受け取る事ができない為、やりとりではない、こちらの近況を伝えるだけの一方的な手紙だった。
コウリへの手紙は一応デュナンの城が送り先となっている。だが数年から十数年に一度しかデュナンに立ち寄らないコウリに、急を要する手紙を出しても間に合うはずがなく、たとえジルがこっそりコウリに手紙を送ったとしても、ジョウイの死の前にコウリが読むのは奇跡に近かったのだ。
ジョウイにはそれが判っていた。だから止めた。
ジョウイの死を宣告する手紙が、コウリの手元に残る事を避けた……。
ジョウイの墓は小高い丘の上にあった。一面に広がる白い花々に囲まれて、白い墓石が静かに佇んでいた。一年を通して絶える事がないよう植えられた多種多様の花は、全てが白い花を咲かせる種のものだった。
かつて高貴を現すその色を身に纏った彼の為に、白を愛した彼の為に、彼を愛する人が植えたのであろう花々。
『久しぶり……ジョウイ』
シオンの予想に反して、墓石を見つめるコウリの声は穏やかだった。ジョウイの死を静かに受け止められるだけの成長を、コウリの心は遂げていた。
ジョウイがベルトで肩に通していた輪を形見分けに貰った後、館を去ろうとするコウリにジルは言った。
『わたくしはあなたにジョウイを返してくれてありがとうとは言いません。わたくしたちはここで幸せでした。その幸せはあなたから貰ったものではなく、わたくしとジョウイとわたくしたちの子供とで作り上げたものなのだから』
『……勿論です、ジル皇女。感謝すべきはあなたじゃない。僕だ。ジョウイを愛してくれて、ジョウイに家族を与えてくれてありがとうございます』
そのやり取りを側で見ていたシオンが、一番辛そうな顔をしていたに違いない。
大人はどうしてこんな風に自分の心を偽る事しかできないのだろう。ジルもコウリも本心は同じなのに、ただジョウイの死を泣き叫びたいだけなのに、その姿を必死に見せまいとする。
虚勢は痛ましさしか呼び起こさないのに。
「で、本当の遺言は?」
「え?」
何を言われたのか判らなくて、コウリとシオンが少年を見た。
「あなた宛の遺言…というか、手紙か何かは遺してるんじゃないんですか。危篤状態を知らせるなと言うからには」
「……確かに…その可能性は充分あり得る。だけど彼女から貰ったのはこの輪だけだし、ナナミも何も言わなかったから違うだろうし……待てよ」
ふと、別れ際のジルの一言がコウリの頭を過ぎった。
『たまには自分の故郷に帰りなさい。そしてピリカに会ったら、わたくしは元気だと伝えて』
ジルと共にハルモニアに来た幼い少女は、成人の後、再建したトトの村に帰ったのだという。
ジルがわざわざそんな事を告げた理由は。
「シオン!俺はすぐキャロに向かう!またいつかどこかで会おうっ」
「え……ちょっとコウリ!!」
ガタンと激しい音を立てて椅子から立ち上がり、シオンが止める間もなくコウリは荷物を掴んで店を飛び出して行った。
残された二人はぽかんとその背を見送り、そして。
「全く…大人になったと思っても、本質は変わらないか…」
頭を抱えて大きく溜息を吐くシオンに、少年がそっと声をかける。
「……いいのかい?」
「彼とは目的が同じだったんで、一時一緒に旅をしていただけだからね…。彼の親友は僕も知り合いなんだ。それと僕が会いに行った人が、コウリの姉でね」
ハルモニアに行く前に、二人はグラスランドに立ち寄っていた。
かつてシオンが半年世話になった、コウリとジョウイとナナミが住んでいた家には、ナナミとその子供と孫たちが暮らしていた。
『コウリ…っ……。シオン、さん…?』
皺の深い顔に昔と変わらない笑顔を浮かべていたナナミは、二人の姿を見つけた瞬間その場に立ち尽くし、やがて溢れだした涙で両手をしとどに濡らした。足にまとわりつくナナミの血を色濃く受け継いだ孫娘が、不思議そうにナナミを見上げている。
『おばあちゃん、どうしたの?どこかいたいの?』
『…違うのよ、嬉しいの……。もう二度と会えないと思っていたから…』
ナナミのミニチュアとでも言うべき少女の頭を撫でながら、おばあちゃんになる前に会いに来るという約束は何とか守れたよとシオンが告げると、ナナミの顔が益々くしゃくしゃになった。そりゃ確かにまだまだ私は若いけど、でももうちょっと早く来てくれると嬉しかったのにと、涙を拭ったナナミが笑った。
幸せな人間にしか浮かべられない笑顔だった。
『シオンさん、コウリを頼みます。体は大きくなっても、まだまだ中身は子供だから、間違った道に行かないよう見守ってやってください』
『ひどいよ、ナナミ。今は僕の方が保護者なんだけど』
ナナミの前では昔の口調に戻ったコウリをキッと睨みつけて、
『何言ってるの。コウリがシオンさんに敵う訳ないでしょ。そりゃ見た目はコウリの方が上でも、生まれたのは間違いなくシオンさんの方が先なんだからっ』
『それはそうだけど…』
コウリが不老になったのはナナミが原因である。そのことが二人の関係に影を落とすのではという心配は杞憂に終わった。昔と変わらずぽんぽん言い合う彼らが、兄弟がいないシオンには羨ましかった。
『コウリも、手紙ばっかりじゃなくてちゃんと会いに来てちょうだい。でないとまた悔しい思いするわよ』
『また?』
「……あ」
あの時理解できなかったナナミの言葉。あれはそういう意味だったのか。
恐らくナナミはあの時点で、もうジョウイからの遺言というべき手紙を受け取っていたのだろう。そしてコウリがジョウイの死をまだ知らない事も知っていて、これからジョウイの元に向かう二人を見送った。
伝え聞きではなく、事実をコウリ自身の目で見届けさせる為に。
泣いてばかりいた少女はやっぱり泣き虫だったけれど、あの頃とは違う強さを身につけていた。それは子を産んで育て上げた、母の強さなのかもしれない。
館を立ち去る二人を、最後は穏やかな微笑で見送ってくれたジルもまた、母だった。
「……さて、そろそろ失礼するよ。相席ありがとう」
食事を終えた少年が立ち上がった。
「僕はこれからトラン共和国に向かうんだ。友人の墓はそこにはないんだろうけど、彼が最後に過ごした町をもう一度見に行きたくて」
「前にもトランに行った事があるのかい?」
「あるよ。実は昔、僕は君に会っている。君は覚えていないだろうけど」
そう言って少年は荷物を持っていない左手で、そっとシオンの右手の甲に触れた。バチバチっと軽い静電気のような物が走り抜ける。
「…っ……!」
「さようなら。会えて嬉しかった」
「待っ…」
驚愕に反応が遅れたシオンが顔を上げると、少年は店を出て行くところだった。慌てて少年を追う。
「待ってくれ!君は…っ…」
店の外の木に繋がれていた栗毛の馬の縄を解く少年に駆け寄る。
「君のその左手……それに、僕に会ってるって…」
少年はひょいと馬に跨ると、シオンを見下ろして微笑した。左手の手袋を外し、甲をシオンに向ける。
そこには見た事もない紋章の姿。
「僕も君と同じだ」
「…っ…やっぱり…」
さっきのは強い力を持つ紋章同士の反発だった。紋章の力を使って高ぶった時などにコウリと近づくと、よくあの現象が起きていた。
「僕は君を覚えていない。いつ会ったんだ」
再び手袋をはめる少年―いや、彼もまた真の紋章持ちだというのなら、見た目どおりの年ではないのだろう―に向かって叫ぶ。
「君の紋章が、僕がこれから墓参りに行く友人の手にあった頃に」
「!……テッドを知ってるのか?」
左手に真の紋章を持つ彼が、穏やかに微笑んだ。馬の手綱を引き、走り出す。
「待ってくれっ!君の名は…っ」
馬上で彼が振り返り、左手を上げる。
「僕はアス。またいつか」
走り去る馬からの声は、これが精一杯だった。舞い上がった砂埃が晴れると、彼の姿は豆粒ほどになっていた。
テッドを旧い友と呼ぶ、真の紋章持ち。だとすればその年齢は、シオンやコウリの比ではない。
グレッグミンスターの記憶を辿ってもアスを思い出せないのは、恐らく印象に残るほどの邂逅ではなかったからだろう。アスが50年以上も前に会ったシオンの事を覚えていたのは、その時シオンがテッドと一緒にいたからに違いない。
「またいつか…か」
シオンもアスもそしてコウリも、特別なことが無い限り、死による別れはない。生きてさえいればきっと、またどこかで出会えるだろう。
「懐かしい相手に会えて、嬉しかったかい?テッド」
先ほど火花を散らした右手は、まだほんのりと温かい。
「何だか不老の知り合いがどんどん増えていくな。思ったよりも寂しい思いをしなくて済みそうだよ」
右手に向かってくすくすと笑いながら、宿屋へと足を向ける。

とりあえず、明日は花火を見て、祭りを楽しんで。
それからキャロにコウリの幸せそうな顔を見に行こうか。







ちょっと遅れましたが、5周年記念小説です。
闇シリーズにとうとうアスも登場です。ジル書くの楽しかった…!ルルノイエ陥落時、ジルのお腹にはジョウイの子がいた設定です。ジョウイもジルに打ち明けられていたので、子供の存在は知ってました。
ジョウイ死なせちゃっててすみません…でもあの人絶対長生きできないと思うんだ(爆)
書きながら次から次へとネタが浮かんで来て、闇シリーズはまだまだ終われないなと思いました。大人コウリとテッドの話も書きたいし、アスとテッドも会わせたい♪
そしてコウリとシオンでの主坊はいつ書けるのか!(笑)
アスがさっさと旅立っちゃったのは、単に今日中に宿屋に着きたかったからです。どうせまたシオンたちには会えるだろうと思ってるし。相変わらずマイペースな子…(苦笑)

アスとシオンが出あったエピソードは、「夜明けの風」より。


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