闇へと続く道


気がつくとそこは暗闇と静寂が支配する世界だった。

「やったあ、やっと来れたね、ジョウイ!!」
飛び上がって喜ぶコウリを、ジョウイがしっと厳しく制す。
「静かにして、コウリ。シオンさんに見つかったら大変だよ…。もう来るなって言われたの忘れたかい」
「大丈夫だよ。シオンさんは僕たちもここの記憶が無いと思ってるんだから、もし見つかっても『目が覚めたら覚えてなかったんです』って言えばいいんだよ」
「……変なところで君は頭が回るよね」
しれっと答えるコウリに、ジョウイが脱力する。
前回初めてソウルイーターの中に来た時、猫の皮をかなぐり捨てたシオンにあれだけ説教されたにも関わらず、毎晩毎晩ジョウイのベッドに潜り込んできたコウリに、何を言っても無駄なのは判っているれど。
初めてここを訪れてから二週間が過ぎている。やっぱりこの前のは偶然で、もう来ることは無いだろうと思っていた矢先の出来事だった。
「だってもう一度テッドさんに会いたかったんだもん。この前は全然話せなかったしさ」
「…まあ、それは僕も同意だけど……この暗闇の中で、どうやってテッドさんを探したらいいんだろう。シオンさんも来ているかも知れないし」
「試しに呼んでみようか。……おーい、テッドさ――んっ―――」
「コウリっ、もしシオンさんがいたらっ……」
「呼んだか?」
大きく息を吸い込んでテッドの名を叫ぶコウリの口を、ジョウイが塞ごうとしたその瞬間。
二人の前に何の前触れも無くパッと本人が現れた。
今の今まで何も無かった空間からいきなり出現したテッドに、二人ともかちーんと固まってしまう。
「コウリにジョウイ、よく来たな。安心しろよ、今日はシオンは来てないから」
くすくす笑って言うテッドの言葉で、ようやく呪縛が解けた二人が動き始めた。
「テッドさん――心臓に悪い現れ方しないで下さいよ〜。」
どっと疲れが襲ってきて、コウリは大きく溜息をついた。彼ら防人にとって、ここでは距離というものは存在しないらしい。望めば瞬時にしてその場に移動できるのだ。
「そんなヤワな心臓かよ、お前等が」
テッドはふわふわと宙に浮いている。まあここでは床という概念が無いのだから、浮いていたっておかしくは無いのだが……。
気を取り直してコウリはパッと顔を上げた。ここに居られる時間がどれくらいか、またいつシオンが入ってくるか判らない以上呆けてる暇はない。
「テッドさんに会えたら訊きたかったことがあるんですけど、いいですか」
やや見上げる形になって早速訊ねると、テッドは浮きながら胡座をかいて聞く体勢に入った。
「いいぜ。何でも訊けよ」
「じゃあ質問その一、シオンさんとはもう寝てるんですよね」
「わああ〜〜〜コウリっ」
単刀直入で不躾な質問に、ジョウイが慌てて邪魔するように叫ぶ。
そぉっとテッドの方を見やると、質問された方の彼は別に怒った風も無くけろりとしていた。
「ん――、シオンがこの街に着く少し前くらいからかなあ。一応やることはやってるぜ。お前等ほどじゃないけどな」
「どうして知ってるんですか…」
さり気なくとんでもない事を言われ、ジョウイが赤くなった。確かに、シオンが街に来てからだけでも、ジョウイとしては不本意な回数をコウリとこなしている。それこそ酷いときは一日おきだったり。
「ん?シオンの見たものや聞いたものは、中にいる俺たちにも見れるんだ。見ようとしなけりゃ見えないけどな」
……これは殆ど見られていると思って間違いないだろう。二度と、部屋以外の所ではやるもんかと、固く決意するジョウイだった。
「へええ。面白そうですね、それ。今度見てみたいや」
「シオンが起きてる時しか見れないんだよ。あいつの目を通してだから。今はぐっすり眠ってるし、ここと現実が繋がるのはシオンが寝ている時だけだから、防人以外の人間は見れやしないって」
「そっか…残念。えーと、じゃあ質問その二、シオンさんと寝ることに抵抗は無かったんですか」
「コウリっ、そんな失礼なこと…」
次から次へと突っ込んだ質問をするコウリを、ジョウイは赤くなったり青くなったりしながら見守っている。当のテッドはそんなジョウイの百面相を楽しげに見つめながら、空で足を組みなおした。
「抵抗なんてあったに決まってるだろ。さんざん抵抗しまくったよ。俺はシオンをそういう道に行かせたくなかったし。…でもなあ、結局シオンの熱意に負けちまった」
失礼な質問にもさらりと答えてくれるテッドに、ジョウイももう止めるのをやめた。それにこの質問はジョウイ自身も訊きたかったことだった。
「何を言ってもシオンが俺を抱きたいって気持ちが変わらないなら、俺も意地を張るのは止めにしたんだ。男同士だからってのは、俺にはどうでもいいことだったしな。ただシオンには普通に女の子と恋愛して幸せになってもらいたかった。こんな死人の俺のことなんか忘れてさ。……ソウルイーターがある限り、無理だって判ってたんだけどな」
「男なのに、同性に抱かれることへの抵抗は無かったんですか」
「ジョウイ……?」
ジョウイは真剣な目でテッドを見つめている。この質問は、ジョウイ自身のことなのだろうか。
テッドはそんなジョウイを優しく見おろして、微笑した。
「俺にとってはシオンが同じ男だとかは問題じゃない。俺はシオンが一番大切で、シオンの為なら何でもする。今まで生きてきた三百年も、ソウルイーターに喰われてこうしている今も、すべてシオンの為に俺は在る。シオンに抱かれるのは嬉しいよ。あいつを肌で感じられて、一番近くにいられるときだから。ただ、愛されるばっかりなのが口惜しい。シオンが許してくれるなら、本当は俺のほうがあいつを抱きたい位だ」
「テッドさん…」
この上ない甘い惚気を聞かされ、コウリはシオンが羨ましくなった。
ここまでテッドに愛されているシオン。彼自身はそのことを知っているんだろうか。そしてジョウイはテッドがシオンを想う程、自分を好きでいてくれるんだろうか。
ジョウイはじっとテッドを見つめていたが、やがて詰めていた息を吐き出し搾り出すように言った。
「……僕はまだ抱かれることに抵抗があります」
「ジョウイ!?」
驚いて目を見張るコウリを見ないようにして、ジョウイは静かに言葉を紡ぐ。
「勿論コウリの事は好きです。嫌いだったら絶対にあんな事はしない。でも……僕は男です。抱かれるという行為を素直に受け入れるには、今まで培ってきた良識が邪魔をするんです。それに僕自身がこのことを…不自然だと、いつまでもこのままでいていい筈がないと思っています。だってそうじゃないですか。このままだったら、コウリは自分の血を残せない。今はまだいい。でもナナミが結婚して、僕たちだけになって、それでもこんな関係を続けていたら…」
「……」
黙って聞いていたテッドが、ふわりと床に降り立った。そのままジョウイの傍に来て、自分より背が高いジョウイの頭をくしゃりと撫でる。
「テッドさん……?」
「俺と同じこと考えてるな、お前も。別にコウリと寝るのが嫌なんじゃないんだろ。だったらそれははっきり言ってやれ。コウリが青い顔してるぞ」
笑いながら、親指でコウリを指し示す。図星をさされたコウリはわたわたと慌てた。
「血を残すのって確かに大事だよな……。俺も三百年ずっと旅をしてきて、思いがけず昔会った奴の子供に会えたりして、嬉しくなった事は何回もあるよ。そいつは死んでても、そいつの子供や孫が生きてて血はどこまでも続いてる。だから俺もシオンに子供を作って欲しかった。真の紋章持ちは不老だけど、不死じゃない。いくらあいつが強くたって、回避不可能な事故に巻き込まれる可能性だってある。テオ様から受け継いだあいつの血、残したかった」
労わるようにジョウイの頭を撫でながらテッドが言葉を続ける。まるで親が子供に、自分の体験を話して聞かせるように。
「でも結局あいつはそれを拒否した。ソウルイーターを宿す限り、子供と同じ時間を生きられないし、また子供を作る気もないと。自分の血はここで途絶えるのだと、そうあいつは俺に言った。…テオ様を手にかけたこともあるんだろうけど、シオンはそういう形で俺に『約束』をくれたんだ。生涯共にあるという約束をな。……俺が何を言ってもあいつの気持ちは変わらなかった。あいつも頑固だからこうと決めたら絶対譲りゃしない。結局決めるのは本人なんだ。俺たちが何を言っても本人が決めてたらどうしようもない。だからお前も良識だとか、うだうだ考えずに素直になれ。その方がコウリも喜ぶ。そうだろ?コウリ」
「……は、はいっ。そうですっ!」
急に話題を振られて慌てふためきつつ、コウリが頷いた。
ジョウイがこんな風に思っていたなんて思いもよらなかったコウリにとって、二人の会話は驚くことの連続だったのだ。
「子供は大好きだし、欲しいなって思うけど、ジョウイとどちらかを取れって言われたら僕はジョウイを取るよ。それに別に僕自身の子じゃなくてもいいし。…血の繋がりが無くたって、僕とナナミとじいちゃんは家族だよ。ジョウイも知ってるだろ」
「コウリ……」
コウリはつかつかとジョウイに近づき、視線を合わせるよう僅かに見上げた。前に比べたら大分背が伸びたけれど、まだジョウイと並ぶまでにはいかない。
「……ジョウイは…やっぱり僕と寝るの…嫌?」
ジョウイの微かな心の動きすら見過ごすまいとする真剣な目。
その目に押され、ジョウイも逃げたくなる気持ちを必死に抑えてへイゼルの瞳を見返した。
「……嫌じゃないよ…」
「……じゃあ僕のこと好き?また抱いてもいい…?」
「……うん」
「嫌々じゃなく?」
「……うん」
真っ赤な顔で、消え入りそうな声で、だがはっきりと答える。
「良かった……」
固くなっていたコウリの相好がみるみる崩れ、心底嬉しそうな笑みに変わった。強く抱き締められ、ジョウイはおたおたしながらも抱き返す。
「ごめんね……ジョウイがこんな風に考えてたなんて全然知らなかった。僕はただジョウイと一緒に居られるのが嬉しくて、ジョウイの悩みに気づいてあげれなかった。本当にごめん…」
「君が謝ることじゃないよ。僕がまた君の気持ちも考えずに、一人で勝手に考えて思いつめてただけだ。僕の方こそごめんよ。……でも僕はまだ、君に対する気持ちがちゃんと整理できていないんだ。君が僕を想ってくれるように君を好きかと訊かれたら、僕には答えられない。…君とナナミが一番大事であることは変わりはないけれど」
「深く考えるなよ。自分がやりたい様にやればいい。そうしたら…おのずと答えは自分の中から出てくるさ」
二人から一歩離れたところで、テッドが笑いながら言った。彼もそうやって、答えを見つけたのだろうか。
「はい。色々失礼なこと言って済みませんでした。そしてありがとうございます。少し肩の荷が降りました」
「お前は色々考え過ぎた。もっと気楽に行けよ。でないと禿げるぞ」
「ええっ!禿げたジョウイなんて嫌だよ、僕!!」
「僕だって嫌だよっ!」
場を和ませるためのテッドの軽口に、二人とも判っていて乗る。言い辛かったことを言ってしまった、言わせてしまった二人に対するテッドの優しい心遣い。
「さて、そろそろ時間だな。シオンが居ないときに話が出来るのなんて今日が最後だろうから、もっとゆっくり話したかったけど」
「え?時間?」
テッドが指差した先に視線を送ると、遥か遠くに小さな光が見えた。それは辺りの闇を飲み込みつつ、凄いスピードでこちらに迫ってくる。
「あれはシオンが目覚める合図なんだ。……また遊びに来いよ。人生相談でも何でも乗ってやるからさ」
にっと笑って再びテッドがふわりと宙に浮く。
「はいっ。また遊びに来ますね。ありがとうございましたっ」
「…本当に、ありがとうございました」
手をしっかりと握られ赤くなりつつも、ジョウイはその手を振り払うことはしなかった。
そんな二人の様子をにこにこしながらテッドが見送る。
「ジョウイ、お前はもっと欲張りになっていいんだ。お前の望みはコウリの望みでもあるんだから」
「テッドさん……」
白い光がテッドの笑顔ごと二人を飲み込む。
光の波に押され、二人の意識は現実の体の中に押し戻されていった。





「あああっ!忘れてたっ!」
起きるなり発したコウリの叫び。
「……何を忘れてたんだい、コウリ……」
寝起きが悪く、まだぼーっとしたままのジョウイがもそもそと体を起こす。
ソウルイーターの中に行くためにコウリが毎晩ベッドに潜り込んでくるので、狭いベッドに二人で寝るのにすっかり慣れてしまったジョウイである。
「テッドさんにっ、シオンさんの昔のこと訊こうと思ってたんだよっ。グレミオさんに訊いても、シオンさんに口止めされてて教えてくれないし。ビクトールさんに『出会った頃は本当にお坊ちゃんって感じで、可愛かったんだぜ。それが今はなあ……』と言わせた昔のシオンさん!テッドさんなら絶対に教えてくれる筈なのに〜〜」
「……何でそんなの知りたいんだよ…」
「知りたいよっ。あの!シオンさんが可愛かった頃だよ?今じゃ想像もつかないんだもん。どんな感じだったのかなあ……テッドさんも言ってたけど、もうシオンさん抜きで会えるのなんて難しいだろうな…」
悔しいなあとぶつぶつ呟きながら着替えるコウリに、こっそり苦笑する。あんなことを言ってしまった後なのに彼の態度は相変わらずで、いかに自分がコウリに赦されているかを実感する。
そう、昔も今も赦されてばかりだ。いつもいつも間違えて、傷つけてしまうのはジョウイの方。
だったら今思ってることと逆の事をすれば、感情の通りに従えば間違えずに済むだろうか。
「コウリ」
「ん?何?」
未だベッドの上で、夜着のままでいるジョウイが手招きする。着替えを終えたコウリは何の疑いもなくベッドに近づき、そして。
「…………ジョウイ?」
触れるだけで離れて行った唇は、少し乾いていた。
ワンテンポ置いて真っ赤になったコウリが、わたわたと慌てる。キスはいつもコウリからで、ジョウイからしてくれたのはこれが初めてだったのだ。
「僕は色々考え過ぎて、また君を傷つけてしまうかも知れないけれど…でも君を好きなことは本当だよ。僕の中の君に対する気持ちはまだ整理できていないけど…気長に待ってくれるかい?」
「……勿論だよ、ジョウイ。無理して答えを出さなくてもいいよ。僕は君さえいてくれればそれでいいんだから」
「コウリ……」
嬉しそうなコウリが顔を近づけてきて、もう一度唇が重なった。
コウリの唇もやっぱり乾いていて、潤すためにペロリと嘗めてやる。
「……あの…それはちょっと……」
「え?」
コウリが言い辛そうに視線を泳がし、耳元にそっと囁く。
「……朝からそういう気になっちゃうから…」
「…………!」
真っ赤になって飛び退るジョウイを、それはそれでカナシイ反応だなあと思いつつベッドから離れる。
「さて僕らが戻ってきたってことは、シオンさんも目を覚ましているはずだし、朝食の準備をしなきゃ。先に行ってるからジョウイも着替えたら来てよね」
「うん……ごめん。すぐに行くよ」
コウリの姿が扉の向こうに消えた後、ジョウイは火照った顔を冷やすようにシーツに押し付けた。
心臓はドキドキと早鐘を打っている。深く考えずに起こした行動だったが、間違いではなかったらしい。コウリの笑顔を見ることが出来たのだから。
火照りをシーツに吸わせた後、ベッドから下りて身支度を整える。
部屋を出ようとして、ちょうど隣の部屋から出てきたシオンと鉢合わせした。
「おはようございます、シオンさん」
「おはよう、ジョウイ。………何?」
思わず右手を見つめてしまっていたらしい。
シオンが視線に気づいて、さり気ない仕草で後ろに隠した。ジョウイは慌てて笑みを浮かべて、
「すみません、何でもないです。………今度、シオンさんの親友だったっていう人の話、聞かせてくれませんか」
「コウリに聞いたのかい?……別に面白い話なんて何もないけど」
「いいんです。どんな人だったかシオンさんの口から聞いてみたいんです。お願いします」
「……美味しいお茶を用意してくれたらね」
「勿論です。また丘の上でお茶を飲みましょう」
口調はいつもと変わらなかったが、彼が照れているのが判った。
普段は鉄壁のポーカーフェイスに隠されている熱い感情は、テッドに関してだけ顔を覗かせる。
何だかそれが嬉しくて、ジョウイは密かに心の内で闇の中にいるテッドに話し掛けた。
(コウリじゃないけど、またテッドさんの惚気を聞かせて欲しいです)


シオンの右手の中で、テッドが笑ったような気がした。



ジョウイ…何一人でぐるぐる考えてるんだか。さっさと観念しなさーっい!(笑)
テッドも同じことで悩んでいたけど、シオンは押しが強いし、テッドもジョウイほど悩むタイプじゃないから納得しちゃえば早かったですね。ジョウイはもう少しかかりそうです。
にしても、やおいで「男同士なんて…」って追求するのって邪道なんじゃないだろうか…。そんなの悩む位ならやるなって感じよねぇ(笑)

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