名前のない道標



辺り一面に広がる白い花々が、風に煽られさやさやと音を立てる。
迫り来る闇を蹴散らさんばかりの鮮やかなオレンジを背に、丘の上に佇む影が新たな来訪者を見止めて微笑んだ。
「今日ここに来れば、会えると思っていた」
動きに合わせて緑のバンダナがふわりと揺れる。唇に引かれた笑みが深くなる。
「久し振り」
「――シオン…」
驚きを隠せない声に、シオンは満足気に凭れ掛かっていた墓石から離れ、その場を譲った。
「話は後で。さあまずはジョウイに挨拶しなよ。その為に来たんだろう」
「あ、ああ…」
促されて墓石の前に屈みこんだ相手の後ろに立ち、祈りが終わるのを待つ。
墓参りの割には、彼の手には何もなかった。
そういえばこの墓に花が供えられているのを見たことがない。墓石を取り囲むように植えられた幾種もの白い花々が、一年中捧げられる自然の仏花なのだ。
「お待たせ」
決して短くはない祈りが終わり、彼が立ち上がった。振り返った表情からは困惑が消え、代わりに苦笑いが浮かんでいた。
「改めて、久し振りシオン。どれくらいぶりだっけ」
「2年ぶりだよ。ナナミのお葬式の時が最後」
「そうか……もうそんなになるか…」
細めた瞳に浮かんだ過去が過ぎるのを、じっと見つめる。
「君を捕まえるのはいつも一苦労だ。ナナミの埋葬に君が間に合ったのは奇跡だったよ」
「ジョウイの時で懲りた。あれから一年に一、二回は、デュナンの城に立ち寄るようにしていたんだ。それでも臨終には間に合わなかった…シオンが俺の代わりに看取ってくれてよかった」
「馬鹿言うな。僕が君の代わりになるものか。ナナミは最期まで君を待っていたんだぞ。コウリ」
責める響きを、コウリは自嘲で流し、
「散々人を殺めて来たんだ。家族の死に目に会えなくて当然さ」
「……それは僕にも向けられているのかな?」
「いや?……そうか、そうだったな。ごめん」
自分の非に気づいて、コウリが素直に頭を下げた。
シオンの家族も、シオンが故郷を留守にしている間に次々と天に召されてしまった。
シオンを一人には出来ないと根性で長生きした付き人の看病は多少出来たものの、まるで死に際の苦しみをシオンには見せまいとするかのように、ある冬の朝、ベッドの上でひっそりと冷たくなっていた。
共に戦乱を潜り抜けた仲間も、当時子供だった者や長寿の人外の者を除いて、殆どがこの世を去った。後20年もすれば、トランの英雄もデュナンの英雄も完全に歴史上の人物扱いになるだろう。
月日が過ぎるのは遅いようで早い。シオンとコウリが敬語を捨て、対等な関係になってから、12年が過ぎようとしている。
その間二人が一緒にいた期間は合わせて2年にも満たないが、過去を語り合える昔馴染みの存在は、家族や知人に置いていかれる悲しみを和らげてくれた。
特にグレミオとナナミが逝った後は、旅ではなく一箇所に留まって、暫く二人で過ごした。
放浪癖はシオンよりコウリの方が激しい。グレミオの時はたまたまコウリがマクドール家に滞在中であり、ナナミの時は彼女の孫が二人に出した知らせが、幸運にもそれ程時間を置かずにコウリの手に渡ったのだった。
シオンとコウリの事をこの世で一番想っている人たちを、二人で見送れたのは幸せだった。
遺して行く家族に寄り添う人がいると知って、彼らは安心して黄泉路へと旅立ったことだろう。
ナナミは間に合わなかったけれど、遺体の前で泣き崩れたコウリを支えるシオンの姿を、あの世から見ていたはず。
「ところで俺を待っていたって、何かあったのか?ジョウイの命日に合わせてな辺り、急ぐ用じゃなさそうだけど」
「手紙を出すのと今日を待つのと、どちらが早いか考えたんだけどね。色々考える時間も欲しかったし、君の驚く顔を見たかったから、ここで待つことにした」
外見通りの子供のように笑うシオンに近づき、マントの下のむき出しの腕に触れた。
「……全く、いつからここに居たんだ?」
呆れ混じりのため息を洩らし、冷え切った小さな体を腕の中に抱き寄せる。
「ん?今日という日から」
「……相変わらず子供みたいだな、シオンは」
返ってきた楽しげな声に、苦笑が深くなる。
冬にはまだ早いとは言え、朝晩は冷える。更にここは丘の上で、吹き付ける風は地上より冷たい。
こんな所に一日中立っていたなんて、とても80年の人生経験を持つ人間の行動とは思えない。
しかもこの言い方からして、日付が変わった瞬間から居座っていたと考えていい。
確かにコウリが早朝訪れる可能性もあったが、メモを残すでも方法は色々ある筈だ。
無駄が嫌いな癖に、変なとこ非合理的な性格であることは、二人旅の間に思い知らされた。
本人の言う通り『コウリの驚く顔が見たかった』が、この馬鹿げた行動の理由だろう。
「詳細は宿で聞こう。取ってあるんだろ?」
「ああ、いい加減お腹も空いたしね。そして当然君は宿の予約なんてしてないんだよね」
確信を持った問いを苦笑で肯定し、二人は町へと向かった。






悠久の暗闇の中に漂っていたテッドは、自分の名を呼ぶ必死な声に気づいて目を開けた。
空に視線を向けて気配を探り、声の場所を探し当てると一瞬にしてそこへ飛ぶ。
「お、久し振りだな、コウリ」
「……テッドーっ!」
姿を現した途端力いっぱい飛びつかれ、後ろにつんのめった。
「おいおい、どうしたんだ一体」
30越えの大の男が、宙に浮いている子供に抱きついて半泣き状態という異様な光景である。ひとまず落ち着かせようと、テッドはコウリの頭をぽんぽんと軽く叩いた。
コウリの体が成長しても、態度は変わらない。
見た目にどうにも変なので敬語は止めたが、関係は相変わらずガキ大将と子分である。
「今日ここに来れて本当に良かった…!シオンは来てないよな?俺だけだよな?」
「ああ、シオンの気配は感じないが…シオンと何かあったのか?」
念を押すコウリの様子に、テッドの声に探る響きが混じる。
「……さっきの会話、見てた?」
「いや、今まで寝てたから。お前がシオンと再会したのも知らなかった」
ここソウルイーターの中に来る事ができるのは、真の紋章を持つ、シオンの近くで床についた者だけだ。
防人の力を使えば遠方にいる魂を招き寄せる事も可能だが、かなりの負担が伴うので余程のことがなければしない。
昔ルックを呼んだ時は、3日間眠り続けた。運悪くその間にシオンが訪れ、テッドが目覚めないのでひどく心配させてしまった。
「今日の夕方、ジョウイの墓の前で待ち伏せされたんだ。で、話があるからって一緒に宿屋に泊まったんだけど…」
「あー、寝ようとでも言われたか?」
「知ってたのか!?」
がばっと勢い良く顔を上げたコウリに、
「シオンが俺に言う訳はないけど、見てれば判るんだよ。素顔よりも馴染んだ軍主顔が、お前といる時だけ自然に外れてる。今じゃシオンにあんな顔させられるのはお前だけだ」
ちょっと悔しいけどな、とテッドが小さく微笑む。
「う…そんなこと聞くと凄く光栄だけど……でもそれって友情だろ?何で夜の話にまでなるんだよ!」
「そりゃシオンがお前に惚れてるからだ」
「…………へ?」
信じられないものを耳が聞いた。
「……ちょっと待ってくれテッド。冗談だよな?」
「こんなこと冗談で言う必要がどこにある」
「だってあのシオンだよ!?偉そうで笑顔でばっさばっさ相手を切り捨てるような人で!同盟軍時代、俺がどれだけシオンに遊ばれてたか知ってるだろーっ」
「シオンは気に入った相手は苛めたいタイプだからなぁ。それにシオンがお前を意識しだしたのは、恐らくお前が真持ちになってからだろうし」
「……同じ不老仲間として、認めて貰ったってこと?」
「お前が大人の体になったからだ」
「何で大人になったら!?」
「シオンはファザコンだったのもあって、包容力のある年上に弱いんだ。統一戦争の時、シオンはオデッサの恋人のフリックって奴と仲良かっただろ。少々頼りないが、お人よしな所といい、正にシオンが好きそうなタイプだったな」
「へえ……初耳だよ…」
確かに、思い返せばフリックとシオンはよく一緒にいたように思うけれど。
「フリックには信頼以上のものはなかったみたいだが、お前は違う。シオンは一人で生きていける奴じゃない。時々でいいから傍にいて、抱きしめてくれる人間が必要なんだ。グレミオさんが居た頃は大丈夫だったが、最後の家族を喪った今、内心はガタガタだ。ここに来た時は勿論精一杯抱きしめてやるが、現実に戻ればその記憶はない。孤独に潰されそうになってる。シオンの過去を知っていて、運命を共有でき、シオンが心を許せる相手はお前しかいない。お前がジョウイと関係があったのもあって、精神的な依存を寝るという行為に求めたんだろうが…正直に言っていいぞ。お前はシオンを抱く気になれるか?」
「………そんなこと急に言われても困るって、シオンにも言ったよ」
テッドから体を離し、コウリはどさっとその場に座り込んで胡坐の姿勢を取った。前髪をかきあげるフリをして掌で半面を覆い、口を尖らせる。
「俺にとってシオンは尊敬の対象だったんだよ。タメ口をきくようになってもそれは変わらない。シオンをジョウイと同じような目で見れるかなんて、即答できる訳ないだろ」
「純粋に消去法だ。抱く抱かないは別にして、シオンを相手にする事に嫌悪を感じるか?」
「……それはない」
「ジョウイ以外の男の体には興味がないか?シオンは女装が得意だが、女装したらその気になるか?」
「俺は男が好きな訳じゃないからね。……………………………………女の子の服の下から男の体が出てくるよりは、そのままの方がいい」
「じゃ、やっぱり無理そうか?」
「〜〜〜〜〜っ。何でテッドは俺をけしかけるんだよっ!立場が逆になるとは言え、シオンが他の奴と寝て平気なのか」
くしゃくしゃっと乱暴に髪を混ぜ、コウリが半ば自棄気味に叫ぶ。
「シオンが楽になれるんなら、俺のことなんて忘れてくれて構わないんだ」
返された、切ないほど穏やかな微笑。
自分の感情よりも何よりも、シオンが大事。シオンの為に迷わず命を捨てたテッドの言葉だからこそ、重みがある。
だけど決して納得はできない。テッドの気持ちも判るが、自分がシオンの立場だったらやりきれない。
嫉妬して、追い求めて欲しい。
でなければ自分一人が空回っている気がする。
「……テッドを失って得る平穏なんて、シオンは絶対望んでない」
「判ってる。だからこれは俺のエゴだ。俺は俺の為に、お前がシオンを抱いてくれたらいいなと思ってる。俺には現実のシオンを抱きしめてやることはできない。だからシオンがお前を求め、お前が受け入れてくれるなら嬉しい。お前ならシオンを託せる」
ずるいなと思った。そんな言われ方をしたら言い返せない。
「……仮に俺がシオンとそういう関係になったら、すごーく来づらくなるんですケド。現実では本命でも、ここでは二号扱いになるんだからな」
今までのようにテッドの前でシオンと軽口を叩けなくなるし、テッドとシオンがいちゃつくのを温い目で見る事はできなくなる。
独占欲はそれほど強い方ではないが、ジョウイ以来誰も愛さずに来たポリシーを覆すとなれば、ましてや相手から求めて来たのだから、当然同じだけの想いの強さを望みたい。
「だったらお前らが二人とも来た時は、どっちかの前にだけ姿を現して引き離すようにするよ。三人顔つき合わさなきゃ平気だろ」
「うーん……」
胡坐に腕組で、首を傾げて考えこむ。
眉がくっつくほど眉間を寄せて悩んだ後、溜めていた息を大きく吐き出した。
「仕方ない、腹をくくるか」
よしゃ!と両頬を平手打ちして、コウリが立ち上がる。そのままくるりと背を向けて。
「明日の晩は『覗か』ないでくれよ、テッド。ギャラリーがいるのは苦手なんでね」
「……ああ、判った」
けしかけておきながら、現実になるとやはり胸が痛む。
そんなテッドの気持ちはお見通しという風に、コウリは振り返らずひらひらと手を振った。
「何とも思ってない男を抱けるほど酔狂じゃないから、俺」
その言葉には、テッドが望む答えが含まれていた。
「コウリ…」
「あーあ、シオンにはのめりこまないようにしてたのにな。どうなっても知らないぜ。その時は責任取ってくれよー」
肩越しに振り返った笑顔に、貫くような鋭い白が重なる。
光に溶けるようにして、コウリの精神は肉体へと帰っていった。









コウリがソウルイーターの中に行った翌々日。
コウリとシオンは広い街道を並んで馬で進んでいた。
「シオン、大丈夫か?」
いつもと変わらない平然とした横顔が小憎らしくて、わざと労わる言葉をかけてみる。
「何が」
「腰。馬の揺れはきついだろ」
予想していた『大丈夫だよ!』の罵声は、いつまで経っても上がらなかった。
「シオン?」
「……きついよ。早く宿で休みたい」
返って来た疲れた声に驚く。付き合いは長いが、こんな風に素直に弱音を吐くシオンは初めてだ。
変化はあった。緩やかに少しずつ、コウリが危惧したような劇的なものではなく、平行線だった二本の道が徐々に近づいて来た様な。
「もう少し行った所に小さな村がある。昼には着けるからもう少しの辛抱だ」
「……美味しいワインが飲みたいなぁ…」
「はいはい、後で仕入れて来るよ」
ジョウイの時のように、友人が恋人になったのではない。
今後の人生を、共に歩んでいくパートナーになったのだ。
焦がれるような想いはないけれど、自宅に帰ってきたようなほっとした穏やかさがある。
家を喪った二人にとって、これからは互いが家になる。








やっと書けました、主坊!
主坊は天魁星同士なので、キャラクターにオリジナル色が濃くなる。主坊が好きっていうより、○○さんちの二人が好きって感じになります。
我が家の主坊は、親の萌えとは関係なくキャラが勝手に相手を意識しだした結果です。まさかシオンとコウリでカプをやる日が来るとは、サイト開設時には思いもしなかったよ(笑)
闇シリーズは、サイト開設日にあわせてできるだけ毎年更新して行きたいです。昨年はスルーして、今年も大幅に遅れましたけどね…
時代も進み、オリジナル化に拍車がかかって来た闇シリーズですが、今後もお付き合い頂ければ幸いです。
暗転部分は同タイトルで裏にあります。





おまけ


次にコウリがテッドに会えたのは、前回から10日後のことだった。
今日はシオンも来ているようだが、テッドはコウリと会ってくれた。シオンは今、二人の声が届かない所で一人で待っているらしい。
「その、シオンとはどうなんだ…?」
「お前と寝たって報告は受けたぜ。絶対に覗かないでくれって懇願つきで」
「そうか……」
シオンの心中を思うと胸が痛む。
テッドへの想いの強さを知っているだけに、孤独に流されテッドを裏切ったと自分を責めるシオンは見たくない。
「あのさ、お前が気にしているみたいだから言うけど、シオンは全部承知の上でお前を誘ってるぞ」
「どういう意味?」
「俺にバレるの前提って事だ」
「は?」
「ここの記憶は残らないが、感情までは消せない。シオンが本当に俺以外求めないって思ってたなら、現実でも無意識にセーブする筈だ。だけどそんな様子はなかっただろ?」
「確かに…」
もしコウリがソウルイーターの中に来ていなかったら、コウリがジョウイをジルに託せたように、シオンもテッドを過去に出来たのかと思っただろうが。
シオンはここにくれば、いつでも恋愛真っ最中なのだ。現実が寂しいとは言え、恋人に知られると判っていて別の男を誘うなんて、頭のいいシオンらしくない。つまりは。
「……それって二股の公言?」
「本人は二股と思ってないだろうけどな。現実とここでは違う世界だからって」
「…………シオンー!!!!」
怒りの咆哮をあげ、闇の中にダッシュしたコウリの背中を、テッドはのんびり見送る。
この広い闇の中で、防人の案内なしにシオンのいる場所にたどり着ける可能性はほぼ皆無である。
「ま、どっちにしても現実で捕まるけどな…たまにはお灸も必要だよな」
忘れてくれて構わないと言っていても、やはり内心は穏やかではいられないのが人情。
少しは痛い目も見ろと、笑って嘯いた。


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