伸ばした先の手
「あのー……どうしてこんな体勢になってるんでしょうか……」 見上げれば、親友に良く似た黒髪と瞳を持つ自分より幼い英雄の顔。 そして両腕を押さえ込まれ、ベッドの上で身動きを取れずにいる自分。 「うん?それはね、僕が今その気になってるから」 ああ、そんな天使の笑顔でさらりと恐ろしい事を言わないで下さい。 「その気にって…待ってくださいっ!ほ、ほらっ、シオンさんには心に決めた人がいるんでしょう?」 「いるけどその人は手の届かないところにいるから……とにかく僕は今、とってもムシャクシャしてるんだ。大人しく諦めるんだね」 「諦められませんっ!僕を八つ当たりの対象にしないでくださいっ」 押しのけようにもジョウイが力でシオンに敵う訳もなく、あれよあれよという間に服を脱がされてしまう。その素早い行動に、流石だなんて変な感心をしている場合ではない。 「やっばり色が白いね……腰も細いし…男にしておくのはもったいないな」 首筋から鎖骨へ、そして胸の敏感な部分へと、指が触れていくのをジョウイには止められない。外気に晒され寒さで尖った部分には敢えて触れず、くるりとその周りで円を描く。焦らすようなその仕草と、投げかけられた男に言うには侮辱的な言葉に、ジョウイの顔が赤くなる。 「別に僕じゃなくても、シオンさんなら相手は選り取りみどりでしょう…?止めてください……」 「コウリに知られたくない?」 「っ……」 「図星かな」 顔を背けている所為で、ジョウイにはシオンの表情は見えていない。だがその声の響きで、シオンが笑っているのは判る。 手に入れた獲物を嬲ろうとする冥い笑いではなく、からかいを帯びた笑いだったのがせめてもの救いだが、窮地に立たされていることには変わりは無く。 何とかシオンが諦めてくれないかと、ジョウイは必死の説得を試みる。 「当たり前です…。シオンさんだって、好きな人が別の男に組み敷かれているのを見たらどうしますか」 「そいつを殺すね(きっぱり)」 「……コウリもそういう所はあなたとそっくりなんですけど」 「そうだろうね。コウリも君に関しては周りが見えなくなるから。……だから面白いんじゃないか」 うわあ、確信犯だっ! 背筋を凍りつかせる返事にジョウイの顔色が一気に青ざめる。どうやらシオンの目的は自分を抱くことではなく、その先に起こるであろうトラブルらしい。 コウリがシオンさんに何かしたんだろうか、だったら僕をダシにしないで直接コウリに喧嘩を売ってくれっ!というのがジョウイの本音だった。 「まあまあ、君を抱いてみたいというのも嘘じゃないから」 「思わなくていいですーっ!…………っ…………」 「感じやすいね……体は嫌じゃないみたいだけど?」 だからそういうオヤジくさいセリフを言うのも止めてくださいってばっ。 だが情けないことに、確かに体は反応を返し始めていた。抱かれ慣れた体は簡単な愛撫で、次に来るであろう刺激を期待してしまう。ましてやそれが、コウリより遥かに上手いシオンの愛撫なら尚更だ。 「……ぁっ……駄目、です……って……」 「いいから。とりあえずは一回イってみる?」 やんわりと下肢に触れた手が、ジョウイを快楽の高みへと追い上げる。コウリ以外の他人に触れられた事の無いその部分が、浅ましく快楽を求めようとするのがジョウイの心を益々追い詰める。 感じたくないのに、コウリ意外に触れられたくないのに。 「う…………」 「あれ…………しまったな、泣かせるつもりは無かったんだけど」 気まずそうに手を離し、シオンが体を起こした。 僕だって泣きたくなかった。こんな無様な姿は見せたくなかった。 「ごめん。泣かないでよ、ジョウイ」 シオンが溢れる涙を親指の腹でそっと拭う。 そんな今更殊勝な態度を取ったって……僕はっ……! だがその優しい仕草に涙が引いていくのが判って、この程度で懐柔される自分が悔しくなる。 結局、シオンを嫌いにはなれないのだ。このひどく大人びた、だが自分たちよりもよっぽど幼い…いや、子供の純粋さを失っていない英雄を嫌いになるには、既に自分は彼を受け入れすぎている。 そう、ナナミやコウリと同じように家族の一員として。恐らくそれはコウリたちも同じ事。 「……誰が泣かせたんですか」 「うん、ごめん。僕だね」 上半身を抱えて抱き起こし、シオンはジョウイの裸の肩にシーツを被せた。 「悪かった……撲っていいよ」 更に目までつぶって頬を差し出すものだから、ジョウイの怒りはすっかり行き場を失ってしまった。 「撲ったら僕の手が痛いから遠慮します。……一体どうしたんですか、シオンさんらしくもない」 「ん…ちょっとイライラする事があっただけ。そんな時に丁度目の前に君がいたものだから、ついね」 つい、で人を襲わないで下さい。 「全く……コウリに見られたら本当に冗談じゃすまなくなっていましたよ。僕は二人が喧嘩するのを見たくはないですから」 体に痕がついていないか確認しながら、脱がされた服を着る。肩にかけられたシーツで先走りに汚れた下半身を拭う時に、少しだけ怒りが蘇ってきたが、ぐっと堪えた。 「ああ、コウリが返り討ちにされるとこなんて見たくないよね」 「怒り狂ったコウリだったら、そう簡単にはやられません。シオンさんも無傷ではすまないと思いますけど」 「そうだろうね…本気になったコウリの強さはよく知ってるよ。愛されてるね、君は」 「……本当に今日のあなたは変だ」 「そうかな」 出会った頃に比べ、だんだんと素顔を晒してくれるようになってきたシオンだが、こんな無防備な顔を見るのは初めてで、少々面食らう。 まるでコウリと会話をしているような気分になって、ジョウイはぎゅっと目の前の少年を抱きしめた。 「ジョウイ?」 「一人で溜め込まないで下さい。僕たちじゃ力になれないかもしれませんが……愚痴を聞くことくらいは出来ますから」 「……お人好しだね、君は。彼にそっくりだよ」 「彼?」 「僕の親友。テッドも僕がどんな無茶をして彼を怒らせても、絶対に許してくれるんだ。グレミオもそうだし、僕の周りは甘い奴ばっかりだ」 「……仕方ないです。あなたのそんな顔みてると、全部許したくなるんですから」 体を離し、シオンの顔を覗き込む。実際ずるいな、と思う。こんな顔されたらもう怒れないじゃないか。 「コウリもそうなんですけどね。……本当にあなたとコウリはよく似てますよ」 「そういう君はテッドと似ていて、だから僕は君に勝てないのか」 「僕は勝ったつもりはないですが」 「いいんだよ。僕の負け。……本当にごめん。お詫びに君のいう事を一つだけ何でも聞くよ」 「して欲しいことなんて別に……」 ない、と言おうとして言い澱む。ここでないといったら、この話は終わらない。二人の間にも表面的にはともかく心の奥に気まずいものが残るだろう。この際何でもいいからお題を出して、完全に終わらせてしまった方がいい。かといって、して欲しい事は見つからないし……。 「何でもいいよ、どんなに難しいことでも」 視線を泳がせて考えているうちに、シオンが壁に立てかけておいた棍が目に止まった。使い込まれたその武器に、いつか頼もうと思っていた事を思い出す。 「では今度、僕と手合わせをしていただけますか。稽古ではなく、本気の試合を」 「そんなことでいいのかい?」 思っても見なかった言葉だったらしい。シオンが不思議そうに目を丸くした。 「ええ。一度同じ棍使いと本気の手合わせがしたかったんです。僕も手を抜きませんから」 「上等。腕の一本は折る覚悟はしておきなよ」 「そちらこそ」 先ほどまでの濡れた雰囲気が嘘だったかのように、好戦的な視線をぶつけ合う。 シオンがベッドから下り、皺になった服を調え終えたところで、部屋の扉がノックもなしに勢いよく開いた。 「ねえねえ、ジョウイーっ………と、シオンさん?珍しいですね、ジョウイの部屋にいるなんて」 「ああ、少し彼と話をしてたんだ。もう終わったから行くよ」 シオンの「やましい事はこれっぽっちもありません」といった完璧なポーカーフェイスに、ジョウイが苦笑する。勿論自分も「何か」があった事なんて態度には出さない。ハイランドで培った本心を隠すための仮面は、コウリたちと再会してからは殆ど使う事は無かったが、忘れたわけではないのだ。 「そうですか。もうすぐ夕飯なんで、遠くには行かないで下さいね」 「少しこの辺を散歩したら戻るよ。……ああ、コウリ、明日にでも手合わせ願えるかい?」 「ええ、いいですよっ。じゃあ今夜は武器の手入れをしっかりやらないとな。……どうしたの、ジョウイ」 「いや、何でもないよ」 苦笑いするジョウイを含みをもった目で一瞥すると、シオンは部屋を出て行った。ついさっき自分との手合わせを承知したその口で、コウリにも同じ事を申し込むとは。 (相当イライラしているみたいだな) まあ運動でそれを消化できるならいい。あんな風な行為に逃げ込むよりはずっと健全だ。 あれだって誰かに触れたかった訳ではなく、誰かを傷つける事によって自分を傷つけたかったのだろう。本来は他人を傷つける事をひどく嫌う人だから。だったらあんな手段じゃなくて別の方法を取って欲しかったが。 「ジョウイってば。……変だよ、シオンさんと何かあったの?」 黙り込んでしまったジョウイの顔を、コウリが訝しげに覗きこむ。いけない。コウリに気付かれてはならない。それはコウリにもジョウイにも、シオンにとっても良くないことだ。 「本当に何でもないんだ。シオンさんとは少し……そう、ハイランドの話をしていてね。君やナナミの前ではあまりしたくない話だったから」 「……そっか」 ハイランドでの話は、特にナナミの前では禁句だ。コウリもそれ以上突っ込んでは来ず、そうそう、これを言いに来たんだった、と本来の話題を持ち出して、その話題はそこで終わった。 後日。 「それで何でまたこうなってるんですかっ!」 「ん〜君の反応が楽しくてね。それにコウリに隠れて、ってのもその気にならないかい?」 「なりませんっ!ああもうっ、二度とこういう事はしないでくださいって言えばよかった!」 「そうだね。君の落ち度だよね」 実際には前回以上の事をされるわけではなく、単にジョウイの反応を楽しんでいるだけだという事は判るのだが。 このまま行けばコウリにばれるのは時間の問題だった。その時のことを考えるだけで、戦後すっかり忘れていた持病の胃痛がキリキリと存在を主張し始める。近いうちに再び胃薬が手放せなくなりそうな予感に、ジョウイは心のうちで叫ばずにはいられなかった。 (シオンさんの馬鹿ーっ!!) この話、完全ギャグ話だったはずなんですが……どうして真ん中にシリアスが入ってるんでしょうねぇ…。坊ちゃんは主人公には見せられない弱気な顔も、ジョウイには見せれるらしいです。 |