闇に積もり行く白い吐息






ここが暗闇に覆われた静寂の世界であろうとも、
彼の周りだけは光に充ちている。





「どうかした?テッド」
昔と寸分違わぬ幼い顔と声の問いかけに、ふと我に返る。
「え、別に何でもないぜ。……って何の話してたっけ」
「ひどーいっ。僕の話聞いてなかったでしょっ。テッドってば時々僕と話しててもどっか上の空なんだもん。……僕と話するのはつまらない?」
「そんなこと無いって。悪い悪い。お前の顔に見とれてた」
「……なんだよ、それ……」
シオンの顔がほんのり赤くなる。
別に話を聞いていなかった言い訳じゃない。本当に見とれていたのだ。
ころころ表情が変わって、嬉しい時は本当に嬉しそうで、驚いて目を見開いたり、拗ねて口を尖らせたり、そんなシオンの顔を見ているのが昔から好きだった。
既に遠い世界となった"外"での面白い出来事を聞いているより、こうしてシオンの顔を見ている方がずっと楽しい。
「ん?相変わらずの百面相だなあって。英雄やってる時と俺の前とじゃ大違いだよな。『トランの英雄』に憧れてる奴らが今のお前見たら腰抜かすぞ」
「だろうね。そういう風に見せてるもん。でも君の前で位は本当の僕に戻ってもいいだろ?」
「当たり前だ。英雄のお前で話されたら、背中が痒くなりそうだ」
「何だよそれーっ。ひどいなあ」
ぷぅっと頬が膨れる。今やテッドだけの物になった、シオンの子供っぽい表情。
最近はグレミオの前でもこんな顔はしなくなった。外見は変わらないとはいえ、内面は着実に成長している。幼い顔立ちに不似合いな大人びた口調も物腰も態度も、彼が紋章を受け継がず普通に成長していたら何の違和感もないものだ。
だがシオンはここに来てテッドと会うときだけ、外見年齢そのままの14歳に戻る。それは相手であるテッドの時間が止まっているからなのだろう。
肉体だけでなく精神ですら、もう成長することはない自分。
今の自分は言わば紋章に焼き付けられた残像だ。思考はできるがそこから進歩することはない。
新しい知識を得て考え方を変えていくこともできず、ただひたすら過去の想いを反芻するだけの、幽霊。
肉体を持たない生き物は、存在することは出来ても「生きる」事はできない。
シオンにとっても、ここは懐かしい過去を思い出す逃げ場所でしかない。傷つくことの無い、優しい思い出に還れる場所。
だが自分にとっては違う。
ここは自分の罪を永遠に懺悔する場所。






グレッグミンスター城でのあれは自殺行為だった。
閉ざされた場所で紋章を使えば自分に返って来るのが判っていて使った。あの女を地獄の道連れにできるならそれでもいいと思った。
だが現実はそんなに甘くはなかった。ウィンディは素早くその場を逃れ、ソウルイーターの刃は容赦なく俺の体を切り裂いた。
ボロボロになった体を引きずり、騒ぎで警備の手薄になった城を何とか抜け出した。
急いでこの国を出なくちゃならない。追っ手はすぐにかかるだろうから、少しでも遠くに逃げなければ……
だが想いとは裏腹に、足はマクドール家への道を辿り、手は玄関の戸を叩いていた。
「テッド!!」
シオンの悲鳴にも似た俺を呼ぶ声。ばたばたと近づいてくる複数の足音。
霞む目が強張ったシオンの顔を捉えた瞬間、俺の意識は途切れた。

気が付くとベッドの上だった。
全身の傷には包帯が巻かれ、雨で濡れた服は乾いた夜着に換えられている。夜遅いと言うこともあって、医師は呼ばずにグレミオさんが治療してくれたらしい。追われている身にとっては有難かった。
ベッドを取り囲むようにして、マクドール家の家人が集まっている。
心配そうな、困惑気な、泣きそうな、思いつめたような表情。
そうだよなあ。昼間元気に別れた奴が、こんな傷だらけになって帰って来たら驚くよなあ。
しかも紋章の傷。何か問題ごとが起きた事は一目瞭然だろう。
最後に、枕元に座り込んで真剣な顔で見つめて来るシオンに視線を留める。
唇が微かに震えている。真っ青な顔して、俺が口を開くのを待ってる。
重い瞼を閉じ、俺は心の中で自分勝手な問いを投げかけた。
――なあシオン……お前は俺の命がけのお願いを聞いてくれるか。
例え俺の代わりに命を狙われることになっても、「僕たちは親友だろ」って許してくれるか?
想像の中のシオンは大きく頷いてくれている。目を開け、今度はシオンの背後に立つ人たち一人一人の顔を見つめる。
あなたたちは何があってもシオンを守ってくれるだろう?
人の魂を喰らう紋章を宿したからと言って、シオンを見捨てたりしないだろう?
だからいいよな?俺と違ってシオンには守ってくれる人がこんなにいるんだから。
少しの間だけだ。すぐに返してもらうから。
ごめん、グレミオさん、クレオさん、パーンさん。シオンにこんな物を押し付ける俺を許してください。
でもどうしても、あの女に紋章を渡すわけにはいかないんだ。
一時でいい。俺が再び逃げれるようになるまで、紋章を守ってほしい。
俺には判ってた。シオンならきっと俺の願いを聞いてくれるって
この傷ではとても国境を越えて逃げられそうもなかった。追っ手に捕まるか、途中でのたれ死ぬのが関の山だ。
判ってたんだよ。シオンが俺を見捨てる訳ないって。
親友を過酷な運命に巻き込むのを承知で、俺は戻ってきた。
親友の命より紋章を守ることを優先して、紋章をシオンに渡す為に戻ってきたんだ。

ソウルイーターは誰でも持てるものじゃない。
精神の弱い奴はすぐに紋章を暴走させたり、心を喰われたりしてしまう。
人の命を奪うことに抵抗を感じない奴だったら、それこそ紋章の思う壺だ。
幾多の魂を喰らうだけ喰らいつくして、最後に宿主の魂を喰らう。
だけどシオンなら大丈夫だ。きっとシオンならコイツに負けない。
体が回復したらきっとちゃんと返してもらうから。
少しだけコイツを頼んでもいいか……?

――嘘だ。
俺は死ぬ気だった。シオンたちの逃げる時間を稼いだならば、この場で力尽きても良かった。
これで紋章は守られる。じいちゃんとの約束は守れる。だからいい。
真の紋章を外せば、長くは生きられないことを俺は知っていた。
ごめん。俺は


シオンに置いていかれるのが嫌だった。


今まで知り合った数多くの人たちのように、シオンもまた俺を置いていく。
いつか俺のことも忘れ、俺より先に死んでいく。
また俺は取り残される。
深い絶望。
シオンにだけは忘れて欲しくなかった。
この世の全ての人間が俺を忘れてもいいから、シオンにだけは。

 大好きだよ
 ずっと一緒にいてね
 テッドは僕の一生の親友だよ

需要。
絶対的な信頼。
求められるということ。
求めたものが返ってくるということ。
傍にいてくれること。
傍にいてやりたいと思うこと。
抱きしめてくれること。
自分が彼を癒してやれるということ。
自分の全てを受容してくれるということ。
彼の全てを受容できるということ。

ずっとずっと欲しくて望んでいたもの。
『この世で一番テッドが好きだよ』
こんな他愛無い言葉をくれる人。

俺はシオンを失いたくなかった。
置いて行かれる位なら、置いて行こうと。
恨んでもいいから俺を覚えていて欲しいと。
俺を想って生きて欲しいと。

当時はそんなことまで考えてなかった。紋章を守る為に誰かに託さなきゃとただそれだけで。
シオンに父殺しだけならず親友殺しの重荷を背負わせてはならないと思っただけで。
無自覚の策略。
こうして俺は、彼の胸に一生消えない深い深い爪あとを刻み付けた。


死んでここに来てから、防人の存在を思い出した。
シオンと同じく、俺もかつては紋章の主としてここに来て、防人であるじいちゃんに心を慰められていた。
そのじいちゃんももうここにはいない。主が俺からシオンに移った時点で、防人としての役目を終え紋章に呑まれたのだろう。
与えられた腐るほどの時間は、未来を夢見ることのない俺にとって、過去を振り返る事に費やされた。
そして自覚する。その罪を。
シオンに紋章を託さず今も主でい続けたならば、知らずに済んだ己の心の醜さを。




シークの谷で久々に再会したシオンは、かつて自分が知っていた彼ではなく、帝国軍に反旗を翻す解放軍のリーダーだった。
シオンと別れてから9ヶ月。その僅かな期間で彼は紋章をレベル3まで使いこなし、多くの仲間を従える軍主となっている。
ソウルイーターは解放軍にとって諸刃の刃だった。いつ暴走し、仲間たちの魂をも喰らうか判らない、危険極まりない代物。
なのにどうだ。シオンの周りには人がいる。彼をリーダーとして付き従ってくるものが、これだけいる。
自分はいつも一人だった。
誰も巻き込まないよう、ずっと一人で生きてきた。
紋章を使いこなせるようになるまで、自分は60年もかかった。
これが天賦の差か。生まれながらに力を持つ者と、努力を重ねやっと手に入れる者。
どんな過酷な運命にも、負けない強運の持ち主。
フッと唇が笑む。端目にはブラックルーンに支配されたように見えている事だろう。
だがブラックルーンとは何だ?本当に人の心を支配するものか?
人が心の奥底に押し込めた、欲望を解放するものではないのか?
だってほら、これは確かに俺の感情だ。
理性を取り払った、むき出しの俺の心。

ずるい
ずるい
ずるい
ずるい
ずるい

何でお前だけ?俺はこんな苦しんだのに。300年もずっと一人で耐えてきたのに。
家族も故郷も愛してくれた人も失って、俺には何も残っていないのに。
どうしてお前はそんなにやすやすと力を手に入れられる?
どうしてお前は一人じゃないんだ?
どうして!?



死んでここに来て防人となって、シオンの目を通して彼の心を知った時、激しい懺悔の念に駆られた。
お前を苦しめてごめん。俺が紋章を託さなければ、お前はこんなに苦しむことはなかったのに。
だが同時にそれと同じ強さで、心が愉悦に打ち震える。
俺を失ったのがそんなに辛いのか。
テオ様よりもグレミオさんよりも、俺の死がこんなにお前を傷つけたのか。
それは俺の300年の苦しみに等しいほどの、絶望感。
醜い。
吐き気がするほど醜い俺の心。
親友が俺のことで苦しんでいるのを見て嬉しいと思うなんて。
最低な俺。



「まあね、でも僕もテッドの顔見てるだけで幸せになれるんだ」
だがシオンが笑ってくれると嬉しいのも本当だ。泣き顔よりは笑顔がいい。
俺だけに向けられる笑顔がいい。
「テッドの笑顔は、僕に力をくれるんだ。どんな辛いことも立ち向かっていこうと思えるようになる。僕は弱いからすぐくじけそうになるけど、その度にテッドの笑顔を思い出すんだ。テッドみたいに笑わなくちゃって。頑張ろうって」
「……俺は強くなんかないって」
強い奴はこんなこと考えない。俺の笑顔は世の中を上手く渡っていく為の仮面だ。
「テッドは強いよ。君の笑顔に僕がどれだけ救われたと思う?テッドが300年生きてきたから、僕も前を向く事が出来る。もし僕が君の立場だったら…家族も帰るところも失って一人で生きなきゃならないとしたら…僕はとっくに死んでるよ」
そこで一呼吸置き、シオンは微かに唇を引き結んだ。やがて決意したように言葉を続ける。
「………僕はずっと君に謝りたかったことがある。隠された紋章の村で、幼い君を置いてきてごめん。僕は小さな君を連れて帰ることによって、僕の知っている君を失うことを恐れた。歴史が変わってしまうんじゃないかって…。あんな小さな子を、自分の都合で置き去りにした。目の前で泣いている子より、自分の望みを優先したんだ」
「シオン……」
「あの子を連れて帰っていたら、君は300年も苦しまずに済んだ。同い年じゃなくて僕より幼いテッドと、一緒に生きていくことが出来たかもしれない。それにいつかまた会えるから生きてくれなんて希望を与えて………僕の我侭で君は300年も辛い思いをしたんだ……ごめん…」
「シオン……っ」
呆然とする。シオンがあの時のことをそんな風に思っていたなんて思いもしなかった。
「違うっ、お前は悪くない。俺は嬉しかった!『おにいちゃん』が今度会ったら友達になろうって言ってくれたから頑張ってこれた!お前が俺の生きる支えだった。……俺の方こそ、俺がお前に紋章を渡さなければ………あの時屋敷に戻らなければ……」
「テッド…」
俺の言葉を遮るように強く抱きしめられる。労わるような優しい手。
「僕もね、君が僕に紋章を預けてくれて嬉しかったよ……。僕を信頼してくれて、ずっと守ってきた大切な紋章を託してくれた。君の大切なものを守らせてくれてありがとう」
「シオン……」
目頭が熱くなる。違う。お礼を言われるようなことなんかじゃない。俺は自分の身勝手な望みの為にお前に紋章を押し付けたのに。
「紋章を受け継がなかったら、こうしてまた君と会えることもなかった。本当に嬉しいんだ。それにね……僕が紋章を持っている限り、テッドは絶対『ここ』にいるだろ?」
グレッグミンスターにいた頃、いつテッドが出て行っちゃうかハラハラしていたんだよ、とシオンは小さく笑った。
確かに俺はもうどこにも行けない。シオンが死ぬまで一緒だ。
「ああ……ずっと一緒にいるよ」
俺より小さくなった背中を抱きしめ返す。優しい優しいシオン。
俺にはシオンのように自分の心を曝け出す勇気はない。きっとシオンはそんな俺の醜い心ごと、全部受け止めてくれるだろうけど。でも。


ごめんな、俺はずるい奴なんだ。
お前の前ではいい人間でいたいんだ。
俺がこんな風に考えてたなんて、知られたくないんだ。
だからこの想いはあの世まで持っていくよ。





END








*アダシノ様に捧ぐ*



えー…
アダシノさんのリクしたヤキモチとは違う気がします(爆)
ヤキモチというより嫉妬!しかもかなりくーらーいーっ。
親友を取られたという可愛いヤキモチは「第一次接近」でやってしまったので、はて他に嫉妬するのって何だろうと考えたら、「自分は苦労したのにシオンはあっさり紋章の主になった」事だったので。
しかも嫉妬の部分少ないです。懺悔する話、のが正しいかも……


いやはや、年単位でお待たせした上こんな出来でごめんなさい。
でもシオンとテッドは久しぶりで楽しかったですー。
良かった、まだシオンが書けた(爆/メイン坊はそろそろネタが無くなって来てるのですよ…とほほ)