闇へ集う者たち
「……コウリ、ジョウイ」 地を這うような低い声で名を呼ばれ。 「…はい……」 体を小さく竦めて縮こまっているジョウイと、人差し指をつんつんとつき合わせて、「だって…」のポーズを取っているコウリの上に、シオンの最大級の雷が落ちた。 「何でまた来てるんだよ!」 じーんじーんじーん 「シオンさん…声大きいです……」 耳を抑えて恐る恐る進言するコウリを、ギロリと冷たい目で一瞥する。 「誰のせいだよ。僕は二度と!ここに来るなって言わなかったかい?君のこの耳は飾りかな。それともこのオツムが空っぽってことかい?だったらいくら言っても意味はないよね」 コウリの両耳をぐいぐいと引っ張りつつ、シオンがにっこりと笑みを浮かべる。 顔は笑ってるのに瞳が笑ってない。間近で見るその笑顔は、本気で本当に……怖かった。 「痛い痛い痛い――!ごめんなさぁい、シオンさん〜〜。だからもう許してくださいよ〜〜」 「すみませんっ。もう二度と来ませんから、お願いしますー―!」 このままでは耳が引き千切れるんじゃないかと思われる程強く引っ張るシオンの腕にしがみ付き、ジョウイは懇願の叫びをあげた。このままでは冗談ではなくコウリが耳無し芳一になってしまう。 最後にめいいっぱい強く引っ張った後、ようやくシオンがコウリの耳を放した。 真っ赤になった耳を撫で摩りながら、コウリが恨めしそうに言った。 「ひどいですよ、シオンさん…本当に耳が千切れるかと思った」 前回シオンが居ないときに来れたのは、やはり奇跡に近かったと思う。 鉢合わせしたら怖いなあと思いつつも、テッドに会ってシオンの昔の話を聞くという野望の為に、毎晩ジョウイのベッドに潜り込んでいたコウリだったが、実際にシオンの怒りを目の前にすると、止めとけばよかったかなと少し後悔していた。 でもここで本当に耳が取れたら、現実に戻った時どうなるんだろうなどと馬鹿なことも考える。体に傷つけられた訳じゃないから、無事なんだろうが、音は聞こえなくなったりして。……それは嫌だ。 シオンはふん、と鼻で笑い、 「僕は言った筈だよ。邪魔するつもりなら考えがあるからねって。これだけで済むと思ったら大間違いだよ」 「……何されちゃうんでしょうか…」 「さあ。されたくなかったら、さっさとどっかに行きなよ」 「まあまあ、そういうなって、シオン」 腕を組んで威圧的に二人をねめつけるシオンの背後に、蒼く淡い光が生まれたかと思うと、見る見るうちにそれはテッドの姿を象った。 シオンの肩口あたりにふわふわと浮かびながら、後ろからやんわりと抱きしめる。 「テッド!」 怒りで強張っていた顔がほわっと柔らかく解け、心底嬉しそうな笑みが浮かぶ。 抱きしめる腕に顔を擦り寄せ、微かに後ろを振り返るその表情は、コウリたちが見たことのない無邪気な顔だった。 「だってさ……僕はここで君と会えるのを楽しみにしてるんだよ。それを邪魔されたんだから怒りたくもなるよ」 「それは判ってるよ。俺だって毎晩お前が眠るときに、今日は来れるだろうかってドキドキしてるんだから。会えて嬉しいよ。……でもな、俺コウリたちとも話したいんだ。また来いって言ったのは俺なんだよ。だからそんなにコウリを責めないでやってくれないか」 宥めるようにシオンの頭を撫でるテッドに、シオンが拗ねて口を尖らせる。 自分たちの前では決して見せないその無防備な表情に、コウリとジョウイはあっけに取られるばかりだ。 態度も、口調すら普段と全く違う。現実では抑揚が少なく、ゆっくりと言葉少なに語るシオンが、テッドの前では自分たちと変わらない、子供っぽい話し方になる。 本性を隠していることは前々回の訪問で判っていたが、ここまで使い分けられると何だか寂しい気分になってきた。 「テッドがそういうなら仕方ないけど………何だい?二人して。僕の顔に何か付いてるかい」 二人の視線に気づいたシオンが、きゅっと表情を引き締める。かなり今更だが。 「いえ……あの、現実のシオンさんとのギャップが凄いなあって…」 「これがシオンの本性なんだよ。こいつってば解放戦争以降ほんっっとに猫被ってるよな。ま、外見がこれだし、昔のままの態度とってたら嘗められるから当然といえば当然なんだけど。時々おかしくってしょうがない時がある」 「煩いな。あれだって別に演技してる訳じゃないよ。色々あって成長したの!テッドに会うときはどうしたって昔の口調に戻るよ。それともああいう口調で話して欲しい?……痛いってば」 こめかみを両拳でぐりぐりと挟んでいるテッドの手を掴んで、ぐっと手前に引っ張る。 シオンの背に抱きつくようになって、テッドはくすくす笑いながら取り残されているコウリたちを見やった。 「……だってさ。安心したか?」 テッドには二人の気持ちがお見通しだったらしい。 流石は三百歳。自分たちの小さなヤキモチに気づいて、フォローを入れてくれたのだ。 二人が顔を見合わせ苦笑いすると、三人だけで通じている様子にシオンが訝しげに眉を寄せる。 「?何がさ」 当の本人は全く気づいていないようだが。『トランの英雄』と親しく出来て、コウリたちに密かに優越感を抱いているなんて思いもよらないのだろう。 自分が人をどれだけ惹きつけているか、ちっとも判っていない。彼の価値を一番知らないのは彼自身なのだ。 「何でもないって」 笑ってテッドがシオンの肩に顎を乗せる。 彼の体は宙に浮いたままだ。なんだかひどく可愛い光景に、思わず二人の顔に笑みが零れた。 「……さっきも言ったけど、演技してるわけじゃないから。現実の僕も僕だよ。…まあ、多少取り繕ってる所があるのは確かだけどね」 「シオンさん……」 視線を泳がせながら、シオンがぽつりと呟く。わざわざ言い訳をする程には、自分たちはシオンの中に受け入れて貰っているらしい。 嬉しくなって、コウリはついうっかり口を滑らせてしまった。 「はい、判ってます。現実でももう少し本音見せてくれたら、嬉しいですけどね。まあここで見れるからいいや。なんかシオンさんに対する態度変わっちゃいそうだな」 「……どうせ現実ではここの事覚えてないだろうに」 「え?僕らは………痛っ。あ、そうそう。そうなんですけどね。ほらここではね」 ジョウイに脇腹を肘で小突かれ、コウリが己の失言に気づいて慌てていい繕った。 気づかれたかな、と思ったがどうやら大丈夫だったようだ。ほっと溜息。 「…別に変わってもいいけど。前から言おうと思ってたんけど、敬語も使わなくていいよ。大して年も違わないんだし」 「…うーん、でもやっぱりタメ口はきけないですよ。僕はシオンさんを尊敬してますしねっ」 「僕も無理です。年上には敬意を持って敬語を使うよう教育されてますから」 「………ふぅん」 「おっ、生の『英雄』の顔だ♪そんな顔するなって」 テッドが顔をしかめたシオンの頬を両手でふにふにする。嫌そうな顔はするが、特に振り払うことはしない。……甘い。 「あのな、シオンは実の所かーなーりお前らを気に入ってるんだ。だからもっと本音で話してやってくれよ。こいつ友達いないからさ」 「ええっ、そうなんですかっ」 寝耳に水だ。気に入られているなんて、全然そんな態度を見せてもらった覚えはない。 「………不老で、『トランの英雄』で、友達なんて作れると思う?テッドだって友達いなかったじゃないかっ」 余計なことを言うなとばかりに、シオンが振り返った。 テッドは頬で遊んでいた手を離し、小さく肩を竦めた後、とんっと床に降り立った。 「俺?友達は一杯いたよ。たとえ僅かな時間しか一緒にいなくたって、友達は友達だ。『親友』はお前が初めてだけどな」 「テッド……」 「お前が俺の長い生涯の中で、唯一の親友だ」 シオンの顔が嬉しそうにくしゃっと崩れた。その顔の幼さにまたもや目を見張る。本当にテッドの前だところころと表情が変わる。 (ナナミが見たらびっくりするだろうな……) 密かに『英雄』に淡い好意を抱いている義姉のことを思うと、何だか複雑な気分だ。 彼女自身もシオンと時の流れの違いや、彼が誰かを想い続けていることには気づいているようだから、本当にただの憧れなのだろうけども。 (いや、こんな姿を見たらますます惚れちゃうかもしれない。ナナミってばカワイイもの好きだからなあ) コウリの目から見ても、今のシオンは可愛い。思わず撫で撫でしたくなるような、幼いものだけが持つ可愛らしさがある。 こんな顔を見せられたら、二人の邪魔をするのが本当に申し訳なくなってきた。 「あの……僕たち向こうに行ってますね…」 どうやらジョウイも同じ気持ちだったらしい。コウリの腕を掴み、軽く引く。 「どうしたのさ、いきなり。今まで僕がいくら言っても邪魔してた君たちが」 「……本気で悪かったなと思ってるんですよ。もうここには来ませんから安心して下さい。テッドさんに会えて良かったです。ありがとうございました」 コウリが頭を下げると、続いてジョウイもお辞儀する。 今までと打って変わった殊勝な反応に、シオンが不思議そうに首を傾げた。その後ろのテッドは苦笑いしている。 「……本当にもう来ないつもりかい?………いいよ、別に来ても。面白半分に邪魔するんじゃなければ構わないよ。テッドが君たちと話したいっていうのを邪魔する権利は僕にはないし。…それに僕はこの先ずっとテッドと一緒にいられるんだ。少しぐらいは大目に見てあげるよ」 「え、いいんですか?…じゃあお言葉に甘えてまた来ちゃおうかな。テッドさんには聞きたいことが一杯あるんですよ♪」 「……余計なことはいうなよ、テッド(ぽそり)」 「言われたくなかったら、俺の口を封じとけ」 「………封じてやる」 言うが早いかシオンがテッドの服を掴んで引き寄せて。 「………シオン」 「うわぁ、やるなあ、シオンさん♪」 「こら、コウリってば…」 目の前で熱烈なキスを見せ付けられ、コウリがひゅっと口笛を吹いた。 ジョウイは他人のキスシーンを間近で見てしまい、真っ赤になっている。 「油断大敵」 くすくす笑って唇と服を掴んでいた手を離す。 テッドは苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、やがてくしゃりと前髪をかき上げ溜息を吐いた。 「お前な…もう少し恥じらい持てよ。人前だろ」 人前じゃなかったらいいんだな、なんて下世話なツッコミがコウリの頭を過ぎっていたり。 「いいんだよ。コウリたちだってしょっちゅう僕の目の前で、キスどころかそれ以上のことしてるんだから。……折角だし、いつも自分たちがどんな恥ずかしいことしてるのか見せてあげようか」 シオンの目が悪戯っぽく光る。 テッドの腰を引き寄せ耳たぶを甘噛みし、くちゅ…と濡れた音を耳の中に注ぎ込む。空いた左手が、テッドの襟を緩めにかかる。 その一連の動作は実に素早かった。思わず拍手(ぱちぱち)。 「こらっ、ふざけるなっ。俺は露出狂のケはないっての!」 「気にしない気にしない。…すぐに周りのことなんて気にならなくなるから」 自分たちが知っているシオンと、闇の中でだけ見れる本性と、テッドの前と、どれが本当の彼なのだろう。 恐らく全部嘘ではないのだろうが、英雄に憧れていた身としては今の姿は知らない方が良かったかなあとコウリは思った。 シオンの様子を熱心に見つめているコウリを横目で見ながら、普段自分も似たような事を言っていることに彼は気づいているのだろうかとジョウイは思った。 何とかシオンの腕から逃れたテッドが、シオンの凶行を止めようとしない二人を恨めしげに見やった。 「まったく……どいつもこいつも……」 服の乱れを直しながら、テッドの体がふわりと浮く。そのまま宙を漂いながらジョウイの傍まで来ると、ぴたりと止まった。 「お前のとこが一番安全そうだよな」 ジョウイの肩の辺りで胡座を組み、天魁星二人に向かって、にやっと笑う。 「……それってどういう意味だよ、テッド…」 「えー、僕もなんですか?僕がテッドさん相手に何するっていうんですか。ひどいですよぉ」 「……気持ちはよく判ります。僕もテッドさんの隣が安心できます」 「だよな」 わしゃわしゃと頭を撫でられ、何だか面映くなった。自分よりも年下に見える、この三百歳年上の少年に認められた嬉しさで一杯になる。 少しコウリに対して優越感を抱いたりして――そんなことを考える自分を情けなく思いつつ。 テッドの隣は暖かい。相手の全てを受け入れようとする大きな懐を感じる。母の愛にも似た、絶対的な受容。 シオンがテッドに惹かれる理由がよく判る。 誰だって認められるのは嬉しい。 受け入れてもらうのは嬉しい。 自分の大好きな人に唯一の存在だと言われるのは嬉しい。 ………………自分は? 受け入れて貰うばっかりで、赦して貰うばっかりで、返すことをしていないではないか。 前回テッドに会い、少しでもコウリの気持ちに応えたいと思って起こした行動はその場限りで。 結局はいつもと変わらない、曖昧な自分の態度。 このままだったらコウリが離れて行ってしまってもおかしくない……見返りのない愛は辛いだけだから。自分はそれをよく知っている。 求めても求めても与えられなかった父の愛情。本当の父ではないと知りつつも、父の愛が欲しかった。家族の愛が欲しかった。 そんなジョウイに家族のぬくもりを教えてくれたのはコウリとナナミだった。掛け替えのないたった一つの宝物たち。 『コウリと寝るのが嫌なんじゃないんだろ』 嫌じゃない。むしろ嬉しい。コウリの腕の中はすごく安心できて、触れていると嬉しくて。暖かいベッドの中で笑いながら抱き合っているのは本当に幸せで。 ―――自分は一体何をしていたのだろう。答えは最初から自分の中にあったのに。 「ジョウイ!?」 ジョウイの目からぽろぽろと涙が零れたのを見て、コウリが驚いてジョウイに駆け寄った。 「どうしたのっ。どっか痛いとか!?」 「ううん、違うよ……ごめんね、コウリ。僕はやっぱり肝心なところが抜けている。誰かに教えて貰わなきゃ、自分の気持ちさえ気付けないんだ」 「……ジョウイ?」 「答えが出たみたいだな」 我が子を愛おしむような優しい声が、ジョウイの心を後押ししてくれる。 「はい。ありがとうございます、テッドさん。もう僕は間違えません。コウリとナナミがいる限り、僕の道はたった一つだ。……コウリ」 涙を拭いコウリに向けてすっと右手を掲げる。促されるまま困惑気にコウリも右手を上げると、ジョウイは互いの手のひらを重ね合わせた。 「この手に宿る紋章のように、君は僕の半身。君と僕はずっと一緒だ。この命尽きるまで」 「……ジョウイっ……」 今度はコウリの目に涙が溢れ出した。溢れる涙を拭こうともせず、まっすぐジョウイを見返す。 「うん……ずっとずっと一緒だよ。もう二度と離さないからねっ……」 重ねた手のひらをぎゅっと握り、空いた左手でジョウイを抱きしめる。 「……何だかよく判らないけれど…一件落着なのかな?」 前回コウリたちが来た時に居合わせず、話が見えなくて傍観者に甘んじていたシオンが、ここに来てようやく口を挟む隙を見つけたようだ。 テッドはすーっと空を移動してシオンの隣に来ると、音も立てずに地に降り立った。 シオンと目線の高さを同じにして、唇に穏やかな笑みを上らせる。 「ジョウイも色々悩みがあったんだよ。俺と同じようにな。……ま、お前やコウリには預かり知らぬ悩みだろうけどさ」 「…………そう言われれば僕にだって想像つくよ。テッドには悪いとは思うけど、これだけは絶対譲れないんだ。コウリも同じだと思うよ」 「判ってるって。我侭な親友を持つと苦労するよ」 「……やっぱり我侭かな」 シオンの声のトーンが下がったのを聞きつけ、テッドがおやっという顔をする。 首を傾げて顔を覗き込むと、視線から逃れるようにぷいっとそっぽを向いた。 その様が可愛くて、テッドはシオンの肩に腕をまわして逃げられないように固定した。 「お前の我侭なんて可愛いもんだよ。いいんだ。俺はお前に我侭言って貰うのが嬉しいんだから。あいつらはちょっと違うみたいだけどな。一見コウリの我侭をジョウイが受け入れているようでいて、その実本当に受け入れているのはコウリの方だ。あいつは大物だよ。あの懐の大きさが、あいつのリーダーとしての資質なんだろうな」 「……僕にはない資質だね。僕は彼のように全てを受け入れることなんて出来ないよ」 「その分お前には人を引っ張っていく力がある。あれもこれもと望むのは欲張りだぞ」 テッドの受容は限られた相手にだけのものであり、コウリの受容は自分を慕ってくるもの全てに向けられている。 107の星をコウリは受け入れ、シオンは先頭に立って導いた。形は違えどこの二つの天魁星に、星たちは己の全てを委ねたのだ。 委ねるだけの価値のある二人だった。 「僕は欲張りだよ。知ってるだろ。……………ああ、時間か。夜は長いのに、ここに居られる時間は短すぎるよ」 闇の果てより迫り来る白い光が、夢の終わりを告げている。 名残惜しげにテッドの頬に顔をすり寄せながら、シオンが拗ねたように呟いた。 「現実とここの時間の流れが違うからな。……そんな顔するなよ。またいつだって会えるじゃないか」 「うん……」 コウリたちも光の存在に気づいたようだ。体を離しテッドの方を向いて、ぺこりとお辞儀をした。 シオンよりも光に近い所にいた彼らが先に現実に戻っていく。 光が届く寸前、掠め取った唇が浮かべた笑みが最後の光景となり、シオンの意識も光に呑まれて行った。
ようやくジョウイも納得したようです。やっぱりテッドとジョウイの関係は書いていて楽しい♪テッドが生きていたら、絶対いい友達になったと思うのです。 |