遺志



(やはりこうなったか…)
帝国魔道院の最奥で、リズランは轟く地響きの中、振り注ぐ金色の光を静かに見上げた。
地下4階のこの部屋にまで届く、どこが危機感を呼び起こさせる金のカーテンは、ゆらゆらと蜃気楼のように揺らめきながら、帝国を覆っていく。
リズランは古き約定の書を抱く腕に僅かに力を込めた。ジャナム魔道帝国が所有するこの書は、まだ『未使用』だ。
未使用の書を使えば人為的に世界の融合を起こせる事を、帝国魔道院は長年の研究で突き止めていた。多くの『読み手』を犠牲にして得た知識が正しかった事を、光が告げている。
ジャナム魔道帝国に、別の世界が融合しようとしている。
100万の命が、一瞬にして消滅する。痛みも苦しみもない。新たに出現した別の世界にかき消されるのだ。
助かる術はただ一つ、未使用の書を使って融合の発生の位置をずらすこと。
だがそれだけの力を書から引き出すには、尋常ではない精神力を必要とする。リズランでは、精々帝国の一部を残せるかどうかという所だろう。
リズランは帝国領土の地図を思い浮かべた。融合は帝都を中心に行われるであろうから、一番救える可能性があるのは……
南端の町、サルサビル。
第三皇妃の故郷で、ちょうど今皇太子のシャムスが公務で彼の地にいる筈だ。腹違いの妹のマナリルを心から愛しんでいる、聡明で優しい皇子。
シャムスはリズランを鬼のような母だと思っているだろう。
帝国の為に、命を削らせてまで我が子に書を『読ま』せる非道の第二皇妃。
母の機嫌を損ねまいと必死に書を『読む』マナリルを、魔道院の最奥に幽閉し、このままではいずれ他の『読み手』同様死の運命が待っていると知りながら、優しい言葉一つかけてやらず飼い殺そうとしていると。
その認識は正しい。確かにリズランは、帝国の為に娘を差し出したのだから。
現在この国で『読み手』の力を持つのはマナリル一人。
リズランがただの母であれば、マナリルを連れてこの国を出る事もできた。
だが皇妃であり、魔道院最高責任者であり、高い魔力故に世界の融合の記憶を持ち続けるリズランが、その選択肢を選ぶ事はなかった。
マナリルが『読み手』であることも運命と思えた。もし『読み手』が我が子でなかったら、流石にこの年齢の子供に書の読解をさせるのは躊躇しただろう。
帝国の為に、母の為に、犠牲になりなさい、マナリル。
まだ幼い娘に現状を包み隠さず語り、自分から頷かせた。
抱きしめる事も、泣いて詫びもしなかった。淡々と、感情を乗せることなく事実だけを告げた。
謝罪など、ただの自己満足に過ぎない。
謝罪は相手の為にではない。自分が許されたくて請うのだ。
娘に死を強要しておいて、救われたいなどとは願わない。
『エクト・メルケセル・クアルク・テア・リクトラカス・レイオ…』
知識に侵食される苦しみに喘ぐマナリルを、黙ってみつめた。
このままではマナリルは長くない。
それでもあの子はここから逃げ出さない。母を拒絶する言葉を口にしない。
こうしてマナリルの命の灯火はか細く消えていくのか。
そんな時、カアバ団の団長の少年が、シャムス皇子に依頼されてマナリルを連れ出した。
自分の意思で少年の手を握り返したマナリルを、リズランは静かに見送った。

そう、それでいいのです。
もう解放されなさい。この国から、母から。
皇女でも『読み手』でもなく、一人の少女として生きなさい。
私の娘、マナリル。

サルサビルにはかつての師、ヌザートもいる。
しょっちゅう意見の衝突をしたが、嫌いではなかった。なんだかんだ言いつつ、ヌザートもリズランに目をかけてくれた。
ヌザートの地位を奪う形になった後、絶縁状態になったが、健在な様子は風の噂で聞いていた。
彼女はリズラン同様、融合後も記憶を持ち続けているであろう数少ない人物だ。
いつかヌザートがカアバ団に身を寄せているマナリルに会い、導いてくれる事を願おう。
念を込めると、胸に抱いた書が熱く光った。
「古き約定の書よ、どうかその力を……」
呼応するように書から光が迸った。


シャムス皇子、どうかマナリルを頼みます。
母に愛されなかった悲しい娘を、愛してやってください。
マナリル。
マナリル。
マナリ―――………










何故、あなたが『読み手』でなければならなかったの…






プレイした時から絶対書きたかった、帝都消滅の時のリズランです。
彼女の内面を想像すると、切なくて苦しい。本当はとても娘を愛してた人だった。
融合時にどういう状況になるかは、データが残ってなくて見返せないので、細部が違っていてもご容赦を。


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