輝き



不満そうな声を上げながら、数人の男たちが広間から出て来た。
どの顔も名の知れた将ではない。平民あがりの、戦となれば馬ではなく徒で戦う一般兵たち。解放軍の大多数がここに含まれる。
男たちは口々にリーダーを罵っていた。
子供にはわかんねぇんだよ、どうしろって言うんだよ、こっちだって命かけてるんだ、少しぐらい遊んだっていいじゃねぇか、これ位の楽しみがなきゃやってらんねぇよっ。
男たちの洩らした言葉と先日の騒動が結びつき、あちゃあと頭をかいた。大体の予想がついてしまった。
彼らと入れ替わりに広間へと足を踏み入れる。だだっ広い広間には人影が一つ。
「よお、リーダー。機嫌はどうだ?」
「ふん、判ってる癖に白々しい」
男たちに負けず劣らず、こちらも不機嫌そうだ。
「まあそう熱くなるなって。お前の気持ちは判らなくもないが、あいつらの言い分もちったあ聞いてやれよ」
「こんな時に、城を抜け出して女を買いに行くような奴らの話なんか聞いてられるかっ!」
予想通りの反応に、やっぱりなぁ、とビクトールは再び頭をかいた。
野党上がりやアクの強い連中が揃う解放軍の軍主であるには、ソフォスはまだ幼い。帝国軍人として誇り高くあれと言われて育った彼にとって、戦場での高ぶりを紛らわすために、金で女を買うなどという行為は、軽蔑すべきもの以外の何物でもないのだろう。
「女は品物じゃない。男女の交わりはそういうものではない筈だ!互いに愛し合って行うものだろう?それを金で買うだなんて…」
「あー…それはそうなんだけどな」
なんと言ったらいいのやら。大人たちが忘れてしまった若さゆえの潔癖さは、非常に好ましい物ではあるのだが、現実問題それでは収まりがつかない事をビクトールは知ってしまっている。
「そうも言ってられないのが男ってもんだろ。溜まったもんは出さなきゃなんねぇし」
「だったら自分でやればいい」
「おいおい、味気ないこと言うなよ。そりゃちょっと遠征に行った程度の短い期間ならいいだろうが、古参の解放軍の奴らの中には、何年も故郷に帰ってねぇ奴もいる。ジジイならともかく、精力持て余した若い連中に右手で我慢しろってのは酷な話だぜ」
「軍の中で相手を探せばいい。金で買うから問題なんだ」
「解放軍の男女比判ってるよな?戦闘員を含めても、絶対的に女が足りない。女たちだって相手を選ぶしな。さっきのあいつらだって、好き好んで買う訳じゃねぇよ。故郷に恋人や連れ合いを残して来た奴も大勢いる。寂しさを紛らわす為にも…」
「なら余計に許されない!大切に思う相手がいるなら、何で他の女に手を出すっ!」
「ソフォス」
笑みを引っ込め、ビクトールは真剣な面持ちで一歩近づいた。
「お前が言っている事は正しい。だが正しいことが良いこととは限らない」
「………」
ソフォスの目がキッと鋭さを帯びる。
「結局お前もあいつらと同じか。あいつらも散々訴えてきた。戦場に立つと血が滾る。平常以上に女が抱きたくなる。リーダーも男なら判るだろ?と言われたさ。判ってたまるか!僕はそんなことはしない。同じ人間を品物のように買うなんて。相手の人間性を無視して、自分の欲望を果たすなんて!そんな奴の気持ち判りたくもない!」
(ああ、こいつは)
本当に汚れていないのだ、とビクトールは思った。おろしたてのシーツのように、一点の染みもない強烈な白。
しかもその白はシーツと違って汚されることがない。あらゆる色を弾き、真珠のような柔らかな光沢を身に纏い、凄絶なまでの輝きで見るものを圧倒する。
ソフォスの言い分は正しい。それは誰もが認めるだろう。だが穢れが無さ過ぎて、人はそれを受け入れられない。
人は善と悪を知った上で、悪に手を伸ばす生き物だからだ。
ビクトールは、どこかの教会で見た宗教絵を思い出した。何者にも染まらぬ白を纏い、正義の剣を掲げ、一切の悪を断罪する大天使。
あの天使の姿に、ソフォスが重なった。
これでは心に少しでも疚しいものがある人間は堪らないだろう。ソフォスの剣は肉ではなく、皮膚の下、何重にも張り巡らせた心の壁のみを切り裂く。
ソフォスの前では、人は己の罪を暴かれる。
ソフォスに見られるのではない。自分自身が、無意識に目を逸らしていた物に気づいてしまうのだ。
だから反発する。恐れる。畏れる。
先ほどの男たちのように。
「やっぱガキだよなあ」
年齢の割に身長だけはしっかりあるソフォスの頭を撫で、ビクトールは小さく笑った。
子ども扱いされることを事の他嫌うソフォスだ。案の定ますます頭に血を上らせ、ビクトールの腕を強く振り払う。
「撫でるな!」
「ガキ扱いされたくなかったら、もっと大人になれ。10を見て100を知った気になってんじゃねぇよ。お付きに守られて、一人で吼えてる分にはいい。だけどな、お前はオデッサからこの解放軍を任されたんだ。これだけ人間がいりゃあいろんな奴がいる。お前はそいつらをまとめ、引っ張っていかなきゃなんねえんだよ。大人の事情も判らない、たかだか15年しか生きてねぇガキが、役にも立たないちっぽけな自己正義振り回してんじゃねぇ」
「……っ……」
ソフォスが悔しげに俯く。半ばやけっぱちで言った言葉だったが、そのうちのどれかがソフォスの胸を突いたらしい。
ビクトールはもう一度、ソフォスの頭を撫でた。今度は振り払われなかった。
「軍の精神安定の面は、俺やマッシュの方で何とかする。こういう事は、年長者である俺たちが気づいてしかるべきことだった。悪かったな。お前もこれからもっと、人間の汚い部分や醜い部分を知るようになるだろう。でもお前は変わるな。汚い、妥協するような大人になるな」
「……勝手な事をいう。僕を甘やかすな。兵士の精神的ケアについては、僕ももう一度考える。マッシュやお前の意見も参考にする」
「了解」
ビクトールの手から逃げるように、ソフォスは広間を出て行った。
(甘やかすな、か…)
「余計な事をするな」でもなく、「頼む」でもなく、「甘やかすな」。
(そういうとこが、構いたくなるんだよな)
高い自尊心と向上心、自立心。それは見るものの心を惹きつける。


ソフォスの心の色は白だが、彼自身の印象は白ではない。
朝もやの霧の中に浮かび上がる、美しい清流の色。彼の瞳の色。
霧というフィルター越しの太陽は、しっとりと柔らかい。
我らを導く、美しい輝きよ。









ソフォスの潔癖さを表現するのに、またもやこの話題を使ってしまった…(「作戦」参照)
実際どうしてたんでしょうね。絶対困ってたと思うんですよ。完全に男だけならともかく、仲間内には若い女の子もいるわけだし。
ビクトールがソフィに重ねた天使のイメージはミカエルです。戦う炎の天使。
ちょっと夢見すぎ?(笑)


<<-戻る