軍師



コンコン
「入りな」
控えめなノックに応えを返すと、静かに扉が開いて招いた人物が姿を現した。
「失礼します」
「そこに座りな」
手に持った酒を呷りながら、部屋の主である軍師は自分の向かいの席を顎でしゃくった。
アスが腰を下ろすと、エレノアが横座りしたまま顔だけを正面に向ける。目元は酔いで潤んでいるが、アスを見据える眼光は少しの濁りもなく鋭い。
「それで用件は」
「慌てるんじゃないよ。あんたに来て貰ったのは、戦とは関係ないあたしの個人的興味でね。だからあんたにも拒否権はある。言いたくないことだったら別に答えなくていい」
「はい」
表情を変えずに淡々と応えるアスに、エレノアはフンと鼻を鳴らした。
「相変わらず面白味のない子だよ。普通はあたしに詰問されるとなりゃ、どんな奴でも多少は構えて固くなるもんだけどねぇ。あんたは普段と全く変わりゃしない」
「答えたくないものは答えなくていいのでしょう?」
「そういう問題じゃなくてだね。……まあいいさ。あんたのその肝の太さも気に入った所の一つだ」
エレノアが手にした酒をぐいっと呷った。その一口で瓶は空になった。
「もう終わりかい。後でまたアグネスに持って来させなきゃね。さて本題に入ろうか。アス、出撃予定表は持って来ただろうね」
頷いて、アスが一冊のノートを差し出した。アスが毎日つけているパーティメンバーの記録表で、既に明日の予定メンバーも書き込まれている。
受け取って、パラパラとここ二週間ほどの記録を流し見した後、エレノアはノートを閉じた。
「記録を見ると、毎日満遍なく入れ替わっていたメンバーが、ここ暫く特定の人物のみずっと固定で入っている。行き先も交易や宝探しではなく、明らかにレベル上げを目的とした遠征だ。パーティメンバーの選択はあんたに全面的に任せているからあたしは口出すつもりはないが、一つだけ訊かせとくれ。あんた、このスノウって子を主戦力の一人にする気かい?」
「はい」
騎士団員以外の、アスがオベルに来た理由を知る者がこの場にいたら、大きく目を剥いたことだろう。
アスの答えには少しの逡巡も無かった。それが当然と言わんばかりの声。
「この船にも少なからず、スノウを助けた事を不満に思っている奴らがいるという事を理解した上でかい?」
「はい」
「理由は」
「スノウがそれを望んでいるのと、後は俺がスノウと一緒にいたいからです」
「………あんたの口から、そんな言葉が出るとは思ってもみなかったよ」
暫くの沈黙の後、エレノアは深い溜め息を洩らした。先ほどまでの尋問じみた視線も和らいでいる。
「犯した罪を償わせる為だとか、逆恨みで軍主の留守にあわよくばあの子を海に放り込んでやろうと思ってる輩から守る為だとか、そんな優等生な返事は想定してたんだけどね」
「そんな事する人は、この船にはいません」
アスが本心からそう思っているのが判って、エレノアの苦笑が呆れに変わる。
「おめでたいとは思ってたけど、これ程とはね…リノもとんでもない奴を見つけてきたものだよ」
こいつしかいないと思ったんだと、リノはキカとエレノアと三人だけの時に打ち明けた。
使う度に己の命を削る呪われた紋章を宿しているというのに、アスに荒んだところは少しも見られなかった。
罰の紋章の恐ろしさを、宿した者の苦悩を、間近で見てきたリノは誰よりも良く知っている。最初は若者特有の、死を恐れないどころか、ともすれば憧れすらする刹那的な生き方を忌々しく思ったものだが、すぐにその認識が間違いであった事に気づいた。
アスは己の命を軽んじてはいない。死が回避できるものなら、どんな努力もするだろう。
だがか細い命の炎に縋りつくほどの、死にたくないという強い渇望もない。
紋章が与えた運命を、あるがままに受け止める――まるで海のように深い許容。
こいつは本当に16、7の子供かと、リノはぞっとしたと言う。この年で、まるで80歳の老人のように、死を真正面から冷静に見つめる事ができるなんて。
そんなアスの目に、ある時から強い光が宿るようになった。騎士団のメンバーも、時を同じくして活気付いた。気になってアスを観察してみれば、理由はあっさりと目の前に差し出された。
最後の宿星にして、かつてのアスの主人、スノウ。
彼が船に乗ってから、アスは変わった。
「大丈夫です」
アスが微笑む。当然エレノアがアスのこんな自然な笑みを目にしたのは初めてだ。
「大丈夫って何がだい?仲間を信じているから、なんて陳腐なセリフを言うつもりかい。あたしゃそんな理想論を聞きたくはないね」
「理想じゃない。事実です」
仲間が裏切る事など決してありえないと。
確信を持って告げるアスに、エレノアは己の認識の甘さを認めた。
(こいつは本物だ…)
偶然紋章に選ばれ、偶然オベル王であるリノに出会い、流されるまま軍主になったのではない。
全てが必然だった。アスはなるべくしてなったリーダーだ。
感嘆を飲み込むエレノアに、アスは何事もなかったかのように言った。
「もう戻っても?」
「あ、ああ。遅くまで付き合わせて悪かったね」
「いいえ」
立ち上がって軽く会釈すると、アスはノートを持って扉へと身を翻した。ノブを掴んた所でふと振り返り。
「エレノアさん」
「なんだい?」
「罪を償わせるなんて、俺にはそんな権限はないです。俺に出来るのは、隣でスノウを支える事だけだから」
先ほどの自分の言葉を指しているのだと気づいた時には、アスの姿はもう扉の向こうに消えていた。
「……あの欲の無さと自己評価の低さも、あの子の強さの源なのかもしれないねぇ」
空の酒瓶に残る最後の雫で唇を濡らして、エレノアが微笑む。
「エレノア・シルバーバーグ、最後の最後でとんでもない逸材に出会えたもんだ。この頭脳、奴の為に思う存分振るってやろうじゃないか」
彼というリーダーの下に集った軍師として。







スノウ&4主アンソロのボツ部分を、一つの話として完成させました。4祭記念本の話の、アスとエレノアバージョン。
これだとちっともスノウ出てこないんだもの…
エレノアは歴代軍師の中で一番人間的に好きです。



<<-戻る