おめでとうー…
おめでとうー… おめでとうー… 人々の言祝ぎの声が、さざ波となって黒い海を嘗めて行く。 普段は船の消灯と同時に布団に押し込まれる子供たちも、今夜だけはその目が開いている限り起きている事を許される。 一年という区切りがリセットされ、全てが新しく始まる日。 自分が歩いてきた年月の長さを確認する日。 年明けを告げる時計の音と共に、船中が喜びの歓声に包まれた。 おめでとうー… おめでとうー… 大人も子供も、誰彼構わず笑顔で近くにいる人物に祝いの言葉を捧げる。旧年の嫌な事を忘れ、真っ白な日を迎える。 世界はこうして365日に一度、新しく生まれ変わる。 数時間前水平線に沈んだ太陽と、数時間後に上る太陽自身は何も変わりはしないのに、人だけがそこに勝手な意味を込める。 『あけましておめでとうっ。あのね、わたし5つになったのっ。おにいちゃんは?』 『……あけましておめでとう』 階段を上る途中で注がれた小さな祝福に、本当の年齢など告げられるわけがなかった。 (162歳……か) 自分の年を祝う事など、とっくの昔にやめてしまったけれど、未だ忘れない自分がこの世に生れ落ちた日付から数えれば、新年を迎えるのはこれで162回目。 いつの時代もどこの場所でも、この日は人々の笑顔に包まれた。 例えそれが、つい一週間ほど前に敵の襲撃を受け、見るも無残な状態となっている村でも。 冷害で作物が育たず、明日の食べ物にも困るような年でも。 その度に人間の生の強かさを思い知らされる。 おめでとうー… おめでとうー… 祝福の言葉はまるで音楽のよう。 温かく、柔らかく、荒んだ心に触れて来る。 先日息子を戦で亡くし、毎日泣き崩れていた宿屋のおかみさんが笑っている。 寝たきりになってからすっかり偏屈になっちまってねぇ、と息子の嫁に溜息を吐かせていたじいさんの顔に浮かぶ、嬉しそうな笑顔。 霧の船にいた時を除いた、今まで見てきた130回以上もの祝いの日。この日だけは心の禁を解放して、笑顔の渦に自ら飛び込んできた。 だけど今年は船の上という逃げ場の無い空間な上、まだ当分はこの場所に留まらなくてはならない。今日だけだからといういい訳は通用しない。 人々の楽しげな声が響くサロンから出来るだけ離れて、冷たい風が吹きすさぶ甲板に居場所を求める。第四甲板の自室では、宴会の支度に追われる第三甲板の賑やかな雑踏が聞こえてきて落ち着かない。 後数時間もすれば初日の出を拝む人々で埋め尽くされるであろうこの場所も、今はまだ静寂を保っていた。 冴え渡る月と星を肴に、サロンで貰って来た酒をちびちびと飲む。頬に当たる風は冷たかったが、嫌ではなかった。 ほうっ…と酒気を帯びた吐息が、白い煙になって夜空に融けていく。 新年の夜にこんな風に一人でいた事などなくて、少し寂しい。明日この船を降りられるというのなら、皆がびっくりするくらい思い切り羽目を外してやるのに。 「あーあ、早く戦争終われっての」 「うん。早く終わるといいね」 「…………」 独り言に返事が返って来て、口を噤む。確認せずとも声で誰だか判っていた。 「やっぱり外は寒いね」 言いながら、アルドはテッドの隣に腰を下ろした。流石にいつもの格好ではなく、闇に融けそうな濃い緑色のマントを羽織っている。 ぴたりとくっついたマント越しの腕が温かい。先ほどまでテッドの頬に吹き付けていた冷たい風は、今はアルドの体に邪魔されて届かない。 相変わらず甘やかしやがってと内心悪態を吐きつつ、一人じゃなくなった事が嬉しかった。 本当は少しだけ思っていた。この特別な日、彼は自分が何処に居てもみつけ出すんじゃないかと。 「あけましておめでとう、テッドくん」 こんな風に、優しい笑顔で祝福の言葉をくれるんじゃないかと。 そう期待、していた。 「……………おめでとう」 ぶっきらぼうで短い一言だったけれど、アルドは嬉しそうに微笑んだ。 着ていたマントの留め具を外して広げ、テッドの体をふわりと包み込む。一枚のマントの二人で包まると、先ほどまでの寒さが嘘のように温かくなった。 「こうした方が温かいよ」 「…………」 いつもなら振り払う優しさ。だけど。 一年に一度の日。始まりの日。祝福の日。誰かと共に命を感謝する日。 この日くらいは。 「……初日の出が見たい。それまで湯たんぽ代わりに付き合え」 少しぐらいの甘えも許されるだろうか。 空を朱く染めながら姿を現す新しい太陽を、一人でなく迎える。 ◆◇◆
前半を4テッド祭の新年企画に、後半をテッド尽くしの海とテッド企画に投稿しました。 |