魔術師




わたしには親と呼ぶべき存在はいない。
ただ、庇護し、生活の面倒を見てくれる人を親と称するなら、あの方はわたしにとって親だった。
あの方は物静かで、人との会話をあまり好まなかった。
あの方の師匠である女性とは、滅多に顔をあわせることがなかった。
一日の殆どを一人で過ごすわたしの為に、あの方はたくさんの本を与えて下さった。
小さな頃は絵本や童話や物語を、少し成長してからは、紋章や世界の理や魔術について。
わたしはそれらを暗記するほど繰り返し読んだ。
物語の中の主人公は、優しい両親や家族に支えられ、様々な試練を乗り越える。暖かな色合いで描かれた絵本は、幸せそうな子供たちの音無き声を伝えてくる。
思えば、あの方が下さる物語の本は全て幸せなお話だった気がする。
だから、ある時ふと目にした絵本の寒しさ漂う寒色の表紙にひどく驚いた。
こんな寂し気な本があるなんて。
怖いもの見たさで中を開いてみると、文字の殆どない、灰色と、闇色の群青が延々と続く意味の判らない本だった。
『何を見ているんだい、セラ』
『ルック様……』
転移魔法の気配と共に現れた、この部屋の主であるルック様は、私の手の中の本に気づくとさっと顔色を変えた。
『それをこっちに寄越すんだ、セラ』
『はい。……勝手に拝見して、申し訳ありませんでした』
差し出された手に本を渡し、逃げるように部屋を後にした。
いつも静かなルック様が、あんな風に感情を露わにした姿を見るのは初めてだった。
夕方、食事の席でお会いしたルック様は、いつもと変わらなかった。
『さっきは声を荒げてすまなかったね。あまり人に見られたくないものもある。僕の部屋の掃除はしなくていいから』
『はい、すみませんでした…』
そうは言われても、すっかり恐縮してしまったわたしに、ルック様は少し困った様な微笑を浮かべ、
『責めている訳じゃない。……君には見せたくなかったんだ』
『わたしには……ですか?』
続く言葉を待ったが、ルック様は微笑むだけで何も話しては下さらなかった。
見せたくないもの?
ただの絵本と思ったが、何か隠された意味があるのだろうか。
それが判ったのは、ルック様が五行の紋章を集める理由を話して下さった時だった。
――たった一人で、苦しまれていたのですね。
真の紋章を宿す者はこの世に27人居れども、ルック様のように未来を憂いた者はいるのだろうか。
全人類の為に、己が手を汚そうと考えた者はいるのだろうか。
自ら悪鬼と化す覚悟をしてまで――
『……セラがおります、ルック様』
『セラ?』
『セラはどこまでもルック様についていきます。この命、ルック様の為にお役立てください』
ハルモニアのあの部屋で、孤独に凍えていたわたしに手を差し伸べて下さったのはルック様だけだった。
レックナート様は、わたしを優しく迎え入れて下さった。
お二人だけが、わたしが世界に望む全て。
ルック様が進む道がわたしの道。
『修羅の道であろうと、どんなに罵られようと、わたしはルック様についていきます。お傍にいさせて欲しいのです。これからも、何処までも』
ルック様は困ったような顔をして、でもわたしの同行を許して下さった。
『君はこうと決めたら、絶対に揺るがないからね。それに君が願わなくても、僕は君を連れて行くつもりだった。僕の計画には君の力が必要だ』
『はい。御心のままに』
この時わたしは初めて、呪うばかりだった自分の力に感謝した。
この力があったから、ハルモニアに捕らえられた。けれどだからこそルック様に助けて頂き、今こうしてお力になる事ができる。
私の力も命も、全てルック様に。





遠のく意識の中で、石鳴りを聞く。
あれは遺跡が崩れる音。ルック様の願いが砕かれた音。
不思議と絶望はなかった。むしろわたしは安堵しているのかもしれない。
もうこれで、ルック様が苦しむことはなくなる。
破滅の王となるには、ルック様はお優しすぎるから。
世界の未来なんて、わたしにはどうでも良かった。全てはルック様の為。あの方の為だけに生きて来たのです。
「終わり」への恐怖はないけれど、一つだけ心残りがある。
わたしはルック様のお役に立てたでしょうか。
最後までお守りする事ができなかった不甲斐ないわたしを、ルック様は許して下さるでしょうか。
確認するのが恐ろしくて、目を開けられずにいる。
最期にルック様のお顔が見たいのに。
ああでも、こうしてルック様を腕に眠れるなら、もうこのままで構わない。
ルック様のお側にいられて、セラは本当に幸せでした。





3の一押しカップリング、ルク←セラ。


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