守るべきもの



パシッ
「君にリーダーである資格はない」
頬を打たれた痛みより、言われた言葉より、彼の僕を見る目が心に突き刺さった。





「フリック、ヒックス、付いて来いっ」
「あ、ああ…」
「はいっ」
シオンさんの呼びかけに、殆ど反射的と言った感じで二人が動いた。フリックさんたちは、解放戦争時代に彼の元で戦っている。付き合いは僕より長い。
二人が返事を返す前に、シオンさんは敵軍の真っ只中に飛び込んでいた。二人が来ることを欠片も疑っていないのか。それともたとえ二人が来なくとも、自分一人で戦うつもりなのか。
「コウリ……」
腕の中のナナミがぎゅっとしがみ付いてくる。シオンさんの視線は、僕だけじゃなくナナミにも向けられていた。それは今まで見たことがないような冷たく厳しい視線。
「どうしよう…シオンさんを怒らせちゃった…。私がいけないからだよね。私がこんな大事なとこで怪我なんかするから…足手まといになったからそれで…」
「違うよ。ナナミの所為じゃない。ナナミが僕をかばってくれたから、僕は怪我しないで済んだんだ。僕がしっかりしないから…」
「そうだよ。あいつが怒ったのは君の所為さ」
「ルック…」
二人の前方で詠唱を唱えるルックを見上げる。
「”蒼い都!”」
杖が輝き、蒼き門の紋章が発動する。強力な紋章攻撃に右往左往する敵軍の中で、鬼人のごとく、だが舞うように優雅に棍を振るう彼の姿。
「あいつが言っただろ。君にリーダーの資格はないって。以前のリーダーとはいえ、今あいつらが従うべきは同盟軍リーダーである君の筈だ。その君の命なしに動いたという事は、あいつらもそう思ってたってことさ」
勿論この僕もね、と付けたしてルックは再び詠唱に入った。空気がうねる。異世界から召喚された船が、砲撃を繰り返す。
「………」
こみ上げてくる不安を打ち消すように、ナナミを抱きしめる。ナナミは何も言わない。…言えないのかもしれない。
四人が戦う様子を見つめながら、自分の体が重く冷たく、まるで石にでもなったように遠く感じられた。




「その…さっきは悪かったな。コウリ」
城に着き、足を怪我したナナミをホウアン先生に任せて医務室を出ると、フリックさんとヒックスが立っていた。
ルックは既に己の定位置である約束の石版前に戻っている。シオンさんとはバナーの町で別れたので、ここにはいない。
あの戦闘の後、シオンさんは終始無言だった。先頭を風を切って進む彼に、先ほどの言葉の意味を訊ねる勇気はなかった。小さな背中が僕を拒否していた。
いつもなら城まで一緒に帰還してくれるのに、バナーの町で「それじゃ」とあっさり別れを告げられても何も言えなかった。
僕は一体何をしてしまったんだろう。あの人をあれほど怒らせるほどに。
「リーダーの命令なしに勝手な行動を取って済みませんでした。…あの、ナナミさんの怪我の具合はどうですか」
「大したことないってさ。薬草が効いたみたい。軽い捻挫で済んだって。……あの、ちょっと二人に聞きたいことがあるんだけど…いいかな」
僕の言葉に二人が顔を見合わせ、やや躊躇いがちに頷いた。やっぱり訊かれたか、って顔してる。覚悟はしてたんだね。
二人を連れて僕の自室に向かう。背後の二人が時々気まずそうに視線を交わすのが、気配を感じて伝わる。
「どうぞ座って」
贅沢なソファに二人を勧め、僕も向かいに腰を下ろした。キャロの貧乏な家に育った僕は、どうもこの部屋になじむことができない。
「僕が訊きたいことはもう判ってると思うけど、……シオンさんが怒った理由、あなたたちが判るんなら教えて欲しい」
「………」
二人の躊躇いが手に取るように判る。二人とも面と向かって相手の非をあげ連ねることのできるタイプじゃない。
本当に訊きたいならルックに訊ねればいい。素直に教えてくれるかどうかは別にして、彼なら言葉を誤魔化したりせず真実を言ってくれるはずだ。
なのにルックに声をかけなかったのは――怖かったからだ。
お前の所為だと、責められるのが怖かったのだ。
あの時、僕の頬を叩いた時のシオンさんの目。
そこに浮かんでいたのは、怒りでも軽蔑でもなく……失望。
あの人に失望された。期待を裏切ってしまった。
罵られるより何より、それが深く心を苛む。
だから彼の失意の理由を聞かずにはいられない。でも責められるのは怖い。
よって選んだのがこの二人だ。彼らなら、きっと僕を一方的に責めるだけじゃないから。
「……俺は副リーダーまでで、リーダーってものをやった事がないから、あいつの言いたいことが全部判る訳じゃないが、俺の感じたことを言わせて貰うなら、…確かに今のお前はリーダーとして問題がある」
「………」
「リーダーは全体の標だ。多くの人間を纏め上げ一つにする。シオンのように先頭に立っていくのもありだし、お前のように象徴として存在するでもいい。武術の腕は関係ない。縋るべき寄りどころとして在れる人間が、リーダーとして相応しいんだ。リーダーは誰よりも冷静且つ公平でなくてはならない。誰か一人のみを特別視することは許されない」
「………」
フリックさんの言いたいことが判った。特別視とは――ナナミの事。
「多分無意識だと思うんですが、戦闘時コウリさんはいつも右寄りに立っています。当然中央左への攻撃に対する反応が遅くなり、左側に立つ人間が負傷する確率が高くなる。テンガアールがパーティに入る時は後列だから心配で…」
フリックさん、ヒックス、ルックと言ったSレンジメンバーが三人いる場合、Mレンジの僕やナナミは後列に回る。攻撃を受けやすい中央は僕が入るとして、ナナミは右側に置くことが多かった。
右利きである僕が、その方が反応しやすいから。
「お前は必要以上にナナミを庇い過ぎる。歩けないほどの怪我じゃないナナミに肩を貸し、この先に激しい戦闘がある事が判っているにも関わらず残り少ない薬草を使い、絶えずナナミを心配して…そして判断が鈍った。シオンが包囲されている事に気づかなければ、俺たちはまんまと敵の罠に落ちていた。まあ、たった二人だけの身内って事で気持ちは判らなくないんだが…お前がナナミを庇うほど、それは他のメンバーの不満となって残る。庇われるナナミの立場も悪くする。いざと言う時、仲間より身内を優先するリーダーでは誰もついてこない。それにな、今日はナナミだけだったが他にもナナミと同年代の女の子がパーティに入ることがあるだろう。彼女たちだって必死に戦っているんだ。その彼女たちを差しおいて、ナナミだけを守るお前が何て言われているか知っているか?」
「……女の子たちの中では、ナナミさんが一緒の時のパーティには入りたくないって言う子もいるんです。多分ナナミさんもその事は知っていると思います。だからパーティに入る時の彼女は一生懸命あなたを、みんなを守ろうとするんです。そんな彼女をあなたが庇うから、益々彼女たちの不満はあなたに向けられて…」
ヒックスの言葉を聞きながら、僅かに仰向き祈るように目を閉じる。
ああそうか。だからなのか。
最近女の子たちが戦闘を嫌がる理由。それは敵が強いからではなく、僕の所為だったのか。
気がついても、仕方ないなと苦笑で終わらせてくれる大人たちと違い、少女たちは自分の感情に素直だ。彼女らが僕を避けるようになったのは、リーダーとしての僕に不満を抱いていたからなのか。
「………コウリ?」
黙ってしまった僕を心配そうに見つめてくる二人。彼らだって不満を抱えていた。だからこうして問い詰めれば…訊ねれば、すぐに心のうちを話してくれた。
そんなことに全く気づかず、僕はただ安穏とリーダーという椅子に座っていた。周りのお膳立て通りにしていればいいとだけ思っていた。
「………っ……」
突然、僕はリーダーという言葉の意味を理解した。
お飾りとはいえ、僕は同盟軍のリーダーだ。知識がなくとも、子供でも、僕はリーダーだ。
地位には責任が付きまとう。人の上に立つものの責任。
僕の言葉一つで、大勢の人間が戦場に向かう。負傷する。命を落とす。
リーダーという存在は、個であることは許されない。
たった一人だけを想うことは許されない。
『君にリーダーである資格はない』
叩かれた頬が再び痛む気がする。
戦場において、リーダーが個であることは死に繋がる。一人を守る為に、軍全体が危険にさらされる、そんなことがあってはならないのだ。
「…………ありがとうございます。すみませんが、暫く一人にしてもらえますか」
目を閉じたたまま、搾り出すようにやっとそれだけ言った。僕の胸中を察してくれた二人は、静かに部屋を出て行った。






「一緒に戦ってください」
僕の顔を見るなり眉を寄せた彼の目が、驚きに見開いていくのを正面から見据える。
僕の隣にはナナミ、後ろにはフリックさんとニナ、テンガアールがいる。パーティを見回し、フリックさんの所に視線を止めて…その目がふっと緩む。
前を向いている僕には、シオンさんとフリックさんが目でどんなやり取りをしたのかは判らないけど、言いたかったことはパーティのメンバーから感じ取ってくれたらしい。
あれから僕はパーティに女の子を何人かずつ交代で入れるようにした。
勿論ナナミは必須メンバーだ。でも以前のように、ナナミだけを庇うことはしない。
むしろ一番辛いことは僕とナナミで。回復も一番最後に。
ナナミには何も言わなかったけれど、ナナミは文句一つ言わず笑顔で僕と一緒に戦ってくれた。
最初は渋っていた女の子たちも、パーティに入った子に聞いたり実際に自分が入ってみて、僕の変化を感じとってくれたみたいだ。今では戦闘を嫌がるどころか、積極的に自分をアピールしてくる。(主にフリックさんがパーティにいる時のニナだけど)
こうして失いかけた信頼は、無事取り戻すことができた。
僕が孤立しかかっていることを、やはりナナミは気づいていたんだと思う。以前よりも戦闘はきつくなったのに、笑顔が増えたような気がする。確かめるのは恥ずかしいからできないけれど。
同盟軍の誰もが言いたくても言えずにいた一言を、シオンさんが言ってくれた。
あの短い言葉とたった一発の平手に、全てが込められていた。
同じリーダーの立場にいたシオンさんに言われたからこそ、僕の目も覚めたのだ。
他の誰に言われても、僕はきっと「無理矢理リーダーにされた僕の辛さなんて判らないくせにっ」と自棄になっていただろう。
ジョウイがいなくなった後、ナナミだけが僕の支えだった。
何としてもナナミを守らなくちゃと頑ななまでに思いつめていた。その想いが、逆にナナミを苦しめているとも知らずに。

最近、僕自身お飾りじゃなくなって来たかなとも思うんだ。
僕の中にリーダーとしての自覚が生まれたからかもしれない。
流されるままリーダーになったけど、それでも僕は同盟軍のリーダーだ。
この仲間たちと共にハイランドを倒し、きっとジョウイを取り戻す。
その為に。
「あなたの力を貸してください、シオンさん」
キャロの町のコウリとしてではなく同盟軍軍主として、請う。
シオンさんが笑う。こんな風に笑うシオンさんを見たのは初めてだった。

「望みどおりに」






END







まだリーダーらしくない頃のコウリ。失敗を重ねて人は大きくなるのです。
ジョウイは個になりきれず、ロックアックスでナナミを逃がすために軍を引いてしまいました。その頃のコウリであれば、ナナミが死んでも兵を引くことはなかったでしょう。
にしてもこの話、シオンが美味しいとこどりすぎる(笑)


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