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遮るもののない海での夜明けは早い。
日の出とともに目が覚めるのは騎士団にいた頃からの習慣で、朝の訓練前の雑用がなくなっても、長年培われた体内リズムは今もきちんとアスの体を起こしてくれている。
今はそんな早朝からすることもないので、(甲板での朝稽古は皆の安眠妨害だ)最近は混雑する夜の入浴を止め、朝の誰も居ない風呂を楽しんでいた。
だが今日はどうやら先客がいるらしい。
いつものように風呂の暖簾を潜ると、下駄箱に靴が一組、隅の方にぽつんと置かれていた。こんな朝早くに来るなんて誰だろうと思いつつ、空いている脱衣籠に服を入れて浴室の戸を開ける。
湯船から立ち登る湯気の向こうに、明るい栗色の髪が見えた。
「……早いな」
「……お前こそ」
入ってきたのがアスだと判ると、テッドがほっとした顔をする。
その後は互いに何も言わず、アスはテッドのいる湯船を通り過ぎ、洗い場で頭と体を洗い始めた。
団体生活をしていた者は、大抵皆カラスの行水だ。手早く泡を流した後、アスはテッドから少し離れた所に身を沈めた。
そのまま無言で風呂に浸かる二人。
「……お前、いつもこんな時間に来てるのか?」
沈黙に耐え切れず、口を開いたのはテッドの方だった。
他人と距離を取りたがるくせに、全く無視することは出来ないテッドは、本来とても人が好きなタイプなのだろうと思う。
初めて会った時の人懐っこそうな口調と素直な態度は、仲間に招き入れた以降は全く見られなくなっていた。
彼が持つ真の紋章の特性は、部屋割りをする際に本人の口から聞いている。だから個室でないならこの船には居られないと。
そんなことを聞かされては、皆の安全を守るリーダーとしても、同じ真の紋章を持つ者としても、テッドの要望を聞き入れることに異論は無かった。口にも態度にも出さないけれど、アスとて自分が個室を得られる立場である事に密かに感謝しているのだ。
問いかけにこくりと頷くと、テッドが微かに眉を寄せた。
「それって、やっぱり紋章があるからか…?」
「いや」
否定だけを返した所で、ふとテッドの質問の意味に思い当たる。
そうか。この質問が今彼がここにいる理由という事か。
「俺は昔から早起きなんだ」
「ふーん……」
普段なら付け足さない、理由まで告げる。テッドの質問の重さに気づいた以上、イエスノーの返事だけで済ます訳にはいかなかった。
「明日はもう少し遅い時間に来るよ」
続いたアスの言葉にテッドは驚いて、それからぽつりと小さな声で言った。
「…………別にいいよ。人がいるのが絶対嫌だって訳じゃないし……それにお前なら心配もいらないしな」
言いながら、湯の中でテッドの左手が右手の甲を覆うのが見えた。風呂では流石に隠しようがないが、彼は紋章を人に見られるのを嫌う。
「……?」
首を傾げたアスにテッドが続けた。
「お前には真の紋章が宿ってるから。真の紋章持ちの魂は、こいつは喰らえないんだ」
「……真の紋章は、一人に一つしか宿せないって言ってたな。だとしたら、テッドには罰の紋章は宿らないのか?」
「多分な」
試したことないから判らないけど、と言うテッドの言葉を、ほっとしたようなアスの声が追い。
「助かる。だったらテッドは俺の近くにいるようにしてくれ。そして俺が死にそうになったら、俺をできるだけ遠くに連れて行ってくれ」
「……はあ?何言ってるんだよ」
テッドのこめかみがぴくりと奮えた。
「テッドにしか頼めない。俺が死んだら、この紋章は近くにいる人間に乗り移る。だから俺が死ぬ前に……」
「馬鹿言うなっ!」
突然の怒鳴り声に、アスの目が丸くなった。
テッドは怒りの形相で、じっとアスを睨みつけている。
「お前はこの船のリーダーだろう!死ぬことなんて考えてるなよっ。大体俺はこの戦いが終わったら船を降りるんだからな。お前が死ぬ時なんて、そんな先の面倒まで見てられるか」
「…………」
つまりは、この戦いの間にアスが死ぬことはあり得ないと断言された訳で。
突き放したような物言いの中に、テッドの優しさを感じる。
アスの微笑に気づいたテッドが、バツが悪そうに視線を逸らした。
「判った。だけど真の紋章を持つ俺と一緒にいるのは、テッドにとっても安心だろう?紋章のことを置いておいても、テッドは頼りになるから一緒に戦って欲しい」
「……リーダーの命令なら従うさ」
頷く。一緒に行くのは自分の意思ではないという逃げ道位は、彼にも残しておいてやらないと。
「……俺、もう上がる」
ざばぁと湯船を波立たせて、テッドが立ち上がった。
脱衣所に向かうその後姿に一言。
「また明朝」
「…………」
カラカラカラ…と軽い音を立てて戸が閉まった。





「いらっしゃい。いつも早いねえ」
脱衣所で服を脱いでいると、入り口でタイスケが誰かと話している声が聞こえて来た。
「最近の一番風呂は、アス様かあんただね。一番風呂好きなのかい?」
「ああ、ここの風呂は気に入ってるよ」
「嬉しいねぇ。さ、今日もゆっくりしてってくれ」
服を脱ぐ手を止め、暖簾を潜ってくる相手を待つ。昨日は自分が一番をとったから、今日は彼に譲ってやろう。
アスにとっても、彼との朝のゆっくりとした時間はお気に入りだった











コピー本に入れようとして、没になった話です。
4主とテッドの友情関係って大好き。


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