継承者
「何でゲドさんは英雄の名を継ごうと思ったんですか?」 グラスランドの草原を思わせる深い緑の瞳の真っ直ぐな視線を受け止め、ゲドは微かに目を細めた。 同じく継承者候補の一人であった彼の声に、抜け駆けを糾弾する響きはない。ただ純粋に疑問に思って訊ねた、といった感じだ。 真の火の紋章を受け継ぎ、ビュッデヒュッケ城改めサンレイク城に身を寄せるようになってから大分経つ。 最初は敵国ハルモニアの辺境警備隊であるゲドたちと一定の距離を取っていたヒューゴも、同じ屋根の下で暮らす間に警戒心が緩んで来たらしい。それどころかナディールの劇場の舞台で何度も共演するうちに、すっかり懐かれてしまったゲドである。 ヒューゴには父親がいないと言っていた。ワイアット扮するジンバを、ヒューゴは兄とも父とも慕ったという。この素直な少年を思うワイアットの心は、想像に難くない。 ゲドも褐色の肌を持つ少年を気に入っていた。猫科の動物のようなしなやかな体。キリっとした精悍な顔立ち。恐れを知らない強い輝きを秘めた瞳。ハルモニアやゼクセンの民が失ってしまった野生を身に纏う、自然と共に生き、自然と共に在る草原の民。 彼の瞳は懐かしい友を憶い出させる。 今己の右手に宿る真の火の紋章に相応しい、鮮烈な生き方をした前の持ち主を。 木陰で涼む二人の間を、ひんやりと心地よい風が吹き抜けていく。 ゲドから視線を外し、ヒューゴは抱えた膝に顔を埋めた。ゲドの返事を待たずに言葉を続ける。 「あの時、サナさんに選べって言われた時、俺凄く迷ったんです。ずっと俺は炎の英雄みたいに強くなりたいって思ってた。だから炎の英雄の継承者候補だって言われた時は凄く嬉しかった。………でも同時に怖くなった。俺なんかが炎の英雄の名を継いでいいのかって。みんなが求める英雄が俺に務まるのかって…そう思ったら、体が動かなかった」 ヒューゴが悔しげに唇をかみ締める。己の未熟さを恥じることの出来る彼は、もっともっと成長できるだろう。 「……それにこれは俺の我侭なんだけど………俺、クリスさんには絶対継いで欲しくなかったんだ。真の火の紋章は、炎の英雄がグラスランドに残してくれたものだ。ゼクセン人のクリスさんが継ぐ位なら、意地でも俺が継ごうと思った。でも実際にはクリスさんは動かなくて……。俺、ゲドさんが名乗り出てくれて、ほっとしたんです。やっぱり俺はまだまだガキで、英雄になる資格なんてない。ビネ・デル・ゼクセまでの旅でそれがよく判った。カラヤの狭い世界の中でいい気になってたけど、本当は何も判っていないガキだったんだ」 搾り出すように言葉を紡ぐヒューゴを、ゲドは静かな目で見つめている。 ヒューゴは己の右手に宿った紋章を眺めて言った。 「火の紋章を手に入れる勇気の無かった俺を、真の雷の紋章は新しい継承者として選んでくれた。クリスさんじゃなくて俺を。……俺ずっと訊きたかったんです。ゲドさんが炎の英雄を受け継いだ理由は何なんですか?元々真の紋章を持っていたゲドさんは、俺のように力が欲しかった訳じゃないんでしょう?」 己を見上げてくる真剣な瞳に、黒曜石を思わせる片方だけの深い漆黒は、瞼に一旦その身を隠し、それからゆっくりと開いた。 「真の紋章が与えるものは力だけじゃない……。その運命を背負うには、お前たちはまだ幼すぎた。…結局、運命は避けられなかったがな…」 「それって……永遠の命、って事?」 真の紋章を宿した者は、肉体の老化が止まる。それ以上成長することもなく、永遠にその姿のまま生き続ける。 止まってしまった時間を取り戻すには、紋章を外すしかない。過大な力を得た代償に己の命を捧げて。 また「炎の英雄」にかかるであろう重圧も想像に難くなかった。ハルモニアに対抗する為には、グラスランドとゼクセンが共に手を取らねばならない。 だが長年敵対してきたこの二つの勢力をまとめるには、彼らは「そのもの」でありすぎた。銀の乙女とカラヤ族長の息子、どちらが立っても収まりが着かないのは明らかだ。だったら辺境警備隊の身分を隠し、かつての炎の運び手としての自分が立つ方がマシだと思われた。 どちらにせよ、まだ年若い二人には酷だった。ヒューゴはもう決して大人にはなれない。 ワイアットが愛しんだ少年、ヒューゴ。 ワイアットの血を引く娘、クリス。 かつての友の為に、矢面に立つことを選んだ。英雄の名など興味はなかった。 だが自分が火の紋章を受け入れた代わりに、雷の紋章はヒューゴを選んだ。水の紋章は父から娘へと渡った。 結局彼らの為の己の行動は何の意味も持たなかった……。 「……ゲドさんが英雄になったのは、俺たちの為だったんだね」 握り締めた両拳を唇に当て、俯いているヒューゴの耳に低い声が届く。 「お前たちの為だけじゃない…」 「ゲドさん……?」 顔を上げる。普段表情の変化の乏しいゲドのその顔に苦渋の色を見てとり、ヒューゴは目を見張った。 「奴の見たものを俺も見てみたかった。同じ運命を背負いながら、俺とは違う道を選んだ奴が、何を考え何を思っていたのかを知りたかった…」 「ゲドさん…」 「だがやはり、俺には奴の考えは判らない。「炎の英雄」となった今でもな。きっと俺には一生判らないのだろう」 豊かな枝を広げる木を仰ぎ見る。木陰から差し込む眩しい太陽の光。 太陽を直視することはできない。自分に見えていた彼は、木漏れ日の光だった。 彼という太陽のほんの一部。 「当たり前だよ。他人の気持ちなんて絶対判んないんだから。判ったような気がするだけで」 急にヒューゴの口調が砕けたものに変わったので、ゲドは驚いて(とは言っても外見は殆ど変わらなかったが)彼を見た。あの大きな目をくるくると回し、えいっと勢いをつけて立ち上がる。 「俺は「炎の英雄」のゲドさん好きだよ。ブラス城での演説もさ、格好よかった。ああいうの本当は苦手なんでしょ?みんなの士気を高める為に頑張ってくれたんだよね」 太陽を背に、ヒューゴが笑う。 「ハルモニアなんかに絶対負けない。俺も頑張るから、ゲドさんどんどん俺をこき使ってよ。あ、今度の遠征には俺も連れてってね。エースさんたちばっかりじゃなくてさ!」 話聞かせてくれてありがとうっ、と叫んで、ヒューゴは館に向かって走って行った。一人残されたゲドは、半ば呆然とその背を見送る。 ヒューゴの態度の変化にも、その言葉にも驚かされた。あの会話の一体何が、ヒューゴを変えたのだろう。 「………なるほど、人の気持ちは判らないものだ」 ぼそりと呟いて再び目を閉じる。頬を撫でていく木陰の涼しい風。 その口元は微かに微笑んでいた。 ゲドを英雄にした理由です。何度プレイしても、あそこはゲドを選んでしまうーっ。 ヒューゴは人の感情の対して勘が鋭い子だと思います。うちのヒューゴはクリスに激しく対抗意識があるらしい(笑)
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