思い出



本を読むのは結構好きだったりする。
昔は本は高価な物で、中々個人で手に入れる事はできなかったけど、今は割と一般にも普及して、食堂での夕食プラス酒一本くらいの値段で買えるものもある。
とは言ってもやっぱり本はまだまだ贅沢品。食事代切り詰めてまで買おうとは思わないけどな。大体俺が欲しい本は、一食どころか一週間分の食事代くらいする奴ばかりだし。
きちんと管理された町には大抵大きな図書館があって、少々の小金を払えば色々な本が閲覧できる。図書館の大きさは町の規模に比例するから、大都市であればあるほどその蔵書量は充実している。戦場でテオ将軍に拾われグレッグミンスターの町に来た時、まずそのことが頭を掠めた。しめしめ、この町ならレアな本もお目にかかれそうだぞ、と。
グレッグミンスターの国立図書館は予想通りとんでもないでかさで、今まで見てきた中でも間違いなく1、2を争う規模だった。この国を統治しているルーグナー家の代々の当主が、本の重要さを理解してたって事なんだろうな。
品揃えも充実していて、初めて館内に足を踏み入れた時は真剣に財布の心配をしたもんだ。この蔵書量と内容だったら、俺が食費を切り詰めて図書館通いをするのは確実だったから。
だけどその心配は杞憂に終わった。
何故ってもっといい金づる(っていうと語弊があるか。でもニュアンスはそんな感じだ)が身近にいたからだ。
俺を拾ったテオ将軍の屋敷、マクドール邸にはそれこそ国立図書館にもないような、高価でレアで一般人には閲覧不可な、国家機密に近いような歴史書や軍書がずらりと揃っていた。
当然の事ながらそれらの本は、やたらと硬く古めかしい文章の上、既に無くなった文字や使われなくなった言葉、口語ではない難解で独特の言い回しが使われまくりで、一般人が読んでもちんぷんかんぷんな物が多い。
軍書なんかは特にそうだ。機密を守るため、現代の物でも敢えて古典的な文章で書いてある。相応の教育を受けた者で無ければ、読んでも理解できない。
だからこそ、貴族の子供は古文の勉強が大事な訳だけど。
シオンはコレ苦手なんだよな。現代文に訳してしまえば、書いてある事はあっさり理解できるんだが。(むしろその方が凄い。訳する事はできても、中身が理解できない奴が殆どの筈だ)
俺はといえば、何せその古典の時代を生きてきた人間だ。古い言葉という点では問題ないし、専門用語は昔暇つぶしに勉強したことがある。
あの頃は一日中部屋に篭ってる日が多かったしなぁ。図書室に揃っている本も半分は軍書だったから、有り余る時間を潰すために、その内嫌でも手に取らざるを得なかった。
軍書を読むための手引きなんて本もしっかりあったお陰で、独学でも一通りは読む事ができるようになった。軍書は読み出してみたら意外と面白く、俺軍師とかやったらそこそこいけるかも?なんて自負してみたりして。
実際はそんな面倒な事はしたくないけどな。
軍師という種類の人間を間近に見たお陰で、変な夢は最初から見なくて済んだ。俺はあんな風に感情と理性を切り離せない。
当時、決して広くはない図書室にずらりと並べられていた本の内容を考えると、司書の少女の本を選ぶ鑑定眼の高さを改めて評価する。あの時読んだ本は、今ではとんでもない値段がついていて、王族でも無ければ目にする事はできないだろう。
と思っていたのに。
テオ将軍って人は、本当に質を大事にする人なんだなと思う。マクドールの屋敷は建物自体はでかいけど、置かれている調度品は庶民でも買えるようなものばかりで、とても貴族の屋敷とは思えない質素な生活だ。
だけど武器や本といった物には金を惜しまない。この本一冊で、今俺が住んでいるような家3ヶ月は借りれるな。(実際は俺の家はテオ将軍の持ち物だから、家賃はないけど)
とにかくもう二度と、この本にお目にかかる事はない、筈だったんだ。


「どうかしたの?テッド」
本棚から抜き出した本を抱えて固まっていた俺をひょいと覗き込んで、シオンが不思議そうに訊ねる。
「『海戦軍書』だね。その本は僕も読んだよ。紋章砲での戦いが主な時代だったから今はもうあんまり参考にはならないけど、長期の航海における兵士の心理状態や健康管理について詳しく書かれているから、読んで置くようにって父さんに言われて。この本はそんなに難しくないから読むの楽だったよ」
「…ああ、これは一般兵士向けの本だから…」
「テッドも読んだの?」
「ずっと以前にな」
「そっか」
シオンはこの本の価値を知らない。グレッグミンスターの国立図書館にだって無いんだ。本来は俺みたいな流れ者が読める本じゃない。
「懐かしいな」
本をめくって、各章の頭をパラ読みする。合間の挿絵が、初めて読んだ時の印象を鮮やかに甦らせる。同時に浮かんできた、薄暗い船室。絶え間ない揺れ。壁を打つ波音。海の匂い。
懐かしいのは本自体じゃない。この本に伴う記憶だ。
表紙の内側にはサインがあった。細くて女らしい、だけどちょっと硬そうな書体で「ターニャ」。
……あれ?ちょっと待てよ。あの口うるさい司書の少女はそういやそんな名前で、あそこにあった本の何冊かにはこんなサインが入ってなかったか?
おいおい、じゃあ何か。これは彼女が船に持ち込んだうちの一冊だって言うのか。
貴重な本とはいえ、写本はたくさん出回っているはずだ。よりによってあの時の本がマクドール家にあるなんて、これは何の運命の悪戯だ?
「それ、群島諸国の伝記を書いた人の持ち物だったらしいんだ。テッドはこの本読んだことある?」
そう言ってシオンが本棚から深い青の表紙の本を取り出した。
ターニャの書いた伝記は勿論読んだ事がある。俺のことが書かれていないかとヒヤヒヤしたが、本の中身は主にクールークとの戦闘や、群島諸国連合設立についてで、人物名はオベル国王近辺の名前しか出てこなかった。
俺と同じく真の紋章を宿したあいつの事についても、「元ラズリル騎士団の団員がリーダーとなって導いた」程度で、奴の容貌や特徴については全く書かれていない。
真の紋章を狙うハルモニアの手を逃れるためにも、不老の運命を背負った奴の為にも、ターニャは伝記の中に奴の姿を鮮やかに描く事を避けたのだろう。
だが俺が読んだ伝記は、こんな装丁ではなかった。
「いや、知らない…」
図書館でも見た事がないという事は、重要機密書扱いってことか。正しい歴史を残すために、別口に書いていた可能性はある。だとすればそこには罰の紋章やソウルイーターの事が……まずいな。
「だろうね。この本は作者がオベル国王と、戦後行方不明になったリーダーの関係者に個人的に贈ったものだそうで、一切の増版を禁じているんだ。そうは言っても悪い奴はいて、持ち主から借りてこっそり何冊か写本を作って売りさばいたうちの一冊がこれなんだって。父さん、この作者の本を気に入っているから、町の古本屋で見つけた時、凄い金額出して買っちゃったらしいよ。後でグレミオにバレて怒られてた」
グレミオさんに怒られているテオ将軍の姿を想像して、ぷっと吹き出す。息子の付き人に怒られる将軍って凄いよな。
「中見てもいいか?」
手渡された本は、それ程厚くなかった。シオンの了承を得、恐る恐る表紙を開く。
個人的にという事は、ここには一般向けではないありのままの船での様子が書かれていることだろう。シオンが何も言わないところを見ると、俺の名前までは出ていないだろうが…いや、テッドなんて名前はどこにでもある。150年前の伝記に書かれている人物が俺だなんて、普通は思わないか。
『私達の愛すべきリーダーへ』
最初のページに書かれていた言葉に、手が止まる。
一呼吸置いて捲ったその次のページには、リーダーの肖像が描かれていた。霧の船で俺が惹き付けられた、強い輝きを放つあの瞳ではない。にっこりと微笑む、ありふれた普通の少年の絵。
そしてその隣のページには、船に乗っていた仲間たちが描かれていた。
これを模写した奴は中々の腕前だったんだろう。恐らくこの絵は忠実に、元本の絵を写し取っている。鮮やかに甦る彼らの顔。
リーダー、オベル国王、王女、軍師……はは、ちゃんと俺も描いてある。そっぽ向いて態度悪いよな、俺。元絵は誰が描いたんだか。全員の特徴がよく出てるよ。
俺の隣には長い髪の弓使い。にっこりと笑ってる。この笑顔が曲者だったんだよな。
絵があったのはそこだけだった。後は裏航海日誌とでも言おうか、まるで日記のような日々の生活が書かれていた。今日はマグロが獲れて宴会だとか、船上警備担当者が勢い余って船を壊したとか、第四甲板に現れた幽霊の話だとか……そういやそんなこともあったっけ。
こんなふざけた内容、本当にあの真面目なターニャが書いたのかと思ったら、案の定、後書きにはペローとターニャの二人のサインが入っていた。確か壁新聞の編集者だ。
あはは、馬鹿じゃねえの。こんなの残すなんてさ。
「ね、面白いでしょ、この本。一般に出回っている伝記よりよっぽど面白いよね」
俺が笑い出したのを、シオンは内容の所為だと思っているようだ。内容も勿論おかしいけど、こんなものを残したあいつらの心意気に俺は笑った。多分オベル国王辺りが発案者だろう。そういうの好きそうなおっさんだったからな。
戦いの後、紋章を皆から遠ざけるように姿をくらましたあいつ。
左手に宿る紋章が故に、歴史書でその名を讃えることも出来なかったリーダーの為の、もう一冊の、真実の歴史書。
いつか彼の手にこの本が渡るように、本は代々その地で家名を継いでいく者へと託された。恐らくオベル王家、ラズリル騎士団の仲間たち、ナ・ナル島の長、ミドルポートのナルシーの家辺りには大事に保管されていることだろう。
そのおこぼれに、俺も偶然預からせて貰えちまったって訳か。
テオ将軍の収集癖に感謝だな。
「読みたいなら持って行っていいよ。テッドなら父さんも怒らないだろうし」
「いや、遠慮しとくよ。持って帰って汚したり無くしたりしたら大変だしな。ここに来た時にちょっとずつ読ませてもらうよ」
「そう…」
シオンが少しだけ不満そうな顔をした。少し考えて原因に思い当たる。ははーん。
「お前が勉強している時の時間潰し用にな。お前と一緒の時はお前を優先するから安心しろよ」
「……テッドっ」
どうやら図星だったようで、シオンの顔が赤くなってぷっと膨れる。ほんと判りやすい奴。
本を借りて帰らなかったのは一度に読んだら勿体ないっていうのと、後はお前のお陰なんだぜ?
マクドール家に来る前の俺だったら、絶対借りてったに違いない。
だけど今はお前がいるから。
一人で懐かしい思い出に浸る必要はないから。
それにお前の隣で笑っている俺の姿を、奴らに見せてやりたいからな。










テ坊祭の「海」にする予定でしたが、海ネタにならなかったーっ。
ので100題にしました。ああ、テ坊祭はいつ終わるのだろう…
テ坊テッドはテオの事をテオ将軍と呼びます。メインテッドほど、テオ様に心開いてないのね…。
この話、メインテッドでも良いのだけど、やっぱりテ坊テッドなのです。メインテッドは運が悪いからきっとこの本にめぐり合えない(笑)



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