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テッドとアルドを見送って、 扉が閉まると同時に作り笑顔を崩す。 散らかったテーブルを片付ける気力もなく、引き寄せた椅子に体を投げ出した。 机の上に山と積んだ饅頭は、殆どテッドの胃の中だ。お茶も湯呑が空になる間を与えず延々と注いでやったし、あれでは夕食は食べられないだろう。 嫌なら飲まなきゃいいのに、「注がれるとつい飲んじまうんだよ」と、何杯目かのお茶を口に含みながら不貞腐れていた。酒盛りの場で、注ぎ上手のターゲットになりやすいタイプだ。 「ほんと、お人よしだな」 椅子の背もたれに頭を預けて、くすりと笑う。 アルドもテッドも。 「そんな奴らだから、精霊に見初められたんだろうけど…違うな、だったら俺のとこにまで来るはずがないか」 天井に向けてのくすくす笑いが、くしゃりと歪んだ。 驚いた。 心臓が止まるかと思った。 願望が過ぎて、幻覚を見るようになったのかと思った。 毎晩夢に見る、ずっと追いかけてきた淡い金色の髪。物心ついた時から一日たりとも離れたことのなかった彼と、こんなに長い間会わずにいるなんて信じられない。 禁断症状が夢に現れる。オーク、とスノウが笑顔で手を差し出してくれる。それを俺が取る。温かな手。幸せ。 ――オーク、ちょっと頼まれてくれるかい? スノウの頼みを俺をきかないなんて、あるはずないだろ。 ――ずっと一緒だよね、オーク。 当然だよ、俺は一生スノウの傍にいるよ。 スノウ、スノウ、スノウ。 大好き、と百万回言っても足りない。一千回でも足りない。俺の口から出る息が、全部スノウへの言葉になればいいのに。 何よりも、誰よりも守りたかった、俺の全て。 スノウの傍にいつもいられるように、騎士団の勉強と剣術の稽古に励んだ。スノウを取られたくなくて、誰も近寄らせないようスノウの傍から片時も離れなかった。 それが傍目にどのように映り、スノウをどんな気持ちにさせていたかを考えもしないで。 『お前はスノウの小間使いかもしれないが、奴隷じゃない。心までスノウに服従することはないんだぞ』 騎士団に入ったばかりの頃、おせっかいな騎士団の先輩の「親切な」言葉を、俺は笑い飛ばした。 何言ってるんですか、俺が好きでスノウの傍にいるんですよ。 だが奴は、辛そうに眉を寄せ、 『無理に笑わなくていい。余計に痛々しい』 痛々しい?俺が?どうしてそんな風に思う。 『スノウにこき使われ自分の時間も持てず、夜中にこっそり剣の稽古をしているのを知っている。そんなお前を、あの坊ちゃんは当然のようにはべらせて得意になってやがる。全く忌々しい話だ』 夜間稽古をするのはスノウを守る力が欲しいから。スノウはとても強くて、そのスノウを守るためには騎士団の練習だけじゃ足りないから。 はべらせてるんじゃなくて、俺が傍にいさせて欲しいから。 『もういい、いいんだ、オーク。判っている』 何が判ってるって?あんたの言うことは見当外れなことばかりだ! この時かろうじて拳を堪えられたのは、スノウの呼ぶ声が聞こえたからだ。俺は言葉の通じない先輩に背を向け、スノウに駆け寄った。奴の視線を感じながら、だが決して奴を見ることはなく、あてつけるようにスノウに甘えて見せた。 『どうしたんだい、オーク』 訝しむスノウを連れて、さっさとその場を後にした。その先輩から告白を受けたのはまた少し後の話だ。 異性を見るように、俺が好きなんだって。 騎士団には女の子もいるのに、俺がいいんだって。 バカじゃないか。俺はあんたなんて知らない。あんたに触れられるなんて真っ平だ。好意を持たれていると言うだけで虫唾が走る! 先日のこともあり、こっぴどくフッた後で、ふとこれがスノウだったらどうだろうと考えた。 スノウが俺をどうにかしたいなんて死んでも言う訳ないけれど、気持ちいいことは好きなスノウだ。抱かれる立場で相手が上手かったら、承諾するかもしれない。 騎士団に入るまでは毎晩風呂で流していた、白い背中を思い出す。 あの肌が歓喜に震え、赤く色づく姿はさぞや艶かしいだろう。 領主の息子であるスノウは、いずれ同じ貴族の娘を妻に迎える。スノウの一番近いのは俺じゃなくなる。 それに異論を唱えることはできない。天地がひっくり返っても、俺にはスノウの子供を産めはしないのだから。 領主には跡取りが必要だ。判ってる。 だけどスノウのそんな姿を他の人間に見られるだなんて、嫉妬で胸が張り裂けそうだった。 スノウが俺の腕の中で、潤んだ声で俺を呼んでくれたら……想像だけでイきそうになる。 スノウが欲しい。 躯も心も、全部独り占めしたい。 男同士だからなんて関係ない。ただスノウが好きなだけ。 他の誰も見ないで。他の人を好きにならないで。 ずっと俺だけのスノウでいてよ…っ。 そんな俺の想いが、スノウの重荷になっていたと知ったのは、団長を殺したのは俺だと、スノウが証言したと聞いた時だった。 罰の紋章を継承したショックで薄れ行く意識の中で、最後に見たスノウの表情。 恐怖に戦きながら、その奥に安堵を含んだ暗い愉悦。 ああ、俺の想いはそんなにも君を脅えさせていたの―― 今度会えたら二度と愚行を犯すまいという誓いの通り、俺はクールークにラズリルを明け渡したスノウを突き放した。 感情を隠した艦長の顔で、平然と彼を海に流した。 その晩はベッドに跪いて必死で神に祈った。 どうか彼がどこかの船に拾われますように、無事でいますように。 願いは叶えられ、次の再会を果たすことができたけれど、運命はもう一度スノウを海に流す苦行を俺に強いた。 大嫌いだったと吐き捨てた君の言葉が、どれだけ俺の心を抉ったか知ってるかい? 理性も二度が限界だ。スノウを喪うかもしれないという身の毛のよだつような恐怖を二回も経験して、もう一度同じことができるほど俺の心臓は強くない。 今度会えたら、俺はもう君を手放せない。 でも昔と違って、君の負担にならないように変わるから。 君が俺の隣でも心地よく笑えるように頑張るから。 お願いスノウ。 どうか俺を赦して。 早朝の甲板で、アルドとテッドは並んで朝食代わりの肉まんを頬張っていた。 時間が早い為、甲板は人もまばらだ。ふと顔を上げると、オークがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。 「おはよう。早いね、二人とも」 「おはようございます、オークさん」 「珍しいな、お前がこんな時間にうろついてるなんて」 目の前に来たオークを見上げて、テッドが毒づく。 「ん、ちょっと早く目が覚めたもんでね」 「眠れなかったの間違いじゃねぇのか」 冗談のつもりで口にした言葉が真実を突いていたと気づいたのは、一瞬見せたオークの表情からだった。 「………」 「オークさんもいかがですか、肉まん」 「ありがとう、貰うよ」 アルドの隣に腰を下ろし、肉まんを受け取ってかぶりつく。その横顔は、やはりいつもより元気がない。 「…その、気にすんなよ」 「何が?」 申し訳なさから口にした励ましめいた言葉に、きょとんとした声が返ってきた。 オークに言葉の意味が判らないはずがない。つまりは触れられたくないという事だ。 「何でもない」 前言を撤回して、肉まんを頬張った。 「いい天気ですねぇ。こんな日に皆で朝ごはんが食べられるって嬉しいです」 呑気なアルドが、今はありがたい。 「そうだね。俺もこんなにゆっくりした朝食は久しぶりだ」 最後の一口を放り込み、オークが気持ちよさそうに空を仰ぎ―― 「……精霊だ」 呆然と呟いたオークの視線の先には、青い空を背景にふわふわと宙を漂う人の姿。 「え、どこにっ。……本当だ」 「また会いに来てくれたんだね。おーいっ」 立ち上がってアルドが手を振る。 「なあお前、精霊はどんな姿に見える?」 テッドが視線を精霊に向けたまま、アルドに訪ねた。 「テッド君の姿だよ」 「そうか…俺にはアルドに見える」 「俺はスノウに見えてるよ」 半ば答えを予想していたテッドが、オークを見る。 「最後にサービス、かな」 やられたな、という風に、オークが長い前髪をかき上げた。 「そうですね。良かった、笑ってくれてて…」 見える姿はそれぞれ違えど、表情は同じだ。 満面の笑顔で、精霊は三人に微笑みかけている。 やがてくるりとその場で一回転し、小さな光の珠になると、精霊は北の方角へと飛び去っていった。 北にあるのはクールーク皇国だ。 「……そろそろ北に向かわなきゃな」 光の稜線を追いかけて、オークがぽつりと漏らす。 三度目の偶然を期待して中々前に進めずにいたけれど、精霊に後押しされた感じだ。 「やっとか。これで宝探しから解放される」 「テッドだけ宝探しで残ってくれてもいいんだよ」 「冗談じゃねぇ!誰が残るか」 「もうすぐ決戦ですか。きんちょうしますね」 ほのぼのとした会話を繰り広げる彼らの間を、海風が吹き抜けていく。 精霊の飛び去った北へと進路を向けた先で、オークが望む三度目に出くわしたのは、それから数時間後のこと。 丸太に摑まって漂流していたスノウ曰く、『オークの幽霊が現れて、僕を励ましてくれたんだ』だそうで。 オークが精霊に心からの感謝を捧げたことは言うまでもない。 同人誌より再録。 |