「何故あんな所にいらしたのです?」
大通りへ出る細い道を先行して歩きながら、エイルは僅かに非難を込めて言った。 「先触れを努めようとして道に迷いました」 「当国の見張りが貴船の入港を確認し、伝令に走ってくれていました。生憎この時間は港には見張りが一人しかおらず、言伝を残す暇がなかったようですが。土地勘のない方が案内もなしに先触れとは、いささか無謀ではありませんか」 「……面目ありません」 こちらの手落ちを誤魔化す意味も兼ねて、八つ当たり的にぶつけてみたが、相手は言い訳をするではなく黙って受け止めた。 オベル港の前の海は、午前中は巨大な渦が発生する。 ここに港を構えたのは、自然現象を利用した国防であり、この海を熟知した者以外は、普通は渦が収まってから入港する。 なのに来賓の船は、太陽が真上に来る前の時間に、まるで渦など存在しないかのようにするりと船を接岸させてしまったのだ。 (流石は『海神の申し子』が率いる船と言うべきか) ちらりと背後を伺うと、漆黒の瞳と目が合った。慌てて前に向き直る。 (だからこそおかしいんだ) かつてたった一隻でガイエン海上騎士団を退けたと言う経歴を考えても、こんな失態をするような人物とは思えない。 (誰かを庇って…かな) 先ほど彼がぽつんと立っていた広場の、草に覆われていない部分に、一頭分のツノウマの足跡があった。まだ土が乾いていなかったので、それ程時間は経っていないだろう。王国内のツノウマは昨日から全て厩舎に繋がれている。今日足跡をつけられるのは、クールークの船に乗って来たツノウマだけだ。 足跡は港の方向に向かっていた。抉れた土の深さから、人が騎乗しており、しかもかなり急いでいたことが伺える。 推測するに、迷子になったのは別の人物で、探しに来た彼のツノウマに乗って戻ったという所か。 来賓の中で、『海神の申し子』が足を譲る人物となれば、一人しか思い当たらない。 (やれやれ) 期待はしないようにしていたが、最初から失望させないで欲しい。 気持ちが顔に出ないよう切り替えて、振り返った。 「近道をしようと、こちらの道を来て正解でした。行き違いにならなくて良かったですわ」 「助かりました。フレア王女」 ふっと緊張を緩めたトロイに向かって、エイルは姉の顔で可憐に微笑んだ。 サザンウインド 群島諸国の中で唯一王制を敷くオベル王国は、群島の代表の立場にある。 現国王リノ・エン・クルデスは名君と名高く、王に剣と忠誠を捧げる王国軍は、ラズリル村のガイエン海上騎士団と並んでこの海の双守護神となっている。 海賊を仕切るエドガー、ブランド、キカの三海賊も、オベルの旗の前では尻尾を巻いて逃げ出すと噂だ。実際は頭領たちとリノは旧知の友であり、彼らは不名誉な噂に眉を潜めるものの、敢えて訂正はしていない。噂が大陸への牽制になっている事を熟知しているからだ。 群島諸国と南方海域の覇権を狙うクールーク皇国の野望は、オベルとラズリルの二つの軍に阻まれ、それどころか王国の巧みな外交により、建前であった群島の近代化を目指す南進政策を本気で進めざるを得なくなった。(主に王妃の功績であったと言う。オベル王妃の聡明さは後の歴史書でも讃えられている) 武力による支配を諦めたクールーク皇王ユリウスは、政治的干渉へと方針を変えた。 手始めとして、古来より用いられた最も効果的な策、政略結婚をオベル王国に持ちかけたのである。 御年二十歳になるフレア王女と、皇帝の二十六歳の息子バスク。 十六歳のエイル王子と、皇帝の二十七歳の娘オルネラ、または八歳の孫娘コルセリア皇女。 このいずれかの婚姻をもって、クールークとオベルに末永い平和と、と言うのである。 オベルとしても、クールークと姻戚関係を結ぶのは悪い話ではない。 オルネラとバスクは庶子で、皇族を名乗らず臣下に下っている。フレアとバスクの婚姻が成立すれば、彼はオベルに婿入りとなる。 同様にオルネラもオベルへ嫁すことが可能だが、やや年が離れていた。 直系の皇女であるコルセリアとの場合は、第二王位継承者であるエイルはクールーク行きを免れないだろう。 リノは直接の返答を避け、本人たちの意向を大事にしたいとクールーク側に伝えた。 よってまずはバスクが王女との対面の為、オベル王国を訪れることとなった。 この状況を、当事者のフレアはどう思っていたかと言うと。 『政略結婚なんて冗談じゃないわ!オルネラ殿はともかく、バスク殿なんて名前も聞いたことない。今まで省みなかった息子を政治の駒に使おうとするクールーク皇王の態度が気に食わないわ。エイル、あなた私の代わりに顔合わせをして来て。その間に私は色々対策を練るから。何としてもこの話を破談にして見せるわ!』 この場合の代わりにとは、女装してフレアに成りすましてという意味である。 姉弟は母親似で、鬘を被ると双子のようにそっくりだった。 エイルは小さい頃から、礼儀作法の勉強を逃れたい姉の身代わりをさせられていた。お陰でレディとしてのマナーはエイルの方が上である。 姉の命令に逆らう気は毛頭なかった。報復が怖いと言うより、幼少から刷り込まれた絶対的な力関係である。外見性格共に王妃似のエイルが、中身はリノなフレアに敵う筈が無い。 そんな訳で、王家の女性の正装に身を包んだエイルは、本日港でバスクを出迎える筈だったのだが。 ニコが齎した、予定より早いクールーク船入港の報に、慌てて港へと向かう途中トロイをみつけたのである。 供も付けず長いドレスを翻して走ってきたエイルに、トロイは目を丸くしていたが、フレア本人であっても同じ状況になるので気にしない。(お願いですからお一人で行かないで下さいと言うデスモンドの懇願が聞き入れられたことはない) エイルの格好がオベル王家の正装であると気づいたトロイは、丁寧な臣下の礼と名乗りを上げてから、涼やかな声で問いかけた。 ――フレア王女であらせられますか? この時微かに胸の痛みを感じたのは何故だったのか。 「私の顔に何か?」 「いえ、何でも。すみません!」 無意識に、トロイを凝視してしまっていたらしい。 とっさに視線を逸らしてから、姉らしくない行動だったと唇を噛んだ。 (失敗した……) フレアはこういう時、真っ直ぐ相手を見返すのだ。長年姉の影武者をして来て、考え事をしながらでもフレアを演じられる筈が、何故か今は素に戻ってしまっていた。 そんなエイルの様子を見ていたトロイが、くすりと笑った。 「噂とは当てにならないものですね」 「私の噂…ですか?オベルの王女は哨戒船を乗り回す、とんだじゃじゃ馬だと言う?」 今度はちゃんとフレアらしい態度が出来た。悪戯心を瞳に浮かべ、楽しげに相手の反応を待つ。 「美しく勇敢な王女だとは聞いていましたが、こんなに可愛らしい方だとは思いませんでした」 「なっ……」 またしてもフレアらしからぬ反応だと判っていながら、顔が赤くなるのが止められなかった。 「からかわないで……失礼だわ!」 「本心からの言葉ですが、ご気分を害されたならお許しを。―――失礼!」 一瞬後、エイルは力強い腕の中に抱き込まれていた。 寸前までエイルがいた場所に、白いものが落ちている。 見上げると、青い大空に一羽のナセル鳥が飛びたった所だった。所謂「落し物」だ。 「お召し物はご無事ですか」 「え、ええ……大丈夫です。ありがとう……」 上擦った声をかろうじて搾り出した。心臓はドクドクと早鐘を打っている。頬は熱く熱を持ち、顔が上げられない。押し付けられた逞しい胸から香る男の匂い。 (何で……僕は男なのに) 胸に渦巻く感情を抑えようと、強く目を閉じる。 「フレア王女?」 (違う、僕は姉さんじゃない…!) 呼ばれた名前を否定したがる心を、必死にねじ伏せる。 「どうかされましたか。ご気分でも……」 「……この道を真っ直ぐ行くと港です。私は先に王宮に戻って準備しておきますので」 トロイの腕から逃れて、身を翻した。 「フレア王女!」 追いかけてくる声を、必死に振り払う。 こんな気持ちは錯覚だ。 恐らくエイルはフレアを完璧に演じすぎて、恋心まで再現してしまったのだ。 フレアはエイルと同じように、トロイに胸の高鳴りを覚えるだろう。 だが姉の相手はトロイではない。 (あの人を、姉さんに近づけないようにしなくては) 大好きな姉にこんな思いをさせないために。 王宮に戻ったエイルが、温いお茶を一気飲みし、走って乱れた髪と服を整えた所で、バスクたち一行が到着したとの報告が入った。 鏡の前で大きく息を吸い込み、気合を入れてから広間へと向かう。 初対面となる会食には、「エイル王子」は出席しないことになっていた。本物のフレアはエイルの部屋に篭っている。 細長いテーブルを挟んで、クールークの男性二人と、リノと王妃が向かい合って座っていた。 トロイは上座から二番目の席に着いている。エイルと目が合うと、それと判らない程度に小さく会釈した。エイルも視線で頷く。 トロイの横の、クールークの正装を身に付けた男がバスクだった。不細工というほどでもないが、大きな鼻が目に付く。見目麗しいトロイと並ぶと、悲しいかな、引き立て役にしかならなかった。 人柄を探るべくリノが仕掛けている会話に対して、バスクからは浅い返事しか返って来なかった。キョロキョロと視線を動かし、落ち着かない様子だ。 沈黙を作らない為にトロイにも話題を振ると、思慮深い意見がその口から流れ出て、戦いしか知らない無骨な軍人というイメージを払拭した。 トロイは見合いの付き添い人としては不適格だった。 容姿、知性、人間性とどれを取っても、主役のバスクを食ってしまう。 トロイが相手なら良かったのに――時折視線を交し合う両親の瞳がそう言っていた。エイルもこの男を義兄と呼ぶのは御免だった。 居心地の悪い会食が終わると、エイルは一目散にフレアの部屋に向かった。崩れるようにソファに倒れこむ。 (あれじゃ駄目だな…) バスクの人柄次第では、フレアを説得しようと思っていたエイルである。 国内に姉を制御できそうな男はいないし(小さな島国では国民全員が顔見知りだ)、あの姉が他国に嫁いで上手くやれるとは思えない。フレアが納得できる男を婿取りして王位を継ぐのが、姉にとって一番幸せだろうと思っている。だがバスクではフレアに振り回され、放置されて終わりだ。 この婚姻が駄目だとすると、お鉢はエイルに回ってくる。 十一歳年上の女性か、八歳年下の少女か。どちらでも構わないが、どうせならコルセリアの方がいいな、とぼんやり思った。コルセリアとなら、十中八九エイルがクールークに行くことになるからである。 クールークには彼がいる。 バスクと会話する時も、エイルの神経はトロイに集中していた。瞳はバスクを通り越し、耳はトロイの声を追っていた。 最早認めざるを得ない。一目見た瞬間、あの黒曜石の瞳に心を奪われてしまった。 トロイが男だという、常識が鳴らす警鐘は音にならなかった。 (気持ちは口に出せなくても、傍であの人を見ていられるなら) とその時、人の気配が近づいて来るのに気づいて、エイルは体を起こした。王宮の各部屋は風通しの為に扉が無い。使用人が貴人の部屋を訪れる際は先触れの鈴を鳴らして予告をするが、その音がしなかったと言う事は王族の誰かか。 「私よ、エイル」 仕切りの布影から聞こえてきたのはフレアの声だった。仕切り布を軽く手で払って入ってくる。 「今日はありがとう。お疲れ様。顔色が良くないみたいだけど、大丈夫?」 「ちょっと疲れただけだよ。流石に緊張したしね」 「ならいいけど。無理させちゃってごめんなさいね」 そっくりな瞳が間近に近づいて来て、額同士がこつんとぶつかった。 「何言ってるのさ。姉さんの身代わりなんていつものことだろ」 優しい声と額から伝わる温かさが、じんわりと体に染みていく。 「そうね…そしてこれで最後になるのね。私が結婚したら」 「姉さん?」 言葉の内容と、何時にないフレアの弱弱しい声に、驚いて顔を覗きこむ。 「会食の時、隣の部屋でこっそり様子を伺っていたの。それで決めたのよ。私、バスク殿と結婚するわ」 「何で……政略結婚なんて絶対嫌だって言ってたじゃないか!それとも姉さんあの男を…?」 「まさか!バスク殿が好みだったって訳じゃないわよ。――考えたの。今クールークを敵に回すのは、得策ではないわ。私がこの縁談を断ったら、あなたが結婚しなければならなくなる。私はオベルの第一王位継承者であり、あなたの姉よ。王女の務めを放棄し、弟を犠牲にしてまで自分の我侭を通すなんてできない。大丈夫、バスク殿は頼りなさそうだけど、悪い人ではないと思うわ。無理強いではなく、ちゃんと私の意志で決めたことよ。だから、許してね」 「姉さん……」 フレアが一度決めたら、周りがどんなに説得しようと決心が揺るぐことはないと、誰よりもエイルが知っている。 泣きそうな笑顔で強く抱きしめてくる姉に返す言葉を、エイルは持たなかった。 二つの国を繋ぐ結婚式は、盛大に行われた。 オベル国民とクールークの来賓の前で式を挙げた二人は、慣習通り海神への報告をしに小型船に乗り込んだ。 それっきり、翌日になっても船は戻らなかったのである。 王女強奪か!?やはりクールークの罠か。そちらこそオベルの策略かと、両国民の間で一食触発の空気が立ち上った時、王宮から召集がかかった。 ざわめく人々の前に現れたのは、行方不明になっていたフレアとバスクだった。 「オベルの民、クールークの方々よ、聞いてください」 静まり返った広場に、フレアの厳かな声が響き渡る。バスクはその隣で、じっとフレアを見守っている。 「海神へ報告に行った私たちの船は、突然の嵐に見舞われて転覆しました。幸い通りがかった船に助けられ、事なきを得ましたが、これはこの婚姻を海神がお認めにならないと言う事。バスク殿と話し合い、結婚は白紙に戻しました。海神の許しを得られなかった私たちを許して下さい」 両腕を群集へと伸ばし、我が身を晒すようにして語るフレアを、歓声が包み込んだ。 政略結婚を受け入れ難く思っていた者は少なくない。 かといってクールークの申し出を真っ向から刎ねつけ、全面戦争をするには、残念ながら国の規模が違いすぎた。 海に暮らす者にとって、海神の祝福を得られなかったは、波風を立てようが無い最高の理由だった。 上がるフレアコールに、フレアは優雅に微笑んで見せた。湧き上がる群集と、その背後に広がる青い海に向かって。 フレアの視線の遥か先では、転覆したはずの小型船が北に向かって進んでいた。 船べりに凭れ掛かって海風に髪を遊ばせ、船が割いていく海面を見つめながら、少年がぽつりと呟いた。 「いつから姉さんと手を組んでたんですか」 「会食の翌日、密かに王女に呼び出され、計画を打ち明けられました。この結婚話を穏便に壊したいので、手伝って欲しいと。元々バスク殿もオベル行きに難色を示しておられたので、スムーズに進みました」 「僕を除け者にして?」 「……エイル王子にも話すべきと王女に進言したのですが…」 「姉さんが内緒にしろって言ったんだね」 神妙な顔で頷いたトロイに、エイルは深い溜息を洩らした。 「有言実行の姉さんが途中で諦めるなんて、おかしいと思った。結婚話を壊すのは元々予定通りだったからいいけど、それがどうして僕の誘拐事件になってるんです?王宮の自室で寝てたはずが、目が覚めたら海の上って驚くんですけど」 「それもフレア王女の依頼なのです。エイル王子をクールークに連れて行って欲しいと」 「それをあなたは聞き入れちゃった訳ですね……」 (やり方が強行過ぎるよ、姉さん!) 見知らぬ船室で目が覚めたエイルは、自分を攫った賊の中にトロイの姿を見つけて本気で驚いた。そしてトロイから渡されたフレアの手紙を読み、その場に崩れ落ちてしまった。 手紙は要約すると、『国のことは気にせず、トロイさんと幸せになりなさい』という内容で。 あの日の殊勝な態度は全部演技だったのか!と、既に遠くなったオベルに向かって怒鳴りたくなった。 それにしても、まさかフレアにトロイへの想いがバレていたとは思わなかった。幸せを願ってくれるのはありがたいが、弟が男と逃避行するよう仕向けるのはどうなのか。 投げやりな気持ちになって、エイルは隣に立つトロイに問いかけた。 「あなたは何でこんな厄介ごとを引き受けたんです?メリットがある訳でもないのに」 「――私も同じだったからです」 「何が?」 訝るエイルに向かって、二本の腕が伸び。 「あなたを連れて行きたかった」 「……っ」 かつてと同じように、力強い腕の中に捕らわれた。 「やはりあなただ。フレア王女ではない。あなたに惹かれた」 「トロイさん……」 耳元に囁かれた信じがたい言葉に、体が震える。 エイルと同じように、初めて会ったあの日から、トロイの心にもエイルが住んでいたと? 「ですがこれはあなたの意思を無視した計画でした。あなたが国に戻りたいと望まれるなら、責任を持ってお送りします。許せないと言われるなら、どんな罰でも受けます」 覗き込んでくる瞳は真摯だった。 「……姉さんの手紙によると、僕はコルセリア皇女がもう少し成長するまでの間、親睦を深めるのを兼ねてクールークに留学する事になっているそうだから、今更国に帰れないよ。トロイさんは姉さんから僕を託されたんだろ。だったらちゃんと面倒見てよね」 「エイル王子」 トロイの嬉しそうな笑顔を見て赤くなった顔を誤魔化そうと、ぶっきらぼうに言葉を続ける。 「姉さんとコルセリア皇女が実は文通友達で、皇女には好きな人がいるけど身分違いで反対されるだろうから、カモフラージュの為に僕がクールークに行くって、本当都合のいい偶然だよね」 「私もフレア王女からコルセリア様の手紙を見せて頂いて驚きました」 コルセリアの想い人は赤月出身の旅人だそうで、十六になったら身分を捨てて彼と一緒に行くつもりなのだという。 幼くても恋する乙女のパワーは凄まじい。 「僕も見習わなきゃな」 「何をですか?」 「ううん、何でも。あのさ、トロイさんの方が年上なんだから、僕に敬語を使うのは止めて。名前も呼び捨てでいい」 トロイの眉が寄った。上下関係を重んじる軍人にとって厳しい注文だと判っていてのお願いだ。 「どんな罰でも受ける覚悟なんでしょう?だからお願い」 甘えた声と仕草で、猫のように擦り寄る。 たっぷり三十秒ほど沈黙が流れた後、小さな笑みと共に抱きしめられた。 「判った。……ありがとう、エイル」 初めて聞く素の口調のトロイの声は、やや低く。 呼ばれた名前はこの上なく甘かった。 「……って何この台本!!」 「物に当たるな。エイル」 トロイは床に叩きつけられた台本を拾い、エイルに手渡した。 「どこの三流ドラマだよ。恥ずかしい」 受け取ったものの、エイルは不満そうに丸めた台本を握り締めている。 「我々の接点がゲーム中に殆どない以上、捏造するより仕方なかったのだろう。私はこの脚本はそれほど悪くないと思うが」 「少女漫画な展開の上、ナチュラルに女装ですよ?おかしいと思わないんですか」 「君の女装は似合っているからな」 「……」 普段は気にも留めない自分の女顔と高い声を、ちょっとだけ恨めしく思った。 「何にせよ、芝居とは言え、こうしてまた君と過ごせるのは嬉しい事だ」 「…………僕もです」 天然の殺し文句に、エイルの柳眉が下がる。 結局現実も台本と同じ位甘い二人だった。 若小間アンソロに寄稿した話を再録です。 |